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【第二部】魔王覚醒編
41)終幕に向けて
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ドーヴィが百七十六年の労働奉仕に就いている頃。グレンはグレンで、忙しい日々を……送っていなかった。
「兄上が全部片づけてしまった」
久々の執務。執務室の指定席に座ったグレンを待っていたのは、件の『クレイア子爵動乱』の報告書の数々だけ。聞けば、張り切った軍部があれよあれよと言う間にクレイア子爵陣営の捕縛と尋問、証言のまとめを終わらせてしまったらしい。
「大変張り切っておられましたよ」
そうのんびりと言いながら、筆頭政務官であるマリアンヌがグレンにお茶を出してくれた。温かいそれを一口飲むと、ほっとした空気が胸に広がる。
あの事件から、もう一ヵ月が経過していた。グレンはその間、後遺症や禁術の完全術解を確認する為に、経過観察として王城内で隔離され、いわゆる入院状態となっていたのであった。
何度も教会の人間が来てはグレンの診察をしたが……グレンの右目、ドーヴィに貰った悪魔の瞳については一度も言及されなかった。
どうやらグレンが説明した「他人に緊急で魔力譲渡をして貰った際に沈着した」「まだその人の魔力が残っているかもしれない」という内容を信じてくれたらしい。
……見舞いに来たレオンは、その話を聞いて一瞬だけ表情を消して「なるほど」と呟いていたが。グレンの方は見抜かれなくて良かった~、と安堵していたのである。良く言えばピュア、悪く言えば単純。
これをドーヴィに言わせればピュアで可愛い、となるのだ。いいのか、一国の宰相がそれで。
というわけで、そんなピュアな宰相であるグレンは、入院中も書類仕事をしていた。どうしても宰相閣下の承認が必要なものだけ、という約束で入院中の患者のもとにも書類が送られてきていたのだ。
そんな日々も終わり、本格的な復帰は今日からだ。まだ初日という事で、半日のみの仕事だと決めてあったが……早々にして、やる事が無くなりそうだ。
「とは言え、動乱が片付いたらあの領地をどうするかという問題もあるしな」
「ええ。それから閣下の護衛騎士の再選抜もありますから」
「そうだな……ティモシーは元気にしているだろうか」
護衛騎士の話題になり、グレンはしんみりとした様子で重傷を負ったティモシーに思いを馳せる。ドーヴィはもちろんんのこと、ティモシーも左手を失い、騎士としては残念ながら働けるような状態ではなかった。
今は実家に戻り、しばらくは体を休めるらしい。左手が無くなって、なかなか難儀しております、とグレン宛ての手紙に書いてあった。
「ドーヴィ殿も、経過は順調なのでしょうか」
「ん、まあ……残念ながら、ドーヴィは完全に雲隠れしてしまっているからなあ……私にも、わからんのだ」
マリアンヌの探るような言葉に、グレンは苦笑しながら返した。
そのグレンの声が、震えていることを指摘するほどマリアンヌは愚かではない。ただいつもと変わらぬ微笑みで「左様ですか」と流すだけだ。
レオンと事前に相談してあった通り、ドーヴィについては「重傷を負ったため一時的に帰国している」という事で話を通している。
元が流れの傭兵という設定だったのだから、その表向きの説明にプラスで「どうやら傭兵仲間の伝手を使って特殊な回復術を施術して貰いに行ったらしい」と噂を流せば、様々な人間がそれを真実だと信じてお互いに噂だ噂だと囁き合っていた。
(まさか悪魔の国に帰りましたなんて言えないもんなあ……)
表向きの説明について、どこの国に帰りましたとは明言していない。別に何の嘘もグレンはついていないのだ。「一時的に帰国している」というのは真実そのものである。ただ、どことは言えないだけで。
マリアンヌに淹れて貰ったお茶を飲みながら、グレンは報告書を読み込む。と言っても、内容はほとんど見舞いに来るレオンから聞かされていたものばかり。
その中で、一つ、名前を見つけてレオンは思わずぽつりと呟いた。
「ああ、そうか、フランクリン……カリス伯爵家への見舞金も検討せねばならんな」
「そうですね……私としては、宰相閣下を事件に巻き込んだ責任と相殺で良いと思っていますが」
「マリアンヌ、手厳しいな」
しかし、実際はマリアンヌの言うとおりである。本来であれば、逆に付き人であるフランクリンがあそこでグレンに対する攻撃を防がなければならなかった。それを防げないどころか、罠へと導く踏み台にされるとは、付き人失格である。
「相手が悪魔、でしたからね。致し方ない部分もあるのでしょうが……」
言葉を濁すマリアンヌに、グレンは再度困った様に苦笑を投げる。
どうにも、マリアンヌ含めグレンの部下達は事の発端となったフランクリンに良い思いを抱いていないらしい。
グレンとしては、今回の件は仕方なかったと思っているのだが。悪魔の魔術を相手にして、防御しろと言う方が無理難題なのだ。
それはグレンがドーヴィという悪魔を身近に置いていたからこそ、出てくる感想である。おとぎ話の中の存在で、会ったことも無ければ見たこともない人間にその力を理解しろというのは、なかなか難しい話だ。
フランクリンに対して処罰ではなく、逆に見舞金を出そう、とグレンが提案した時にはマリアンヌもアンドリューもこぞって反対の意を示していた。それでもグレンが頑として譲らないものだから……今は二人も、渋々ながらもフランクリンの事を認めている。
そのフランクリンは、未だ入院中であった。教会の人間により毎日少しずつ解呪は進んでいる。徐々に状況は良くなってきている、らしいが、まだまだ日常生活を送れるような状態ではない。
そして、間もなく。各国を巡礼している聖女が訪問するタイミングで、フランクリンにも聖女の癒しを受けさせる手筈になっていた。
これにも一部から反対の声が上がったが、グレンがどうしても、と言ったために仕方なく承認されている。
……そう、この政務官の面々、どうにもグレンには弱いところがある。それはグレンが宰相として強権を発動するわけでもなく、ただ「こうしたいのだが、だめだろうか……」と伺うように提案をしてくるだけで、政務官達は「はいよろこんで」と首を縦に振ってしまうのだ。
悪魔たらしとドーヴィに言われたその実力は、ついに人間に対しても発揮されるようになったらしい。
まあとにかく。そんな政務官達はグレン不在の間も着実に仕事をこなし、クラスティエーロ王国は今日も健在であるわけだ。仕事はちゃんとする人々なのである。
「閣下、この後は陛下と会食ですか?」
「うむ。報告書を読んで問題が無ければ、少し早いが会食に向かおうと思う」
「病み上がりですからね。無理はいけません。会場まで護衛してくれる騎士を呼びましょう」
「……うむ」
グレンはぎこちなく頷いた。どうしても、王城の騎士となると様々なトラウマが刺激されて身を固くしてしまう。
例の魔獣にトラウマを散々に掘り起こされたせいで、グレンは相変わらず夜も眠れなくなったし、王城の廊下を歩くだけでも動悸が激しくなるようになってしまった。
それを知ったレオンが、クランストン辺境領から引き抜いてきた顔見知りのメイドや騎士を優先してグレン用に譲ってくれてはいる。
むしろ、それが無かったらグレンの入院はもっと長引いていただろう。王城、王都の人間とは纏う雰囲気が違う、クランストン辺境領の雰囲気を纏った人間がお世話をしてくれたから、グレンはどうにかこの執務室に戻って来れたのだ。
グレンがちょうど報告書を読み終えた頃。執務室の扉がノックされ、騎士が一人、入室してくる。
「失礼します。閣下の護衛と聞き、参じました」
「! ルミアか!」
騎士が来る、と聞いて早くも顔色を悪くしていたグレンだったが、入室してきたのがよくよく見知ったルミアであり、悪くなった顔色を元に戻し始めていた。
ドーヴィがいなくなり、ティモシーも実家に戻り。その中でも、ルミアは引き続き護衛騎士の任を続けていた。護衛対象を護衛しきれなかったということで、解任も検討されていたのだが。
ルミアの一報でレオン達が動き、動乱が早くに鎮圧できたと言う功績と、当時のドーヴィによる口添えのおかげで、ルミアは続投が決定し、僅かながらも褒賞金が出ることにまでなったのだった。
「閣下、お久しぶりであります」
「ルミアなら、安心して任せられるな」
「はっ、ありがたきお言葉です」
真面目なルミアは、グレンの前で敬礼をする。
それを見ていたマリアンヌは、ほっと安堵の息を吐いた。護衛騎士を呼ぶ、と言った時点でグレンの顔色がみるみる悪くなっていくのを見て、気が気ではなかったのだ。
せめて気心の知れた相手なら、とルミアを呼び出したのだが、それは正解だったらしい。楽しそうにルミアの近況を聞くグレンを見ていれば、そう思える。
しばらくは、グレンも王城から出ることはない。王城内であれば、護衛騎士もルミア一人で何とかなるだろう。
マリアンヌはそう目算して、後でアンドリューに相談しましょう、と脳内にメモを書き留めておいた。
「復帰おめでとうクランストン宰相殿」
「ありがとうございます……長い間、ご迷惑をおかけしました」
そう朗らかに言葉を交わすのは、クラスティエーロ王国のツートップであるアルチェロとグレンだ。
二人きりの会食、クランストン宰相の快気祝い、ということで、アルチェロが早くに人払いをしてくれたおかげで今はグレンもかなりリラックスした状態だ。
一流のシェフが用意した、病み上がりの少年にも食べ盛りの青年にも満足して貰える豪勢なメニューを二人でゆっくりと食べながら、会話に花を咲かせる。
ドーヴィの話になれば、グレンが涙ぐむこともあり。ティモシー他、活躍した人間の話になればアルチェロが楽しそうに武勇伝を語り。
盛り上がった会食の最後、デザートを食しながらアルチェロはとっておきの話題を出す。
「デザート共に、っていうのも悪趣味だけどね。クレイア子爵と、なんだっけ、執事のザトーだっけ、あの主犯の二人」
二人の名前を聞いて、グレンは顔を強張らせた。この事件を引き起こし、ドーヴィを実質的に殺した犯人の二人。
「処刑の日程だけど、半年後ぐらい、かな」
「……周辺諸国との調整ですか?」
「うん、そう。あの二人には、責任を全部被って貰わないといけないからね」
冷ややかに言いながら、アルチェロはデザートのいちごのタルトを一切れ、口に運んだ。酸味の効いたいちごに、砂糖の甘さが絡み合って絶妙なハーモニーを作っている。さすが、王城のパティシエと言ったところ。
「こっちの聞き取りは終わってるんだけど、一応、教会もまだ聞きたいこととか調査したいこととかあるみたいだから」
「なるほど……」
グレンは食後の超高級な紅茶を口に運ぶ。
クレイア子爵ことモア・クレイアと、執事のザトー。この二人については、グレンも紙面上でしか情報を入手していない。
やはり、被害者であり『洗脳』という禁術を使われたグレンを、禁術の術者である主犯の二人に直接会わせることはできない、という判断だ。それは心情的な部分もあるし、教会側からも「禁術の副作用があるかもしれないから」と禁止されている部分もある。
さきほど、執務室で読んだ報告書では、ザトーの方は素直に全てを話したらしい。悪魔に誑かされた、と白髪だらけの頭で、今は毎日神に向かって懺悔の祈りをしているようだ。
(ザトーって、そんな男だったかな……)
グレンの記憶では、ずいぶんと乱暴で唾棄すべき悪の思想を持っていたように思えたが。体格も良く、真っ黒なツヤツヤした頭髪だったはず……。
まあ、彼にも何かしら人生を変えることがあったのだろう、とグレンは納得しておいた。別にザトーという男にそれほど思い入れがあるわけでもないのだから、どうでも良かったのだ。
そして、モア・クレイアという少女。いや、グレンと違って明確に十八歳以上で成人しているから、少女と呼ぶには些か歳が厳しいところだ。……まあ、中身がほとんど子供であるから、足して二で割れば、少女、なのだろう。
とにかく。モアは今も牢獄で、元気よく罵詈雑言を撒き散らし、飽きることなく「私は悪くない、私は王族なのよ」と言い続けているらしい。
それどころか、口を開けばあの悪魔の名前を呼ぶのだとか。それもあって、食事の時以外は口枷を嵌められている事が多いそうだ。
「そうだねえ、普通は悪魔の名前なんて叫んでたら、とんでもない事になるよねえ……」
「ハ、ハハハ……」
モアの話の流れで、アルチェロは何とも言えない顔をしてそう言った。受けたグレンも乾いた笑いをするしかない。
何しろ、叫びこそせずとも二人揃って日常的に悪魔の名前を口にしているのだから。ドーヴィの存在がバレたら、いったい何人の人間がモアのように口枷をして生活することになるだろう。
「まあ、あの動乱については、シルヴェザン元帥がほとんど片付けてくれたから」
「ええ。今日、仕事だと息巻いてきたら報告書の山が積み上がっててびっくりしましたよ」
「あはは、最後まできっちり仕事してくれたみたいだからね」
最後の紅茶をアルチェロはぐっと飲み干して、ナプキンで口元を拭く。
「あとは、また内政の話だね。クレイア子爵領を誰が治めるか、今回の論功行賞はどうするか……ゆっくり、進めていこうか」
アルチェロの穏やかな声に、グレンは微笑を浮かべて頷いた。
事件の事が片付いても、グレンの仕事が無くなるわけではない。クラスティエーロ王国はこれからも続いていくのだから。
---
タイトルのとおり、もうまもなく終幕でございます
「兄上が全部片づけてしまった」
久々の執務。執務室の指定席に座ったグレンを待っていたのは、件の『クレイア子爵動乱』の報告書の数々だけ。聞けば、張り切った軍部があれよあれよと言う間にクレイア子爵陣営の捕縛と尋問、証言のまとめを終わらせてしまったらしい。
「大変張り切っておられましたよ」
そうのんびりと言いながら、筆頭政務官であるマリアンヌがグレンにお茶を出してくれた。温かいそれを一口飲むと、ほっとした空気が胸に広がる。
あの事件から、もう一ヵ月が経過していた。グレンはその間、後遺症や禁術の完全術解を確認する為に、経過観察として王城内で隔離され、いわゆる入院状態となっていたのであった。
何度も教会の人間が来てはグレンの診察をしたが……グレンの右目、ドーヴィに貰った悪魔の瞳については一度も言及されなかった。
どうやらグレンが説明した「他人に緊急で魔力譲渡をして貰った際に沈着した」「まだその人の魔力が残っているかもしれない」という内容を信じてくれたらしい。
……見舞いに来たレオンは、その話を聞いて一瞬だけ表情を消して「なるほど」と呟いていたが。グレンの方は見抜かれなくて良かった~、と安堵していたのである。良く言えばピュア、悪く言えば単純。
これをドーヴィに言わせればピュアで可愛い、となるのだ。いいのか、一国の宰相がそれで。
というわけで、そんなピュアな宰相であるグレンは、入院中も書類仕事をしていた。どうしても宰相閣下の承認が必要なものだけ、という約束で入院中の患者のもとにも書類が送られてきていたのだ。
そんな日々も終わり、本格的な復帰は今日からだ。まだ初日という事で、半日のみの仕事だと決めてあったが……早々にして、やる事が無くなりそうだ。
「とは言え、動乱が片付いたらあの領地をどうするかという問題もあるしな」
「ええ。それから閣下の護衛騎士の再選抜もありますから」
「そうだな……ティモシーは元気にしているだろうか」
護衛騎士の話題になり、グレンはしんみりとした様子で重傷を負ったティモシーに思いを馳せる。ドーヴィはもちろんんのこと、ティモシーも左手を失い、騎士としては残念ながら働けるような状態ではなかった。
今は実家に戻り、しばらくは体を休めるらしい。左手が無くなって、なかなか難儀しております、とグレン宛ての手紙に書いてあった。
「ドーヴィ殿も、経過は順調なのでしょうか」
「ん、まあ……残念ながら、ドーヴィは完全に雲隠れしてしまっているからなあ……私にも、わからんのだ」
マリアンヌの探るような言葉に、グレンは苦笑しながら返した。
そのグレンの声が、震えていることを指摘するほどマリアンヌは愚かではない。ただいつもと変わらぬ微笑みで「左様ですか」と流すだけだ。
レオンと事前に相談してあった通り、ドーヴィについては「重傷を負ったため一時的に帰国している」という事で話を通している。
元が流れの傭兵という設定だったのだから、その表向きの説明にプラスで「どうやら傭兵仲間の伝手を使って特殊な回復術を施術して貰いに行ったらしい」と噂を流せば、様々な人間がそれを真実だと信じてお互いに噂だ噂だと囁き合っていた。
(まさか悪魔の国に帰りましたなんて言えないもんなあ……)
表向きの説明について、どこの国に帰りましたとは明言していない。別に何の嘘もグレンはついていないのだ。「一時的に帰国している」というのは真実そのものである。ただ、どことは言えないだけで。
マリアンヌに淹れて貰ったお茶を飲みながら、グレンは報告書を読み込む。と言っても、内容はほとんど見舞いに来るレオンから聞かされていたものばかり。
その中で、一つ、名前を見つけてレオンは思わずぽつりと呟いた。
「ああ、そうか、フランクリン……カリス伯爵家への見舞金も検討せねばならんな」
「そうですね……私としては、宰相閣下を事件に巻き込んだ責任と相殺で良いと思っていますが」
「マリアンヌ、手厳しいな」
しかし、実際はマリアンヌの言うとおりである。本来であれば、逆に付き人であるフランクリンがあそこでグレンに対する攻撃を防がなければならなかった。それを防げないどころか、罠へと導く踏み台にされるとは、付き人失格である。
「相手が悪魔、でしたからね。致し方ない部分もあるのでしょうが……」
言葉を濁すマリアンヌに、グレンは再度困った様に苦笑を投げる。
どうにも、マリアンヌ含めグレンの部下達は事の発端となったフランクリンに良い思いを抱いていないらしい。
グレンとしては、今回の件は仕方なかったと思っているのだが。悪魔の魔術を相手にして、防御しろと言う方が無理難題なのだ。
それはグレンがドーヴィという悪魔を身近に置いていたからこそ、出てくる感想である。おとぎ話の中の存在で、会ったことも無ければ見たこともない人間にその力を理解しろというのは、なかなか難しい話だ。
フランクリンに対して処罰ではなく、逆に見舞金を出そう、とグレンが提案した時にはマリアンヌもアンドリューもこぞって反対の意を示していた。それでもグレンが頑として譲らないものだから……今は二人も、渋々ながらもフランクリンの事を認めている。
そのフランクリンは、未だ入院中であった。教会の人間により毎日少しずつ解呪は進んでいる。徐々に状況は良くなってきている、らしいが、まだまだ日常生活を送れるような状態ではない。
そして、間もなく。各国を巡礼している聖女が訪問するタイミングで、フランクリンにも聖女の癒しを受けさせる手筈になっていた。
これにも一部から反対の声が上がったが、グレンがどうしても、と言ったために仕方なく承認されている。
……そう、この政務官の面々、どうにもグレンには弱いところがある。それはグレンが宰相として強権を発動するわけでもなく、ただ「こうしたいのだが、だめだろうか……」と伺うように提案をしてくるだけで、政務官達は「はいよろこんで」と首を縦に振ってしまうのだ。
悪魔たらしとドーヴィに言われたその実力は、ついに人間に対しても発揮されるようになったらしい。
まあとにかく。そんな政務官達はグレン不在の間も着実に仕事をこなし、クラスティエーロ王国は今日も健在であるわけだ。仕事はちゃんとする人々なのである。
「閣下、この後は陛下と会食ですか?」
「うむ。報告書を読んで問題が無ければ、少し早いが会食に向かおうと思う」
「病み上がりですからね。無理はいけません。会場まで護衛してくれる騎士を呼びましょう」
「……うむ」
グレンはぎこちなく頷いた。どうしても、王城の騎士となると様々なトラウマが刺激されて身を固くしてしまう。
例の魔獣にトラウマを散々に掘り起こされたせいで、グレンは相変わらず夜も眠れなくなったし、王城の廊下を歩くだけでも動悸が激しくなるようになってしまった。
それを知ったレオンが、クランストン辺境領から引き抜いてきた顔見知りのメイドや騎士を優先してグレン用に譲ってくれてはいる。
むしろ、それが無かったらグレンの入院はもっと長引いていただろう。王城、王都の人間とは纏う雰囲気が違う、クランストン辺境領の雰囲気を纏った人間がお世話をしてくれたから、グレンはどうにかこの執務室に戻って来れたのだ。
グレンがちょうど報告書を読み終えた頃。執務室の扉がノックされ、騎士が一人、入室してくる。
「失礼します。閣下の護衛と聞き、参じました」
「! ルミアか!」
騎士が来る、と聞いて早くも顔色を悪くしていたグレンだったが、入室してきたのがよくよく見知ったルミアであり、悪くなった顔色を元に戻し始めていた。
ドーヴィがいなくなり、ティモシーも実家に戻り。その中でも、ルミアは引き続き護衛騎士の任を続けていた。護衛対象を護衛しきれなかったということで、解任も検討されていたのだが。
ルミアの一報でレオン達が動き、動乱が早くに鎮圧できたと言う功績と、当時のドーヴィによる口添えのおかげで、ルミアは続投が決定し、僅かながらも褒賞金が出ることにまでなったのだった。
「閣下、お久しぶりであります」
「ルミアなら、安心して任せられるな」
「はっ、ありがたきお言葉です」
真面目なルミアは、グレンの前で敬礼をする。
それを見ていたマリアンヌは、ほっと安堵の息を吐いた。護衛騎士を呼ぶ、と言った時点でグレンの顔色がみるみる悪くなっていくのを見て、気が気ではなかったのだ。
せめて気心の知れた相手なら、とルミアを呼び出したのだが、それは正解だったらしい。楽しそうにルミアの近況を聞くグレンを見ていれば、そう思える。
しばらくは、グレンも王城から出ることはない。王城内であれば、護衛騎士もルミア一人で何とかなるだろう。
マリアンヌはそう目算して、後でアンドリューに相談しましょう、と脳内にメモを書き留めておいた。
「復帰おめでとうクランストン宰相殿」
「ありがとうございます……長い間、ご迷惑をおかけしました」
そう朗らかに言葉を交わすのは、クラスティエーロ王国のツートップであるアルチェロとグレンだ。
二人きりの会食、クランストン宰相の快気祝い、ということで、アルチェロが早くに人払いをしてくれたおかげで今はグレンもかなりリラックスした状態だ。
一流のシェフが用意した、病み上がりの少年にも食べ盛りの青年にも満足して貰える豪勢なメニューを二人でゆっくりと食べながら、会話に花を咲かせる。
ドーヴィの話になれば、グレンが涙ぐむこともあり。ティモシー他、活躍した人間の話になればアルチェロが楽しそうに武勇伝を語り。
盛り上がった会食の最後、デザートを食しながらアルチェロはとっておきの話題を出す。
「デザート共に、っていうのも悪趣味だけどね。クレイア子爵と、なんだっけ、執事のザトーだっけ、あの主犯の二人」
二人の名前を聞いて、グレンは顔を強張らせた。この事件を引き起こし、ドーヴィを実質的に殺した犯人の二人。
「処刑の日程だけど、半年後ぐらい、かな」
「……周辺諸国との調整ですか?」
「うん、そう。あの二人には、責任を全部被って貰わないといけないからね」
冷ややかに言いながら、アルチェロはデザートのいちごのタルトを一切れ、口に運んだ。酸味の効いたいちごに、砂糖の甘さが絡み合って絶妙なハーモニーを作っている。さすが、王城のパティシエと言ったところ。
「こっちの聞き取りは終わってるんだけど、一応、教会もまだ聞きたいこととか調査したいこととかあるみたいだから」
「なるほど……」
グレンは食後の超高級な紅茶を口に運ぶ。
クレイア子爵ことモア・クレイアと、執事のザトー。この二人については、グレンも紙面上でしか情報を入手していない。
やはり、被害者であり『洗脳』という禁術を使われたグレンを、禁術の術者である主犯の二人に直接会わせることはできない、という判断だ。それは心情的な部分もあるし、教会側からも「禁術の副作用があるかもしれないから」と禁止されている部分もある。
さきほど、執務室で読んだ報告書では、ザトーの方は素直に全てを話したらしい。悪魔に誑かされた、と白髪だらけの頭で、今は毎日神に向かって懺悔の祈りをしているようだ。
(ザトーって、そんな男だったかな……)
グレンの記憶では、ずいぶんと乱暴で唾棄すべき悪の思想を持っていたように思えたが。体格も良く、真っ黒なツヤツヤした頭髪だったはず……。
まあ、彼にも何かしら人生を変えることがあったのだろう、とグレンは納得しておいた。別にザトーという男にそれほど思い入れがあるわけでもないのだから、どうでも良かったのだ。
そして、モア・クレイアという少女。いや、グレンと違って明確に十八歳以上で成人しているから、少女と呼ぶには些か歳が厳しいところだ。……まあ、中身がほとんど子供であるから、足して二で割れば、少女、なのだろう。
とにかく。モアは今も牢獄で、元気よく罵詈雑言を撒き散らし、飽きることなく「私は悪くない、私は王族なのよ」と言い続けているらしい。
それどころか、口を開けばあの悪魔の名前を呼ぶのだとか。それもあって、食事の時以外は口枷を嵌められている事が多いそうだ。
「そうだねえ、普通は悪魔の名前なんて叫んでたら、とんでもない事になるよねえ……」
「ハ、ハハハ……」
モアの話の流れで、アルチェロは何とも言えない顔をしてそう言った。受けたグレンも乾いた笑いをするしかない。
何しろ、叫びこそせずとも二人揃って日常的に悪魔の名前を口にしているのだから。ドーヴィの存在がバレたら、いったい何人の人間がモアのように口枷をして生活することになるだろう。
「まあ、あの動乱については、シルヴェザン元帥がほとんど片付けてくれたから」
「ええ。今日、仕事だと息巻いてきたら報告書の山が積み上がっててびっくりしましたよ」
「あはは、最後まできっちり仕事してくれたみたいだからね」
最後の紅茶をアルチェロはぐっと飲み干して、ナプキンで口元を拭く。
「あとは、また内政の話だね。クレイア子爵領を誰が治めるか、今回の論功行賞はどうするか……ゆっくり、進めていこうか」
アルチェロの穏やかな声に、グレンは微笑を浮かべて頷いた。
事件の事が片付いても、グレンの仕事が無くなるわけではない。クラスティエーロ王国はこれからも続いていくのだから。
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タイトルのとおり、もうまもなく終幕でございます
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【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)

猫の王子は最強の竜帝陛下に食べられたくない
muku
BL
猫の国の第五王子ミカは、片目の色が違うことで兄達から迫害されていた。戦勝国である鼠の国に差し出され、囚われているところへ、ある日竜帝セライナがやって来る。
竜族は獣人の中でも最強の種族で、セライナに引き取られたミカは竜族の住む島で生活することに。
猫が大好きな竜族達にちやほやされるミカだったが、どうしても受け入れられないことがあった。
どうやら自分は竜帝セライナの「エサ」として連れてこられたらしく、どうしても食べられたくないミカは、それを回避しようと奮闘するのだが――。
勘違いから始まる、獣人BLファンタジー。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。

僕だけの番
五珠 izumi
BL
人族、魔人族、獣人族が住む世界。
その中の獣人族にだけ存在する番。
でも、番には滅多に出会うことはないと言われていた。
僕は鳥の獣人で、いつの日か番に出会うことを夢見ていた。だから、これまで誰も好きにならず恋もしてこなかった。
それほどまでに求めていた番に、バイト中めぐり逢えたんだけれど。
出会った番は同性で『番』を認知できない人族だった。
そのうえ、彼には恋人もいて……。
後半、少し百合要素も含みます。苦手な方はお気をつけ下さい。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
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