『性』を取り戻せ!

あかのゆりこ

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本編

20)タバフ男爵領からの出立

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 慌ただしく準備を終えたグレン達一行は、日が落ち行く中、タバフ男爵領を出発することとなった。

「タバフ男爵、スパイだった使用人を雇っていた雇用主責任も含め、詳細は追って沙汰が渡るだろう」
「はい……クランストン宰相閣下を危険な目に遭わせたこと、何とお詫びすれば良いのか……」

 タバフ男爵は再び、地面に膝を付け、頭を擦りつけた。グレンはそうやってタバフ男爵が詫びるのをしばらく眺めてから、騎士に視線を送る。合図を受けた騎士が、タバフ男爵の肩を叩いて上体を起こさせた。

「ひとまずの詫びと気持ちは受け取った。男爵においては、妙な真似をせぬよう……」
「ハッ、このケン・タバフ、命に変えましてもクランストン宰相の指示には絶対に従います」

 そこで、ようやくタバフ男爵は立ち上がった。視察の計画を他所に漏らし、護衛対象の宰相を守れなかった罪はなかなかに重い。どうしても最低限、この場での応急的な謝罪は必要なものだった。

(うう、男爵、重いよ……そんな命預けられても困る……)

 ……元々が小心者なグレンである。重々しく頷きながらも、心の中では半べそをかいていた。

 こほん、と咳ばらいをして、グレンは半べそを表に出さないようにしながら、難しい顔を作って話し出す。

「使用人は家族を人質に取られていたという話も聞いている。タバフ男爵にも、彼にも、そう悪いようにはしないつもりだ」

 タバフ男爵が使用人の家族の身柄を抑えに騎士に走らせたところ。なんと、使用人の妻と幼い姉妹だけがいるはずだった自宅に見知らぬ男二人が上がり込んでいたのだ。当人たちは友人を名乗ったものの、男爵の厳命を受けていた騎士が男達も合わせて捕縛。

 結局のところ、その男たちはコサコレ男爵が秘密裏にタバフ男爵領に送り込んでいた騎士崩れであり、使用人の家族を人質に取って「クランストン宰相の食事に毒を盛れ」「クランストン宰相の馬車に細工をしろ」などと脅していたということが判明した。

 不幸中の幸いだったのは、使用人本人がそれらの脅しにギリギリまで抵抗し、クランストン宰相に直接危害を及ぼす行為に走らなかったことだ。もし、毒を盛っていたとなれば、いくら脅されていたとしても死刑は免れなかっただろう。

「宰相閣下のご寛大な配慮、誠に感謝します……」
「……うむ」
「……ところで……その、出発前に、少しばかり、お時間を頂きたいのですが……」
「む?」

 グレンが首を捻ると、タバフ男爵の後ろから一人の女性が歩いてくる。服装から女性だ、とわかっただけで、その顔は分厚いベールで覆われていた。黒のベールは完全に顔だちを隠しており、周囲の騎士が不審そうに視線を送りつつ、有事に備えて軽く身構える。

 騎士に制止され、グレンから数歩離れたところで止まった女性は、綺麗なカーテシーを見せた。その貴族令嬢として洗練されたカーテシーで、グレンはすぐに気がついた。晩餐を欠席した、タバフ男爵の娘だ。

「顔を上げよ」

 グレンの声に合わせて、令嬢はスムーズに上体を起こす。非常に美しい仕草は、いかに令嬢としての努力を怠ってこなかったかを表していた。

「メアリー・タバフと申します。この度は、クランストン宰相閣下にどうしてもお礼を申し上げたく、醜い顔ではありますがこの場に失礼をいたしました」
「うむ。……醜い顔などと、とんでもない。私の目からは上質な生地でできた、繊細なレースのベールしか見えぬよ」

 嘘のおべっかではなく、グレンはただ真実を述べた。それだけで、メアリーはベールの上から口元を抑え、また深くお辞儀をする。

「クランストン宰相閣下が、新しいお医者様を手配してくださったと聞きました。……不慮の事故で、顔に傷が残り、もはや絶望の人生だと思っておりましたが……お医者様に『完全に治らないし、時間もかかる、しかし傷を今より目立たなくすることはできる』『化粧で誤魔化せるぐらいにはなるかもしれない』と仰っていただきまして……」
「おお! それは良い事ではないか!」
「はい……っ! 無論、過度な期待は禁物と言われてはいますが……それでも、私にとっては、一筋の希望の光であります」
「うむ、うむ!」

 グレンは嬉しそうに何度も頷く。令嬢のか細い声での訴えを、少年宰相がご機嫌に聞いている。何かあるのでは、と身構えていた騎士達も、クランストン宰相の反応を心配そうに見守っていたタバフ男爵家の一同も、皆が緊張の糸を解いて、むしろほんわかとした雰囲気に包まれつつあった。

「……それに、クランストン宰相閣下が、顔に傷があれども眼帯で覆って、職務に励んでいるとお聞きしまして……私も、ずっと部屋に閉じこもって、貴族令嬢としての働きを何もしないのも、何と情けないことかと……」
「そ、そうか……いや、メアリー嬢、そう無理はするでないぞ。顔は令嬢の武器だと聞く。武器を失った状態で戦場に立つのが、どれだけ危険かは私もわかるつもりだ。できる事から始めていけばよい」

 ……ちょっとだけ、グレンは焦っていた。何だかんだ言って、グレンはあの変色した金色の瞳を気に入っているし、眼帯を交換するたびにドーヴィの大きな手で覆われるのが好きだったりする。つまり、グレンとメアリーでは顔の傷に対する心構えが違うのだ。

 その状態で、いかにも素晴らしい志を持った人間のように言われてしまっては、どうにも居心地が悪い。そう思ってグレンはメアリーに無理をしないようにと声を掛けたのだが……逆に、気遣われているとメアリーは感動してしまったらしい。

 ベールの下から漏れる嗚咽に、グレンはぎょっとする。年頃の女性の涙ほど、心臓に悪いものはない。

「タバフ男爵! メアリー嬢は、お疲れの様だ。どうぞ部屋で休ませてやりなさい」
「は、はい!」

 タバフ男爵夫人が慌てて飛び出してきて、娘の腕を掴んだ。そのまま、二人で略式の礼をして下がっていく。その無作法をグレンは当然のように見逃した。そういう細かい事で言い立てるような愚かな人間ではない。

「あー……タバフ男爵、メアリー嬢の傷が良くなることを祈っているぞ」
「あ、ありがたきお言葉……私どもも、クランストン宰相閣下のご武運をお祈りいたします」
「うむ」

 なんとか方向修正をし、グレンは気持ちを落ち着かせた。本来であればタバフ男爵と別れの握手をするところだが、さすがに身内扱いとなる使用人から犯罪者を出してしまっては、それは無理だ。代わりに、口頭でお互いの今後を祈る挨拶を交わし、良しとする。

 グレンは用意された馬車に乗り込み、続いて護衛兼秘書官のドーヴィが乗り込んでくる。

 扉が閉じられ、しばらく待っていれば御者の声掛けとともに、馬車はゆっくりと動き始めた。

「……波乱すぎる……」

 そう呟いて、グレンはドーヴィへ視線を送った。ドーヴィはわかったと言わんばかりに、馬車全体にいつもの隠蔽魔法含む快適馬車移動セットの魔法をかけた。

「疲れた~~~~疲れた!!」
「はっはっは、明日の方が本番だって言うのによ」
「だって! だってメアリー嬢が来るとか知らなかったし! スパイの顔とか見てたらかわいそうになっちゃったし!」
「おうおう」

 グレンは座席にぐんにゃりと体を横たわらせて叫んだ。子供の癇癪のように喚く姿は、さきほどまでの宰相としての姿からは信じられない。16歳成人がこのままだと自称になってしまいそうだ。

 そんなグレンをドーヴィは狭い馬車のなかで器用に抱き起し、自身の膝に座らせた。

 グレンの精神年齢が微妙だという疑惑は今に始まったことではないが、それでもこれだけ幼子のように駄々をこねるのは珍しい。それだけ、このタバフ男爵領でのアレコレが相当にストレスだったのだろう。

 グレンはわあわあ喚きながらドーヴィの胸に顔を埋めて、額をぐりぐりと押し当てている。ドーヴィはそんなグレンの背中をぽんぽんと叩いてやりながら「こりゃ子守の二つ名がまた強くなるな……」と遠い目をしていた。

「ドーヴィ!」
「お? なんだ?」
「料理長のクッキーが食べたい!」
「おま……なんつーワガママを……ったく、しゃーねーな、とりあえず頼みに行ってくる」

 ストレス発散のやり方が、また可愛らしいとも何とも。ドーヴィにしかできないことを甘えてやってもらうことで、自分なりに愛されていることを確認してストレス発散しようとしているのだろうか。一種の試し行動とも言えるが、何にせよ、宰相閣下殿の癇癪がクッキー程度で良かったというところだ。

 これが前任者の癇癪だったら、罪なき平民の首が2,3つは飛んでいただろう。全くもって、悪辣にすぎる。

 ふっとドーヴィは姿を消す。……頼んだ本人のグレンが、ドーヴィが姿を消したことに寂しくなってしまったのも、ご愛嬌だろう。

 そして戻ってきたドーヴィはむくれているグレンの頭を撫でつつ「料理長が特急で焼いてくれるってよ」と言った。

 なんと驚き、料理長はいつグレンから依頼があってもいいように、パイ生地やクッキー生地などはすぐに焼けるように常備しているらしい。余ったら使用人のまかないになっているようだ。グレン専用のお食事出前サービスが知らぬ間に出来上がっていたのだった。

 そういうわけで、現在進行形で料理長は特急の依頼に嬉々として対応している。あの頑張り屋で食の細い末っ子から「食べたい!」と言われることが、料理長にとっての生きがいなんだとか。

「……うむ」

 自分のワガママがすんなり受け入れて貰えたことで、少しは落ち着いたのかグレンはむすっとした顔は崩さないものの、とりあえず口は静かになった。静かになって、ぴったりとドーヴィに張り付いている。

「で、他に何かご希望はございますか、グレン閣下」

 ドーヴィが茶化すように言うと、グレンはむす~~っとした顔のまま、ドーヴィを見上げた。いつもより吊り上がった目が怒りを表している……が、どこからどうみても子供がむくれているようにしか見えない。

「……もっとぎゅーってしろ」
「はいはい。ほら、ブーツも脱がすぞ。しばらく馬車だから大丈夫だろ」
「ん」

 投げ出された足からブーツを手早く脱がし、旅の装いとして着こんでいたマントとジャケットも脱がしてやった。もちろん、本来の馬車であればこれらを着ていないと寒くて震えてしまうところだが……そこはもう、ドーヴィが事前に処置していた通りにこのグレン専用馬車の中だけは、快適な温度が保たれている。

 室内と同じような姿になったグレンは、狭い馬車の中で全身をだらしなく投げ出していた。座席から飛び出す両足、背中を壁に預けて腰まで下がった座り方。

 そんなぐにゃぐにゃになったグレンをドーヴィは改めて抱えて、命令されたとおりにぎゅうと強く抱きしめる。

「どうする、昼寝でもするか?」
「クッキー食べるから寝ない」
「りょーかい。じゃあ……魔法の話でもするか?」
「!!!」

 ドーヴィの腕の中でもぐんにゃりしていたグレンが、急に顔を上げて目を輝かせ始めた。

「お前、本当に魔法の話好きだよなあ……」
「趣味だからな! それで、どんな魔法を教えてくれるんだ?」
「まーお前が元気なら俺はそれでいいけど……そうだなあ、何かやってみたい魔法とか、あるか?」
「む……」

 考え込むグレンの頭を優しく撫でてやる。

 ……正直、ドーヴィとしてはこんなちょうど良い空き時間があるなら、それはもうアレでソレでコレなことをしっぽり楽しみたいのだ。せっかくの密室二人きりなのだから。

 ところが、今のグレンはそういうことに気を回す余裕も無さそうに見える。もはやグレンの元気メーターは空を通り越して穴がぽっかりと開いている様な状況だ。さすがに、そのような契約主に無体は働けない。

「そうだ! 人を傷つけずに捕縛するような魔法を知りたい!」
「ほーう?」
「どうしても貴族の魔法と言えば攻撃一辺倒で、そう言った搦め手はあまり研究されていないのだ……。だが、コサコレ男爵の件もある、僕もそういう魔法が使えるようになった方が良いのではないかと思って」

 確かに、とドーヴィも考え込む。てっきり、あれだけ魔法に通じているのだから、そういったものも習得しているのかと思ったが……思い返してみれば、グレンが攻撃魔法以外を使っているのをほとんど見たことがない。

「なるほどなぁ。んー、じゃあ、大量の泥で相手の体を固めて動けなくする魔法をだな――」

 ドーヴィの魔法講座を、グレンは興味津々に目を輝かせて聞く。その合間に、料理長お手製のクッキーを挟みながら。

 こうして、グレン達の夜は健全に、至って健全に更けていった。



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癇癪爆発するグレンくんが可愛くて可愛くて
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