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第七章 忍び寄る悪夢

237.郷愁

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第055日―2


開ききった扉の向こう側には、巨大な闘技場を思わせる空間が広がっていた。
それは数千年前のあの世界で、『彼女サツキ』とともにキメラと死闘を演じた、まさにあの場所だった。
しかし懐かしさにひたいとまもなく、僕はその空間の中央付近に倒れ伏す複数の人影に気が付いた。


“数千年間封印されていたはずの場所”に人が?


彼等の状況を確認しようと一歩踏み出したところで、僕は場違いな事実に気が付いた。

「アレルさん!?」

中央付近で倒れているのは、アレル、イリア、ウムサ、エリスら、勇者パーティーの仲間達に間違いないように見えた。
慌てて彼等に駆け寄ろうとして……背後から右手を掴まれた。

「待ちな!」
「ナイアさん!?」

ナイアは僕の右手を掴んだまま、周囲に向けて声を張り上げた。

「他の皆もその場で待機だ!」

扉が開かれ、闘技場の内部を覗き込むようにしていた他の調査団の面々も、皆一様に驚いた顔になっていた。
ナイアはヒエロンの方に顔を向けた。

「どういう事か説明してもらおうか?」
「何の話かね?」
「どうしてアレル達が、あそこで倒れているんだい?」

ヒエロンがすっとぼけたような顔になった。

「さぁ?」
「……あんたのその“力”があれば、これは予見出来ていたって事だよね?」
「話が見えないな」

ナイアがイライラした雰囲気になった。

「ヒエロン。あんたんとこの部下に命じて、あそこに倒れているアレル達を扉の外に運び出させな!」
「なるほど。彼等がアレル達の偽者かもしれない、或いは不用意に近付けば、罠が作動するかもしれない、そういう事だね?」
「分かっているなら、さっさとしな」
「よかろう」

ヒエロンはニヤリと笑うと、部下達にアレル達を運び出すように命じた。


結局、闘技場の中央付近に倒れていた“勇者アレル達――僕にはそうとしか見えないけれど――4人”は、ナイアが監視の目を光らせる中、ヒエロンの部下たちによって翡翠の谷へと運び出された。
そして一応、安全が確認出来た時点で、彼らの状態をノルン様が調べ始めた。

数分後、顔を上げたノルン様の表情は険しかった。


「彼等は、生きてはいるものの、どうやら強力な呪詛の影響で昏睡状態にある」

ハーミルが顔を強張らせたまま、ノルン様に問い掛けた。

「もしかして私の父の時みたいな?」
「恐らく……」
「ノルンの力では解呪出来ないの? 私の父の時みたいに」

彼女の父、キースさんは、何者か第26話が投げ掛けた呪詛によって、数年間、昏睡状態にあった。
それをこの前、ノルン様が奇跡的に解呪した。

ノルン様がハーミルに言葉を返した。

「キースの時はたまたまだ。アレをこの場ですぐに再現するのは恐らく不可能だ。とにかく彼等を急ぎ、後方に搬送する必要がある」

そう口にしたノルン様は立ち上がり、ヒエロンに呼びかけた。

「調査を一時中断して、彼等を転移門経由で我が軍営に送り届けたい」

ヒエロンはにこやかな表情で、その申し出を快諾した。

「構いませんよ。我等はこの場で、ゆるりと待たせて頂きましょう」
「協力、感謝する」


ノルン様は調査団に参加していた随行員達に、アレル達を搬送するよう指示を出した。
慌ただしく搬送の準備にあたる随行員達の動きを見守りながら、僕は少し考えていた。


僕ならナイアの時同様、アレル達の時間を巻き戻して、彼等を目覚めさせる事が出来るのではないだろうか?


その考えを口にしようとした矢先、シャナがそっと僕の服の裾を引いた。
同時に囁きが届けられた。

『救世主。ヒエロンとジュノが見ている。今ここでは、彼等にあなたの力をあまり見せない方がいい』

僕は彼女に視線を向ける事無く、念話を返した。

『……それもそうだね。アレル達を目覚めさせるの、この調査が終わって軍営に戻ってから、ゆっくり試してみるよ』


やがてアレル達は転移門を通って、無事、皇帝ガイウスの軍営へと搬送されていった。
それを確認したヒエロンが口を開いた。

「では参りましょうか?」

彼の声掛けに応じる形で、調査団は改めて、闘技場の方へと足を踏み入れた。
そして帝国、ヤーウェン双方の調査団の人々は、直ちに手分けをして内部の調査を開始した。


闘技場に足を踏み入れた僕は、シャナやハーミル達と一緒に闘技場の壁沿いを歩きながら、不思議な気持ちに包まれていた。

僕と『彼女サツキ』がここでキメラと死闘を演じたのは、今を去る事、はるか数千年の昔のはず。
ところがこの場所は、数千年の時を経たとはとても思えない程、当時のままであった。

僕は封印を解く前、この場所に至る扉に手を触れた時の事を思い出した。
あの時この場所は、霊力により封印されていたように感じられた。
この地を封じたのは、封印を解くカギとなったタリスマンや表の石板に記された言葉から推測するならば、セリエか彼女の父、ゼラムさんのはず。
彼等が霊晶石か何かを用いて封印したのだろうか?

そんな事を考えていると、物珍しそうにキョロキョロ周囲を見回していたハーミルが口を開いた。

「不思議な場所ね……神話の時代にさかのぼるなら、ここが造られたのって数千年以上前って事でしょ? 一体誰が、何の為に作ったんだろうね」

全てを話せないもどかしさを感じていると、少し向こうの壁を調べていた調査団の一人が、驚いたような声を上げた。

「みんな来てくれ、ここに何かあるぞ!」


調査団の面々と一緒にその場に駆け付けてみると、御影石のように磨き上げられた1m四方程の石板が、壁にめ込まれていた。
その表面には、文様のようなものは全く見当たらない。
しかしその石板は、周りの造形からは明らかに浮いて見えた。

これで“何か”なければ、おかしい。

僕ですらそう感じている所に、ヒエロンが近付いて来た。
ヒエロンはその石板をしばらくじっと見つめた後、僕の方を振り向いた。

「また守護者殿の出番のようですよ」
「僕ですか?」
「この石板、表の扉と同じで、恐らく霊力に反応するはず」

ヒエロンの言葉を聞いたナイアの顔が、また一段と険しくなった。

「それもあんたの“力”で分かるって事かい?」
「まあ、そんな所だよ」

ヒエロンは感情の読めない笑顔を浮かべたまま、言葉を続けた。

「しかし神話の時代にさかのぼる遺跡なのに、なぜこうも霊力にまつわる仕掛けが多いのか……守護者殿には、何か心当たりは無いかな?」
「……あいにく、ありません」
「まあともかく、守護者殿、お願いします」

そう話すとヒエロンは一歩下がりながらてのひらを上に向け、僕に石板の前に立つよう促してきた。
なんだか僕自身が、彼が差し出してきたてのひらの上で踊らされている気がしないでもなかったけれど、とにかく僕はその石板に近付き、手を触れた。
そしてそのままゆっくりと霊力を展開してみた。

その時、優しい“声”が響いた。


―――カケル。おかえり……


心に強い衝撃が走った。
この“声”。
僕の知るそれよりは遥かに大人びてはいたけれど、間違いなくあのセリエの“声”!

“声”は僕だけではなく、その場に居る全員の耳にも届いていたらしく、ざわめきが広がった。

「今、カケル殿の名を呼ばなかったか?」
「霊力といい、カケル殿の名が呼ばれた事といい、この遺跡自体がもしや、カケル殿と何か関係が?」

ざわめきの中、石板がまばゆいばかりの光を発した。
次の瞬間、石板のあった壁は消え去り、その向こう側に小部屋が出現した。

小部屋の、僕から見て突き当りの部分の壁には、何かの文字がびっしりと刻みこまれた巨大な黒い石板がめ込まれていた。
そしてそのすぐ下には、大剣とおぼしき武器が壁に掛けられ、さらにその下には、小さな台座のようなものが置かれていた。
台座の上に、腕輪が一つ置かれていた。
僕は知らず、その腕輪を手に取っていた。
何の変哲もない紫色のガラス玉がめ込まれた……古びた腕輪第140話
他には何も欲しがらなかったセリエが唯一、僕にねだってくれた腕輪。
ヨーデの街でセリエに買ってあげたあの腕輪が今、僕の手の中に戻ってきていた。

涙が勝手にあふれ出してきた。

セリエは確かにここに帰ってきて、そして彼女は……決して僕の事を忘れずにいてくれた!
その事実は僕の心を大きく揺さぶった。


セリエ……ただいま……


しかし心の中でそっと彼女に返そうとした僕の言葉は、後方、翡翠の谷方向から連続して聞こえてきた爆発音により中断された。
同時に、ナイアの怒号が聞こえてきた。

「ヒエロンの野郎、やっぱり、やりやがったね!」

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