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本編
27)嫉妬心が原因で屋敷が吹き飛ぶなんて……
しおりを挟む悪の巣窟とも言えるコサコレ男爵邸。しかし、要人への暗殺や捜査妨害をするには厳しく――となれば、次に『自分だけでも助かりたい』と考えた使用人たちがとる手段と言えば。
「ドーヴィ様……今晩のご予定……私と……」
使用人の制服、それを着崩した美女が胸の谷間をチラつかせながら、ドーヴィに迫ってくる。ドーヴィはそれを素気無く無視して「失礼、宰相閣下の護衛任務があるので」と言って足を早めた。
何も、これはドーヴィに限った事ではない。すでに出立したが、アンドリューも狙われていたし、なんなら熊男とも言えるガルシアも、さらには下っ端の政務官や騎士達まで狙われていた。
「色仕掛け程度で助かると思ってんのかよ、バカが」
人気のないところで、ドーヴィはうるさそうに吐き捨てる。
後発組としてマリアンヌが視察団随行の使用人を連れてきてくれてからは、だいぶマシになったが。それまでは、少しでも1人でいれば男女問わずに夜の関係を迫ってきていた。
さすがにドーヴィと言えども、あそこまで猛烈に狙われ続けると辟易する。となれば、文官職であり、その辺に免疫のなかった独身政務官達はかなり苦労をしていたようだった。
なお、グレンについてはドーヴィがぴったりと張り付いてガードし、ドーヴィがいなければアンドリューやマリアンヌが鉄壁の守りを見せていたので、そういった色仕掛け戦争があるとは全く知らない。
成人済みで頼りになる宰相閣下、だとしても、そのお手とピュアを煩わせるわけにはいかない! と視察団一同が一致団結した成果だとか……。
その分、ドーヴィが随分と割を食った感はある。まあ、ドーヴィとしてもグレンが健やかに過ごせるならこの程度大したことではない。
「ドーヴィ様ぁ!」
「お時間ありますかぁ~?」
舌打ちしそうになるのを抑えて、ドーヴィは振り返る。目の前には、グレンと同じ年頃の小柄な少年と少女がいた。もちろん、使用人の制服を着ているから、間違いなく使用人なのだろう。態度はどう見ても使用人とは言えないが。
「時間はない」
さくりと切って捨てる。
どうにも、ドーヴィがあまりにもグレンにぴったりと張り付いているものだから、コサコレ男爵邸の使用人の間にも早くから『二人はそう言う関係』という噂が駆け巡り……挙句の果てに、「護衛のドーヴィという平民は少年が好き」という大変に不名誉な尾ひれがついてしまった。
インキュバスであるドーヴィにも好き嫌い程度はあるが、基本的には全人類皆ストライク、である。人間にとっては不名誉な噂だろうが、ドーヴィにとってはどちらかと言えば営業妨害に近い。
今後、少年しかドーヴィを召喚しなくなったらどうしてくれる。あの年で悪魔召喚に成功するだなんて、グレンの様な大天才ぐらいだぞ。
「そう言わないでくださいよぉ」
「ちょっとぐらいいいじゃないですかぁ」
語尾をわざとらしく引き伸ばして、媚びを売るようにドーヴィの両手にそれぞれ縋りついた。
……これも、ドーヴィが『平民』だと周知されているからだ。恐らく、この二人は貴族に連なる者なのだろう。
もちろん、ただの使用人よりも宰相付き秘書官であるドーヴィの方が役職では上だ。しかし、貴族にその常識は通じない。どれ程までも上の役職であろうと、平民はたかが平民。そう思っている貴族は非常に多い。
邪魔だ、とドーヴィが両手を振り払おうとしたその瞬間。使用人の色仕掛けを回避し続けてようやく戻ってきた、グレンがいる応接室の扉が音を立てて開く。
「――では、それでいくか」
あまりにも完璧すぎるタイミングで、その扉からグレンが書類を片手に出てきた。一緒に話しているのは、マリアンヌの様だ。
瞬時に、ドーヴィはヤバい、と判断して両腕にまとわりつく二人を振り払おうとする――が、それは相手も同じだったようで。ドーヴィに縋りついていた少年と少女は、それぞれがドーヴィの腕を抱き込むようにしてより体を密着させてくる。
ここで、ドーヴィが力加減を誤ったのが良くなかった、と言えばそのとおりだろう。悪魔の力で振り払えばそれで終わる話だが、そうするとこの迷惑な二人の命も終わる。
そうなった時に、最も泥を被ることになるのはドーヴィ本人よりも、ドーヴィを個人的に雇い入れているグレンの方だ。そのことまで刹那の間に思い至ったドーヴィは、力をずいぶんと控えめにしてしまう。
その結果。
「あ、ドーヴィ………………………………仕事中に、何をしている?」
廊下にいたドーヴィを見つけて、喜色に満ちて名前を呼んだのが一瞬、そしてその直後にあっという間に冷え冷えとした声に変わったグレンだ。
「いや、違……います、これは相手が勝手に……」
「私達、ドーヴィ様に遊んでもらおうと思ってぇ」
「なんか、休みなく、ずっと護衛してるって言うじゃないですかぁ、ちょっとぐらい、息抜きも必要じゃないかなって~」
例の二人は、グレンの方を向かず、ドーヴィへと話しかけた。あくまでも、平民であるドーヴィに使用人として休息を取って貰おうとして、というつもりのようだ。この態度でグレンに話しかけるほど、愚かではないようだ。
それでも、愚かな事に変わりはないが。
「……マリアンヌ、いくぞ」
グレンはドーヴィから視線を外し、マリアンヌの名前を呼ぶ。その声は冷たく、まさに取り付く島もないと言ったところ。思わず、ドーヴィは天を仰いで嘆いた。
去り際、マリアンヌがちらりとドーヴィへ同情的な視線を向ける。と、同時に、ドーヴィも視線でフォローを頼んだ。
そう、今、クランストン宰相の機嫌を悪くさせるだなんて、愚かな事極まりないのだ。それを、あの二人の子供使用人は理解していなかったらしい。
「ドーヴィ様ぁ」
まだ舌っ足らずに誘おうとする二人を、ドーヴィは今度こそ振り払う。
そして秘書官として対応しようと思ったが、考えを変えた。二人を見下ろし、護衛として殺気を放つ。
「俺は護衛任務中だ。休息は自分のタイミングで好きにしていいと閣下から許可を貰っている」
「で、でも……」
そう言い募る少女をドーヴィはぎろりと睨みつけた。その視線に怯んだ少女が一歩、後ろに下がる。逆に、震える体を叱咤して噛みついてきたのはもう一人の少年だった。
「お、お前っ、平民のくせに、偉そうなことを……!」
「ハッ、笑わせんなよ。俺は宰相付き秘書官で、お前らはただの使用人だ」
「う、うるさいっ! 平民が秘書官なんて、おかしいだろ! グレンとかいうガキに気に入られたからって――」
少年は最後まで言葉を言い切れなかった。それより早く、ドーヴィが剣を抜き、喉元に突きつけたからだ。騎士にも見えぬ早い剣さばきに、ただの使用人である二人がついていけるわけもなく。
「ひっ」
短く悲鳴を上げて、少年は口を噤んだ。きらりと光る剣が、自分の顎の下に伸びている。剣先は見えなかったが、それが逆に恐怖を煽った。
「まさかお前の方から処分の理由を提供してくれるとはなァ……グレン閣下への侮辱、護衛として見逃せねえ」
「ひっ、なっ、な……」
「いやっ!! わっ、わたし、関係ないわっ!!」
「あっ! おいっ! 待てよっ!!!」
少女は服を翻して走って去って行く。途中、転びかけたがそれでも走って行く気合と根性は大したものだろう。ドーヴィはそちらを敢えて見逃し、目の前の少年に目を向けた。
「お仲間は逃げちまったな。……さて、どうする。お前がここで土下座し、グレン閣下への無礼を詫びるなら許してやる。もちろん、二度目はないがな」
「ぐ……う……」
「それが嫌だと言うなら、お前はその貴族とかいうクソみたいな生き物のプライドを大切に抱いて、ここで死ね」
「う、ううっ!!」
ぐ、とドーヴィが剣を持つ手に力を入れ、ほんのわずかに剣先を進ませる。じりじりと進む剣に、少年は息を飲んだ。
「わ、わかった! わかりましたっ!」
そして、ドーヴィの目の前で膝をつき、頭を床に擦りつけた。
「クランストン宰相閣下への侮辱、深くお詫び申し上げます……っ!」
その続きに「だから命だけは助けてください」という言葉があるのを、ドーヴィはしっかり理解している。例え表面的な謝罪と言えども、少年は約束を果たした。
「……よし、今回の無礼だけは許そう」
ドーヴィは剣を鞘に納めた。が、少年が頭を上げるより先に、その頭を大きな手で鷲掴みにする。ドーヴィも床に膝をつき、少年の耳元へと口を寄せた。
「ただし、次はない。それから、他人が同じようにグレン閣下への侮辱を口にした時……その場にいれば、お前も同罪と見なす」
「……っ!」
「わかったな?」
無言のまま、ドーヴィに掴まれた頭を盾に振ろうとする少年。しばらく沈黙した後、ドーヴィは手を離した。
「俺以外にももう二度とやるな。他の使用人にも伝えろ、これ以上、妙なことを画策するのなら……」
「ひっ……い、言います! 伝えます、他のやつらにも!!」
「わかった。もういい、行け」
ドーヴィが追い払うように手を振ると、少年は足をさせながら走り去っていった。
「……でも、グレンのご機嫌は何も解決してねえんだよなぁ……」
その場で頭を抱えてドーヴィは呻いた。嫉妬で不機嫌になる程度ならまだしも、これをきっかけとしてグレンのメンタルが崩れたら大惨事だ。
それだけ、グレンが自分に依存していることをドーヴィは知っているし、その依存を正そうとしないのも、またドーヴィである。
☆☆☆
コサコレ男爵の執務室へ向かっていたグレンとマリアンヌだったが、応接室を出て例のドーヴィを見てからは、どちらも口を閉ざして沈黙を守っていた。
その沈黙の中でも、時折、グレンの周囲にぱちぱちと小さな小さな破裂音が響いしている。
アンドリューから、クランストン宰相閣下が魔力漏出していることがある、とは引継ぎで聞いていたマリアンヌだ。ゆえに、驚くことは無かったが……逆に、これ以上クランストン宰相の心を乱すことは絶対に避けなければならないというプレッシャーが襲う。
(あの使用人、本当に余計なことを……)
心の中で毒づいてから、マリアンヌは口を開いた。
「……閣下」
「なんだ、マリアンヌ」
「ドーヴィ殿を呼ばなくてよろしいのですか」
「いらんっ! あんな奴、知るか!」
いつでも立派なクランストン宰相が、子供の様にふてくされている。家に残してきた子供と夫を想いながら、マリアンヌは思わず苦笑を零した。
「あれは、ドーヴィ殿の意思ではないと思いますよ。どう考えても、あの使用人が無礼を働いていただけです」
「……」
「あの使用人の二人は、わざとこちらを振り向きなせんでした。本来なら、閣下にご挨拶をせねばならないのに……」
マリアンヌの言葉を黙って聞いていたグレンは、ぴたりと足を止めた。マリアンヌも、合わせて一緒に足を止める。
「閣下?」
「マリアンヌ……ほ、本当に、そうだろうか」
マリアンヌが様子を伺ったグレンは、不安そうに唇を噛み締めていた。……思わず抱きしめたくなってしまったマリアンヌだ。母性がくすぐられる。
「ええ。そうだと思います。……ああやって、ドーヴィ殿と閣下の仲を引き裂きつつ、あわよくばドーヴィ殿に取り入って便宜を図ってもらおうと言うのでしょう」
全く、愚かな使用人です、とマリアンヌは呆れた声で言った。その言葉で少しばかり踏ん切りがついたのか、グレンはのろのろと歩みを再開する。
それを見ながら、マリアンヌは恋する乙女のごとき上司の為にさらに言葉を続けた。
「そもそも、ドーヴィ殿があのような事をされて、心を揺るがすような男ではないと私は思っておりますが……」
「……それは、そうだと私は思う」
「賄賂や過度な接待を喜ぶ方ではありませんよね? ですから、ドーヴィ殿としては、迷惑だったと思いますよ」
「そうか……」
ふぅ、と吐かれた息は、多少なりとも安堵の色を含んでいた。気づけば、グレンからの魔力漏出も止まっている。
「心配でしたら、ドーヴィ殿本人に聞いてみてはいかがでしょうか」
「……いや、それには及ばん。このような細事で、時間を無駄にするわけにはいかない」
急に背を伸ばして、グレンは首を振った。その様子を見て、マリアンヌがなるほどアンドリューが急に過保護になるわけだ、とこっそり思っていたりする。
「そうですか。では夕食後などの空いた時間なら大丈夫でしょう。閣下、護衛のトラブルを把握しておくのも、大切な事だと僭越ながら申し上げさせて頂きます」
「うむ……そうか、そうだな。もし、使用人に無礼を働かれていたと言うなら……私が把握して、対応策を考えねばならんか」
真面目な方向へと舵を切ったことで、逆に自分の『嫉妬心』に言い訳がついたのか、グレンは先ほどからは打って変わって晴れやかな顔を見せた。そのまま、女性としては長身なマリアンヌを見上げる。
「さすがマリアンヌだ。素晴らしい助言をありがとう。その、ざわついていた心が、落ち着いて冷静になれたぞ」
「もったいなきお言葉です。……今後も、何かお悩みがあればいつでもご相談ください」
「ああ、そうさせて貰おう」
さりげなくグレンのサポートを延長するマリアンヌだ。仕方ない、アンドリューからは熱心に「閣下の心のケアを頼む」と言われていたのだから……。どこからどう見ても恋に悩む宰相閣下のケアを、武骨な男どもに任せてはいられない。
「安心してください閣下。閣下とドーヴィ殿の仲は私が守ります」
グレンに聞こえないところで、マリアンヌはそう決意していた。
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イチャエチしようと思ったのに……
その分、仲直り濃厚イチャエチ……
土日は更新ありません
応援ありがとうございます!
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