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本編
2)愛と子守の悪魔
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その夜。王城でグレン・クランストンに割り当てられた客室にて。巨大なベッドに潜り込んで健康的な時間に入眠しようとしていたグレンは不安そうな顔でドーヴィを見上げた。
「ドーヴィ……何か、困っていることでもあるのか?」
「ん? いや、別に……」
「そ、そうか。何だか、夕方あたりから眉間に皺が寄っているような気がしたのだが」
そう言われてドーヴィは思わず自身の眉間に指を這わせた。ポーカーフェイスには自信があると思っていたが、どうやらこの契約主には見抜かれてしまったらしい。その鋭さに嘆息しつつ、ドーヴィはベッド端に腰かける。
「あー、大した事じゃないんだが」
「! なんだドーヴィ、僕ができる事なら何でも相談してくれ!」
体を休めるために、と早めに寝転がっていたグレンが勢いよく毛布を跳ねのけた。その勢いに、ドーヴィの方が気圧される。
「お、おう……いやほんと、お前にとっては全然大した事じゃないっつーか」
「僕にとって大したことじゃなくても、ドーヴィにとっては困りごとなんだろう? 僕だって、ドーヴィのために何かしてやりたいんだ。いつもいつもドーヴィには守って貰って支えて貰って……僕だって、ドーヴィに恩返しをしたい!」
必死に訴えるグレンの言葉にドーヴィは「立派に育って……」と感慨深く思い……慌てて頭を振った。だめだ、二つ名の強制力に引っ張られているかもしれない。
その様子を見たグレンがさらに顔色を悪くしてドーヴィの様子を伺う。
「ドーヴィ、大丈夫か?」
「大丈夫だ、何でもない」
自分が過保護にされているからなのか、それともドーヴィを失うことが恐ろしいのか、意外とグレンはドーヴィに対して過保護だ。保護できているかは別問題として、とにかく、何かあればすぐに心配してくる。ドーヴィは悪魔であって、風邪なんてものとは無縁だというのに。
ドーヴィは起きてしまったグレンを寝かしつけるように肩を押して――ふと思った。
グレンにできること。むしろ、グレンにしかできないこと。
「なあグレン、俺の悩みなんだが聞いてくれるか」
「! もちろんだ! 何でも、僕ができることならいくらでも協力しよう!」
「そりゃあ頼もしいねえ」
どん、と胸を張るグレンを見て、ドーヴィはにやりと笑った。
「……え?」
普段なら肩を押して毛布をかけるところ、ドーヴィはグレンを押し倒してそのまま自身もベッドに乗り上げる。そしてグレンに跨って両手を顔の隣に置いた。
「俺の二つ名がさ、『愛と子守の悪魔』になっちまって」
「えっ……」
「俺にもインキュバスとしてのプライドがあるわけよ。となったら、『性』を取り戻すしかねえなって」
「えっ、えっ」
驚いて絶句しているグレンにドーヴィは喉奥で笑いを漏らした。言葉が出なくなってしまった唇を塞ぎ、グレンの眼帯に覆われていない片目を覗き込む。紫がかった赤い瞳は、まん丸に広がって少年らしい幼いとも言える顔つきになっていた。
「何でも、僕にできることなら。そう言ったよな、グレン?」
ぺろ、と煽るように唇を舐めたところで、ようやく正気を取り戻したのか、グレンの顔が一気に赤く染まった。あまりの変化っぷりに、ドーヴィは面白いものを見たとばかりに楽し気に目を細める。
「ま、ま、待て、確かに僕は、何でも、とは、言った、けど……こっ、心の準備が!」
「へえ、心の準備が。ところで、俺はまだ何をして欲しいとも言ってないんだが……グレンは、心の準備が必要な何を想像したんだ?」
「っ!!」
アカを通り越して真っ赤、ゆでだこのごとく真っ赤になったグレンはぐいっと覆いかぶさったドーヴィの両肩を押した。もちろん、グレンの華奢な両腕から繰り出される押し出しなんて、悪魔であるドーヴィには何の威力もない……が、ドーヴィは大人しくグレンの勢いに合わせて体を起こした。
「ドーヴィ! 僕が、真面目に心配しているというのに!」
「ハッハッハ、悪かったよ、お前が初心すぎてつい揶揄いたくなっちまって」
「初心で悪かったな!」
可愛らしい契約主はへそを曲げてしまったらしい。ドーヴィから顔を背けて、逃げるように寝返りを打つ。……まあ、ドーヴィは跨ったままなので、本当に逃げようというつもりはないのだろう。あくまでも、いじわるな悪魔に対する意思表明らしい。
「悪かったって、機嫌直せよ」
「いやだ。もう寝る」
「そう言うなって」
グレンの体を抱き起して、ドーヴィは膝に乗せた。小柄なグレンは大柄なドーヴィの腕の中にすっぽりと納まる。
へそを曲げて不機嫌になったとしても、こうしてドーヴィが抱きしめれば嫌がらないのがグレンだ。そこがまた可愛い、と思いつつ、ドーヴィはあやすようにつむじに口づけを落とす。
「ごめんな、ちょっと揶揄いすぎたか?」
「……揶揄いすぎだ」
むすっとした声のまま、グレンはドーヴィの男らしい肩口にぐりぐりと頭を押し付ける。ドーヴィは再度「悪かったよ」と本日数度目の謝罪をしつつ、グレンの頭を撫でた。
久々に湯呑みをしたグレンの髪はさらさらとしていて、手触りが良い。さらに、この世界では貴重な香り付き石鹸を用いたことで、非常に良い匂いがしていた。これも、この国のナンバー2となったグレンの特権だろう。それぐらい、特権を享受しなければまだ若いグレンに宰相の地位は荷が重すぎる。
ドーヴィが存分にグレンの頭を堪能していると、グレンの両手がドーヴィの服を掴んだ。
「……でも、本当にドーヴィが困っているなら……ぼ、僕は、別にいいんだぞ」
「ぐっ」
耳まで赤くて恥ずかしながら告白する可愛すぎる腕の中の契約者に胸を撃ち抜かれつつ、ドーヴィは深呼吸をした。危ない、本当に危ない。理性が吹き飛びそうになる。
「気持ちはありがてえんだけどな? まあ、コンプライアンスもあるし、お前の体調もあるから……」
「そ、そうか……僕が18歳になってから、だったな」
グレンはどことなくホッとしたような、残念そうな声音でそう言った。ドーヴィはやっぱりこれ襲ってもいいんじゃないか? と思い始めていた。
まあとにかく。この世界を管理する天使集団によれば、例え国の法律上で成人済みだとしても、性行為は18歳以上でなければ致してはならないらしい。ドーヴィはかなりコンプライアンスを順守する悪魔であったので、真面目にグレンが18歳になるまで手を出さないように努めている。
努めているはずなのに、肝心の天使基準未成年男のグレンの方が定期的にドーヴィの理性を爆破してくるのだからこの世は実にままならない。
「だがドーヴィ、思うのだが……ちょ、ちょっとぐらいなら、いいんじゃないか。僕も成人していることだし」
……頬を赤く染めて、腕の中でもじもじしていた可愛らしい契約主が上目遣いで「ちょっとぐらい」と言ってきて、我慢できる悪魔がいるだろうか?
いやいない。
「それもそうだなグレンの言う通りだちょっとぐらいアリだなアリ」
ドーヴィは大きく頷いた。グレンに召喚されてこの方、鉄壁の守りを見せていた理性もついに綻びを見せてしまった……!!
しかも、ドーヴィが同意を示した瞬間に、グレンが嬉しそうに顔を綻ばせるのだからたまったものではない。ドーヴィよりグレンの方がよほど、悪魔的であった。悪魔だ悪魔、理性を爆破する悪魔。
ふと、どこか期待に満ちた視線を向けてくるグレンを見下ろしながらドーヴィは思う。グレンはドーヴィを召喚する前から、厳しい生活を強いられてきた。死ぬまで追い詰められていたあの時の姿を見ていれば、今の楽しそうな姿に思うところもある。
(まあ、天使が文句を言ってきたら追い払えばいいか)
内心で苦笑を零しつつ、どことなく片目を輝かせているグレンの顎をドーヴィは片手でくいっと持ち上げた。
「ん」
いつもと同じキス。唇を触れ合わせて、温かさを交わすだけの、甘やかな口づけ。
ドーヴィはそうっとグレンの後頭部を掴み、逃げられないようにする。グレンが違和感を覚える前に――ドーヴィは舌先でグレンお唇を割り開いた。
「!」
ぬる、とグレンの唇の裏側に、ドーヴィの舌が滑り込んだ。その刺激に固まっているグレンの後頭部を、とんとん、とドーヴィは合図する。……それで伝わったのか、グレンはおずおずと口を自ら開いてドーヴィの舌を招き入れた。
「んんっ」
ドーヴィはインキュバスだ。百戦錬磨の淫魔であり、ディープキスなんて数えきれないほどこなしてきている。
それでも、歴代の召喚者と違って、未経験だろうグレンの口内を弄るのは、非常に楽しかった。
どうしたらいいのかわからないグレンの舌を追いかけ、絡めとり。引き出すようにしながら、舌の裏を舐め、舌先を唇で食み。わざといやらしい水音を立てながら、口内を好きに暴れ回る。
「ふっ、んっ」
未知の感覚に本能が怯えているのか、頭を離そうとするグレン。それがわかったドーヴィは、頭を押さえつけることなく口を離した。二人の間に、銀の糸が垂れる。
「ぁ……」
グレンは口を薄く開いて、息を漏らした。ドーヴィはその唇に、親指を這わせる。
「どうだ、初めての大人のキスは」
「う……えっと……」
「なんだ、わからないならもう1回やるか」
「! まっ……んっ!」
ドーヴィがもう一度噛みつく。グレンはどうしたらいいかわからないままに、再度ドーヴィの舌を受け入れた。
粘膜同士が触れると、ぬるぬるとした感触がする。それだけじゃない、触れ合ったところから、グレンの知らないぞくぞくしたものが這い上がってくる。怖い、けど、あったかくて、気持ちがいい。
ドーヴィの舌は、縦横無尽の自分の口の中を動き回っていて。自分の舌が自分のものじゃなくなったみたいに、口の中で踊らされる。唇の裏同士がぬるぬると滑るのが気持ちいい、ドーヴィの舌が自分の口の中を舐めて回るのが気持ちいい。
(ぜんぶ、きもちいい……)
酸欠になりそうな頭で浮かんだ言葉に、グレンは自分でハッと気が付いた。気持ちがいい、これが、性的快感なんだ、と。そう思った瞬間、途端に今感じているぞくぞくが腰のあたりに溜まっていく気がしてくる。
形が無かったぼんやりとしたものが、明確に形を持ってグレンに襲いかかる。子供のよくわからないけど気持ちいい、から、大人の性的快感へ、と形を変えて。
「はっ、は……」
ドーヴィが口を離した一瞬に、慌てて息を吸う。ふとドーヴィの顔を見れば、獰猛な笑みを浮かべていた。グレンは知っている、この顔を。これは――召喚した時の、ドーヴィだ。
待て、とグレンが拒絶するより先にドーヴィがまた舌を挿入してくる。逃げたくても、ドーヴィの大きな手が後頭部をしっかりと捕まえていて、グレンは逃げることができない。
そうして、散々にドーヴィに口内を嬲られた後。ようやく解放されたグレンは、肩で大きく息をついてぐったりとしていた。
「おっとやりすぎたか。鼻で息すりゃいいんだよ鼻で」
「は、はなって……う、うぅ……」
初めての経験に翻弄されたグレンは、生理的に目から涙を零してした。眼帯に覆われていない片目から、ぽろりとしょっぱい水滴が落ちていく。
「気持ちよすぎたか? 怖かったか?」
その水滴をドーヴィが舐めながら、あやすように言った。その問いかけに、グレンは小さく頷く。気持ち良かったし、怖かった、両方ともドーヴィの言ったとおりだ。
よだれでべたべたになった口元を、ドーヴィの大きな手が撫でる。撫でた後から、グレンの口周辺は湯呑みをした直後のようにきれいになった。
そこがきれいさっぱりしたとしても、グレンのドキドキは止まらないし、荒くなった息も止まらない。
グレンは湧き上がる想いと、未知の経験に恐怖する心のままに、ドーヴィの胸に顔を埋めた。
「……まだ、お前も体調が万全じゃないからな。今日はこれぐらいにしておくか」
「……ん」
ドーヴィはしがみついてきたグレンの頭を撫でてから、グレンを膝から降ろしてころんと転がした。
そりゃあドーヴィとて、このまま先に進みたいところだ。しかし、コンプライアンスうんぬんを置いておいても、今の食欲不振に不眠に魔力障害に……と不健康のオンパレードなグレンに無体を働く気はないし、なれない。
たまに見るグレンの服の下、やせ細って肋骨が浮いた体には、性欲よりも「もっと美味しい物たくさん食べるんだぞ」と違う方向の食欲と庇護欲が湧いてきてしまう。
大人しくベッドに寝転がったグレンにドーヴィは毛布をかけてやった。そして速やかに眠れるようにぽんぽん、とリズムよく優しく体を叩く。
(……こう言う事するから、子守の悪魔になっちまったんだよなぁ……)
そう思えども、これが楽しいのだから仕方がない。自分の手でグレンがとろんとした瞳を見せ始め、穏やかな眠りに入っていく姿を見るのは楽しい、楽しすぎる。世の中に性行為以外にこんなに楽しいものがあるとは、ドーヴィも知らなかったのだ。
「なあドーヴィ」
「なんだ」
グレンの問いかけに、ドーヴィは優しく答えた。
呼吸も落ち着いてきて、ほどよく興奮で温まった体のおかげで急激に眠気が襲ってきたグレンは、起きたままのドーヴィに手を伸ばす。
「ドーヴィ、今日は一緒に寝て欲しい」
「んぐっ……お、お前、さっきの今でそれは……」
グレンは、純粋に添い寝をして欲しかっただけだ。ドーヴィの逞しい腕に囲われて、分厚い胸板に頬を寄せて、体温を感じながら眠りたい。それがとても気持ちが良くて、幸せな事だとグレンは知っているから。
さきほどの深い口づけとは違う、もっと甘くて暖かい気持ちが良い、だ。
「……だめか?」
眠気に負けて、舌ったらずになったグレンが催促する。そう言われて断れる男がいるだろうか? いやいない。いるわけがない。
ドーヴィは速やかにグレンのそばに身を滑り込ませて、可愛い契約主が望むままに小柄な体を抱え込んだ。胸元で、グレンが嬉しそうに笑う声がくぐもって聞こえる。
「おやすみ、ドーヴィ」
「……おやすみ、グレン。良い夢を」
どうしてこうなった、と思いながらも、不健康な契約主の健やかな睡眠を願ってドーヴィは頭頂部にそっと唇を落とした。ついでに綻んでいた理性は鉄壁に戻しておいた。
「ドーヴィ……何か、困っていることでもあるのか?」
「ん? いや、別に……」
「そ、そうか。何だか、夕方あたりから眉間に皺が寄っているような気がしたのだが」
そう言われてドーヴィは思わず自身の眉間に指を這わせた。ポーカーフェイスには自信があると思っていたが、どうやらこの契約主には見抜かれてしまったらしい。その鋭さに嘆息しつつ、ドーヴィはベッド端に腰かける。
「あー、大した事じゃないんだが」
「! なんだドーヴィ、僕ができる事なら何でも相談してくれ!」
体を休めるために、と早めに寝転がっていたグレンが勢いよく毛布を跳ねのけた。その勢いに、ドーヴィの方が気圧される。
「お、おう……いやほんと、お前にとっては全然大した事じゃないっつーか」
「僕にとって大したことじゃなくても、ドーヴィにとっては困りごとなんだろう? 僕だって、ドーヴィのために何かしてやりたいんだ。いつもいつもドーヴィには守って貰って支えて貰って……僕だって、ドーヴィに恩返しをしたい!」
必死に訴えるグレンの言葉にドーヴィは「立派に育って……」と感慨深く思い……慌てて頭を振った。だめだ、二つ名の強制力に引っ張られているかもしれない。
その様子を見たグレンがさらに顔色を悪くしてドーヴィの様子を伺う。
「ドーヴィ、大丈夫か?」
「大丈夫だ、何でもない」
自分が過保護にされているからなのか、それともドーヴィを失うことが恐ろしいのか、意外とグレンはドーヴィに対して過保護だ。保護できているかは別問題として、とにかく、何かあればすぐに心配してくる。ドーヴィは悪魔であって、風邪なんてものとは無縁だというのに。
ドーヴィは起きてしまったグレンを寝かしつけるように肩を押して――ふと思った。
グレンにできること。むしろ、グレンにしかできないこと。
「なあグレン、俺の悩みなんだが聞いてくれるか」
「! もちろんだ! 何でも、僕ができることならいくらでも協力しよう!」
「そりゃあ頼もしいねえ」
どん、と胸を張るグレンを見て、ドーヴィはにやりと笑った。
「……え?」
普段なら肩を押して毛布をかけるところ、ドーヴィはグレンを押し倒してそのまま自身もベッドに乗り上げる。そしてグレンに跨って両手を顔の隣に置いた。
「俺の二つ名がさ、『愛と子守の悪魔』になっちまって」
「えっ……」
「俺にもインキュバスとしてのプライドがあるわけよ。となったら、『性』を取り戻すしかねえなって」
「えっ、えっ」
驚いて絶句しているグレンにドーヴィは喉奥で笑いを漏らした。言葉が出なくなってしまった唇を塞ぎ、グレンの眼帯に覆われていない片目を覗き込む。紫がかった赤い瞳は、まん丸に広がって少年らしい幼いとも言える顔つきになっていた。
「何でも、僕にできることなら。そう言ったよな、グレン?」
ぺろ、と煽るように唇を舐めたところで、ようやく正気を取り戻したのか、グレンの顔が一気に赤く染まった。あまりの変化っぷりに、ドーヴィは面白いものを見たとばかりに楽し気に目を細める。
「ま、ま、待て、確かに僕は、何でも、とは、言った、けど……こっ、心の準備が!」
「へえ、心の準備が。ところで、俺はまだ何をして欲しいとも言ってないんだが……グレンは、心の準備が必要な何を想像したんだ?」
「っ!!」
アカを通り越して真っ赤、ゆでだこのごとく真っ赤になったグレンはぐいっと覆いかぶさったドーヴィの両肩を押した。もちろん、グレンの華奢な両腕から繰り出される押し出しなんて、悪魔であるドーヴィには何の威力もない……が、ドーヴィは大人しくグレンの勢いに合わせて体を起こした。
「ドーヴィ! 僕が、真面目に心配しているというのに!」
「ハッハッハ、悪かったよ、お前が初心すぎてつい揶揄いたくなっちまって」
「初心で悪かったな!」
可愛らしい契約主はへそを曲げてしまったらしい。ドーヴィから顔を背けて、逃げるように寝返りを打つ。……まあ、ドーヴィは跨ったままなので、本当に逃げようというつもりはないのだろう。あくまでも、いじわるな悪魔に対する意思表明らしい。
「悪かったって、機嫌直せよ」
「いやだ。もう寝る」
「そう言うなって」
グレンの体を抱き起して、ドーヴィは膝に乗せた。小柄なグレンは大柄なドーヴィの腕の中にすっぽりと納まる。
へそを曲げて不機嫌になったとしても、こうしてドーヴィが抱きしめれば嫌がらないのがグレンだ。そこがまた可愛い、と思いつつ、ドーヴィはあやすようにつむじに口づけを落とす。
「ごめんな、ちょっと揶揄いすぎたか?」
「……揶揄いすぎだ」
むすっとした声のまま、グレンはドーヴィの男らしい肩口にぐりぐりと頭を押し付ける。ドーヴィは再度「悪かったよ」と本日数度目の謝罪をしつつ、グレンの頭を撫でた。
久々に湯呑みをしたグレンの髪はさらさらとしていて、手触りが良い。さらに、この世界では貴重な香り付き石鹸を用いたことで、非常に良い匂いがしていた。これも、この国のナンバー2となったグレンの特権だろう。それぐらい、特権を享受しなければまだ若いグレンに宰相の地位は荷が重すぎる。
ドーヴィが存分にグレンの頭を堪能していると、グレンの両手がドーヴィの服を掴んだ。
「……でも、本当にドーヴィが困っているなら……ぼ、僕は、別にいいんだぞ」
「ぐっ」
耳まで赤くて恥ずかしながら告白する可愛すぎる腕の中の契約者に胸を撃ち抜かれつつ、ドーヴィは深呼吸をした。危ない、本当に危ない。理性が吹き飛びそうになる。
「気持ちはありがてえんだけどな? まあ、コンプライアンスもあるし、お前の体調もあるから……」
「そ、そうか……僕が18歳になってから、だったな」
グレンはどことなくホッとしたような、残念そうな声音でそう言った。ドーヴィはやっぱりこれ襲ってもいいんじゃないか? と思い始めていた。
まあとにかく。この世界を管理する天使集団によれば、例え国の法律上で成人済みだとしても、性行為は18歳以上でなければ致してはならないらしい。ドーヴィはかなりコンプライアンスを順守する悪魔であったので、真面目にグレンが18歳になるまで手を出さないように努めている。
努めているはずなのに、肝心の天使基準未成年男のグレンの方が定期的にドーヴィの理性を爆破してくるのだからこの世は実にままならない。
「だがドーヴィ、思うのだが……ちょ、ちょっとぐらいなら、いいんじゃないか。僕も成人していることだし」
……頬を赤く染めて、腕の中でもじもじしていた可愛らしい契約主が上目遣いで「ちょっとぐらい」と言ってきて、我慢できる悪魔がいるだろうか?
いやいない。
「それもそうだなグレンの言う通りだちょっとぐらいアリだなアリ」
ドーヴィは大きく頷いた。グレンに召喚されてこの方、鉄壁の守りを見せていた理性もついに綻びを見せてしまった……!!
しかも、ドーヴィが同意を示した瞬間に、グレンが嬉しそうに顔を綻ばせるのだからたまったものではない。ドーヴィよりグレンの方がよほど、悪魔的であった。悪魔だ悪魔、理性を爆破する悪魔。
ふと、どこか期待に満ちた視線を向けてくるグレンを見下ろしながらドーヴィは思う。グレンはドーヴィを召喚する前から、厳しい生活を強いられてきた。死ぬまで追い詰められていたあの時の姿を見ていれば、今の楽しそうな姿に思うところもある。
(まあ、天使が文句を言ってきたら追い払えばいいか)
内心で苦笑を零しつつ、どことなく片目を輝かせているグレンの顎をドーヴィは片手でくいっと持ち上げた。
「ん」
いつもと同じキス。唇を触れ合わせて、温かさを交わすだけの、甘やかな口づけ。
ドーヴィはそうっとグレンの後頭部を掴み、逃げられないようにする。グレンが違和感を覚える前に――ドーヴィは舌先でグレンお唇を割り開いた。
「!」
ぬる、とグレンの唇の裏側に、ドーヴィの舌が滑り込んだ。その刺激に固まっているグレンの後頭部を、とんとん、とドーヴィは合図する。……それで伝わったのか、グレンはおずおずと口を自ら開いてドーヴィの舌を招き入れた。
「んんっ」
ドーヴィはインキュバスだ。百戦錬磨の淫魔であり、ディープキスなんて数えきれないほどこなしてきている。
それでも、歴代の召喚者と違って、未経験だろうグレンの口内を弄るのは、非常に楽しかった。
どうしたらいいのかわからないグレンの舌を追いかけ、絡めとり。引き出すようにしながら、舌の裏を舐め、舌先を唇で食み。わざといやらしい水音を立てながら、口内を好きに暴れ回る。
「ふっ、んっ」
未知の感覚に本能が怯えているのか、頭を離そうとするグレン。それがわかったドーヴィは、頭を押さえつけることなく口を離した。二人の間に、銀の糸が垂れる。
「ぁ……」
グレンは口を薄く開いて、息を漏らした。ドーヴィはその唇に、親指を這わせる。
「どうだ、初めての大人のキスは」
「う……えっと……」
「なんだ、わからないならもう1回やるか」
「! まっ……んっ!」
ドーヴィがもう一度噛みつく。グレンはどうしたらいいかわからないままに、再度ドーヴィの舌を受け入れた。
粘膜同士が触れると、ぬるぬるとした感触がする。それだけじゃない、触れ合ったところから、グレンの知らないぞくぞくしたものが這い上がってくる。怖い、けど、あったかくて、気持ちがいい。
ドーヴィの舌は、縦横無尽の自分の口の中を動き回っていて。自分の舌が自分のものじゃなくなったみたいに、口の中で踊らされる。唇の裏同士がぬるぬると滑るのが気持ちいい、ドーヴィの舌が自分の口の中を舐めて回るのが気持ちいい。
(ぜんぶ、きもちいい……)
酸欠になりそうな頭で浮かんだ言葉に、グレンは自分でハッと気が付いた。気持ちがいい、これが、性的快感なんだ、と。そう思った瞬間、途端に今感じているぞくぞくが腰のあたりに溜まっていく気がしてくる。
形が無かったぼんやりとしたものが、明確に形を持ってグレンに襲いかかる。子供のよくわからないけど気持ちいい、から、大人の性的快感へ、と形を変えて。
「はっ、は……」
ドーヴィが口を離した一瞬に、慌てて息を吸う。ふとドーヴィの顔を見れば、獰猛な笑みを浮かべていた。グレンは知っている、この顔を。これは――召喚した時の、ドーヴィだ。
待て、とグレンが拒絶するより先にドーヴィがまた舌を挿入してくる。逃げたくても、ドーヴィの大きな手が後頭部をしっかりと捕まえていて、グレンは逃げることができない。
そうして、散々にドーヴィに口内を嬲られた後。ようやく解放されたグレンは、肩で大きく息をついてぐったりとしていた。
「おっとやりすぎたか。鼻で息すりゃいいんだよ鼻で」
「は、はなって……う、うぅ……」
初めての経験に翻弄されたグレンは、生理的に目から涙を零してした。眼帯に覆われていない片目から、ぽろりとしょっぱい水滴が落ちていく。
「気持ちよすぎたか? 怖かったか?」
その水滴をドーヴィが舐めながら、あやすように言った。その問いかけに、グレンは小さく頷く。気持ち良かったし、怖かった、両方ともドーヴィの言ったとおりだ。
よだれでべたべたになった口元を、ドーヴィの大きな手が撫でる。撫でた後から、グレンの口周辺は湯呑みをした直後のようにきれいになった。
そこがきれいさっぱりしたとしても、グレンのドキドキは止まらないし、荒くなった息も止まらない。
グレンは湧き上がる想いと、未知の経験に恐怖する心のままに、ドーヴィの胸に顔を埋めた。
「……まだ、お前も体調が万全じゃないからな。今日はこれぐらいにしておくか」
「……ん」
ドーヴィはしがみついてきたグレンの頭を撫でてから、グレンを膝から降ろしてころんと転がした。
そりゃあドーヴィとて、このまま先に進みたいところだ。しかし、コンプライアンスうんぬんを置いておいても、今の食欲不振に不眠に魔力障害に……と不健康のオンパレードなグレンに無体を働く気はないし、なれない。
たまに見るグレンの服の下、やせ細って肋骨が浮いた体には、性欲よりも「もっと美味しい物たくさん食べるんだぞ」と違う方向の食欲と庇護欲が湧いてきてしまう。
大人しくベッドに寝転がったグレンにドーヴィは毛布をかけてやった。そして速やかに眠れるようにぽんぽん、とリズムよく優しく体を叩く。
(……こう言う事するから、子守の悪魔になっちまったんだよなぁ……)
そう思えども、これが楽しいのだから仕方がない。自分の手でグレンがとろんとした瞳を見せ始め、穏やかな眠りに入っていく姿を見るのは楽しい、楽しすぎる。世の中に性行為以外にこんなに楽しいものがあるとは、ドーヴィも知らなかったのだ。
「なあドーヴィ」
「なんだ」
グレンの問いかけに、ドーヴィは優しく答えた。
呼吸も落ち着いてきて、ほどよく興奮で温まった体のおかげで急激に眠気が襲ってきたグレンは、起きたままのドーヴィに手を伸ばす。
「ドーヴィ、今日は一緒に寝て欲しい」
「んぐっ……お、お前、さっきの今でそれは……」
グレンは、純粋に添い寝をして欲しかっただけだ。ドーヴィの逞しい腕に囲われて、分厚い胸板に頬を寄せて、体温を感じながら眠りたい。それがとても気持ちが良くて、幸せな事だとグレンは知っているから。
さきほどの深い口づけとは違う、もっと甘くて暖かい気持ちが良い、だ。
「……だめか?」
眠気に負けて、舌ったらずになったグレンが催促する。そう言われて断れる男がいるだろうか? いやいない。いるわけがない。
ドーヴィは速やかにグレンのそばに身を滑り込ませて、可愛い契約主が望むままに小柄な体を抱え込んだ。胸元で、グレンが嬉しそうに笑う声がくぐもって聞こえる。
「おやすみ、ドーヴィ」
「……おやすみ、グレン。良い夢を」
どうしてこうなった、と思いながらも、不健康な契約主の健やかな睡眠を願ってドーヴィは頭頂部にそっと唇を落とした。ついでに綻んでいた理性は鉄壁に戻しておいた。
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