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第四章 すれ違う想い

85. 逃走

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第033日―5


「カケル、“コレ”はたまたま人の形をしているけど、人間じゃないわ。そもそも生きてすらいない。今、カケルがためらっている。それこそが“コレ”を壊されないよう、ナブーのかけた保険の一つかもしれないって思わない?」

ハーミルに反論するための言葉を僕が見つけ出す前に、突如虚空から声が響いた。

「これはこれは、いたいけな少女を前に、物騒な相談をなさってますな」

同時に、部屋の真ん中が発光したかと思うと、凄まじい勢いで魔法陣が描き出され始めた。
やがてその魔法陣の中心に、灰色のローブをまとった、一人の魔族が現れた。

「イクタス以外の皆さんとは、初めましてですな。私はナブー。この娘のいわば父親です」

ナブーと名乗った細身の魔族は、頭部に有する一対の角を除けば、見かけは白いひげたくわえた人の良さそうな老人の姿をしていた。
しかしナブーはその見かけとは裏腹に、素早く僕達と【彼女】との間に割って入ると、すぐに何かの詠唱を開始した。
そしてそれに呼応するかの如く、ナブーと【彼女】の足元に、凄まじい勢いで魔法陣が描き出され始めた。
ハーミルが剣を抜き、床を蹴った。
ジュノもクロスボウにつがえた矢を放った。
しかし二人の攻撃は、【彼女】が展開した霊力の壁に阻まれ、ナブー達に届かない。

僕は咄嗟に光球を顕現させた。
そしてそれに“想い”を乗せて、【彼女】の胸元目掛けて解き放った。
それが【彼女】の霊力の盾を貫き、彼女の胸元へ吸い込まれるのとほぼ同時に、ナブーと【彼女】の姿は転移の光の中に消え去って行った……


「すみません、僕が優柔不断なばかりに」

ナブーと【彼女】が転移により逃げ去った後、僕は皆に頭を下げた。

「気にするでない。いきなり人の姿をした者を処分せよと言われれば、ためらって当然じゃ」
「まあ、カケルは女の子に甘いからね~。雰囲気、あの子に似ていたし」
「あの子って誰だ?」

皆が気遣ってくれているのが分かり、それが僕には返って辛かった。
もしこれで、再びどこかの街が滅ぶなら……!

「ねえ」

唇を噛みしめ、うつむいた僕の顔を、ハーミルが心配そうに覗き込んできた。

「凄く思いつめた顔しているけど、これでどこかの街が滅ぼされたら自分の責任だ、とか自分を追いつめてないでしょうね?」

僕は無理矢理笑顔を作って言葉を返そうとしたけれど、うまくいかない。
ハーミルは束の間、探るような視線を向けてきた後、そっと僕の顔を胸の中に抱きしめてきた。

「大丈夫、何があっても、私が一緒に背負ってあげるから……そうだ! 何なら、一緒にナブーの研究所に乗り込んで、やっつけちゃおう!」

ハーミルのいつものおどけた感じの口調は、僕の心を少し楽にしてくれた。

ナブーの研究所に乗り込む云々はともかく、僕は一人じゃない。
それに、転移の光の中に消え去る直前の【彼女】に向けて解き放った僕の“想い”。
それはもしかしたら、【彼女】を“変えるきっかけ”になってくれるかもしれない。

そんな事を考えていると、ジュノが少し呆れた様な雰囲気で声を掛けてきた。

「おいおい、さすがにいちゃつく時と場所を考えろよな」

その言葉に急に気恥ずかしさを覚えた僕は、慌ててハーミルから身を離した。
今更ながら、ハーミルの身体の柔らかさが思い出され、顔が自然と紅潮する。

そんな僕達に、優しい視線を向けてきていたイクタスさんが口を開いた。

「カケルも元気になったようだし、わしは帰るとしよう。そうそう、そのレルムスのローブ、わしから彼女に返しといてやろう」

イクタスさんが、霊力を展開している僕以外には見えないはずのレルムスのローブを手に取った。
そしてそれを羽織ると、幕舎の出口に向けて歩き出した。
ちょうどそのタイミングで、幕舎の入り口に誰かがやってきた。
レルムスのローブを身にまとい、僕以外の人々の視界から消えている状態のイクタスさんは、その人物の脇をすり抜けるようにして出て行った。

イクタスさんと入れ替わるようにしてやってきたのは、やや小柄な白髪の老人だった。

「宮廷魔導士長のジェイスンだ。陛下のご命令で、一応、高度な拘束の術式を組み込んだ魔道具を持ってきたのだが……」

幕舎の中をキョロキョロと見回しながら、ジェイスンさんは少し当惑したような雰囲気になった。

「その……カケル殿が拘束したというくだんの少女はいずこに?」
「実は先程……」

僕はジェイスンさんに、ナブーと名乗る魔族が転移して来て、【彼女】を奪い返していった事を伝えた。

「なんと! 本当ですか!?」

ジェイスンさんは一瞬、大きく目を見開いた後、すぐにその場に残っているであろう魔法の残滓を調べ始めた。
それを横目に見ながら、僕は皆に声を掛けた。

「陛下に状況を説明して来るよ」

経緯はどうあれ、【彼女】を取り逃がしてしまったのは、僕の失態だ。
だから僕自身の口から説明しに行かないと。

歩き出そうとする僕の隣に、ハーミルとジュノが並んだ。

「私も行くわ」
「俺も当然行くぜ」

二人に心の中で感謝しつつ、僕達は皇帝ガイウスの幕舎へと向かった。


僕が再び皇帝ガイウスの幕舎を訪ねた時、彼はちょうどボレアからの軍使を謁見中であった。
謁見が終わるまでの間、僕達は幕舎内の隅で少し待つよううながされた。
軍使は、先程の【彼女】による攻撃にボレア側は一切関わっていない事、
【彼女】を撃退しようと様々な試みを行ったけれど、全て失敗した事、
【彼女】は既にボレアの地を去っている事等を淡々と説明していった。
合わせて彼等は、先に僕達が持ち帰っていたボレア側の“降伏文書”の内容について改めて説明を行い、皇帝ガイウスの寛大な判断を仰ぎたい事も付け加えていた。
会話を交わす人々の間には時折笑顔も見られ、交渉自体はどうやらなごやかな雰囲気の中で進められている様子であった。

やがて十分程で会談は終了した。
どうやら、当初の条件でのボレアの降伏が認められたらしい。
秘かにホッと胸を撫でおろす僕のかたわらを、ボレアからの軍使が退出するため通り過ぎようとした。
と、僕に気付いたらしい軍使が驚いたような声を上げた。

「! カケル殿ではございませんか?」

見ると、彼は午前中のクーデター派鎮圧の際、ゲシラム様のもとへいち早く駆けつけてきた獣人の一人であった。
僕は笑顔で彼に声を掛けた。

「交渉、上手くいったようですね」
「これも全てカケル殿、ハーミル殿、ジュノ殿、お三方のお陰です。落ち着いたらボレアを是非再訪下さい。国を挙げて歓待する、とゲシラム様もおっしゃっておられました」
「ありがとうございます。落ち着いたら、是非またお伺いさせて頂きますね」


ボレアからの軍使が退出した後、改めて皇帝ガイウスが声を掛けてきた。

「ジェイスンがそなたの幕舎に行ったであろう。拘束具は役に立ったか?」
「その事なのですが……」

僕は皇帝ガイウスに、イクタスさんが僕達の幕舎へやって来たこと、彼から【彼女】を無力化する方法を教えてもらった事、しかしそれを実行に移す前に、突如転移して来たナブーによって【彼女】が奪い返された事を説明した。
僕の話が進むにつれて、皇帝ガイウスや、隣に立つノルン様他、側近達の表情が次第に険しくなっていった。
話し終えると、険しい表情のまま、皇帝ガイウスが口を開いた。

「まあ、逃げられてしまったものは仕方ない。しかしカケルよ、そなたは、次会った時は、必ず【彼女】を殺せるのか?」

皇帝ガイウスから射すくめるような視線を向けられて、しかし僕はすぐには返答出来なかった。
“殺し方”は確かに教わった。
【彼女】の胸元から霊晶石を引き抜けば、【彼女】は元の土塊つちくれへと戻るという。
それは自分にとっては、さほどの難事では無いだろう。
だけどそれは同時に、言葉を発し、その身に温もりを感じられる存在に宿る、仮初かりそめの命を摘み取る“覚悟”が求められわけで……

「次こそは必ず……」

必ず、どうするというのか?
言葉の続きを飲み込んだ僕は皇帝ガイウスのもとを辞し、ハーミル、そしてジュノと共に、西日に赤々と照らし出される軍営の中を、自分の幕舎へと帰って行った。
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