贄原くんと3匹の鬼

緋色刹那

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第2話「贄原くんの災厄な五日間」前編

1日目:着ぐるみ

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 翌朝、陽斗は水筒と弁当を入れたリュックを背負い、バイトへ向かうべく部屋から出てきた。陽斗が部屋の鍵をかけている間、蒼劔が周囲の様子を伺う。
 早朝とあって、街をうろついている異形はほとんどいなかった。既に気温は30度近く、蒸し暑かった。
「じゃ、行こっか」
「あぁ」
「ちょいちょいちょい!」
 その時、何処から声が聞こえた。外階段に向かおうとしていた陽斗と蒼劔は足を止め、声がした方を振り返る。
 すると、視線の先にあった「無限大」の部屋のドアがゆっくりと開き、中から細く白い手がすぅっと伸びた。手は2人に指先を向け、怪しく手招きをする。そのあまりにも不気味な光景に、陽斗は思わず悲鳴を上げた。
「ひぃっ?! お、お化け?!」
 するとその悲鳴を聞いた手の主が「違いますよぉ~」とドアの向こうからひょっこりと姿を現した。
 それは部屋の主でもある「無限大」だった。相変わらず癖毛なのか寝癖なのか分からない髪型をしている。半ズボンは昨日履いていたものと同じデザインのものだったが、Tシャツは可愛らしい魔法少女のキャラクターがプリントされているピンクのTシャツに変わっていた。どう見ても女児向けの洋服だったが、「無限大」は平然と着用していた。
「びっくりした……無限大さんだったんですね。おはようございます!」
 陽斗は手の主が「無限大」だと分かり、笑顔で歩み寄っていった。怪訝な表情で「無限大」を睨んでいる蒼劔も後からついてくる。
 「無限大」は陽斗の背後にいる蒼劔にビビりながらも「お、おはよ」と挨拶した。
「何かご用ですか?」
「え、えっと……」
 「無限大」は何か言いたげに人差し指と人差し指をツンツンさせながら俯く。
 なかなか話を切り出さない「無限大」に、蒼劔が眉をひそめた。
「陽斗はこれからバイトがあるんだ。邪魔立てするつもりなら、今ここで斬り捨てるが?」
 蒼劔は本気で「無限大」を斬るつもりらしく、左手から刀の柄を出し、掴んだ。
「ヒェェェェェッ! 殺されるゥゥゥッ!」
「ダメだよ、蒼劔君!」
 「無限大」は鳥の鳴き声のような奇声を上げ、ドアの後ろに身を隠す。慌てて陽斗が刀の柄を握る蒼劔の手を押さえると、蒼劔は「チッ」と舌打ちし、刀を左手へ戻した。
 「無限大」はドアの向こうから蒼劔が刀を左手に戻したのを確認し、ホッと息を吐いた。
「き、君達の邪魔をするつもりは無いんだ。ただ、どうしてもこれを陽斗氏に渡したくて……」
「僕に?」
 「無限大」は一旦部屋に引っ込むと、黒い大きなビニール袋を手に戻ってきた。中に何か大きな物が入っているようで、大きく膨らんでいる。
「ん」
「ど、どうも」
 陽斗はドアの向こうの「無限大」からその黒い大きなビニール袋を両手で受け取った。外からは中身が見えず、袋越しに触った感触も柔らかいようで硬いという妙な触り心地で、何が入っているのか全く検討がつかない。重さはそこそこあり、陽斗がこのままずっと袋を抱えた状態ではバイトの前に腕が疲れてしまいそうだった。
「結構重い……これ、中に何が入ってるんです? 一旦、部屋に置いてきてもいいですか?」
「ダメ」
 「無限大」は真顔で首を振り、即答した。両目が前髪で隠れているせいで詳しい表情を窺い知ることは出来なかったが、有無を言わせない口調だった。
「徹夜で作りました。今日のバイトで使って下さい。きっと役に立ちます。というか、絶対使って。使わないとマジで死んじゃうから。お願い! お願いします! プリーズ! プリィィィズッ!」
 「無限大」は両手を合わせ、頭を下げ、腰を折り、膝も折り、そのままアスファルトの廊下に両手をついて土下座した。
「あ、頭を上げて下さい! こんな砂だらけの廊下で土下座なんてしたら、服が汚れちゃいます!」
 その異常な懇願ぶりに、陽斗は袋を床に置いて、力づくで「無限大」の肩を両手で持ち上げようとしたが、
「嫌だ! 陽斗氏が“持っていく!”って言うまでッ! 僕はッ! 絶対にッ! 土下座をやめないッ! なお、上の服は地べたに付かないように配慮して土下座をしているので、ノープロブレム! 今日は土下座パーリィーだぜフッフー!」
 と、全力で土下座をやめるのを拒否された。
「放っておけ。何が入っているのか分からん代物をバイト先まで運ばせるなど、怪しすぎる」
 蒼劔は陽斗の背後から土下座する「無限大」を冷ややかに見下ろしていたが、陽斗はあまりにも必死な「無限大」の姿を見て、彼が自分に危害を加えようとしているとは思えなかった。
「せっかく僕のために徹夜で作ってくれたんだし、持っていくよ。だから土下座なんてやめて下さい、無限大さん」
「ホント?!」
 陽斗の返答を聞き、「無限大」はガバッと勢いよく顔を上げた。弾みに、ミント色の前髪の間から真っ赤な瞳が露わになる。ウサギの目のような、赤い南天の実のような、つぶらな赤い瞳に、陽斗は思わず釘付けになった。
「……無限大さんの目って赤いんですね。コンタクト入れてるんですか?」
 陽斗は何気なく尋ねたが、両目が露わになっていると気づいた「無限大」は慌てて前髪で隠した。何かを誤魔化すように「そ、そうなんすよぉ」と引きつった笑みを浮かべる。
「やっぱ髪の色が派手派手だから、目もカラコン入れなきゃ採算取れないっていうか? 引きオタでもイケてるってとこを世界に見せたいみたいな?」
「よく分かんないけどこれ、ありがとうございました。今日のバイトで使いますね!」
 それじゃ、と陽斗は「無限大」に軽く会釈し、両手で袋を抱えて去っていった。袋を抱えたまま、外階段をよたよたと下りていく。
「大丈夫か? 重いなら俺が持つが」
「大丈夫、大丈夫! せっかく無限大さんがくれたんだから、頑張って自分でバイト先まで運ぶよ!」
 「無限大」は健気に袋を抱えていく陽斗背中を見送り、立ち上がった。吹きさらしの廊下で土下座したせいで、手も膝も半ズボンも砂だらけになっている。「無限大」は体に付いた砂を払い、部屋に戻った。
 内側から鍵をかけ、ポケットからキャラクターもののカバーをかけたスマホを取り出すと、何処かへ電話をした。穴だらけのサンダルを脱ぎ捨て、呼出音を聞きながら呟く。
「……悪く思わないで下さいよ。俺にも返さなきゃならないがあるんでね」

          ・

 バイト先に着いた陽斗は責任者から説明を受け、更衣室に入った。
「ロッカーはそれ使って。中に仕事で着る服も入ってるから」
「分かりました」
 当てがわれた古いロッカーを開くと、中に黄色いウサギの着ぐるみが入っていた。全体的に色あせてクリーム色になっている、見るからに年季の入った着ぐるみだったが、陽斗はその着ぐるみを目にするなり嬉しそうに目を輝かせた。
「すごーい! 本物の着ぐるみだ!」
 着ぐるみの両肩をつかみ、持ち上げてみる。かつてはふわふわだったであろう生地はへたり、よれよれの薄い皮だけになっている。右目の刺繍も一部剥げて、白目になっていた。他にも、脇の部分のほつれを赤い糸で縫って修繕されていたり、右足の足裏に「着ぐるみマジ臭い」と油性ペンで落書きされていたり、尻尾の毛の色のトーンが他の部位よりも明るく、真新しかったりと、何度も直されながら使われ続けてきた痕跡がいたる箇所で発見された。
「……」
 その着ぐるみを見た途端、蒼劔は目を見開いた。心なしか、顔が青ざめて見える。
「蒼劔君、どうかした?」
 着ぐるみに夢中だった陽斗は珍しく彼の異常に気づき、心配そうに声をかけた。
 蒼劔は「……信じられん」と呟き、陽斗の代わりに今まで持っていた「無限大」から渡された黒い大きなビニール袋を床に置いた。節木駅のホームまでは陽斗が自力で運んだものの、節木駅からバイト先の最寄り駅までの電車が満員だったため、結局蒼劔がここまで運んできたのだ。
「とりあえず、中の物を見てくれ」
 蒼劔は固く結ばれた袋の口を解いて広げ、中の物を陽斗に見せた。
「無限大さんから渡された袋がどうし……」
 袋の中身を見て、陽斗は驚いた。
 それは、。それも、よく似た新品ではなく、陽斗のロッカーに入っていた着ぐるみと同じくらいの年季が入ったものだった。生地はよれよれ、右目の刺繍は一部剥げて白目、全体的に色あせてクリーム色になっている中、尻尾の毛の色だけがやけに明るい。
「これ、僕が着る着ぐるみとおんなじやつだ! 無限大さん、これ手作りしたの?! すっごい偶然だね!」
 陽斗は興奮冷めやらぬ様子で、ロッカーに入っていた着ぐるみと同様に袋の着ぐるみの両肩をつかみ、持ち上げてみた。
「でも、無限大さんに着ぐるみのバイトするって言ってたっけ? 壁薄いから聞こえてたのかな……。蒼劔君は中に何が入ってるのか知ってたの?」
「電車に乗っている最中に、封を開けずに確認した。あの時は何故こんな物が入っているのか分からなかったが、お前の着ぐるみを見て大体理解した」
 ふと、陽斗は着ぐるみの脇の赤い物に目を止めた。それは脇のほつれを直すために縫い付けられた赤い糸だった。
「……嘘」
 まさかと思い、陽斗は着ぐるみの右足の足裏をひっくり返した。
 そこには油性ペンで「着ぐるみマジ臭い」と書かれていた。しかも陽斗に支給された着ぐるみと全く同じ筆跡、字の位置、傾き、大きさ、インクの擦れ具合をしている。
 足裏の文字だけではない。わずかなほつれや修繕跡、毛色の違い、汚れに至るまで、陽斗のロッカーに入っていた着ぐるみと何もかも全く同じだった。
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