贄原くんと3匹の鬼

緋色刹那

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第1話「映える心霊スポット」

捌:節木市の異変

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 陽斗が住んでいる節木荘ふしぎそうは、築百年を越える木造二階建てのアパートである。何度かリフォームをしているため、実際の半分の築年数に見える。
 最寄り駅から徒歩、十分じゅっぷん。部屋は四畳半の和室と台所のみ。トイレは共同で、風呂なし。陽斗は近所にある銭湯を利用している。
 家賃は「少しでも長く居てもらいたい」という大家の意向から、破格の値段で貸し出されている。しかし建物の古さも相まってか、何故かすぐに住人が引っ越してしまうため、"曰くつきのアパート"とも呼ばれていた。
 実際、節木荘に現在住んでいる人間は陽斗のみで、他の部屋は全て空き部屋だったが、時折妙な物音や話し声を耳にしており、陽斗は「僕以外にも誰か住んでるんだな」と思い込んでいた。
「着いたぞ」
 蒼劔は節木荘の北側にあるだだっ広い駐車場に車を停めると、陽斗に降りるよう促した。車を覆っていた膜は、二人が降りる瞬間だけ消えた。
 蒼劔は陽斗が車から無事降りたのを確認すると、何やらブツブツと唱えた。
 すると、車の屋根に刺さっていた刀が一際輝き、車が独りでに走り出した。車はゆっくりと駐車場から出て行き、細い路地を通って去っていった。
「行っちゃった……」
「どうせ、車の行方を五代に探させているだろうからな。少しでも時間を稼いでくれれば、それでいい」
 実際、蒼劔の予想は的中した。
 朱羅は黒縄をアジトへ送り届けた後、情報を頼りに車を追い、どんどん節木市から離れていった。無人の車はひたすら北へ走り、オホーツク海を渡る寸前で、追ってきた朱羅によって捕獲されたという。
「車さん、ここまでありがとー! バイバーイ!」
 そんな車の行く末も知らず、陽斗は走り去っていく車に向かって、呑気に手を振った。
 蒼劔も無事、黒縄と朱羅の注意が車に向くよう祈りつつ、車を見送った。
「ところで、ごだいさんって誰?」
「黒縄お抱えの情報屋だ。五感の代わりと書いて、五代と読む。黒縄がお前のことを知ったのも、そいつから仕入れた情報からだろう。」
「へぇー、そんな人がいるんだね」
「……人ではないが、な」
「? どういうこと?」
「あいつは……」
 蒼劔は五代について説明しようとして、「いや、やめておこう」と口を閉ざした。
「奴は、直接人間に害を与える異形ではない。知らなくても支障はないだろう。むしろ、余計なことを知ってしまっては、標的にされるかもしれん」
「そっか。じゃあ、いいや」
 陽斗もそれ以上は追求せず、スルーした。蒼劔が「知らなくていい」と言うなら、無理に知る必要もないと思った。
「では、俺も行く。何かあれば、いつでも呼べ。気配を察知できる範囲なら、助けに来てやる」
 蒼劔は踵を返し、駐車場から立ち去ろうとした。
 それを見て陽斗は「待って!」と慌てて引き止めた。蒼劔の元へ駆け寄り、彼の着流しの袖をつかむ。
「っ?!」
 陽斗の行動が予想外だったのか、蒼劔は驚き、振り向く。
 陽斗は安心させようと微笑み、礼を言った。
「助けてくれてありがとう。蒼劔君がいなかったら、僕はあのままムカデさんに食べられて死んでたよ。本当にありがとう」
「……?」
 蒼劔は一瞬、自分が何を言われているのか理解できず、ポカンとした。
 やがて礼を言われているのだと分かると、耳まで顔を真っ赤にした。まるで、生まれて初めて面と向かって礼を言われたような反応だった。
「お……俺は、俺の使命を果たしたまでだ。悪しき異形から、お前達人間を守る……それだけが、俺が出来る唯一の"贖罪"だから」
「贖罪?」
 蒼劔は袖から陽斗の手をやんわり外すと、「ではな」と駐車場を後にし、車が去っていった方向とは反対の路地へ去っていった。
「……なんだか、不思議な雰囲気の人だったなぁ。あ、人じゃなくて"鬼"か」
 蒼劔がいなくなった途端、陽斗は急に心細くなった。心なしか、空気が冷たく感じる。
「……帰ろ」
 陽斗は寒さで鳥肌が立った腕をさすりつつ、アパートの壁面に設置された階段を上り、二階にある自分の部屋へと帰っていった。
 階段は錆びて軋み、踏みしめるごとに「ギッギッ」と不気味な音がした。

      ・

 節木荘が見えなくなってきた頃、蒼劔ははた、と立ち止まった。
「……この街、妙だな。昼間にも増して、妖気が濃くなっている」
 丑三つ時の街は異常なまでに静まり返り、濃い闇に包まれていた。
 ……否、そう見えるのは常人だけで、実際には異形の者達が我が者顔で闊歩していた。赤ら顔の老人の生首が空を飛び、全身毛むくじゃらの何かが住居のベランダに立ち、大きな一つ目をギラつかせて地上を見下ろしている。また別の家では、異様に細く黒い人影が二階の窓に貼りついて家の中を覗きこみ、二又や三又に別れた尾を持つ猫達がブロック塀の上を軽快に駆け抜けていく。
 蒼劔が歩いてきた路地にも半透明に透けた人間や人間の形をした別の何かが現れ、蒼劔が来た道をゆっくりと歩いて行った。いくら異形が夜に活動しやすいとはいえ、この数は尋常ではなかった。
 その上、大多数の異形達は同じ方角を目指していた。ちょうど、節木荘がある辺りだった。
「まさか……奴らは陽斗に惹き寄せられて、集まっているのか?!」
 確証はなかったが、妙な胸騒ぎがした。来た道を、急いで戻る。
 節木荘に近づくにつれ、周辺にいる異形達の数は増えていった。昼間の街中のように、ごった返している。
「退け!」
 蒼劔は左手から刀を抜くと逆手に持ち、路地を駆け抜けた。
 先を歩いている異形達と蒼劔が衝突する前に、刀が彼らの体を斬り裂き、青い光の粒子へと変える。蒼劔が走り抜けた後の路地には大量の青い光の粒子が漂い、満天の星のごとく輝いていた。一粒、また一粒と瞬いては消え、やがて元の闇へと戻った。

       ・

 節木荘周辺に集まった異形の数は、路地の比ではなかった。
 つい数分前まで閑散としていたはずの駐車場はアスファルトの地面が見えないほど異形達でごった返し、押し合いへし合いしている。どうやら二階に行きたいらしく、蒼劔にも理解できない言語で言い争いながら、アパートの壁に取り付けられた外付け階段へ我先にと上ろうとしていた。
 そして、彼らが目指している二階の一室からは、かすかに陽斗の悲鳴が聞こえた。
「た……けて……そ……く……!」
「陽斗!」
 蒼劔は駐車場に集まっていた異形達の頭を踏み台に、二階の吹きさらしの廊下へと跳躍した。
 二階にはワンフロア四つの部屋があり、陽斗の悲鳴が聞こえてきたのは、階段側から数えて二番目にある部屋だった。他の部屋も妖気は充満していたが、陽斗の部屋から感じ取れる妖気は、その比ではなかった。異形が見えない常人でも、「なんとなく嫌な感じがする」と直感的に避けるであろうレベルだった。
 そんな強い妖気に対し、蒼劔は屈することなくドアを擦り抜け、部屋の中へ侵入した。
「陽斗、無事か?!」
 古い畳張りの部屋だった。
 畳の中央には丸い卓袱台とボロボロの座布団、古い扇風機が一台置かれ、まるで昭和のまま時が止まっているかのようだ。玄関も土間で、台所と小さな冷蔵庫が壁際に設置されていた。
 玄関から見て正面には大きな窓があったものの、日焼けして黄ばんだカーテンで覆われ、室内は暗かった。
「たーすーけーてー」
 陽斗がいたのは、玄関から見て右手にある押入れの中だった。腹這いの状態で、必死に押入れの襖にしがみついている。
 蒼劔が押入れの中を覗くと、陽斗の下半身は蒼劔の目でも見えない濃い闇に飲み込まれ、腰から先が見えなくなっていた。闇はさらに陽斗の体を飲み込まんと、引っ張り続けている。
「……良かった。まだ完全に食われてはいないようだな」
「全然良くないよ! 早くここから出して!」
「分かった、分かった」
 蒼劔は襖を握っていた陽斗の手を取り、引っ張った。が、いくら引っ張っても陽斗の体は抜けなかった。
「痛い痛い! お腹が裂けちゃうよ!」
「くッ、雑魚の癖にしぶといな」
 蒼劔は押し入れの中に潜む闇を、忌々しそうに睨んだ。
 すると、闇も蒼劔のことを認識したのか、無数の目玉と口をポコポコと浮上させ、ぎょろっと視線を向けた。そして蒼劔を馬鹿にしたように歯をむき出しにし、
「アヒャヒャヒャヒャッ!」
 と不気味に笑った。
「黙れ」
 すかさず蒼劔は右手は陽斗の手をつかんだまま、左手から新たに刀を抜き、押し入れの中の闇へと突き立てた。
 闇から浮上した口は
「ア゛ァァァッ!」
 と悲鳴を上げながら、青い光の粒子と化し、消滅した。
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