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【第一部】国家転覆編
13)独りの夜
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ギクシャクギクシャク、機械人形のごとくカクカクした動きを見せていたグレンだったが、そこはやはり辺境伯当主。城に入る前に深呼吸をすれば、いつも通りの堂々たる振る舞いに戻って行った。
視察の報告書を書いて、夕食も湯飲みも経てあとは寝るだけ……となったところで、グレンは寝室に並んだベッドに瞠目した。
(そ、そうだったーっ! 今はドーヴィと一緒に寝てるんだった!)
もちろん、サイズも高さも違うベッドが横に隙間を空けて置いてあるだけで、断じて男女の営み用の並びではない。しかし、机上の閨教育のみで実地経験ゼロのグレンには些か、刺激が強い光景だった……!
「あ、そうだ」
「な、な、なんだ!?」
「……なんだぁお前、そんなに驚いてよ」
突然、ドーヴィに声を掛けられてグレンは飛び上がらんばかりに驚いた。そのせいで裏返った声で返事をしたことを、ドーヴィに聞き咎められる。
ニヤニヤとした笑いを浮かべたドーヴィが、グレンにゆっくりと近づいてくる。グレンはじりじりと後ろに下がっていくが……後ろは、壁だった。
ドン、とドーヴィがグレンの顔の横に拳を置いて壁にグレンを閉じ込める。召喚した時もこうだったな、とグレンは現実逃避をしながら頭上のドーヴィを見上げた。
ドーヴィはやっぱり、いつもの飄々とした顔ではなく、舌なめずりでもしていそうな笑みを浮かべていた。
「ヒッ」
「おいおい、そんな怯えなくてもいいだろう、グレン」
低く、艶のある大人の声で名前を呼ばれる。グレンはまたゾワゾワと腰から背筋まで震わせた。知らないゾワゾワだが……たぶん、グレンはこれを本能で知っている。
小さくグレンが首を振るとドーヴィはクックックと喉奥で笑った。
「なあに、俺はお前が18歳になるまで絶対に手は出さねえから安心しろって」
「べっ、べつに、そのような心配をしていたわけではなくてだな……!」
「はいはい」
ふざけたように言って、ドーヴィはグレンを壁際から解放した。背丈のあるドーヴィが体を離したことで、室内の魔導ランプの明かりがグレンの目に差し込む。少しだけ目を細めると、その様子を見たドーヴィがふわりと笑った。
壁を叩いたドーヴィの大きな手は、今度はグレンの頭をぽんぽんと優しく叩く。
「今夜はちょいと悪魔の野暮用があるんだ。いいか、俺の事を知らないやつが来たら『ドーヴィは鍛錬に出かけた』とでも言っておけ」
「……わかった」
ドーヴィはグレンの手を取ってベッドへとエスコートする。本来ならば違う意味を持つだろうその手は、何をするでもなくグレンをベッドに寝かしつけて、毛布を肩までかけただけだった。
同時に、ドーヴィから優しく、温かい魔力がグレンの全身を包む。非常に微弱な眠気を誘う魔法だった。それに気づきつつも、グレンは魔法抵抗することなく素直に受け入れる。
「もし夜中に起きてもどっか行ったりするなよ」
「わかってる」
「大人しくベッドで寝てろ。俺も用事が終わったらすぐ帰ってくるから」
「……ああ」
こくり、とグレンは小さく頷いた。毛布の温かさと、頭を撫でてくれるドーヴィの手の優しさにあっという間に眠気が襲ってくる。グレンが大きなあくびをすると、今度こそドーヴィは声を上げて笑った。
「俺は何時になるかわからないから。先に寝てな」
「ん……」
「さあ、おやすみグレン。良い夢を」
そう言ってドーヴィはグレンの額にそうっと親愛の口づけを落とした。
☆☆☆
ふとグレンが目を覚ました時、まだ時計の針は真夜中を指していた。魔導ランプの薄暗い灯りを頼りに隣のベッドを確認するが、ドーヴィはまだ戻っていないようだった。
別に悪夢を見たわけではないが、それでもやはりグレンは朝まで熟睡することは少ない。そして、真夜中に起きるとどうしても嫌な事ばかりが頭を巡ってしまう。
むくむくと湧き上がる将来への不安と、過去の悲哀を振り払うかのようにグレンはごろりと寝返りを打った。
(なにか、楽しい事……)
と、考えて。今日の日中の、ドーヴィからの告白を思い出してグレンは暗がりでもわかるほどに顔を真っ赤にした。
……そもそも、楽しい事、と思って真っ先に出てくるのがそれなのだから……つまり……。
枕をぎゅうと抱え込んで、誰もいないというのにグレンは毛布の中に隠れるように潜りこんだ。
(ドーヴィは、僕のこと好きって……もっとキスしたい、とか……その先も……)
思い返すだけで、心臓はドキドキし始めるしなんだか顔も熱くなってくる。グレンは毛布の中で口から変な声を漏らしていた。
一応、貴族としてグレンは早くに閨教育を受けている。故に、キスの先に何があるのかも知っているが……それを自分の身に置き換えて考えるのは非常に難しかった。
(だ、だって、ドーヴィってインキュバスだから……あれだろ……僕のこと、だ、抱くって……うっ)
そこまで考えて、グレンは枕に顔を埋めて悶えた。頭が爆発しそう、というのはこういうことを言うのだろう。
しばし、黙って悶えていたグレンは枕から顔を離して、勢いよく頭を振った。とりあえず。とりあえず、この先の事を考えるとまた盛大に発熱しそうなので、そっと棚の上に置いておくことにする。
そもそも、まずはその前の話だ。ドーヴィに好きと言われた、じゃあ自分は? ……グレンは枕に抱き着いたまま目を閉じて考える。
(……ドーヴィの事は、嫌いじゃない)
グレンが必死に魔力をためて、古代魔法を研究して、そうして召喚した悪魔のドーヴィ。ドーヴィには、グレンが理想とした人材の全てが詰まっていると言っても過言ではない。
いつだってドーヴィは、グレンの事を一番に考えてくれていた。たまに意地悪をしてきたり、揶揄ってきたり、そういうこともあるけども。でもそれは笑って済ませられる範囲の話であったし――何より、ずっと灰色の毎日を送っていたグレンにとっては、楽しいお遊びのようだった。
辺境と言う立地もあり、そもそも同年代の友人もなく。辺境伯子息としてまともに社交に出る機会のなかったグレンにとって、兄の友人や年の近い補佐官が遊び相手のようなところもあったが……それらも、両親の死と兄の死、さらに姉の罪によって全て離れて行ってしまった。
そのような中で、ドーヴィとのやり取りはグレンにとって純粋に楽しいものだった。
(ドーヴィはいじわるなところもあるけど、基本優しいもんな……)
グレンが熱を出せばつきっきりで看病してくれて。ニンジンが嫌いだと押し付ければ、文句を言いながらも食べてくれる。じいややばあやに怒られそうなことをしたら、ほとんど秘密にして隠ぺい工作も手伝ってくれていた。
夜、悪夢を見て飛び起きれば、すぐに声を掛けて手を握って、背中を摩ってくれる。
「ドーヴィ……」
ぽつり、名前を呼ぶ声が暗い毛布の中に響いた。途端にグレンは背筋が寒くなる。ドーヴィがいない夜を過ごすのは、実に久々だ。
楽しい事を、と思って考えだしたのに、急にすべてが怖くなってくる。今日は執務が出来た、では明日は? 明日も、明後日も、自分はちゃんと領主をできるだろうか。グレンが決めた計画、承認した予算、その他さまざまな出来事で領民の人生は左右される。
死んだ両親が自分の不出来を責めるようにそこに立っているかもしれない、死んだ兄が領主の座を返せと手を伸ばしているかもしれない――。
毛布を握りしめて、グレンは丸くなってぶるぶると震えた。一度、後ろ向きな思考が始まるともう止まらない。すうっと手足が冷たくなるのに、逆に脂汗がぷつぷつと湧いてくる。
「う、ううっ……ははうえ、ちちうえ……っ……ごめんなさい……!」
じわりと涙が目じりに浮かぶ。一人の夜は、こんなにも怖かっただろうか。
「あにうえ、ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……っ、あねうえ……かえってきてよっ……」
――いいこにしてるから、みんなかえってきてよ
鼻をすすり、グレンは膝を抱えた。帰ってきて、と願って帰ってきてくれるなら、毎日願うだろう。それが叶わない願いだと自分が一番わかっている。それでも願わずにはいられない、独りの夜が耐えきれないから。
温かい家族に包まれ、グレンはずっと優しい世界で生きてきた。それを急に何もない世界に放り出されたのだから、その落差が余計に苦しい。
甘えられるじいやもばあやも、頼りになる補佐官達も、みなどこまでいってもグレン・クランストン辺境伯に仕える立場でしかない。だから、グレンは独りの夜に膝を抱えて泣きはらすしかなかった。
ドーヴィに出会うまでは。
「ぅ……っ、ふっ……ドーヴィ、はやくかえってきて……」
「呼んだか?」
「っ!!」
涙を流しながら、悪魔の名前を呼べば。低い優しい声が、毛布越しに聞こえる。まさか、と膝から顔を上げると、毛布がぺらりと捲られてひょこりとその人が顔を出した。
「帰ってきたらベッドに山ができてるから何かと思えば!」
「ドーヴィ!」
ドーヴィは笑いながら毛布を引っぺがして、膝を抱えたグレンをベッドの上に転がした。自分もグレンのベッドに乗ると、グレンの腕を取って引っ張り上げる。
成長期に差し掛かったばかりの小柄なグレンの体は、大柄なドーヴィの腕の中にすっぽりと納まった。
「なんだ、また怖い夢でも見たのか?」
「違う、なんか、目が覚めちゃって、いろいろ考えてたら、こわくなってきて……っ」
「お前は難しいこと考えすぎなんだよ。子供だから明日の朝食のことでも考えてりゃいいのに」
子供じゃない、僕はもう大人だ、とグレンは泣きながら言った。それをドーヴィは「はいはい知ってる知ってる」と笑い流して、グレンを抱きしめた。グレンはドーヴィの逞しい胸に顔を押し付けて、ぽかぽかとドーヴィの胸を叩く。
ドーヴィはそれを受け止めて、グレンの頭を優しく撫でた。
「ぐすっ、お、お前が、いないからっ、よる、ひとりで、こわくて……」
「おう、悪かったよ。お前の事、監視するって言ったのは俺の方なのにな」
「そうだぞ、なんでぼくをひとりにしたんだ、ばか!」
「悪かったって。泣くなよ、グレン」
ほら、とドーヴィがグレンの手を持って自分の背中へと回させた。グレンはなすがままに、ドーヴィの背中に両手を回してぴったりと抱き着く。ドーヴィの体は毛布より暖かくて、撫でてくれる手はとても優しかった。
「仕方ねえから、今日は一緒のベッドで監視してやるよ」
「……そうしろ」
「仰せのままに、ご主人様」
ドーヴィはふざけたように言いながら、グレンを腕に抱き込んで毛布を掛け直した。またふわりとドーヴィの手から眠りの魔法が発せられて、グレンの体を暖かく包み込む。
毛布より何より、ドーヴィの腕の中が一番暖かくて気持ちいい。
そう思った時、グレンは「ああ、僕はドーヴィの事が好きなんだ」と理解した。
それはドーヴィが言うような、キスをしたいとか、体を繋げたいとか、そういうものではないのかもしれない。だけど、グレンはそれを「好き」だと感じている。
好き、だから、ドーヴィに抱きしめられたい。たぶん、それで合っている、はず――グレンは落ちていく意識の中でその気持ちをぎゅうと大切に抱きしめた。
---
情緒不安定な受けが性癖です
視察の報告書を書いて、夕食も湯飲みも経てあとは寝るだけ……となったところで、グレンは寝室に並んだベッドに瞠目した。
(そ、そうだったーっ! 今はドーヴィと一緒に寝てるんだった!)
もちろん、サイズも高さも違うベッドが横に隙間を空けて置いてあるだけで、断じて男女の営み用の並びではない。しかし、机上の閨教育のみで実地経験ゼロのグレンには些か、刺激が強い光景だった……!
「あ、そうだ」
「な、な、なんだ!?」
「……なんだぁお前、そんなに驚いてよ」
突然、ドーヴィに声を掛けられてグレンは飛び上がらんばかりに驚いた。そのせいで裏返った声で返事をしたことを、ドーヴィに聞き咎められる。
ニヤニヤとした笑いを浮かべたドーヴィが、グレンにゆっくりと近づいてくる。グレンはじりじりと後ろに下がっていくが……後ろは、壁だった。
ドン、とドーヴィがグレンの顔の横に拳を置いて壁にグレンを閉じ込める。召喚した時もこうだったな、とグレンは現実逃避をしながら頭上のドーヴィを見上げた。
ドーヴィはやっぱり、いつもの飄々とした顔ではなく、舌なめずりでもしていそうな笑みを浮かべていた。
「ヒッ」
「おいおい、そんな怯えなくてもいいだろう、グレン」
低く、艶のある大人の声で名前を呼ばれる。グレンはまたゾワゾワと腰から背筋まで震わせた。知らないゾワゾワだが……たぶん、グレンはこれを本能で知っている。
小さくグレンが首を振るとドーヴィはクックックと喉奥で笑った。
「なあに、俺はお前が18歳になるまで絶対に手は出さねえから安心しろって」
「べっ、べつに、そのような心配をしていたわけではなくてだな……!」
「はいはい」
ふざけたように言って、ドーヴィはグレンを壁際から解放した。背丈のあるドーヴィが体を離したことで、室内の魔導ランプの明かりがグレンの目に差し込む。少しだけ目を細めると、その様子を見たドーヴィがふわりと笑った。
壁を叩いたドーヴィの大きな手は、今度はグレンの頭をぽんぽんと優しく叩く。
「今夜はちょいと悪魔の野暮用があるんだ。いいか、俺の事を知らないやつが来たら『ドーヴィは鍛錬に出かけた』とでも言っておけ」
「……わかった」
ドーヴィはグレンの手を取ってベッドへとエスコートする。本来ならば違う意味を持つだろうその手は、何をするでもなくグレンをベッドに寝かしつけて、毛布を肩までかけただけだった。
同時に、ドーヴィから優しく、温かい魔力がグレンの全身を包む。非常に微弱な眠気を誘う魔法だった。それに気づきつつも、グレンは魔法抵抗することなく素直に受け入れる。
「もし夜中に起きてもどっか行ったりするなよ」
「わかってる」
「大人しくベッドで寝てろ。俺も用事が終わったらすぐ帰ってくるから」
「……ああ」
こくり、とグレンは小さく頷いた。毛布の温かさと、頭を撫でてくれるドーヴィの手の優しさにあっという間に眠気が襲ってくる。グレンが大きなあくびをすると、今度こそドーヴィは声を上げて笑った。
「俺は何時になるかわからないから。先に寝てな」
「ん……」
「さあ、おやすみグレン。良い夢を」
そう言ってドーヴィはグレンの額にそうっと親愛の口づけを落とした。
☆☆☆
ふとグレンが目を覚ました時、まだ時計の針は真夜中を指していた。魔導ランプの薄暗い灯りを頼りに隣のベッドを確認するが、ドーヴィはまだ戻っていないようだった。
別に悪夢を見たわけではないが、それでもやはりグレンは朝まで熟睡することは少ない。そして、真夜中に起きるとどうしても嫌な事ばかりが頭を巡ってしまう。
むくむくと湧き上がる将来への不安と、過去の悲哀を振り払うかのようにグレンはごろりと寝返りを打った。
(なにか、楽しい事……)
と、考えて。今日の日中の、ドーヴィからの告白を思い出してグレンは暗がりでもわかるほどに顔を真っ赤にした。
……そもそも、楽しい事、と思って真っ先に出てくるのがそれなのだから……つまり……。
枕をぎゅうと抱え込んで、誰もいないというのにグレンは毛布の中に隠れるように潜りこんだ。
(ドーヴィは、僕のこと好きって……もっとキスしたい、とか……その先も……)
思い返すだけで、心臓はドキドキし始めるしなんだか顔も熱くなってくる。グレンは毛布の中で口から変な声を漏らしていた。
一応、貴族としてグレンは早くに閨教育を受けている。故に、キスの先に何があるのかも知っているが……それを自分の身に置き換えて考えるのは非常に難しかった。
(だ、だって、ドーヴィってインキュバスだから……あれだろ……僕のこと、だ、抱くって……うっ)
そこまで考えて、グレンは枕に顔を埋めて悶えた。頭が爆発しそう、というのはこういうことを言うのだろう。
しばし、黙って悶えていたグレンは枕から顔を離して、勢いよく頭を振った。とりあえず。とりあえず、この先の事を考えるとまた盛大に発熱しそうなので、そっと棚の上に置いておくことにする。
そもそも、まずはその前の話だ。ドーヴィに好きと言われた、じゃあ自分は? ……グレンは枕に抱き着いたまま目を閉じて考える。
(……ドーヴィの事は、嫌いじゃない)
グレンが必死に魔力をためて、古代魔法を研究して、そうして召喚した悪魔のドーヴィ。ドーヴィには、グレンが理想とした人材の全てが詰まっていると言っても過言ではない。
いつだってドーヴィは、グレンの事を一番に考えてくれていた。たまに意地悪をしてきたり、揶揄ってきたり、そういうこともあるけども。でもそれは笑って済ませられる範囲の話であったし――何より、ずっと灰色の毎日を送っていたグレンにとっては、楽しいお遊びのようだった。
辺境と言う立地もあり、そもそも同年代の友人もなく。辺境伯子息としてまともに社交に出る機会のなかったグレンにとって、兄の友人や年の近い補佐官が遊び相手のようなところもあったが……それらも、両親の死と兄の死、さらに姉の罪によって全て離れて行ってしまった。
そのような中で、ドーヴィとのやり取りはグレンにとって純粋に楽しいものだった。
(ドーヴィはいじわるなところもあるけど、基本優しいもんな……)
グレンが熱を出せばつきっきりで看病してくれて。ニンジンが嫌いだと押し付ければ、文句を言いながらも食べてくれる。じいややばあやに怒られそうなことをしたら、ほとんど秘密にして隠ぺい工作も手伝ってくれていた。
夜、悪夢を見て飛び起きれば、すぐに声を掛けて手を握って、背中を摩ってくれる。
「ドーヴィ……」
ぽつり、名前を呼ぶ声が暗い毛布の中に響いた。途端にグレンは背筋が寒くなる。ドーヴィがいない夜を過ごすのは、実に久々だ。
楽しい事を、と思って考えだしたのに、急にすべてが怖くなってくる。今日は執務が出来た、では明日は? 明日も、明後日も、自分はちゃんと領主をできるだろうか。グレンが決めた計画、承認した予算、その他さまざまな出来事で領民の人生は左右される。
死んだ両親が自分の不出来を責めるようにそこに立っているかもしれない、死んだ兄が領主の座を返せと手を伸ばしているかもしれない――。
毛布を握りしめて、グレンは丸くなってぶるぶると震えた。一度、後ろ向きな思考が始まるともう止まらない。すうっと手足が冷たくなるのに、逆に脂汗がぷつぷつと湧いてくる。
「う、ううっ……ははうえ、ちちうえ……っ……ごめんなさい……!」
じわりと涙が目じりに浮かぶ。一人の夜は、こんなにも怖かっただろうか。
「あにうえ、ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……っ、あねうえ……かえってきてよっ……」
――いいこにしてるから、みんなかえってきてよ
鼻をすすり、グレンは膝を抱えた。帰ってきて、と願って帰ってきてくれるなら、毎日願うだろう。それが叶わない願いだと自分が一番わかっている。それでも願わずにはいられない、独りの夜が耐えきれないから。
温かい家族に包まれ、グレンはずっと優しい世界で生きてきた。それを急に何もない世界に放り出されたのだから、その落差が余計に苦しい。
甘えられるじいやもばあやも、頼りになる補佐官達も、みなどこまでいってもグレン・クランストン辺境伯に仕える立場でしかない。だから、グレンは独りの夜に膝を抱えて泣きはらすしかなかった。
ドーヴィに出会うまでは。
「ぅ……っ、ふっ……ドーヴィ、はやくかえってきて……」
「呼んだか?」
「っ!!」
涙を流しながら、悪魔の名前を呼べば。低い優しい声が、毛布越しに聞こえる。まさか、と膝から顔を上げると、毛布がぺらりと捲られてひょこりとその人が顔を出した。
「帰ってきたらベッドに山ができてるから何かと思えば!」
「ドーヴィ!」
ドーヴィは笑いながら毛布を引っぺがして、膝を抱えたグレンをベッドの上に転がした。自分もグレンのベッドに乗ると、グレンの腕を取って引っ張り上げる。
成長期に差し掛かったばかりの小柄なグレンの体は、大柄なドーヴィの腕の中にすっぽりと納まった。
「なんだ、また怖い夢でも見たのか?」
「違う、なんか、目が覚めちゃって、いろいろ考えてたら、こわくなってきて……っ」
「お前は難しいこと考えすぎなんだよ。子供だから明日の朝食のことでも考えてりゃいいのに」
子供じゃない、僕はもう大人だ、とグレンは泣きながら言った。それをドーヴィは「はいはい知ってる知ってる」と笑い流して、グレンを抱きしめた。グレンはドーヴィの逞しい胸に顔を押し付けて、ぽかぽかとドーヴィの胸を叩く。
ドーヴィはそれを受け止めて、グレンの頭を優しく撫でた。
「ぐすっ、お、お前が、いないからっ、よる、ひとりで、こわくて……」
「おう、悪かったよ。お前の事、監視するって言ったのは俺の方なのにな」
「そうだぞ、なんでぼくをひとりにしたんだ、ばか!」
「悪かったって。泣くなよ、グレン」
ほら、とドーヴィがグレンの手を持って自分の背中へと回させた。グレンはなすがままに、ドーヴィの背中に両手を回してぴったりと抱き着く。ドーヴィの体は毛布より暖かくて、撫でてくれる手はとても優しかった。
「仕方ねえから、今日は一緒のベッドで監視してやるよ」
「……そうしろ」
「仰せのままに、ご主人様」
ドーヴィはふざけたように言いながら、グレンを腕に抱き込んで毛布を掛け直した。またふわりとドーヴィの手から眠りの魔法が発せられて、グレンの体を暖かく包み込む。
毛布より何より、ドーヴィの腕の中が一番暖かくて気持ちいい。
そう思った時、グレンは「ああ、僕はドーヴィの事が好きなんだ」と理解した。
それはドーヴィが言うような、キスをしたいとか、体を繋げたいとか、そういうものではないのかもしれない。だけど、グレンはそれを「好き」だと感じている。
好き、だから、ドーヴィに抱きしめられたい。たぶん、それで合っている、はず――グレンは落ちていく意識の中でその気持ちをぎゅうと大切に抱きしめた。
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情緒不安定な受けが性癖です
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親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
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