『性』を取り戻せ!

あかのゆりこ

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本編

48)グレン、働く

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 グレンの熱はようやく下がった。それが、フランクリン一行が到着してから2日後のこと。その間、フランクリンはレオンを筆頭にクランストン辺境家の人間に揉まれに揉まれていたらしい。

 が、グレンはそのような事を知るわけもなく。

「久々の公務だが……しっかりできるだろうか」

 不安そうに顔を陰らせながら、グレンは仕事着に着替えていた。と言っても、ここは王都ではなく辺境領。故に、貴族としての豪奢な服と言うよりは、魔術師としての側面が強い軽装に刺繍の入ったローブを羽織っただけの簡単な服装だ。

 そんなグレンの背中をぽん、と叩いてドーヴィは「大丈夫さ、俺も秘書官として同席するんだからな」と力強く言った。

 すっかり子守係として働いてばかりのドーヴィだが、一応、宰相付き秘書官の役職も持っている。あと護衛でもある。今やだれもがグレンの子守係だと思っているが、一応、一応の一応、ドーヴィもちゃんとした役職持ちの人間なのだ。

「……うむ、ドーヴィがいるなら大丈夫だな。フォローは頼むぞ」
「おう、安心してろ」

 そこでようやく、グレンは緊張で固くしていた顔を緩めた。ちらり、とドーヴィを見上げてそこに頼りになる相棒がいることをしっかり確認してから、深呼吸を繰り返し、背筋を伸ばす。

 グレンの緩んでいた顔はキリッと引き締まり、王都を立ってから十数日ぶりの宰相閣下としての顔になった。

「いくぞ。東の塔の応接室だったな?」

 クランストン辺境城の東の塔。そこはより機密の高い話をする際に使われる場所であり、塔全体に盗聴や盗み見を防ぐ大規模な魔法結界が張り巡らされている。

 次期侯爵のレオンや次期公爵のイーサンにも聞かせられない、真なる国家機密を取り扱うにふさわしい場所だった。

 ブーツの音を響きかせて歩くグレンの後ろを、ドーヴィもぴたりと足並みを揃えて続く。二人のその様子を目にした使用人が少しだけ目を丸くしたが、緊張しているグレンはそれに気づいていないようだった。

 熱で寝込んでいたクランストン家の末っ子が。秘書官を連れて、貫禄ある雰囲気を身に纏って歩いている。道すがらの使用人は、誰もがグレンの様変わりに驚いている様だった。

(グレンだっていつまでも子供じゃないんだよ)

 思わずその辺の使用人に「俺のグレンいいだろ?」とドヤ自慢したくなるドーヴィであったが、本当にそのような事をするわけもなく。ポーカーフェイスを保って心の中でだけ呟いておいた。

 東の塔の門番に案内され、応接室へ。既にフランクリンは到着しているだろう。扉の前には、クランストン辺境家の騎士とフランクリンが連れてきたカリス伯爵家の騎士が1人ずつ立っていた。

「ご苦労」

 自分より背丈があり、年齢もずいぶん上である騎士達にも物怖じせず辺境伯、あるいは宰相として接する。……本人はちゃんとできるが心配していたが、しっかりとスイッチは入った様だ。

 ドーヴィはグレンの様子にほっと安堵しつつ、応接室の扉をくぐる。

「クランストン宰相閣下、お久しぶりです」

 既にソファに座って待っていたフランクリンが立ち上がり、グレンに向かって深く礼をした。それに一つ頷き、グレンは向かい側のソファに座る。

 ドーヴィは扉を閉めた後、扉のそばに仁王立ちをした。話は聞こえるが、必要がなければ口を挟まない、そういう距離だ。

「カリス伯爵、こちらの都合で待たせてすまなかったな」
「いえ、とんでもございません。休暇中に訪問したのはこちらですから」

 そう言ってフランクリンは椅子に座り直した。

 ……ガチガチに緊張しているグレンと、全く同じようにガチガチに緊張しているフランクリン。お互いに自分の事で手一杯で、相手が緊張している事に気づいていない様だった。それをドーヴィはちょっと面白いなと思いつつ、のんびり眺める。

 グレンがピンチになるなら口を出すつもりだが、まあグレンとてこれぐらい一人でできるだろう。たぶん。きっと。

「さて、それでは早速本題に入ろうか」

 ソファに深く身を預けたグレンが、フランクリンに話を促す。ここで貴族としての社交辞令もなければ無駄な情報交換もしない、というのがグレンらしいと言えばらしい。フランクリンもそう言われたら、世間話の雑談をするわけにもいかず。早々に持ってきていた書類をテーブルの上に広げた。

「私、フランクリン・カリスはアルチェロ陛下の王命を受け、こちらに馳せ参じました」
「うむ」
「こちらがアルチェロ陛下より託されました、クランストン宰相閣下への依頼事項となります」

 複数の書類を仕分けして、フランクリンは一度唾を飲み込んだ。グレンの反応を伺いつつ、そして説明を続ける。

「すでに次期侯爵であるレオン・クランストン殿、次期公爵であるイーサン・クランストン殿と相談できる部分は相談済みでございます」
「うむ。……それらについては、後程本人たちも交えて再度確認した方が良いだろう。それ以外で、私にしか取り扱えないものを見せてもらえるか?」
「はっ、はいっ!」

 フランクリンは震える手で書類をいくつかテーブルの隅に寄せ、残ったものをグレンへと差し出した。

 宰相にしか開示できない、というものは国家機密の中でも最上位だ。それが目の前にあると言うだけで、フランクリンは冷や汗が止まらなくなる。

 その書類が入った封筒はまだ開封されておらず、アルチェロ王の直筆サインによって王都からここまで、完全密封状態が維持されている事が分かった。

 封筒を一つ、手にしたグレンはローブの内側からペーパーナイフを取り出してさくりと封を開ける。

「……これは……」

 そしてその中身を見て、早くも眉を寄せた。対面で座っているフランクリンがびくりと肩を揺らす。

「ふむ……カリス伯爵、すまないが残りの内容も確認してから相談でよろしいか」
「はっ、か、構いません!」
「ドーヴィ、君も秘書官として目を通してくれ」
「かしこまりました」

 おや、ヘルプが早いぞ? とドーヴィは思いつつ、静かにグレンのそばへと足を向ける。

 グレンが読み終わった書類を受け取り、ドーヴィも一通り目を通し――ポーカーフェイスを保ちつつも心の中ではため息をついていた。

「なるほど、陛下がカリス伯爵を使者にするわけだ」

 ドーヴィより一足先に書類を読み終えていたグレンは、重い声でそう言った。ソファに軽く身を預けるようにし、深く息を吐く。

 なぜ使者がカリス伯爵だったのか。一般政務官ではなく、伯爵当主本人を使者に立てたのか。

 それは、アルチェロが「よろしくね」と言って来た内容があまりにも重要なものだったからだ。重要な情報故に、誰にも知られてはならず、そして間違いなくグレンからの返答をアルチェロへ届けなければならない。

 ただ手紙をやり取りするだけで済む話ではなかったのだ。

 王都から辺境まで情報を確実に守り切り、必要であればグレンからの「口頭のみで伝えられる返答」を頭に刻み込み、王都まで送り届けるのがカリス伯爵の仕事。

 もし、途中で暴漢に襲われれば、カリス伯爵はその場でグレンの返答と共に自害しなければならない。絶対に情報を漏らしてはいけないからだ。

 それだけ重要な機密であり、また、国の為に命をいつでも差し出す貴族の務めでもあった。
 
「カリス伯爵、王命を受けてここに使者として来訪したという事は、それだけの覚悟があるということだな?」

 グレンは片目を細めてフランクリンを見据える。まだ16歳と聞いていた、実際に顔だちもまだ幼さが残っている、それでも。

 それでも、グレンからの威圧感に、フランクリンは思わず震えあがった。グレンの実力は知っているし、逸話も様々耳に入っている。その上で、実際に対峙して初めて、フランクリンはグレンが本当に宰相であり、反乱を主導した英雄なのだと実感したのだった。

 フランクリンは背筋を伸ばし、テーブルの下で自身の太ももを少しだけ抓る。震えそうになる喉を叱咤し、口を開いた。

「……はっ。このフランクリン・カリス、クラスティエーロ王国の為ならば命も惜しくありません」
「よろしい」

 グレンから放たれたそのたった四つの音が、フランクリンには地獄からの呼び声のように聞こえた。我慢できず、ごくりと喉を鳴らしてしまう。

「君も読みたまえ。封筒は4通あったが、いずれも関連性がある。問題は一つだけだ」
「は……」

 恭しく封筒を受け取り、フランクリンは書類を読み始めた。……そして、読み進めれば進めるほど、顔色が悪くなっていく。

「こ、これは……独立戦争、ですか……っ!」

 呻くようなフランクリンの言葉に、グレンは大きく頷いた。

 ……クラスティエーロ王国の前身、ガゼッタ王国は周辺国に戦争を仕掛け、武力で制圧していた。敗戦し、ガゼッタ王国に強制的に併合された旧国家群が、独立戦争の機運を見せているらしい。

 少し前からもきな臭く、反乱の気配があるという情報は出ていた。それらについて注視するようにグレンも指示を出していたのだが……いや、注視していたからこそ、事前に情報を把握できたのだろう。

「ただの反乱であればまだしも、旧国家群で徒党を組まれて戦争を起こされたら……クラスティエーロ王国はひとたまりもないぞ」

 はっきり言って、クラスティエーロ王国は上位貴族を廃し、国家としては相当に弱体化している。それどころか内乱の混乱からもまだ完全に立ち直ったわけではないのだ。

 亡国がそれぞれ散発的に反乱を起こすならまだ良いが、足並みを揃えて宣戦布告されたらさすがにクラスティエーロ王国も耐え切れない。

 真っ青な顔をするフランクリンを見ながら、グレンも苦々しい顔をして話を続ける。

「陛下はマスティリ帝国に援軍を頼むおつもりのようだが……そうすれば、いくつかの領地もマスティリ帝国へ割譲せねばならんだろう」
「元の大きさに近づくとも言えますが」
「ドーヴィ、口が過ぎるぞ」
「失礼しました」

 茶化したつもりではないが、ドーヴィが思わず呟いた言葉をグレンが聞き咎めて叱責する。さすがに、その発言は国に対する侮辱とも言える。これがアルチェロとグレンの前であれば悪魔のブラックジョークで済ませられるが、フランクリンの前ではそうはいかない。

「グレン様、アルチェロ陛下は本当に援軍を頼むのですか?」
「陛下としてはそのつもりだが、私の意見を聞きたい、とのことだ」

 グレンはテーブルに置いてある書類を指先でトントンと叩きながら言う。

 アルチェロとしては、やはりガゼッタ王国出身のグレンの顔も立てたい、と言ったところだろう。意見を聞きたい、というのも、社交辞令ではなく恐らく本気で思っているはずだ。

 アルチェロもクラスティエーロ王国の王ではあるが、外様ゆえに判断を下し辛いところもあるのだ。

「カリス伯爵、君の意見も聞こう」
「わっ、私のですか!?」
「うむ。この話を知ったからには、君の頭脳も使わせて貰う」
「……は、はい、不肖ながら……」

 ついにフランクリンは胸元からハンカチを取り出して額の汗を拭き始めた。応接室は適切な温度に保たれており、暑いということはない。それでもフランクリンは汗が止まらなかった。それも寿命がぐんぐん縮む方の汗だ。

「ドーヴィも頼む」
「はっ。グレン様の命とあらば」

 ドーヴィも優雅に体を折った。グレンは空席になっていたソファにドーヴィも座るように指で示す。

「はぁ……父上や兄上の意見も聞きたいが……さすがに、これは口外できんな」

 苦笑したグレンは冷めたお茶で口を潤して――顔を引き締めた。

「まず、私の意見を」

 グレンの腹は決まっている。旧ガゼッタ王国の代表として、そしてクラスティエーロ王国の宰相として。

「アルチェロ陛下の案には、まだ賛成できない。マスティリ帝国の軍事力を当てにするのは確かに安心感があるが、一つの国としていつまでも帝国の力に頼っている様では問題がある」
「帝国軍をクラスティエーロ王国領内に常駐させることにもなりますからね。いくら宗主国とも言え、他国の軍を国内に招き入れるのはよくないでしょう」

 ドーヴィがグレンの言葉に補足をした。書類を見て、何も言葉を交わさずともドーヴィにはグレンの考えていることぐらいわかる。グレンもドーヴィの補足を受けて満足そうに頷いた。

「うむ。それにマスティリ帝国に軍を借りたとして、支払い能力もわが国にはない。故に、領土を支払うという事になるだろうが……」

 そこまで言って、グレンは口を閉ざした。そのまま、腕を組んで宙を睨む。どう表現したものか、と言葉を探しているようだ。

 フランクリンは降って湧いたとんでもない大問題に頭をぐるぐると回しながらも、グレンの言葉の続きを自分なりに考える。

「領土の割譲を認めると……その後も、マスティリ帝国に……食い物にされる懸念がある、ということでしょうか?」
「……うむ。直接的な表現すぎるが」
「失礼しました!」

 慌ててフランクリンは頭を下げた。マスティリ帝国とは一応、友好関係にある。その状態でフランクリンの様な表現をしては、大変な無礼に当たるという事だ。故にグレンは穏当な表現を探していたのだが。

 この辺は、やはり上位貴族に揉まれてきたグレンの方が、まだ気が回るようだった。

 こほん、とドーヴィが咳ばらいをして話を戻す。

「アルチェロ陛下は早めにマスティリ帝国を頼ることで安全に事を治める案。グレン様は安全性には劣るもの、できる限り自分たちで対応し、マスティリ帝国の過剰な介入を防ぐ案。ということですね?」

 ドーヴィはそう簡単にまとめた。言ってしまえばその通りだ。マスティリ帝国の庇護下に入るが自国の領土を手放すか、自分たちで独立国家のプライドを守るのか。

 どちらも、一長一短である。

「私とて、アルチェロ陛下の案を頭ごなしに否定するつもりはない。だが……やはり……」

 グレンは言いづらそうに口をすぼめた後、何かを振り払うかのように頭を振った。そして少しばかり寂しそうな笑顔を見せる。

「陛下と違って、私は生まれも育ちもこの国の人間だから、な」

 全てをグレンが言う事は無かった。ただ、その言葉の裏にある想いをしっかりと感じ取ったフランクリンは、思わず目を伏せる。

(クランストン宰相閣下は……この国を、愛しておられるのだな……)

 一貴族としての器の違いをグレンに見せつけられたようで、フランクリンは小さく息を吐いた。伯爵家当主の座を継いだ自分が、いかに不勉強で覚悟もない矮小な人間であるかと改めて感じてしまう。




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真面目な話
久々に大人びた言い方をする大人なグレンくんです

エロコメなのでそんな深刻な話にはなりませんあしからず……
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