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第30話 意識がないうちに

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 私とギルテット様は遠くへと消えゆく馬車を見ながら大きくため息を吐いた。その様子をいつの間にか野次馬を形成していた町の人に見られ、心配の声をかけられる。

「皆さん大丈夫でしたか?」
「あの……シェリーさんて本当は……」
「もしかして、あのシュネル夫人だったのですか?!」

 そうか、バラしてしまったから町の皆にも知れ渡ってしまったのか。

「そうです。私はシュネル・アイリクスです。長い間ずっとだましてて申し訳ありませんでした」

 私は町の人達へ向けて深々と頭を下げた。静かな空気がずっと続く。そんな中、中年くらいの女性がねえ。と声を挙げた。

「貴族の女性がここまで献身的に支えてくれたのよ? すごいと思わない?」
「おお、確かにそうだ……!」
「貴族の令嬢が看護婦だなんて聞いた事ないもんな」
「それにシェリーお姉ちゃんはとてもやさしかったし、良い人だよ! 悪い人だったらあんなに優しくしてくれないと思うもん!」
「ははっこの嬢ちゃんの言う通りだな。俺もシェリーさんには何度か世話になった。悪人には思えねえよ」
「皆さん……!」

 ギルテット様が私の肩を優しくぽんと叩いた。

「それだけあなたは町の皆さんに慕われていたという事ですね。そこは誇りに思っていて良いでしょう」
「皆さん、ありがとうございます。そして今日からシュネルとしてまたよろしくお願いします!」
「おお! シュネル様頼んだぞ!」
「お姉ちゃん頑張ってね!」

 デリアの町の人達の優しさと温かさが身に染みる。ああ、私はこの町に来て本当に良かった。
 町の人達が私へと握手に来たり、励ましに来たりとさらに周囲は賑やかになる。

「それにしてもソアリス様って本当に嫌なお方ね。屋敷を抜け出してきて正解よ」
「本当。アイリクス伯爵があんなに恐ろしい方だなんて思わなかったわ。あなた無事でよかったわね」

 接し方が変わらないのもそれはそれで心地が良い。変に気を使われるよりかは話しやすい。男の人が令嬢なんだからもっと丁寧に話せとは言ってくれたけど、私は今まで通りで良いですよ。と答えた。

「おお! さすが……器の大きなお方だ。こちらこそ申し訳ない」
「いえいえ。あなたも今まで通り敬語でなくて結構ですよ」
「シュネル。俺もこの言い方でいいのでしょうか。それともシェリーさんの方が良いですかね?」
「ギルテット様。どちらでも構いませんよ」
「なら引き続きシェリーさんと呼ばせて頂きます。ニックネームにも丁度良いでしょうし」
「良いですね。ニックネームはシェリーって事にします!」

 シェリーという名前にも愛着はある。なのでここでお別れするのももったいない。なのでこの名前はニックネームとして大事に取っておこう。

「ん?」

 ギルテット様が町の出入り口に立つ門の付近を見ている。遠目からは馬車がこちらへと向かっているようには見えるのだが。

「さっきの馬車ですね。なんで引き返してるんでしょうか?」
「え? 何かトラブルでも?」

 まさかソアリス様がごねて急遽戻ったとか? いや、それはさすがに無いだろう。その程度でバティス兄様が根を挙げるような人間ではないし……。
 しかし馬車は明らかにこちらへと猛スピードで向かってくる。そして減速しながら門をくぐり診療所の前へとぴたりと停止した。

「何があったんです?!」

 ギルテット様が大声で馬車に呼びかける。すると馬車の扉がばん! と荒々しく開いた後にバティス兄様とシュタイナーがソアリス様を平行に抱きかかえて降りてきた。

「バティス兄様! シュタイナーさん! 何があったんです?!」
「シュネル! このバカが馬車から飛び降りたんだ! で、今は気を失ってる! ギルテット王子、ベッドはありますか?」
「えっ」
「わかりました。診療所内のベッドに寝かせましょう。バティス、どこを打ったか分かりますか?」
「頭です。あと首から背中も打ってるかも……揺らさないように気を付けてください」
「把握しました。シェリーさん。気つけの薬を用意してください。こちらお代です。お願いします! シュタイナー! 運び終えたら氷を用意してください!」
「かしこまりやしたああ!」

 ギルテット様はズボンのポケットからお金を取り出し、私にそっと渡した。私はお金を握りしめて薬屋へと走って向かう。

「すみません! 気つけ薬ください!」
「おおう、どうやら何かあったようじゃな。これで良いか?」

 いつもお世話になっている薬屋の老婆はすぐに気つけ薬を取り出して私に見せた。

「はい、それでお願いします。こちらお代です」
「いや、急ぎなんじゃろ? 取らんよ」
「えっでも……」
「ただでやるわよ。すぐに行きなさい」
「すみません、ありがとうございます!」

 貰った気つけ薬を持ってすぐに診療所へと走る。診療所内にある私がデリアの町を訪れた時に世話になった部屋のベッドの上にソアリス様は横向きに寝かされていた。シュタイナーが氷袋を持ってきて、打撲したと思わしき箇所複数へと当てる。
 彼はまだ気を失っていて、呼吸はあるものの呼びかけには応じない。

「とりあえず締め付けてる服とかは緩めましょう」
「はい、ギルテット様」

 服のズボンのベルトを少しほどいて緩め、楽な姿勢にさせる。すると服の中からぽろりと折りたたまれた紙が零れ落ちて床に着地する。

「なんだろ」

 紙は小さめに折りたたまれている。広げるとそれは私がアイリクス家の屋敷を出る前に書いた離婚届だった。私の署名がなされたままになっている。

「あの……!」

 私はそれをギルテット様に見せた。ギルテット様はじっと食い入るようにして紙を見る。それを更に後ろからバティス兄様とシュタイナーも同じようにして見ている。

「なあ、シュネル。僕思いついたんだけどさ」
「バティス兄様?」
「今のうちにサインしたら?」
「え、でもどうやって?」
「ギルテット様。ペン頂いてもよろしいですか?」
「ああ、構いませんよ」

 ギルテット様が机の引き出しからペンとインクを用意した。

「ソアリスにこうして持たせて書いてもらうんだよ」

 なるほど、ソアリス様にペンを握らせ、それを私達が彼の手を上から握って支えながら彼の署名を施す……という事か。
 それなら意識が無くても書けるだろう。早速バティス兄様はペンにインクを付け、ソアリス様の手にペンを握らせた。彼はいまだに気を失ったままだ。彼の手の上から私とバティス兄様が押さえつけるようにして握りしめて不格好ながらソアリス・アイリクスとサインする。サインの字はミミズがのたくったかのようなひどい字になっているがまあ仕方ない。

「完成っと」
「バティス兄様、ありがとうございます」
「これを提出すれば良いでしょう。バティス。父上へのこの事の報告も含めて、これから王都へ今から行っていただけませんか?」
「了解しました。水分補給してからでも構いませんか?」
「どうぞ。水分補給は大事ですからね」

 彼は台所へと消えてギルテット様が朝沸かして冷ましていたぬるま湯を飲んでから離婚届を握りしめて馬車へと乗り込み意気揚々と出発していった。
 そして今だベッドに横たわるソアリス様。気つけ薬を飲ませたのだが、気を失ったままだ。まあ、出来る事ならバティス兄様がここに戻ってくるまで眠ったままでいてもらいたいのだけど。

「いつまで眠ってくれるか、ですね……」
「そうですね」
「呼吸は乱れなく続いています。出血も無いです。ですが……」
「ですが?」
「このまま意識がない状態が続けばどうなるか、ですね……一生眠り続けたままになるのか否か」
「……」
「もしそうなった場合。誰が彼の面倒を見るのかという問題も生じてきます。それにずっと彼の身体をこのデリアの町に置いておくわけにもいきませんからね。意識を取り戻したらすぐにでもこの町から出ていってもらわなければなりません」
 
 ギルテット様の正論はもっともだ。
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