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【第一部】国家転覆編
6)不幸な少年を溺愛したい悪魔の夜はちょっとだけ長い
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ドーヴィがケチャと別れた後、さてはて契約主は良い子にねんねしているかと魔力を探してみれば、該当の魔力はグレンの寝室ではなく執務室にあった。
ため息をつきながら執務室に転移すると、そこには執務机に頬をべったりとつけてペンを片手に眠りこけているグレンがいた。
「……おい」
「んぁ……」
「おい、こんなところで寝るな。風邪をひくぞ」
「ぁ……あー……ドーヴィか……?」
……寝ぼけたままに顔を上げたグレンの頬には、書類の文字列がびっしりと見事に転写されている。それを見て吹き出したドーヴィに、グレンは小首を傾げた。
「ほれ見ろ、こんなところで寝るから」
ドーヴィは身支度用の卓上鏡を執務机まで持ってきて、指をさす。大人しくその鏡を覗き込んだグレンは、大声と共に勢いよく立ち上がった。
「ああーーーっ!?!?」
「あっ、馬鹿、こするな! 動くな! インクが飛び散る!」
インクがまだ乾ききっていなかったペンを片手に勢いよく立ち上がったグレン。となれば、当然あちこちにインクはばら撒かれる。さらに、咄嗟に頬を服の袖で拭えば、文字列は形を崩して黒いもやになり、グレンの頬は見事に真っ黒になった。
お前は静止してろ! とドーヴィが指示した通りに、グレンは大人しくペンをペン立てに戻して、一度部屋を出たドーヴィが戻ってくるのを待つ。
戻ってきたドーヴィは、お湯が入った桶とタオルを持っていた。
「こっちにこい、拭いてやるから」
「うう……すまない……」
すっかり肩を落として落ちこんだ様子のグレンの頭をぽんぽんと撫でてやってから、ドーヴィはまずグレンの手を取った。
大人の男の手より小さく柔らかみの残る少年の手。しかし、指の間にはペンだこができており、どことなくかさついた肌は苦労を感じさせる。
その手を優しく拭ってやると、グレンは少しだけくすぐったそうに体を揺らした。
「椅子には座るなよ、インクが染みてる」
「う、汚れは落ちるだろうか……」
「清掃担当のメイドの腕次第だろ。……それとも、俺が魔法で消すか?」
「できるのか?」
できるできないで言えば、もちろんできる。武闘派で脳みそまで筋肉とケチャに揶揄われるドーヴィであれども、魔法を使った作業ならなんだってできる。できないことはない、万能な悪魔なのだ。
……だからと言って、本当にメイドの真似事をする日が来るとは思わなかったが。
「できるに決まってるだろ、俺をなんだと思ってんだ」
「ええー、なんだかドーヴィのイメージに合わないぞ?」
「そう言う事言うなら自分でばあやに『夜中にお仕事してインク零しましたごめんなさい』って言うんだな」
くすくすと笑いながら言ったグレンに、ドーヴィは少しだけ強い力でその頬をごしごしと拭う。グレンは慌てて「私が悪かったから魔法で消してくれ。あと服のインクも」と言う。どさくさに紛れて椅子以外も綺麗にしてもらおうと言うあたりが、なんともグレンらしい。立ち直りが早いと言うか、調子に乗りやすいと言うか。
まあそういう、グレンの子供らしいところがドーヴィはまた可愛いと思っている。歴代の召喚者は軒並み成人済み、というより最早老人の域に差し掛かっている人間が多かった。
ドーヴィが覚えている限りでは、恐らくグレンが歴代最年少の召喚者だ。それも、目的が少しズレた誠に健全な召喚者である。
物珍しい子犬が目の前でキャンキャンしていれば、それはもう悪魔だって心を撃ち抜かれるというものだ。
「ったく、仕方ねぇヤツだ……ほら、仮契約するぞ」
その言葉にハッ! としたグレンは、両手で自身の顔を撫でたあとに鏡を覗き込んだ。
「よし、汚れてないな」
「ちゃんと拭いてやったからな? ……チッ、そっちも仮契約で魔力を頂戴しておきゃ良かった」
後半はグレンに聞こえない程度の声量でドーヴィは小さく漏らした。
魔力が欲しいというのはもちろんだが、キスの前に自分の顔が汚れていないか確認してから顔を赤くしてドーヴィに向き直るその初心さが非常に楽しかった。
歴代の枯れ木の様な召喚者とのキスだなんて一度やればもう十分だったが、グレンであれば何度でもキスを交わしてやって良い。ドーヴィはそう思っている。
グレンは目を閉じてドーヴィの唇があるだろう場所に顔を伸ばす。立ったままだと相当に身長差があるため、グレンはドーヴィの胸にしがみつくようになりながら背伸びをしていた。
面白がったドーヴィは、グレンが背伸びをするのに合わせて一緒に自分も背伸びをする。……となれば、当然、グレンはどうあがいても届かないわけで。
「……ドーヴィ!!」
「ハッハッハ、悪かった、そう怒るなよ。お前が可愛かったからさ」
「べっ、べつに、僕は可愛くなんて……っ! ああ、もう! いいから!」
「はいはい」
今度は、グレンがやりやすいように少しだけ膝を折り曲げて屈んでやった。ちょうど、グレンの手が届く位置にドーヴィの男らしい肩が下りてきて、グレンはその肩に手を置いて背伸びをする。
音もしない、本当に触れるだけの軽やかな口づけが交わされた。
「……よし、パッと片付けるか」
グレンからしっかり魔力も回収したドーヴィはパチンと指を鳴らす。それだけで、グレンがあちこちに散らかしたインク達は時間が巻き戻る様にインク壺へと自ら戻って行った。
「それ、どんな魔法なんだ?」
「人間には使えない魔法さ」
「むぅ」
興味津々に宙を飛び交うインク達を眺めていたグレンの質問に、ドーヴィは素気無く返した。実際、『インク単体を世界から一時的に切り離して時を巻き戻す』という、見た目の割に非常に複雑な複合魔法を使っている。
その魔法の仕組みを教えたところで、グレンには一生かかっても理解もできなければ再現もできやしないだろう。それなら素直にメイド達に頼んでインクを何とか洗い流して染み抜きして貰った方が断然早い。
「で、お前はこんな夜中になんで仕事してんだ。眠れなかったのか?」
「ん……まあ……なんか嫌な夢を見たから、ちょっと気晴らしでもしようかと思って」
ドーヴィに言われたグレンは気まずそうに俯いて、髪の毛を指で弄る。
それについてドーヴィはいろいろと言いたいことはあったが……まあ、グレンが夜中に起きてしまうのは今に始まったことではない。何なら悪夢を見て飛び起きていることも、ドーヴィは知っている。
ドーヴィの睡眠魔法を受けて、夜中に起きると言うこと自体珍しいのだ。もちろん、天使達が騒ぎ立てない程度に威力を弱めているとは言え、普通の人間なら朝までぐっすり熟睡間違いなし! なはずだ。
これはグレンが大量の魔力保持者であるために、ドーヴィの魔法に体が抵抗できてしまっているからだ。グレンが優秀な魔術師でありすぎたから、ドーヴィが眠らせてやっても夜中に悪夢を見て起きてしまう。
かといって、これ以上強い魔法を使うのは天使に『有害』と判断されてドーヴィが排除される可能性もあったし、グレンの健康にも影響が出てくる。
ふぅ、とため息をついたドーヴィに、グレンは肩をびくりと震わせた。
「ちょ、ちょっとやって、眠くなったら寝室に戻ろうと思っていたのだ! どうせ起きてしまって、眠れないのならその時間を有意義に使おうと思って……」
「わかったわかった、別に俺は怒ってねぇから。まあ、じいやにも内緒にしといてやるよ」
「本当か!?」
夜中に起きて徘徊していると、執事のじいやが飛んできてお小言を言ってくる。グレンは以前にもドーヴィにそう愚痴っていたが……ドーヴィとしては、じいやのお小言には首がもげる程、同意したい。
グレンは働きすぎだ。
朝から夜まで、ずっと領主の仕事をしている。ケチャから裏事情を知った今となっては、追い立てられるように仕事漬けの理由もわかるが……それにしても、グレンは周囲が心配になるほどに、自身を追い詰めている。
少しぐらい息抜きをしても良いし、お菓子を食べたって良い。昼寝をしてもいいし、散歩だって良いだろう。なんなら、大好きな魔法の研究をやったっていい。
グレンは「そんなことで遊んでいる時間はない」と言わんばかりに、食事を抜いてまで仕事に邁進している。
それもこれも、領主のプレッシャーからだ。自分がやらなければ、姉も領民も、大好きなじいやもばあやも、みんな路頭に迷うと思っている。そして、それは残酷なことに真実だ。
周囲の大人たちがなんとかグレンを「健全な子供らしく」扱おうとしても、グレン本人がそれを拒否している。「もう私は大人なのだから」がすっかり口癖になってしまった。
「……ドーヴィ? どうした?」
「ん、少し考え事をしてた」
顎に手を当ててすっかり考え込んでいたドーヴィは、グレンが心配そうに顔を覗き込んできたことで意識をこちらに戻した。
……やはり、ケチャからグレンについて情報を得ていて良かった、とドーヴィは改めて思う。
「仕事って言ったって、お前さっきまで居眠りしてただろーが」
「ぐっ……な、なんだか、書類を見ていたら眠くなってきて……」
「そりゃあまだ体が睡眠を欲しがってんだよ」
ドーヴィはひょい、とグレンをいつも通りに担ぎ上げた。うわぁっ! といつも通りにグレンの悲鳴が肩の上からするがそれをいつも通りにドーヴィは無視する。
そのまま、グレンの寝室に転移するとベッドの上にグレンを落とした。
「眠れなくてもベッドでごろごろしてるだけでも違うからな。少しは大人しくしてろ」
強引に布団を体の上にかけて、グレンの頭を優しく撫でてからドーヴィは立ち上がった。
「……ドーヴィ、部屋に戻るのか?」
ベッドの中から、不安そうなグレンの声がかかる。ドーヴィはその言葉に少しだけ苦笑して、首を振った。
「いや。またどっかの悪い子がベッドから抜け出さないか、見張る必要がある」
「げっ」
「安心しろ、悪魔は睡眠を必要としないんだ」
何が安心だよ、とグレンはぶつぶつと呟きながらもドーヴィの視線を遮るかのように布団を頭まで被ってしまう。その子供じみた仕草に、ドーヴィは声を出して笑った。
もちろん本当はグレンが添い寝を無意識に望んでいることにはドーヴィも気づいている。両親が亡くなり、しばらく姉と添い寝をしていたことがグレンの中に深く根付いているからだろう。
……だが、さすがに添い寝はコンプライアンス的にはギリギリセーフでも、ドーヴィの理性にギリギリアウトな可能性がある。いや自分は鋼の理性があるが、とドーヴィは心内で言い訳しつつも、危ない橋は渡らないに限ると判断した。
こちらに背を向けているだろうグレンに、ドーヴィは腰を折って顔を近づける。
「おやすみ、グレン。良い夢を」
軽く頭に親愛の口づけを落としてから、また睡眠の魔法をかけた。グレンがもぞりと身動きする。
「……おやすみ、ドーヴィ」
ころん、と寝返りを打って速やかに眠りの世界に連れていかれそうになる寸前、グレンは緩慢に口を開いて言った。
その言葉のくすぐったさと甘さに、ドーヴィはクックック、と喉の奥で笑いを漏らしてから瞼を閉じたグレンの頭をまた優しく撫でてやった。
---
暗い話が続いて我慢できなくなったので
この話3話目ぐらいにやっておくべきだったなあ
すっかり子守の悪魔になってしまったドーヴィさん
体格差、いいよね……
小柄な受けちゃんが一生懸命背伸びしてちゅーしようとするの
とても性癖
ため息をつきながら執務室に転移すると、そこには執務机に頬をべったりとつけてペンを片手に眠りこけているグレンがいた。
「……おい」
「んぁ……」
「おい、こんなところで寝るな。風邪をひくぞ」
「ぁ……あー……ドーヴィか……?」
……寝ぼけたままに顔を上げたグレンの頬には、書類の文字列がびっしりと見事に転写されている。それを見て吹き出したドーヴィに、グレンは小首を傾げた。
「ほれ見ろ、こんなところで寝るから」
ドーヴィは身支度用の卓上鏡を執務机まで持ってきて、指をさす。大人しくその鏡を覗き込んだグレンは、大声と共に勢いよく立ち上がった。
「ああーーーっ!?!?」
「あっ、馬鹿、こするな! 動くな! インクが飛び散る!」
インクがまだ乾ききっていなかったペンを片手に勢いよく立ち上がったグレン。となれば、当然あちこちにインクはばら撒かれる。さらに、咄嗟に頬を服の袖で拭えば、文字列は形を崩して黒いもやになり、グレンの頬は見事に真っ黒になった。
お前は静止してろ! とドーヴィが指示した通りに、グレンは大人しくペンをペン立てに戻して、一度部屋を出たドーヴィが戻ってくるのを待つ。
戻ってきたドーヴィは、お湯が入った桶とタオルを持っていた。
「こっちにこい、拭いてやるから」
「うう……すまない……」
すっかり肩を落として落ちこんだ様子のグレンの頭をぽんぽんと撫でてやってから、ドーヴィはまずグレンの手を取った。
大人の男の手より小さく柔らかみの残る少年の手。しかし、指の間にはペンだこができており、どことなくかさついた肌は苦労を感じさせる。
その手を優しく拭ってやると、グレンは少しだけくすぐったそうに体を揺らした。
「椅子には座るなよ、インクが染みてる」
「う、汚れは落ちるだろうか……」
「清掃担当のメイドの腕次第だろ。……それとも、俺が魔法で消すか?」
「できるのか?」
できるできないで言えば、もちろんできる。武闘派で脳みそまで筋肉とケチャに揶揄われるドーヴィであれども、魔法を使った作業ならなんだってできる。できないことはない、万能な悪魔なのだ。
……だからと言って、本当にメイドの真似事をする日が来るとは思わなかったが。
「できるに決まってるだろ、俺をなんだと思ってんだ」
「ええー、なんだかドーヴィのイメージに合わないぞ?」
「そう言う事言うなら自分でばあやに『夜中にお仕事してインク零しましたごめんなさい』って言うんだな」
くすくすと笑いながら言ったグレンに、ドーヴィは少しだけ強い力でその頬をごしごしと拭う。グレンは慌てて「私が悪かったから魔法で消してくれ。あと服のインクも」と言う。どさくさに紛れて椅子以外も綺麗にしてもらおうと言うあたりが、なんともグレンらしい。立ち直りが早いと言うか、調子に乗りやすいと言うか。
まあそういう、グレンの子供らしいところがドーヴィはまた可愛いと思っている。歴代の召喚者は軒並み成人済み、というより最早老人の域に差し掛かっている人間が多かった。
ドーヴィが覚えている限りでは、恐らくグレンが歴代最年少の召喚者だ。それも、目的が少しズレた誠に健全な召喚者である。
物珍しい子犬が目の前でキャンキャンしていれば、それはもう悪魔だって心を撃ち抜かれるというものだ。
「ったく、仕方ねぇヤツだ……ほら、仮契約するぞ」
その言葉にハッ! としたグレンは、両手で自身の顔を撫でたあとに鏡を覗き込んだ。
「よし、汚れてないな」
「ちゃんと拭いてやったからな? ……チッ、そっちも仮契約で魔力を頂戴しておきゃ良かった」
後半はグレンに聞こえない程度の声量でドーヴィは小さく漏らした。
魔力が欲しいというのはもちろんだが、キスの前に自分の顔が汚れていないか確認してから顔を赤くしてドーヴィに向き直るその初心さが非常に楽しかった。
歴代の枯れ木の様な召喚者とのキスだなんて一度やればもう十分だったが、グレンであれば何度でもキスを交わしてやって良い。ドーヴィはそう思っている。
グレンは目を閉じてドーヴィの唇があるだろう場所に顔を伸ばす。立ったままだと相当に身長差があるため、グレンはドーヴィの胸にしがみつくようになりながら背伸びをしていた。
面白がったドーヴィは、グレンが背伸びをするのに合わせて一緒に自分も背伸びをする。……となれば、当然、グレンはどうあがいても届かないわけで。
「……ドーヴィ!!」
「ハッハッハ、悪かった、そう怒るなよ。お前が可愛かったからさ」
「べっ、べつに、僕は可愛くなんて……っ! ああ、もう! いいから!」
「はいはい」
今度は、グレンがやりやすいように少しだけ膝を折り曲げて屈んでやった。ちょうど、グレンの手が届く位置にドーヴィの男らしい肩が下りてきて、グレンはその肩に手を置いて背伸びをする。
音もしない、本当に触れるだけの軽やかな口づけが交わされた。
「……よし、パッと片付けるか」
グレンからしっかり魔力も回収したドーヴィはパチンと指を鳴らす。それだけで、グレンがあちこちに散らかしたインク達は時間が巻き戻る様にインク壺へと自ら戻って行った。
「それ、どんな魔法なんだ?」
「人間には使えない魔法さ」
「むぅ」
興味津々に宙を飛び交うインク達を眺めていたグレンの質問に、ドーヴィは素気無く返した。実際、『インク単体を世界から一時的に切り離して時を巻き戻す』という、見た目の割に非常に複雑な複合魔法を使っている。
その魔法の仕組みを教えたところで、グレンには一生かかっても理解もできなければ再現もできやしないだろう。それなら素直にメイド達に頼んでインクを何とか洗い流して染み抜きして貰った方が断然早い。
「で、お前はこんな夜中になんで仕事してんだ。眠れなかったのか?」
「ん……まあ……なんか嫌な夢を見たから、ちょっと気晴らしでもしようかと思って」
ドーヴィに言われたグレンは気まずそうに俯いて、髪の毛を指で弄る。
それについてドーヴィはいろいろと言いたいことはあったが……まあ、グレンが夜中に起きてしまうのは今に始まったことではない。何なら悪夢を見て飛び起きていることも、ドーヴィは知っている。
ドーヴィの睡眠魔法を受けて、夜中に起きると言うこと自体珍しいのだ。もちろん、天使達が騒ぎ立てない程度に威力を弱めているとは言え、普通の人間なら朝までぐっすり熟睡間違いなし! なはずだ。
これはグレンが大量の魔力保持者であるために、ドーヴィの魔法に体が抵抗できてしまっているからだ。グレンが優秀な魔術師でありすぎたから、ドーヴィが眠らせてやっても夜中に悪夢を見て起きてしまう。
かといって、これ以上強い魔法を使うのは天使に『有害』と判断されてドーヴィが排除される可能性もあったし、グレンの健康にも影響が出てくる。
ふぅ、とため息をついたドーヴィに、グレンは肩をびくりと震わせた。
「ちょ、ちょっとやって、眠くなったら寝室に戻ろうと思っていたのだ! どうせ起きてしまって、眠れないのならその時間を有意義に使おうと思って……」
「わかったわかった、別に俺は怒ってねぇから。まあ、じいやにも内緒にしといてやるよ」
「本当か!?」
夜中に起きて徘徊していると、執事のじいやが飛んできてお小言を言ってくる。グレンは以前にもドーヴィにそう愚痴っていたが……ドーヴィとしては、じいやのお小言には首がもげる程、同意したい。
グレンは働きすぎだ。
朝から夜まで、ずっと領主の仕事をしている。ケチャから裏事情を知った今となっては、追い立てられるように仕事漬けの理由もわかるが……それにしても、グレンは周囲が心配になるほどに、自身を追い詰めている。
少しぐらい息抜きをしても良いし、お菓子を食べたって良い。昼寝をしてもいいし、散歩だって良いだろう。なんなら、大好きな魔法の研究をやったっていい。
グレンは「そんなことで遊んでいる時間はない」と言わんばかりに、食事を抜いてまで仕事に邁進している。
それもこれも、領主のプレッシャーからだ。自分がやらなければ、姉も領民も、大好きなじいやもばあやも、みんな路頭に迷うと思っている。そして、それは残酷なことに真実だ。
周囲の大人たちがなんとかグレンを「健全な子供らしく」扱おうとしても、グレン本人がそれを拒否している。「もう私は大人なのだから」がすっかり口癖になってしまった。
「……ドーヴィ? どうした?」
「ん、少し考え事をしてた」
顎に手を当ててすっかり考え込んでいたドーヴィは、グレンが心配そうに顔を覗き込んできたことで意識をこちらに戻した。
……やはり、ケチャからグレンについて情報を得ていて良かった、とドーヴィは改めて思う。
「仕事って言ったって、お前さっきまで居眠りしてただろーが」
「ぐっ……な、なんだか、書類を見ていたら眠くなってきて……」
「そりゃあまだ体が睡眠を欲しがってんだよ」
ドーヴィはひょい、とグレンをいつも通りに担ぎ上げた。うわぁっ! といつも通りにグレンの悲鳴が肩の上からするがそれをいつも通りにドーヴィは無視する。
そのまま、グレンの寝室に転移するとベッドの上にグレンを落とした。
「眠れなくてもベッドでごろごろしてるだけでも違うからな。少しは大人しくしてろ」
強引に布団を体の上にかけて、グレンの頭を優しく撫でてからドーヴィは立ち上がった。
「……ドーヴィ、部屋に戻るのか?」
ベッドの中から、不安そうなグレンの声がかかる。ドーヴィはその言葉に少しだけ苦笑して、首を振った。
「いや。またどっかの悪い子がベッドから抜け出さないか、見張る必要がある」
「げっ」
「安心しろ、悪魔は睡眠を必要としないんだ」
何が安心だよ、とグレンはぶつぶつと呟きながらもドーヴィの視線を遮るかのように布団を頭まで被ってしまう。その子供じみた仕草に、ドーヴィは声を出して笑った。
もちろん本当はグレンが添い寝を無意識に望んでいることにはドーヴィも気づいている。両親が亡くなり、しばらく姉と添い寝をしていたことがグレンの中に深く根付いているからだろう。
……だが、さすがに添い寝はコンプライアンス的にはギリギリセーフでも、ドーヴィの理性にギリギリアウトな可能性がある。いや自分は鋼の理性があるが、とドーヴィは心内で言い訳しつつも、危ない橋は渡らないに限ると判断した。
こちらに背を向けているだろうグレンに、ドーヴィは腰を折って顔を近づける。
「おやすみ、グレン。良い夢を」
軽く頭に親愛の口づけを落としてから、また睡眠の魔法をかけた。グレンがもぞりと身動きする。
「……おやすみ、ドーヴィ」
ころん、と寝返りを打って速やかに眠りの世界に連れていかれそうになる寸前、グレンは緩慢に口を開いて言った。
その言葉のくすぐったさと甘さに、ドーヴィはクックック、と喉の奥で笑いを漏らしてから瞼を閉じたグレンの頭をまた優しく撫でてやった。
---
暗い話が続いて我慢できなくなったので
この話3話目ぐらいにやっておくべきだったなあ
すっかり子守の悪魔になってしまったドーヴィさん
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