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第4話 診療所での暮らしのはじまり

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「ここは……」

 扉の向こうには王族や貴族の屋敷と比べるとやや狭めな白い壁の廊下があった。その突き当りと左右にまた茶色い扉がある。左右の扉は互い違いに配置されているようだ。

「ここに来てほしい」

 ギルテット様は左側の扉を開く。部屋の中は簡易なベッドと木の机と椅子に天井まである本棚がある。本棚の隣には扉があるがそこにはシャワールームとトイレがあるようだ。

「ベッドの上に座って待っていてください」
「はい」

 ベッドの上に座った私。荷物はベッドの下に置かさせてもらった。ギルテット様は外に通じる扉を閉めに行き、すぐに戻ってきた。
 ベッドは窓際に配置されている。カーテンが開かれていたので慌てて閉めた。少し暗くなったが仕方ないだろう。
 するとギルテット様が私に声をかけてきた。

「カーテン閉めたんですか」
「はい……すみません」
「……何か事情があるのですか?」

 やはり王子。そこは勘が鋭いようだ。

(あまり言いたくは無いけど……やっぱり言った方が良いのかなあ)
「あの、話が長くなるんですが構いませんか?」
「構いませんよ。その間に足の手当をします。少し右足失礼しますね」

 ギルテット様はそう言って、私の右足からブーツと靴下を脱がし、足首を包帯で巻いて固定する。その手つきの素早さは慣れを感じさせてくれる。

「じ、実はですね。私……家出してきたんです」
「ほうほう……足、このままなるべく動かさないでくださいね」
「ありがとうございます。離婚したくて家を飛び出してきました。それでここに到着したんです」
「……ソアリスとは、仲があまりよくないとは聞いていたけど本当だったんですか」

 ギルテット様の耳にも知れ渡っていた事に驚きながらもそうです。と認めた。

「夜会なんかでみても会話してないように見えたから、仲は良くないんだなと俺も思っていました。まあ、貴族ならよくある話ですよね。白い結婚というのは」
「……ギルテット様もご存知でしたか。それに私にすぐ気がつくなんて」
「俺は一応王子ですから。側妃の子で第5王子なので王子の端くれにはなりますけど。ですから貴族の令嬢令息の顔と名前はちゃんと覚えていますよ。王族なんですから当たり前の事です」

 ギルテット様のにこりとした微笑みを見て、どこか安心している自分がいた。

「さすがは王子ですね」
「いやいや」
「……」

 会話が続かない。とうに手当を終えたギルテット様は本棚から本を取り出し、目を向けている。

「シュネル夫人はこれからどうなさるおつもりで?」
「……」
(ここで働かせてほしいって言ったら、どうなるかしら)
「あの、ここで働かせて頂けませんか?」

 私は覚悟を決めてギルテット様にそう告げた。ギルテット様は私の方に向き直り、その美しい碧眼をじっと興味深そうに見つめている。

「……実家は?」
「無理です。あんな場所帰れません」
「……君の父親であるグレゴリアス子爵は精神を病んでいるという噂があるのを思い出しましたが、どうやら本当みたいですね。あなたの兄君も今は別の場所に屋敷を構えているそうですし」

 そう。バティス兄様は学校を卒業した後は違う場所に屋敷を建ててそこに住んでいる。
 父親は反対していたが、バティス兄様は王家をお支えしたいと言って王家をバックになんとか意見を通したのだった。

「そうですね。ギルテット様の言う通りです。あのクソ父親の元にはいたくありません。わがままな妹もいますし」
「ジュリエッタですね。彼女も癖のあるお方だ。というならあなたの願いを聞きましょう」
「……本当ですか?!」
「ちょうど看護婦か薬師を募集しようかと考えていたところでして」

 医学薬学なら自信はある。いや、完全にある訳でも無いけど勉強してきた分野だ。

「私に任せてください。勉強してきたので!」
「なるほど。ではお願いします」
「……! ありがとうございます!」
「ああ、そうだ。あなたは家を探しているのでしたね。それならここで住み込みで働くといいでしょう。一応部屋はありますから」

 住み込みで?! それならぜひお願いしたい所だ。

「いいんですか?! あ、ありがとうございます!」
「その方がいいでしょう。シュネル夫人の為にも」
「あ……」

 シュネル夫人という呼び方。このままそう呼ばれたら私がここにいるのがバレてしまわないだろうか。

「あの……シュネル夫人とは呼ばないでください」
「? ああ、身バレですか。となると何か名前を考えた方がいいですよね」
「はい……」
「……じゃあ、シェリーはいかがですか? 安直かもしれませんが」

 いや、響きも可愛くて良い感じだ。

「じゃあ、シェリーでお願いします」
「わかりました。今日からあなたはシェリーという事で」

 ギルテット様が右手を差し出す。これは握手のサインだ。
 私は手を取り、固く握り返した。彼の温かな体温がじんわりと伝わってきた。

「よろしくお願いします。ギルテット様」
「こちらこそよろしく、シェリー」

 互いに改めて紹介と挨拶を済ませた後は、建物の中を紹介してもらう事になった。
 まだ患部は動かせられないので、両手に抱えるようにして松葉杖を使って移動する。突き当たりの扉に診察室がありこの診察室は商店街の通りの方向にも出入り口があった。
 路地裏から見て右側の扉にギルテット様の私室となる部屋がある。台所にトイレとシャワールームがある。私がさっきいた部屋にもトイレとシャワールームが設置されていた。
 
(私がさっきいた部屋よりも、広い気がする)

 ギルテット様の私室にある階段を上がるとそこに彼が寝るスペースがあるそうだ。

「まあ、こんな感じになりますね」
「教えてくださりありがとうございます」

 診察室は思ったよりも広いスペースに見えたし、中々やり甲斐がありそうな場所だ。

「お薬はどうするんです?」
「ここでは出せないから、処方箋を書いて商店街の中にある薬屋に行ってもらう事になりますね」
「なるほど」
 
 ふむふむ。そんな仕組みか。

「それで、本題になりますが私の仕事はどうなりますか?」
「診査の補助ですね。案内や誘導に処置の手伝いとか」
「ほうほう……」
「しかしながらシェリーさん。まだあなたは怪我が治っていませんし焦らなくても良いですよ。よかったら怪我が治るまでは椅子に座って診察室の様子を見てみたりしますか?」
「ぜひ!」
「ではそのようにしましょう。あ。朝食いただきます?」

 確かにもうそんな時間か。少しお腹が減っている。

「すみません、お願いします」
「では用意してきます。あの部屋で待っていてください」

 ギルテット様はそう言って私室にある台所へと消えていった。私は松葉杖を使い先ほどいた部屋に戻る。
 しばらくして、ギルテット様が白いお皿を持って部屋に現れた。

「お待たせしました!」
「ありがとうございます!」
「パンとベーコンを焼いたものに野菜スープです。お口に合うかどうかはわかりませんが」

 机のうえにことこととお皿とフォークとスープが置かれていく。

「焦らなくて構いませんので。後ほどお皿回収しに来ます」
「ありがとうございます。ここまでして頂けるなんて助かります」
「いえいえ。では一旦失礼します」

 部屋の扉がパタンと閉められた。
 早速私はスプーンを持ち、野菜スープを一口分すくって口の中に入れた。

「美味しい」

 適度な塩気に野菜から滲み出た出汁が効いている。試しに丸いパンをちぎって野菜スープに浸してから食べてみた。うん、パンの甘みと野菜スープの味がうまく絡み合っている気がする。ベーコンも歯ごたえがあって美味しい。

(ここで、新しい人生が始まるんだ……)

 シュネル・アイリクスではなくシェリーとしての新しい人生が、今始まろうとしている。
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