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本編
13)男爵家との晩餐
しおりを挟むグレンが案内されたた晩餐室には、すでにタバサ男爵家の面々が着席してクランストン宰相の到着を待っていた。下位の者が先に着席し、上位の者が後から入室する。貴族としての礼儀をしっかり守っている事に、グレンはひっそりと安堵の息を吐く。どこぞの伯爵とは大違いだ。
見れば、晩餐室は王城にあるものと違いお世辞にも広いとも豪華とも言えず……その簡素さで逆に気軽さを覚えるグレンだ。クランストン辺境領の城にあった晩餐室よりもかなり手狭に見える。
使用人に椅子を引かれ、グレンはタバフ男爵の向かい側に座った。本来であれば、グレンの隣には同行している派閥の貴族が座るものだが、まだ派閥というものが存在しないグレンは一人だ。
座ったところで、グレンの頭の上にぽん、と大きな手が置かれる。一瞬、頭の上を見そうになってグレンはぐっと我慢した。透明になって存在を消したドーヴィはすぐ後ろにいてくれるらしい。それを思うと、どこかむずむずとした笑いが込みあがりそうになる。
「……晩餐の前に、クランストン宰相閣下に謝罪を」
「ああ」
すでにアンドリューからこの事は聞いている。目の前でタバフ男爵達が立ち上がり、自分に深く頭を下げるのをグレンは落ち着いて見ていた。
「先ほどは、私の手違いで大変なご迷惑をおかけいたしました。深くお詫び申し上げます」
「うむ。謝罪を受け入れよう」
「寛大なご対応、ありがとうございます」
タバフ男爵は、本当に心底申し訳ないと思っている。グレンには確かに伝わった。反乱後から、手のひらを返してグレンに擦り寄ってきた貴族とは違うなあ、とグレンは心穏やかにタバフ男爵を見守っている。
「改めまして、私がこの領地を治める代官であります、ケン・タバフでございます」
「グレン・クランストンだ。この度は視察の受け入れ、感謝する」
そう言ってグレンは手を差し出した。これは、先ほどの謝罪は確かに受け入れたとの意志表示でもあり、これからもよろしく頼む、という将来性を示唆するものである。
さて、従来の上位貴族に家畜のごとく扱われていたタバフ男爵が、上位貴族である存在から手を差し出されればどうなるか。
「お、おお……!」
感動に噎び泣きながら、グレンの手を固く握って力強く握手をしたのだった。またしてもタバフ男爵のクランストン宰相への信奉心が高まりを見せてしまう。
(……なんかちょっと、暑苦しくて怖いな……)
残念ながら、信奉されている側のグレンはちょっとだけ引いていた。それはそうだろう、握手をしただけで号泣されたら怖い。シンプルに怖い。
世界が世界なら、今頃タバフ男爵は『推しうちわ』でも作ってぶんぶん振っていたかもしれない。幸いにしてこの世界にはそういった文化は実装されていないようだった。グレン、セーフ。
何はともあれ、無事に和解したことでタバフ男爵のご家族の皆様もほっと安堵の息を吐いていた。いくら事前に大丈夫だと言われていても、上位貴族当人を目の前にしては生きた心地がしなかっただろう。突然、気が変わった! 今から処刑する! と言われる可能性も十分にあったわけだ。
「……こほん、では、我が領地の特産品を使った料理をお楽しみください。宰相閣下の舌に合えば幸いでございます」
「うむ」
タバフ男爵の合図で、給仕がグレンの前に皿を置く。色とりどりの野菜が使われた6種の前菜はそれぞれが一口サイズであり、どれもがさっぱりとした味わいでグレンは舌を楽しませた。
王都の香辛料をこれでもかとふんだんに使った『贅沢な前菜』とは全く違う。素材の味を活かす辺境の料理ともまた違う工夫が施されており、グレンの胃が珍しくちょっとだけ食欲を思い出すほどだった。
今日の晩餐は安心できそうだなぁ、と思っていたグレンは事前に読み込んでいた報告書について思い出す。
「これらの野菜は、この領地のものか? 確か、名産は海産物であり農業はそこまで盛んではないと聞いていたが」
「は、はい、閣下の仰る通りです。こちらの野菜は他の領から取り寄せたものでして……海産物の方は、メインディッシュに使わせて頂いております」
「おお、それは楽しみだ」
貴族の晩餐と言えば、親交を深めるだけではなく情報交換をすることも大切だ。特に、視察という目的があって来訪している今回については。
グレンはタバフ男爵の説明を聞いてふむ、と頭を働かせている。他の領地との関係は良好らしい、客に出せるほどの名産品が領にある、しかもメインに据えるほどのことができる品質、そしてそれらをタバフ男爵はしっかりと把握している……などなど。
前菜美味しいなぁ、と思っているグレンと、真面目に領地について考察するクランストン宰相は同一人物であるのだ。一応。ちなみにアンドリューもマリアンヌも、その他政務官のみなさんもどちらの宰相閣下も誠に最高だと信じている過激派である。
次に提供されたスープを一口飲み、グレンは目を輝かせた。
「これは美味だな!」
「はっ、そちらは海で獲れたものから出汁をとっておりまして――」
深くコクのある透き通ったスープ。海のないクランストン辺境領ではお目にかかれない珍しい味であったが、すぐに美味しいと言えるほどにインパクトが強かった。
どこかまだおどおどしていたところのあったタバフ男爵も、自領の事となれば饒舌になるのか顔を緩めて料理や料理に使われている素材の説明をする。
メインディッシュは、近海で取れる魚を使った香草焼きだった。香草、と聞いて一瞬だけグレンは眉をひそめたが、実際に出てきたのはスパイシーでありながらも舌に残らず、ついついフォークとナイフが進んでしまうもの。ほろほろと崩れる魚の身を、香草が下支えして包み込んでいるのがまた美味である。
「実に素晴らしい料理だ。男爵家の料理長は、卓越した手腕をお持ちのようだな」
「ありがたいお言葉です。料理長に閣下のお褒めの言葉をまた伝えておきましょう」
「うむ。……また、この様な者を雇い入れているタバフ男爵も慧眼をお持ちの様だ」
「それは、恐悦至極に存じます」
笑顔と共に言い渡された言葉に、タバフ男爵は額に浮かんだ汗を拭きながら、喜びを表明した。
食事を通してグレンがタバフ男爵とその領地を探ったように、タバフ男爵もまた、目の前の少年の人となりを探っている。そして出た結果は……もはや言うまでもなく『素晴らしいお方』であった。
従来の上位貴族や前公爵であれば、用意させるだけさせておいて、わざわざタバフ男爵の目の前で「こんな臭い料理食えるものか」と腐して地面に料理をぶちまけるといった非道を繰り返してきた。
それがどうだ、男爵にとって上位貴族となる辺境伯、そして宰相であるこの少年は最初から美味しい美味しいと言いながら料理を食べてくれている。無論、それがお世辞であったとしても、タバフ男爵のもてなしを受け入れてくれているというだけで、その人柄の良さが伝わってきた。
……むしろ、これまでの上位貴族はほんと何やってんだと言わざるを得ないほどの悪逆ぶりである。グレンが反乱を起こすと決めてその噂が広まってから、各地の下位貴族が一斉に支援に動いたと言うのも納得しかない。
最後にデザートと食後の茶が給仕され、グレンは口を開いた。
「さて、遅くなってしまったが……男爵、ご家族を紹介いただいても良いかな?」
「はい!」
同席していたタバフ男爵の家族へ話を向ける。と、いうのも、最後に家族を紹介してくれ、というのは「この晩餐に大変満足しました」との意味をあらわす。貴族用語は実に難しい。
本来は、当主が答えられない質問に代理で答えるために同席しているだけであり、今回はタバフ男爵が全てにすらすらと回答したことで、ここまで一言も発していない。そして晩餐が終われば、名乗ることもなく存在は無かったことになる。
ここで、上位貴族であるグレンから家族の紹介を求められたということは、当主以外とも親交を深めていきたい、ということであり、下位貴族にとっては喉から手が出るほど欲しい上位貴族とのつながりを得ることになる。
タバフ男爵は嬉々として夫人と自慢の息子たちを紹介した。特にグレンと年の近い、次期男爵候補である長男の紹介には気合が入る。
その様子に内心で苦笑しながら、ふとグレンは気が付いた。
「失礼、男爵には娘もいたと伺っているのだが」
その瞬間、晩餐室内の空気が凍った。タバフ男爵だけでなく、夫人も顔色を悪くする。突然の様変わりに、グレンはすぐに只事ではない事を察した。
「……その、娘は……体調を悪くしていまして……」
「ふむ……もしやそれは、前公爵の仕業か?」
「!」
グレンの鋭い指摘に、タバフ男爵は肩を飛び上がらせた。こういう時にポーカーフェイスで流せないところが、下位貴族と言えばそれまでなのだが。
とにかく、男爵が大きな反応を示したことで、グレンは確信する。事前の報告で未確認、として挙げられていたが、どうやら本当の事のようだ。具体的な内容については報告書に乗っていなかったためにグレンは詳しく知らないが、何でも前公爵の横暴により、体に傷が残っているのだとか……。
年頃の娘がそのような傷を負えば、人前に出るのも嫌がるだろう。特に美を貴ぶ貴族ともなれば。グレンとて、変色してしまった瞳をずっと眼帯で覆い隠しているのだ。
「タバフ男爵。明日、我が視察団がそういった案件についても調査に入る事になっている。表には出しづらい事もあるかもしれぬが、できる限り協力して頂きたい」
「……は……」
これまでの饒舌ぶりから打って変わった歯切れの悪さに、グレンは少し考えこむ。そして、自らの眼帯を撫でた。
「……この眼帯の下には、上位貴族につけられた傷が残っている」
「! そ、それは反乱の際に、ケガを……?」
「いや違う。その前だ。……私も辺境伯とは言え、上位貴族の中では最下位の爵位であるし、子供であったからな」
そう言ってグレンは重いため息をついた。厳密には傷ではないし、上位貴族に直接つけられたものではないが……ある程度の嘘も、貴族として生きていくには大切なものだ。
「幸いにして、良い医者に巡り合えたことで時間はかかるが完治の目途は立っている」
グレンは、上位貴族という立場から降りて、タバフ男爵と同じ位置に立って語った。自分も同じように、上位貴族に傷つけられた存在であると。
それを明かせば、タバフ男爵がグレンの事を舐めてかかるかもしれない。あるいは、『傷物宰相』として悪い噂が流れるかもしれない。反乱でつけられた傷なら戦士の勲章とも言えるが、平時に傷つけられたとなれば、それは貴族としてとてつもない醜聞である。
それでも、グレンはタバフ男爵を想い、自らの秘密を明かした。
「必要であれば、王都から腕の良い医者を呼ぶこともできる。あるいは、我が視察団にも王立騎士団の医務官が帯同しているから、そちらに様子を見せることも可能だ。……だから、男爵も希望を捨てないで欲しい」
「っ! ま、誠ですか……っ!」
「もちろんだとも。アルチェロ陛下からそういった許可も貰っている。故に、明日の聞き取りにはぜひ協力して頂きたいのだ」
タバフ男爵の瞳から、涙が零れ落ちる。挨拶を交わした時とは違う涙だった。
「あなた……もしかしたら……!」
「ああ、ああ! 治るかもしれん……!」
男爵夫人がたまらず、男爵本人の腕を掴む。グレンとの会話中に男爵へ声を掛けるなど、とんでもない粗相であるが……グレンはそれを見なかったことにした。そういうものに目くじらを立てるより、目の前にあるかぼちゃを使ったプチケーキの方が重要だ。
わざとグレンは男爵夫妻から視線を外し、プチケーキを口に運ぶ。一口サイズのプチケーキはかぼちゃの甘味が存分に発揮されており、非常に美味であった。王都のデザートにありがちな、過度な甘さがないのも良い。
(治るような傷だといいなぁ……)
希望を与えておいて、やっぱり駄目でしたとなるとグレンの方が心苦しい。垂らされた希望に縋り、つかの間の喜びを分かち合う男爵家を見ながらグレンはお茶とともにその想いを飲み込んだ。
---
世界が世界なら「クランストン宰相ファンクラブ」はできていたし、推しうちわに推しペンライトにその他もろもろのグッズで溢れかえって執務室は大変な事になっていたと思います……(深刻
あとタバフ男爵の海鮮フルコース私も食べたいめっちゃ美味しそう
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