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第五章 正義の意味
111. 返書
しおりを挟む第038日―3
十数分後、衛兵達を従えたヒエロンが、再び戻って来た。
彼は手にしていた返書をマルクさんに差し出した。
「それでは、これを陛下にお渡し下さい。捕虜の釈放については、身代金を支払う用意がある旨、したためておきましたので、宜しくお伝え下さい」
僕達がヤーウェンの街を出た時には、すっかり日が暮れていた。
このまま走れば、皇帝ガイウスの軍営に帰着するのは、日付が変わる頃合いになりそうであった。
しかしマルクさんは馬車が走り出して小一時間ほどで、急に馬車を停止させた。
そして僕に声を掛けてきた。
「カケル殿、実は陛下から帰路に試すよう命じられている事がありまして」
「何でしょうか?」
「カケル殿は、自在に転移門を設置出来るとか。この馬車が通過できる大きさの転移門を作ってみてもらえないでしょうか?」
皇帝ガイウスは、やはり僕の転移の力を利用した、ヤーウェンへの奇襲を考えているようだ。
実際、どれほどの大きさの物が安全に転移できるのか知りたい、という所であろう。
僕は少し逡巡した後、皆と一緒に、馬車から降り立った。
見上げると、僕の知らない星座が輝く、だけど僕の元いた世界とよく似た満天の星空が広がっていた。
星の瞬きを眺めていると、納得のいかないまま大きな戦争の一部に組み込まれていく自分が、とても小さく感じられた。
僕は感傷を振り払うようにして、光球を顕現させた。
そして皇帝ガイウスの軍営の一角とこの地を繋ぐ、馬車が通り抜けられる大きさの転移門のイメージを心の中に描き出しながら、光球に手を伸ばした。
次の瞬間、光球は消え去り、そこには見慣れた、しかしいつもよりも遥かに大きな、不思議な揺らめきに縁取られた黒い穴が出現していた。
転移門を初めて目にするらしいマルクさんが、驚いた雰囲気になった。
「ほう……これが転移門……この向こうは、我が軍営の一角に繋がっている、という理解で合っていますか?」
僕は頷きを返した。
「そうです。一応、向こうにちゃんと繋がっているか、確認してきますね」
「待って! 私も一緒に行くわよ?」
素早く右腕に飛びついて来たハーミルと一緒に、僕は巨大な転移門に足を踏み入れた。
潜り抜けた先は、事前に心の中に思い浮かべた通りの場所、皇帝ガイウスの幕舎のすぐ傍であった。
宿直の衛兵達が、彼等からすれば突如出現した“黒い穴”から出て来た僕達を見て、呆然としている。
僕とハーミルは彼等に、今から馬車ごとここへ帰還する旨を皇帝ガイウスに伝えてくれるよう頼んだ後、再び、転移門を潜り抜けて、マルクさんとジュノが待つ場所へと戻った。
「なんと! この穴の向こうは、陛下の幕舎の前ですと!? 凄まじいお力ですな……」
言葉とは裏腹に、マルクさんの顔には、複雑な表情が浮かんでいるように見えた。
皇帝ガイウスの幕舎は、ジェイスンさん他、宮廷魔導士達によって、常に強力な守護の結界が張られている。
結界はあらゆる魔法――精霊魔法も含めて――を減弱、ないしは相殺する。
通常ならば、皇帝ガイウスの幕舎のすぐ傍に、直接的に転移する事は非常に難しいか、或いは殆ど不可能になるはずであった。
僕はそこへ、馬車ごと転移出来る“門”をいとも簡単に開いてみせた形になった。
だからこその、マルクさんの表情であろう。
「それでは早速、ここを馬車で潜り抜けてみましょう」
マルクさんの言葉を受けて、僕達は再び馬車の中に戻った。
マルクさんは怯える御者に、このまま“黒い穴”へ入って行くように伝えた。
馬車が再び進み出し、軽い眩暈を感じた直後、僕達は無事、皇帝ガイウスの幕舎の前に到着していた。
僕、ハーミル、ジュノ、それにマルクさんが相次いで馬車から外に降り立つと、一足先に幕舎から出てきていたらしい皇帝ガイウスが、ノルン様や側近達と共に、僕達を出迎えてくれた。
「御苦労であった。早速、詳しい話を聞かせてもらおう」
皇帝ガイウスに促され、僕達四人は彼の幕舎へと入っていった。
マルクさんが、ヒエロンとの謁見の詳細について報告し、託されていた返書を皇帝ガイウスに手渡した。
その返書を、皇帝ガイウスは苦虫を噛み潰したような表情のまま、読み終えた。
「ヒエロンめ、ふざけた事を……」
皇帝ガイウスは吐き捨てるようにそう口にすると、その返書を側近達にも読むように手渡した。
「やつめ、対等な外交関係の樹立と、身代金を支払っての捕虜返還を求めてきておる」
その辺りの内容は、事前にヒエロンが口にしていた通りであった。
皇帝ガイウスは直ちに軍議を開くらしく、僕、ハーミル、そしてジュノの三名は、自分達の幕舎に戻るよう指示された。
幕舎に戻った僕は、自身に割り当てられた仕切りの中で、ベッドの上に寝転がって、ぼーっと天井を眺めていた。
様々な思いが頭の中を駆け巡る。
この世界にやってきて、記憶にある範囲内では、40日近くが過ぎた。
その間、様々な出来事があったけれど、同時にしがらみも増えてきた。
今、自分は帝国軍のコマの一つとして、どっぷりとこの戦争の一部に組み込まれてしまっている。
この世界にやって来た当初、気楽に冒険者をしていた頃が懐かしい。
そう言えば、ヒエロンを攫ってしまおうか、と考えていたのを思い出した。
ヒエロンが強硬派なら、彼を攫って、和平派の人々がヤーウェンの実権を握れば、戦争も簡単に終わるのでは? と考えたからだ。
だけどマルクさんの話を聞き、ヒエロン本人に会って話をすると、彼を攫ってどうにかなりそうという思いは、すっかり消え失せてしまっていた。
ヒエロンは、僕の転移の能力が、奇襲に使われる恐れについて看破していた。
彼は僕の転移出来る場所の選択肢が増える事を承知の上で、街の案内を申し出ていた。
あれはマルクさんの言う通り、ヤーウェンの人々の総意が、反帝国である事を、僕に見せたかったのかもしれない。
明日、実際にこっそり転移して見に行ってみようか?
そんな事を考えていると、ふいに、仕切りの布が揺れた。
「カケル、起きている?」
仕切りの向こうの薄明りに照らされて、長い髪の女性の影が揺れた。
そして声の主が、ひょいと隙間から顔を覗かせた。
「ハーミルか。起きているよ」
僕は前にもこんな事があったな、と思わず思い出し笑いをして上半身を起こした。
僕が起き上がるのを確認したらしいハーミルが、勝手に仕切りの中に入ってきて、ベッドのへりにを下ろした。
「もう夜遅いよ。明日に備えて寝たら?」
ハーミルがおどけた感じで言葉を返してきた。
「カケルこそ眠れないんでしょ? また私が添い寝してあげようか?」
「ジュノあたりに冷やかされるよ」
「あら、私は別に気にしないけどな~」
なんだか最近、ハーミルは妙に思わせぶりな行動が多いな……
そんな事を考えていると、僕はさっきまでのざわついていた気持ちが少し落ち着いてくるのを感じた。
「それより、何か用事があったんじゃないの?」
「用事って程じゃないけど、カケルがまた、うじうじ思い悩んでいるんじゃないかな~と」
どうやら彼女は、僕に気を使って、様子を見に来てくれたらしい。
改めて僕は心の中で、ハーミルに感謝した。
「ねえハーミル、僕はどうしたら良いと思う?」
「どうしたらって?」
「結局、ヤーウェン共和国との戦争は避けられそうにないし、陛下はきっと、僕の転移の能力を当てにするよね」
「つまり自分の作った転移の黒い穴を潜《くぐ》って、帝国軍がヤーウェンの街中に殺到して、大勢死ぬのが見てられないって事ね」
僕は黙り込んだ。
確かハーミルは、ジュノと同様、戦争になれば犠牲は仕方ないと考えていたはずだ。
平和な世界に育った自分の感性の方が、この世界では可笑しいのかもしれない。
自分の甘い考えを正されるかと身構えたけれど、ハーミルは意外な言葉を口にした。
「カケルは、カケルのしたいようにすれば良いと思う」
「したいように?」
ハーミルがにっこり微笑んだ。
「陛下の命令通り、転移門を設置しても良いし、嫌なら断れば良いよ。大丈夫。カケルがどんな選択しても、ちゃんと私はカケルについていくから」
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