贄原くんと3匹の鬼

緋色刹那

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第7話「文化祭(1日目)」

漆:霊護院の巫女

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「いたた……」
「飯沼さん、大丈夫?!」
 教室には飯沼も倒れていた。困惑した様子で起き上がり、周囲を見回す。
 陽斗が手を差し伸べると、飯沼はホッとした様子で彼の手を取り、立ち上がった。
「良かった。贄原くんも来てたのね?」
「う、うん。怪我はない?」
「えぇ、平気」
 そこは青白い月光が差し込む夜の学校だった。夏休みにオカ研の調査で潜入した、夜の学校そのままだ。
 教室にいるのは陽斗と飯沼だけで、廊下を覗いてみたが、誰もおらず、静まり返っていた。スマホも圏外で、通じない。
「ここ……姿見の中だよね? どうしたら元の世界に戻れるんだろう、蒼劔君?」
 陽斗はいつものように蒼劔に尋ねた。が、当然返事はない。
「あれ? 蒼劔君?」
 陽斗は周囲を見回し、何度も呼びかけた。
 それでも蒼劔は一向に姿を現わさず、そこでようやく陽斗は蒼劔がいないことに気づいた。今までは何も言わずともついて来ていたため、てっきりいるものだと思い込んでいた。
「ど、どうしよう……蒼劔君、置いてきちゃった!」
「贄原君、しっかりして! 誰のことを言っているのか分からないけど、こういう時こそ落ち着いて行動しなくちゃ!」
 パニックになる陽斗を、飯沼がなだめる。この異常事態においても、彼女は妙に冷静だった。
「きっと、そのうち助けが来るわ。今はここで大人しく待ちましょう」
「そ、そうだよね……ごめん、取り乱しちゃって」
 陽斗は幾分か落ち着きを取り戻し、飯沼に謝った。蒼劔不在のまま、こんな得体の知れない場所に留まるなど、恐ろしくてたまらなかった。
 すると飯沼も申し訳なさそうに目を伏せ、「私の方こそ、ごめんなさい」と謝罪した。
「急に後ろから誰かに押されて、よろめいてしまって……踏み止まる間もなく、贄原君を押してしまったの。まさか姿見の中に入ってしまうなんて、思いもしなかった」
「誰かって……誰?」
 陽斗は姿見に入る前の状況を思い返し、首を傾げた。
 あの場には陽斗と飯沼しかいなかったはずだ。妖怪や霊の類いも、文化祭が始まる前にあらかじめ蒼劔に掃討してもらった。蒼劔がいたかどうかは定かではなかったが、彼は陽斗を姿見へ突き飛ばすようなことはしないだろう。
 飯沼も首を傾げ「さぁ……?」と眉をひそめた。
「顔は見えなかったから、分からないわ。もしかしたら、姿見に映ってた猫のお面の人だったのかも」
「……だとしたら、ごめん。飯沼さんまで巻き込んじゃって」
 陽斗は飯沼に申し訳なくなった。
 猫の面をつけた女は、執拗に陽斗を狙っていた。今回のことも彼女の仕業なのだとしたら、飯沼は陽斗と一緒にいたばかりに、姿見へ入れられたのかもしれない。
「贄原君のせいじゃないわよ。気にしないで」
 事情を知らない飯沼は、陽斗を優しく励ます。
 その優しさが、今の陽斗には辛かった。何もかも話してしまいたかったがそうもいかず、「ありがとう」と、ぎこちなく微笑んだ。
 その時、陽斗の腹が「ぐぅぅ……」と頼りなく鳴った。
「お腹空いた……」
「こんなことになるなら、先にお昼食べておけば良かったわね」
 ふと、飯沼は教室の隅に小さな冷蔵庫があるのに気づいた。
 近づき、ドアを開くと、大きなビニール袋が置かれ、中にラップに包まれた大量のおにぎりとサンドイッチが入っていた。
「贄原君、これ!」
「ふぇ?」
 陽斗も飯沼に手招きされ、冷蔵庫を覗き込む。
 途端に目を輝かせた。
「ご飯だー!」

          ・
 
 陽斗は冷蔵庫からおにぎりとサンドイッチを取り出し、次々に頬張った。おにぎりにもサンドイッチにも、得体の知れない葉っぱが具に使われていたが、陽斗は気にしなかった。
「おいふぃ! 飯沼さんも食べなよー」
「わ、私はいいわ。こんな訳の分からないとこに置いてある食べ物なんて、怖いもの」
「えー、美味しいのにー」
 陽斗は両手におにぎりを1つずつ持ち、残念そうに言う。
 空腹だからなのか、不思議といくら食べても満腹にはならなかった。既に袋に入っていたほとんどのおにぎりとサンドイッチが彼の胃袋の中へと収められていた。
 特に葉っぱが美味しく、食欲をそそられた。おにぎりには刻んで塩漬けにしたもの、サンドイッチにはそのまま挟んであった。サンドイッチから外し、隅々まで観察してみたが、何の葉っぱなのか分からなかった。
「それにしても、これ何の葉っぱなんだろうね? 山でも見たことないよ。飯沼さん、知ってる?」
 飯沼は一瞬、険しい表情を浮かべたが、すぐに表情を和らげ、困惑した様子で答えた。
「さぁ? 私、植物にはあまり詳しくないから」
「そっかぁ。戻ったら、蒼劔君に聞いてみよっと」
「……」
 陽斗は両手に持っていた2つのおにぎりを平らげ、ビニール袋からサンドイッチを取り出した。ラップをめくり、頬張る。
 サンドイッチには得体の知れない葉っぱの他にもハムとチーズが挟まっており、ピクルス入りのマヨネーズがアクセントになって美味しかった。
「サンドイッチも美味しい! きっとこれを作った人は、お料理上手だね! 飯沼さん、ほんとにいらないの?」
「えぇ、全部食べていいわよ」
 飯沼は陽斗が食べている様子を微笑ましそうに眺め、目を細めた。


         ・
 
 その頃、蒼劔達は教室へ戻り、結界の解除を試みていた。
 しかし結界は教室の内側から全体を囲うように張られてあり、外からではどうすることも出来なかった。
「ダメだ! 内側からガッチリ張ってやがる! 中から札を剥がさねぇことには、どうにも出来ねェ!」
「ドアも破壊出来ません! 何度も金棒で叩いてみましたが、傷一つつきませんね。結界とは別に、術で閉じられてしまっているようです」
「くそっ……!」
 蒼劔は数日前、五代から「いいニュース」と称し、猫の面の女の正体が飯沼だと聞かされていた。
 だが、飯沼と親しい陽斗に真実を話すわけにはいかず、猫の面の女の目的も分からなかったため、蒼劔も五代も黙っていたのだ。
「蒼劔殿、霊護院の巫女が相手では仕方ありませんよ。黒縄様でも彼女だと分からなかったのですから」
「うるせェ。ヤツはそんじょそこらの鬼憑おにつきとは違ェンだよ。五代ですら気配を察知出来なかった相手を、俺が察知できるわけがないだろ?」
 黒縄は忌々しそうに舌打ちした。
「ヤツは元々、力の強い術者だった。その霊力を狙ったある鬼がヤツに憑依したが、ヤツは強靭な精神力で体の主導権を守った。ヤツは自らに憑依した鬼を祓うため、師に助言を仰いだ」
「だが、それが間違いだった」
 蒼劔も眉をひそめ、霊護院の巫女の噂を思い返した。彼女のことは鬼の間では有名だった。
「奴の師は正しい知識を持たない、劣った術者だった。間違った除霊を行い、客から金を巻き上げていた。霊護院の巫女にも誤った鬼の祓い方を教え、彼女はその通りに実行した」
「……、ですね?」
 朱羅は青ざめながらも、答えた。陽斗の安否を心配するあまり、今にも卒倒しそうな状態だった。
 蒼劔も同様に焦っていたが、黒縄だけは冷静に教室の様子をジッと観察していた。
「そうだ。ヤツは鬼を祓うため、自分と同じ人間共から霊力を奪っていった。やがて、より質の高い霊力を集めるため、霊力の高い人間に霊鍛草を食わせ、限界まで霊力を高めさせた末に、そいつの全ての霊力を奪うっつー、外道極まりねェ方法で霊力を奪うようになった」
「我々も彼女らしき人物とは何度か鉢合わせましたが、いずれも止められませんでした……まさか、こんな近くにいたなんて」
「飯沼が弁当や菓子を甲斐甲斐しく陽斗に与えていたのは、陽斗の霊力を食うためだったというわけか。陽斗の霊力がこの街に来てから異常に上昇したのも、飯沼が霊鍛草を与え続けたせいだろう」
「まったく、不運なヤツだな」
 さすがの黒縄も陽斗を憐み、ため息を吐く。
 その間にも、時は無情に過ぎていく。強大な力を持つ彼らをもってしても、この状況から陽斗を救い出すことは不可能だった。
「……五代殿、陽斗殿とはまだ連絡は取れないのですか?」
 朱羅はスマホで五代に尋ねた。
『全然ダメー。陽斗氏のスマホ、圏外っぽい。結界の向こうの状況も読み取ってみたけど、陽斗氏も霊護院の巫女もいないねぇ。たぶん、別空間に連れて行かれたんだと思う。これ、マズくない?』
「マズいですね」
「五代、なんとかしろ」
『おいおい、オイラにだって限界はあるのよ?』
 五代は緊張感のない様子で、スマホの向こうで肩をすくめる。
 音声だけでは分からないが、その頬にはつぅーっと冷や汗が垂れていた。
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