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6(完結)

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それは件のパーティーが催される少し前の話。

ローレンスは気が気でなかった。自分のことを愛してやまないはずの婚約者に変化が訪れたからだ。口調や好みが変わっただけならまだよかった。しかしセルティスはここのところローレンスの顔を見ても喜ばないし、それどころか逃げ回るばかりなのがローレンスを少々おかしくさせる。
そして最近様子が変わった婚約者について、その責任の所在を彼の兄に抗議しにルディック家の門を叩いたところだった。

「君の監督責任だよ、ジェイド」
「いい加減諦めろよローレンス。むしろ長く持ったほうだろ」
「よくそうも開き直れるものだ。立派な契約不履行じゃないか」
「学生時代にできた少しの借りで一生こき使う気かよ」

ジェイドとローレンスは学生の頃から仲が良かった。セルティアがローレンスを見初めたのだって、ジェイドの友人として家に招かれた彼を一目見てしまったからだ。
と、セルティスは認識しているが、実際には少し違う。

「6歳の弟に惚れたって言い出した時点でやばい奴だとは思ったが、最近増して来たな」

ローレンスがセルティアを見初めたから。それが全ての始まりだった。

「後悔しているのかい? 面白そうだと言いながら俺に加担したことを」
「にしたってまさか本当に婚約した上に10年も続くとは思わないだろ、人間嫌いにリアリストで有名だったあの氷の王子様、ローレンスがよ!」

氷の王子様。久方ぶりに聞いたあだ名に対してローレンスは顔を顰める。
幼児から青年と呼ばれる手前の年齢になるまでの間、ローレンスは人からそう呼ばれていた。言葉通り王子然とした雰囲気と人と馴れ合いを好まない孤高の姿に尊敬と嘲笑を込めたものだった。
セルティアは知らないが、ジェイドは知っている。セルティアがセルティスとなり性格がすっかり変わってしまったように、ローレンスもまた別人のように性格が変わってしまったことを。

ジェイドとローレンスの出会いはセルティアが生まれるより以前に遡る。
内向的な一人息子を気に掛けたオリヴェル公爵が親友のルディック侯爵に相談したことがきっかけだった。相談を受けた侯爵は偶然にも同い年の一人息子を持つ父として、二人が自分達のような友情を築けたら良いと二人を会わせたのだ。
幼い頃のローレンスは何においても子供らしからぬ子供だった。頭の良い子供にはしばしば達観したところが見受けられるものだが、ローレンスはその典型だったと言っていい。言動も行動も冷めていて、その上内向的で人の好き嫌いも激しい。大人達にとってローレンスは扱いづらい子供であったし、ローレンスも自分の外見年齢に合わせようとしてくる大人との会話も、程度が合わない同い年の子供との会話も苦痛だった。
賢い子供と賢い大人は違う。どんなに記憶力がよく、頭の回転が早く発想力に優れて整然とした理性的な思考と行動を持ち合わせていても、社会経験の未熟な子供は人との接し方がわからなかった。

「今でもわかんねーよ、どうしてあの氷の王子様がたった一人の親友に俺を選んだんだってな」
「それは俺が父に親友を一人作ればもう友人役の人間を連れて来ないと約束させたからだよ。あともう一度その恥ずかしい呼び方をしたら刺す」

ジェイドを選んだのだって大した理由はない。
彼は不真面目だが地頭は悪くなかった。要領がよく長い物には巻かれろを地で行く性格でありながら、立場を利用したり媚びる様子が一切見受けられなかったからだ。何よりお互い『父の親友の息子』である立場上、一番父達からそうなることを期待されていた。
「下手な人間連れて来られるより俺で妥協しといたほうがいいと思うけど」と何気なく説得された一言に頷いたことを、ローレンスは彼の弟のことを考える度に称賛したくなる。

始まりはただ可愛らしかったからだ。ただ、つい目で追ったその存在が自分と目が合った途端、白い頰を赤く染め碧色の目を輝かせた。
打算も裏表も何もない、綺麗なものしか映らない瞳。素直で純粋で可愛らしい生き物。この子の成長を一番そばで、手元で見続けたいと思った。
ローレンスの想いに応えるように、セルティアは視線で表情で息遣いで、全身を使い彼に愛を伝えた。冷ややかな自分に熱を与えてくれる。孤高な少年のたった一つの大切なもの。与えた愛情と同じ大きさの愛を返してくれる存在。きっとセルティアは自分の為なら毒を飲むことだって厭わないことをローレンスは知っている。
多くを望まないローレンスの心の中はいつだってセルティアで満たされている。否、満たされていた。

「俺の性格は変わってないよ。ただ昔は隠せなかったことが大人になって上手に隠せるようになっただけだ」
「いや、もっと根本的な……まあ、気づいてないならいいけどさ」

ジェイドの知るローレンスは何かを愛せるような子供ではなかった。しかしまあ、良い方向に変わったというのだから指摘するほうが野暮というものだろう。

賢い子供は賢い大人に成長した。今なら適当に聞き流すことも苦痛ではないし、話が通じないからといちいち苛立つこともない。相手にわかりやすく噛み砕いて会話をすることもできるし、己を偽って人に好かれる自分を作ることもできる。
人に好かれるのは常に正しいことを言う人間ではなく、その場に適した発言ができる人間だ。それを理解した上で敵を作るような発言をしていた時期があった。誰に好かれようが嫌われようが構わなかったから。
だが、今は。人当たりが良く誰にも親切で笑顔を絶やさない王子様は、そんな空気の読めない発言はしないものだろう。もしジェイドの言う通り根本的にローレンスの性格が変わってしまったとするなら、それはただ一人、セルティアという想い人に好かれる為だけのものだ。

「変わったと言えばローレンスよりセルティスのほうか」
「……やはり君の目にもそう映るか」

ある日を境にセルティスが変わった。セルティアの名前を捨て、自らを男として女性的なものを好まなくなった。
頬を染め、うっとりとした瞳で自分の名前を呼んでくれた婚約者はもういないのだ。

「何が彼を変えてしまったのだろう」

何も知らない弟の婚約者の言葉に苦笑いをする。
ジェイドの覚えている限り、かつてのセルティスが極度の人見知りだったことは確かだ。そしておもちゃの剣よりも花を好み、レースやリボンのふんだんにあしらわれたドレスで着飾るのが好きだった。自ら女性の名前を名乗り、一人で人形遊びをするのが好きだった弟。晴れた日は花に囲まれた庭園で過ごすのが好きで、椅子に座らせた人形を相手にお茶会を開いていたのをよく覚えている。

しかし、そういうものが好きなだけだ。弟の性格は決して女々しいものではなかった。

ローレンスが知らず、ジェイドは気づいていることがある。今のセルティスの趣味以外の部分……例えばはっきりとした物言いや意固地で行動派なところは、まさに昔のセルティスのままだ。ローレンスと出会い、恋をする以前の弟に。

「今のセルティスは嫌いか?」

確かにセルティスは変わった。けれど本質的には“戻った”に近い。
いつしか人目を避け、部屋に引きこもるようになった。食事も運動も厭い、家族の前にすら姿を見せなくなった。セルティスがひどい熱を出して寝込むより前、彼に会うのを拒絶されなかったのはローレンスだけだ。
たとえセルティスがまた昔のように振る舞ったとしても今更口出しする気はない。弟の人生なのだから好きにすればいい。
しかしローレンスが今の弟を嫌い、過去の存在に縛られるのなら。自身の身体の成長を疎み、食事も運動も家族すらも拒絶した彼を恋しいと言うのなら。この恋は応援してやれなくなる。

「もしも昔のほうが良かったと言ったら?」

ローレンスの冷ややかで赤い瞳が静かに親友を見返した。
ジェイドは他人との軋轢や衝突を好まず、いつものらりくらりと立ち回っていた。生まれ持って仲裁役や調停者に向いた性格なのか、ローレンス自身がそういった処世術を見つけるまでに何度も助けられたことがある。しかし、今の彼にはそれが無い。

「二度とセルティスとは会わせない」
「君たち兄弟を似てると思ったことは一度もなかったが、今それを改めるよ」

ジェイドの瞳はいつかに対峙したセルティスのものを彷彿とさせる。あの超然とした様子は別人のように変わったからだと思い込んでいたが、どうやら血筋であったらしい。

「心配はいらない。今の問いは月と太陽どちらかを選べと言っているようなものだよ。或いは空気と水かな」
「うわ鳥肌立った」
「答えをわかった上で訊いたのだろう。……君ってたまに、驚くほど過保護だよね」
「お前に言われたくねえな」

向かいに座ったジェイドがソファの上で仰け反る。大袈裟なまでのため息を吐き出した。

「あーあ、こんだけしつこいってわかってたら可愛い弟にお前を会わせなかったのによ」
「その可愛い弟を餌にして快適な学生生活を送ったのは君だろう? 課題も授業も楽にパスできたのは誰の協力か、思い出させてあげようか」
「はいはい全部お前のお陰だよ、成績優秀で教師の信頼も厚かったローレンス様!」

今日はセルティスが朝から外出しており、どんな話をしようと彼の耳に届く心配はない。
ジェイドがクッキーを摘みながら「で、どうすんだよ」と彼らの今後について尋ねた。

「もうわかってんだろ、セルティスはローレンスのことを嫌がってる」
「嫌がってるのは婚約の話であり俺のことじゃない」
「ならあいつが兄の友人に戻れと言えば大人しく従えんのか?」
「彼とは出逢ったときから恋人だった。ただの兄の友人であったことは一度もないよ」
「狂ってる!」

ブハ、と品のない笑い声を上げてジェイドは腹を抱える。しばらくひぃひぃと苦しげな声を上げたあと、息を整えて至極真面目な声色で問いただした。

「いくら俺に協力させてもあいつにその気が無くなりゃ無効だろ。そんなところにまで責任持てねえぞ」
「…………」
「潮時だろ。あいつも王子サマを夢見るガキじゃないってことだ」
「……いいや、まだ終わらせない」

そう囁いたローレンスの声も眼差しも想いもセルティスは知らない。

王子様はもう必要ないのなら、今度は何になればいいかを考える。忠犬でも従者でも、彼の望みならなんだって叶えてやるつもりだった。ジェイドの他にもう一人兄のような存在がほしいと言うのなら、少し不満だが叶えられないわけではない。

「……ジェイド、君は今のセルティアをどう思う?」
「どうって、別に。おとうと」
「君が彼を女性として扱ったことがないことは知っているが」
「お前こそいつまでセルティアって呼んでんだよ。言っとくけどあいつ、プライド高いぞ。男としての。ありゃあローレンスが女役に徹したほうが早いんじゃないかと思うね」
「それは…………セルティアが本当に望むなら検討するよ」

夜の役割を変えるつもりはないが、男の矜持を刺激しないほうが良いというのは妙案に思えた。
いや、ある意味刺激したほうが良い結果を生みそうだ。
お姫様を守る王子様では駄目なら、彼に手を伸ばさせればいい。王子様が二人ではいけない決まりなんてどこにもないのだから。自分がその手を離さなければ、結果は同じことだ。

「ジェイド、次にセルティアと行く予定のパーティーだが、一人招いてほしい夫人がいるんだ」
「うっわその顔、また何か悪いこと企んでんな?」
「まさか、良いことだよ。10年前、君にお願いしてセルティアと運命的な出会いを遂げたように」

セルティアのために自らの性格を変えたのと同じく、自らの身体を犠牲にすることは何の躊躇いや葛藤も生まない。
何を捧げて何を失えば大切な人を繋ぎ止められるのか。初恋の人を手放さない男の執念は、決してそれを間違えないのだから。



──とはいえ、変な方向に思い切りが良い上に予測もつかない動きをする彼の可愛い婚約者が、自ら狼の群れに突っ込む羊の如く危機に瀕するとは、いくらローレンスが計算高くとも予想だにしなかったのだと、彼の名誉の為に記しておかねばならない。
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