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本編
23)屋敷、突入
しおりを挟むコサコレ男爵の屋敷では、罵詈雑言が一方的に飛び散り、使用人たちが大慌てで様々な準備に勤しんでいた。準備、もとい証拠の隠滅である。
「クソッ、グレン・クランストンめ……!」
貴族男性としては小柄なままに、腹だけが飛び出したでっぷりとした姿のコサコレ男爵。禿げた頭を脂でぎらつかせながら、口汚くグレンを罵っていた。
「男爵様! 大変ですっ!」
「何事だっ!」
振り返れば、防具もしっかり着用できていない、だらしない格好の騎士が顔を真っ青にして立っていた。身だしなみがなっていなければ、主人に対するマナーもなっていない。
「クランストン宰相一行が既に領内に入っていると!」
「何だと!? 予定では今日の夕方到着だったはず……ええい、何とか妨害を……!」
「それが、すでに数人の騎士が馬で早駆けをしてきておりまして! もう屋敷の目の前にまで来ていると!」
「な、な、な、何だとぉっ!?!?」
視察としては異常な行動だ。貴族として、予定は守るべきもの。それを守らず、さらに騎士まで先行で動かしているという事は――完全に、クランストン宰相一行は視察ではなく、捕縛に動いている、ということ。
「ま、まずいぞ……」
「どうするんですか男爵様!」
コサコレ男爵は脂汗をかきながら思案し、そして、決断する。
「に、逃げるぞ!」
「逃げるって、どこへですか!?」
「公爵の派閥に匿ってもらう!」
「そ、そんな事……」
匿ってくれるわけないだろ、とは騎士は言いきれなかった。確かに、ここで視察団を待つよりは一縷の望みをかけてコサコレ男爵について行った方がいいかもしれない。
この騎士も、男爵の元で相当に美味しい汁を吸わせて貰っていたのだ。貴族である男爵はとにかく、平民から騎士になった自分がこの後も無事でいられるかはわからない。
「わかりました! 馬車を回します!」
「急げ!」
「ご家族はどうしますか!?」
「女は邪魔だ! 知らん! ……そうだ、宝石コレクションは持っていかねば……」
あっさりと妻子を捨てる発言をしたコサコレ男爵に対し、騎士は嫌悪の目を向ける。やはり、ついていくのは間違いなのかもしれない……。
「おい、何をぼさっとしている! 早くしないとグレン・クランストンが来るぞ!! あの、王族殺しだ!」
「!」
そうだった、今、自分たちを追い詰めているのはただの政務官や騎士ではない。あの、王族と上位貴族を屠った男だ。
男爵の一言で揺らいでいた心が一瞬で怯えに固まった騎士は、泡を食って走り始めた。少しでも遠くへ、せめてグレン・クランストン本人が来るより先に、別の領へ逃げ込まなければ。
騎士は走りながら他について来れそうな、そして腕が立ちそうな騎士にだけ声を掛ける。弱い奴は無視だ、少しでも戦力は多い方がいい。
――こうして、コサコレ男爵は数人の騎士を連れて屋敷を秘密裏に脱出したのであった。
☆☆☆
「報告します! コサコレ男爵本人の姿が見えません! 馬車も一台無い事から、逃亡を図っていると思われます!」
「追え! 馬車を使っているなら轍と馬の足跡があるだろう! 探せ!」
ガルシア団長の怒声が響く。それに敬礼した騎士達は馬を操り四方へ散らばっていった。
遅れる事しばらく、馬で先行していたガルシア達に馬車で移動していたグレン達がようやく追いついた。
すでにコサコレ男爵の屋敷にはガルシアが率いる騎士達が侵入し、使用人を集めて座らせている。
「ガルシア団長、どうなっている?」
「ハッ、コサコレ男爵ですが、現在逃亡中の様です。騎士が訪問を告げたところ、既にその姿は無かったようです。……使用人たちも何も知らなかったのか軽くパニックになりましたので、こうして身柄を抑えています」
「ふむ、わかった。まさか、この期に及んで逃亡をするとは……貴族のプライドも無いのだな、男爵は」
冷ややかな声音でグレンはそう言った。思わず、ガルシアはグレンのそばに立っているドーヴィへとそっと視線を送る。ドーヴィは静かに首を横に振った。
「残された男爵家の騎士は全て身柄を拘束済みです。すでに抵抗する気もないようで」
そう言ってガルシアに案内された屋敷の裏庭に、鎧を着た騎士たちが両手を頭の後ろに組んで座っていた。
それを見てグレンは思う。騎士にしては、随分貧弱だ、と。
何しろ、グレンはクランストン辺境領の真面目な騎士と、王都の鍛え抜かれた騎士を基準に考えている。日頃の鍛錬を欠かさない彼らに比べれば、普段から酒浸りでろくに訓練もせず、装備の手入れもしないコサコレ男爵の騎士たちは貧相に見えるのも当然だった。
「使用人も全員、拘束済みか?」
「はい。先ほどご覧になったのでほぼ全員です。……騎士にも使用人にも、大人しくしていればこちらも危害を加える事はないとだけ言ってあります」
「それでいい」
短く言ったグレンは、自分をじろじろと見る騎士達をじろりと見返した。ガルシアとの会話から、恐らく自分が『クランストン宰相』であることに気づいたのだろう。そして、その恐れていた『クランストン宰相』がまだ子供である、ということにも。
侮る視線には慣れているし、すぐにわかる。敏感に反応したグレンは、コサコレ男爵家の騎士達の前に一歩出て見下ろした。
「私がグレン・クランストンだ。君たちには、コサコレ男爵の不正について聞きたいことがある。順次政務官達が聞き取りをするが、嘘偽りなく答えるように」
そう言った直後、グレンは片手を静かに上げた。それは、何でもない仕草に見える。誰が見ても、何の注意も払わないだろう、至って普通の仕草だ。
だが。同時に、グレンの頭上に、大量の氷の槍が生成される。氷が軋む音がするだけ、それ以外は何の音も響かない。
「また、万が一、我々に武を持って抵抗しようと言うのなら。私が魔を持って、君たちをねじ伏せよう」
グレンが片手を引くと、宙に浮いた氷の槍が一本、目にもとまらぬ速さで地面へと突き刺さった。騎士達の、目と鼻の先へ。
ヒィッ、と悲鳴を上げたのは誰なのか。がたがた、鎧の擦れる音だけが裏庭に響く。
グレンはじろりと座っている騎士達……先ほど打って変わって怯えたように視線を下げ、絶対に自分と目を合わせないようにしている騎士達を改めて見渡した。
全員、大人しくなったと確信してからグレンは片手を横に振る。空中に残っていた氷の槍がフッと掻き消えた。
「……君たちが大人しく、素直に、私の指示に従ってくれるのなら、何もしないことを約束する」
誰ともなく、男爵家の騎士達はこくこくと首を縦に振った。
「ガルシア、アンドリューに言って政務官を回してくれ。聞き取りは早い方がいいだろう。男爵の行方を知ってる騎士もいるかもしれん」
「そ、それなら! 公爵の派閥の領地へ向かうと言っていました!」
座っていた騎士たちの中から、悲鳴の様な声で男爵の行く先を訴える人間が現れた。それをガルシアとグレンは一瞥したあと、顔を見合わせる。
「……今更、前公爵の派閥を頼るとは……」
「全く、コサコレ男爵が何を考えているかわからん。まあいい、ガルシア、今のは検討に値する良い話だ。その方向で調整を。それから、先ほどのとおり騎士の聞き取りを進めてくれ」
「ハッ!」
グレンはドーヴィを伴い、裏庭を後にした。後ろでガルシアが騎士達に矢継ぎ早に指示を出している声が聞こえる。
「ドーヴィ」
「どうした?」
どうも護衛としてではなく、契約者として呼んでるな、と気づいたドーヴィはすぐに隠蔽魔法を張ってから優しく、グレンに聞き返した。
「……もう少し、僕は頑張らなきゃいけない。ちょっとだけ、頭を撫でてくれないか」
「おう。お前は本当に、よくやってるよ」
頭を撫でてから、ドーヴィは少し屋敷の壁に寄ってグレンを抱きしめた。グレンがドーヴィの胸に顔を擦りつけて、呻く。
「本当は、ドーヴィがさっき馬車の中でやってくれたこと、僕の気を紛らわせるためだったんだろ? でもやっぱり、自己中心的でどうしようもない……王族や上位貴族みたいな、醜悪な貴族の姿を見たら……僕は……」
どうやら、グレンは契約のついでにたっぷりと遊んだ時の裏目的にしっかり気づいていたらしい。ドーヴィは少しだけ頭をかいた。緊張しているグレンが肩の力を抜いてくれれば、と思ったのは確かだ。
でも、別にそれを重荷に感じる必要はない。それに応えようと必死に背伸びをする必要はない。
「なあに、誰だってあんな体たらくの貴族を見れば、腹が立つだろうし嫌な気分にもなるだろうさ」
「……そう、だけど……僕は……なんか、イライラするのが、止まらなくて……本当に、腹が立って……昔の事も思い出して、泣きたくなるし……」
「冷静になれない、って言うんだろ? いいさ、お前が冷静さを欠いてやったらまずい事に手を出しそうになったら、俺が止めてやる」
「ドーヴィ……」
ぐず、とドーヴィの胸元で鼻を鳴らす音がする。宰相閣下が涙で目を腫らすというなら、人前に出るまでにそれを何とかするのが護衛兼秘書官のドーヴィの仕事だ。
「俺はお前が座って立てなくなったら、何回でも立たせてやる。だが、同時に暴走しそうになったらちゃんと止めてやる。だから、お前は安心して自分の足で立って、自分が思うように歩いていけばいい」
「うん……うん!」
「わかったな? ……いい子だ。もう少しだけ、頑張れ」
グレンはしばらくドーヴィの胸にくっついていたが、顔を離して深呼吸を繰り返した。その顔にドーヴィはそっと手を当てて、涙の痕をかき消す魔法をふわりとかける。
「……よし、いくぞ、ドーヴィ」
「ああ」
グレンは頭を振った後、背筋を伸ばして歩き始めた。そのそばにぴたりとドーヴィが寄り添う。
実年齢以上に肩を張って、伸びた背中を見ながらドーヴィは思う。さすがに、グレンにはちゃんとした休養が必要だ。何回でも立たせるし、何回でも発破をかけるが……別にグレンを追い詰めて働かせたいわけではない。
反乱の前から、グレンは一人で抱え込んで、自分が犠牲になればいいと思っている節があった。それは美点でもあるし、グレンの欠点でもある。
最近のグレンは、宰相という重荷を背負って、それをまた抱え込もうとしている。まあ、潰れる前にドーヴィに助けを求めるようになったのは、実に大きな進歩だが。
(アルチェロに無理言ってしばらく辺境に帰らせるか……)
コサコレ男爵の件が片付いたら。辺境のじいや、ばあや、そして家族に甘える時間がグレンには必要だ。優しい人たちに包まれて、穏やかな時間を過ごさなければ……グレンの心の細かな傷がますます悪化するだろうとドーヴィは睨んでいる。
ドーヴィはグレンを立たせて背中を支えたが、だからと言ってそれは心の傷が平気であるという事ではない。あくまでも、グレンは無理をしているだけだ。
屋敷の前で使用人から聞き取りを始めていたアンドリュー達に合流し、グレンが指示を飛ばすのをドーヴィはすぐそばで黙って見守っている。
「閣下、緊急の報告です」
「なんだ?」
政務官の一人が青い顔をして、アンドリューとグレンの会話へ割り込んでくる。
「使用人から聞いたのですが、この屋敷の地下に男爵が『奴隷』を集め、閉じ込めているとのことで……どうやら、我々が来ると聞いて、数日前から閉じ込めているらしく……」
「なんだと? ……アンドリュー……いや、そこの君」
「ハッ!」
直立不動で待機していた騎士を、グレンが呼ぶ。宰相閣下直々に呼ばれ、騎士は緊張した面持ちをしていた。
「今すぐ、彼と一緒に屋敷の地下を見に行ってくれないか」
「ハッ! 了解であります!」
「アンドリュー、万が一、本当だった場合に奴隷たちを保護する準備を急ぎで進めてくれ。同時に、ガルシア団長へも事の次第を連絡してくれないか」
「かしこまりました」
旧ガゼッタ王国はもちろん、クラスティエーロ王国に奴隷制度は存在しない。また、宗主国となるマスティリ帝国にもそういった制度はなく。
となると、コサコレ男爵が不法所持していたということであり、それはすなわち、コサコレ男爵の重罪の生きた証拠となるわけだった。
「……これはもう、男爵の死罪は免れんな……」
グレンは一人、ぽつりと疲れたようにつぶやく。奴隷所持だけ、襲撃未遂だけ、ならまだどうにかしようがあったかもしれないが……いや、やはりない。どうあがいても、どちらの罪も重すぎる。
「ドーヴィ、ちょっと」
「お、なんだ?」
手招きするグレンに、ドーヴィは屈んで耳を寄せる。それなりに幻惑魔法を張ってはあるから、他人の目には真面目に会話をする宰相と護衛の姿にしか見えないはずだ。
「……きもちわるい……」
「吐くか? 今吐くか!? ちょ、ちょっと待て!」
……急展開とそれに伴う様々な事が一気に降りかかったせいで、グレンの胃は限界を迎えたらしい。
ドーヴィは慌てて隠蔽魔法やら幻惑魔法やらを駆使し、グレンを隠して屋敷の物陰へと連れて行った……。
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うっぷってなっちゃうグレンくんが可愛くて……(またほんのり闇が
土日は更新おやすみです
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