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本編
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「喜べ。お前に名前をつけてやる」
笑みもなければ声の抑揚もなく、ただ淡々と事実だけが伝えられたその日。あれが生死を別つ分岐であり、運命の日であった。
「お前の名前はアドルフだ。来い」
彼に名前を呼ばれたそのときから、男はただの奴隷ではなくたった一人の主人に仕える奴隷となった。
……
従者の朝は早い。主人より遅く就寝して早く起床する職業はそれだけでハードなものだが、アドルフがそれに不満を持ったことはなかった。元より、あのとき拾われていなければ死んでいた命だ。その死体だって頭髪や衣類は剥ぎ取られ、肉は鴉が啄み野犬が齧り付き、骨すら残っていたかもわからない。
毎日安心して眠れる。それだけで幸運だと彼は知っている。
「ご主人様、おはようございます」
自然光の爽やかな寝覚めを提供するためにカーテンを引くと、柔らかな朝陽が室内に広がった。アドルフはいつも少し離れたところから朝の挨拶をする。
「……アドルフ、来い」
「い、いけません……ご主人様」
薄眼を開けた主人が寝台の上から手招きしている。主人の命令を断るなど恐れ多いことだが、アドルフは綺麗に仕立てられた執事服の裾をぎゅうと握り込みながらそれに耐えた。金の瞳には薄い水の膜が張っている。
毎朝のことであるのにまるで一つでも粗相を犯せば捨てられると言わんばかりの態度、表情にリチャードは思わず目を瞑った。この奴隷癖はいつになったら抜けるものか。
「……こっちに来て、起き上がるのを手伝いなさい」
なるべく柔らかく聞こえる声色でそう言うと、聞き分けの悪い従者がようやく寝台へと近づいて来た。
「ッ、わ、わ……っ」
「旦那様かリチャードと呼べと言っているだろう」
警戒を隠さない慎重な歩み寄りを無視して腕を引くと、軽い身体は簡単に傾いてリチャードの胸の上へと落ちてきた。身長と体重が合っていない。柳のようだ。
「お、恐れ多くて呼べません……!」
「この家の者は例外なく私を旦那様と呼ぶ。私は従者を雇ったのであって、奴隷を招き入れたのではない。私の寝室を歩くお前は奴隷か?」
「……ッ、お許しください……だ、だ、旦那様……」
耐え切れずほろほろと流れる涙を掬い取り、目尻に口付ける。それは主人と従者より恋人との褥の中を思い起こす行為だ。けれど、アドルフはそのことに思い至らない。そんなことを考える前提が存在しない。
唇と唇が触れそうになる手前、アドルフが肩を震わせ目を閉じる。その唇が青くなるほど固く閉ざされているのを見て、リチャードは身を起こした。
「今日の予定は?」
「……あ、えっと、東の商館より税についての相談が来ております。午前はそれで終えてしまうかと。午後からは書類の処理を」
「はあ……」
「昨日遠乗りに出掛けてしまったから今日は駄目ですよ。請求書の確認、明日までですから」
リチャードはもう一度重い溜め息を肺から吐き出し、ベッドから這い出た。アドルフは失礼しますと一言断り、慣れた手つきで主人のシャツに手を掛ける。ボタンを一つ一つ丁寧に外すと、その下にある均整の取れた筋肉質な身体が露わになった。
リチャードはまるで騎士のような見目をしているが、貴族領主だ。王都からかけ離れたそれなりの大きさの地方で、領主様として慕われている。都の生まれであったなら王族の近衛騎士に召し抱えられていても不思議でないくらい見目麗しく、腕が立つ。その上剣を振るうこと自体好きな性分だ。見るのも、するのも。
そうでもなければ、奴隷同士の殺し合いをさせる賭博場でアドルフと出逢うこともなかっただろう。
アドルフは厚い胸板をしっとりとした瞳で見つめ、薄く吐息を吐き出す。この方に拾われたことで名前もなかった奴隷は名前を頂き、人間として生きることが許されている。
「……アドルフ」
「は、はい、申し訳ございませんご主人様」
見惚れていたことを咎められたと判断したアドルフは即座に主人の声に反応して、肩にかけっぱなしだったシャツから腕を引き抜かせる。一方で、素肌にうっとりとした視線を一身に受け続けたリチャードは決まりの悪そうな咳払いを一つした。
着替えを手に取るため頭ごと視線を下げたアドルフは気づいてしまった。今、人前に出るのは少々障りがあることに。
「私の相手をしてくれるだろう?」
「は……い……」
ズボンを緩く立ち上げる屹立を前にして、乾いた喉からか細い声を出すのが精一杯だった。
じゅぽじゅぽと喉奥から音が鳴る。口から垂れ流しの涎はアドルフの誇りである執事服をみっともなく汚した。だが、それを気に掛けることもできずただ口内に抜き差しされる主人の剛猛を拒まないことに必死だ。口の中、喉の奥の入り切るところまで侵入しては引き抜かれ、息を吐く間もなく再び喉を突くそれを受け入れる。
「そう、上手だ。アドルフはいい子だな」
「ゔ、んぷ、んゔぅ……ッ」
褒められて、嬉しい。例えそれが邸にいる他の者たちとは全く違った業務内容だとしてもだ。
アドルフにとってリチャードの命令を拒否することは死にも等しい。例えリチャードにその気がなかろうとも。
最初こそ「少し手を貸せ」と口調と合わない柔らかな声色で熱くなったそこに手を導かれ戸惑ったが、手のひらに押し付けられた熱を拒む言葉はなかった。主人の命令を素直に聞き入れ「握って」「摩れ」「もう少し強く」「爪は立てるな」から始まったその行為は、ベッドの縁に腰かけたリチャードの股座に顔を埋める今の体勢に行き着いた。
アドルフがこの邸に来た当初から彼の仕事は変わらない。リチャードがアドルフに命じたのは毎日欠かさず朝起こしに来ること、一日中自分から離れないことの二つだ。元より人として育てられなかった男に執事をこなせるほどの教養がなかったので、従僕とした。
最初は「新しく側に置くので整えろ」とボロボロの汚れた奴隷を押し付けられ眉をひそめた家令も、リチャードの態度やアドルフへ向ける視線に何かを感じ取ったらしく何も言わなくなった。
“側仕えにする”ではなく“側に置く”と言ったのだ。リチャードの父である先代からこの家に仕えている家令はリチャードの言葉を正しく理解している。
理解がないのは雇われた者の中でも新参者のみだろう。そこにはアドルフ本人も含まれている。
アドルフは口内を蹂躙されながら、上手だと頭を撫でてくれる主人に申し訳なさを感じた。
行為を続けながら、少し前の出来事を思い出す。
彼にこの行為の意味はわからないが、息を詰め、時折苦しげな悩ましげな息を吐き出す主人が心配でならない。やはり自分が下手だからだろうと思い至った。
アドルフが来るまでリチャードの側仕えをしていたという男に教えを請えば、彼は一瞬目を見開き食いるようにアドルフを見つめると、目を細めて皮肉げな笑みを浮かべた。こういう表情を、アドルフは拾われる前に何度も目にしたことがある。
「ふん、形は整えていてもそういうことか。やはり性奴隷だな」
「? はい、わたしはご主人様の奴隷ですが」
「脳が足りないとは幸せそうで結構なことだ。そうとわかって拾ってきたのであれば旦那様も人が悪い……いや、あの方はそういった打算はしないだろうな」
彼はアドルフを上から下までじっとりと見つめたあと、俺には理解できん、趣味が悪いとぶつぶつ文句を言って溜め息を吐いた。
「今夜旦那様が寝入ったら俺の部屋に来い、教えてやるよ」
彼の名誉の為に言うならば、その申し出に決して下心などなかった。最初こそ側仕えの任を解かれたことに不満はあったが、なにも暇に出されたわけではない。これを理由にアドルフに悪意で何かしてやろうというほど、リチャードは使用人からの信頼や理解がない主人ではないのだ。むしろ新しく連れて来られた後釜を心配しているとまでは、捻くれ者の彼が決して口に出さない本音だ。
約束通り、リチャードが眠りに就くのを見計らいアドルフは男の部屋へと訪れた。
「屈む? 口に? え、舐めるのですか? 下の準備? 上にも準備があるのでしょうか? 何をすれば……ええっわたしも脱ぐ? あ、わ、やめ……や、やだ、やだぁ……ッ」
アドルフは自分の身体が好きではない。白い背中にも薄い腹にも細く伸びた四肢にも、整えられた上等な執事服の下には無数の傷跡が残っている。ぐちゃぐちゃとして汚くて、人の目に映してはいけない。
それは煙草の火が押し付けられた火傷であったり、先の尖ったガラス片がどこまで埋まるかと戯れに刺し込まれた深い傷であったり、抵抗した折檻として一本鞭が肌を切り裂いた拷問の跡である。
抵抗するアドルフを脱がせようとした彼は早々に手首に残る古傷を認めたあと、きまりが悪そうな顔で鋭い舌打ちをした。あの傷は奴隷商人が「切れ味を試したいから切ってみろ」と真新しいナイフでアドルフ本人に切らせたものだ。そのナイフを商人に向けることもなく泣きながら己の手首に刃を当てた奴隷を、いつまでも止まらない血に泣くアドルフを見て愉快そうに笑っていた。
「いい、無理を言った。だが旦那様が脱げと言ったら必ず脱げよ」
アドルフに向けられたあの瞳は、多分同情だ。アドルフ本人はそれに気づけるほど人の心はわからない。ただこの人は悪い人ではないのだろうなと感じ取り、必死に涙を止めようと努めながらこくこくと頷いた。
男は悪い人ではなかったが、貴族の側仕えをしていたにしては随分と乱暴な人物だった。手こそ出さなかったものの、怒鳴り声を聞くと反射的に身を竦ませるアドルフの様子に気づくこともない。
終いには「お前なんっにも知らねえな!」と荒げた口調でアドルフを再び泣かせたが、こんな無知の子に手を出すうちの旦那様はまずいと判断して必要な知識を授けることを約束した。
「男はそこ擦ると勃つんだよ、お前もなる」
「えっ……」
「ここで試すな! ……いや待てアドルフ、お前いくつだ」
「わからないです。わたしを売っていた人がミセイネンのハツモノだと言ってました」
未成年の初物。そのせいでアドルフはしばらくの間、自分の名前をハツモノだと勘違いしていた時期がある。今ではそれが違うとわかっているし、アドルフと名前を授かったので口にすることはないけれど。
未成年の意味はここに来てリチャードに教えてもらったが、初物の意味は知らない。それと、人にそれを言うなと口止めされていたのを忘れていた。
男は深く深く溜め息を吐き出すと「奴隷商人が言ってたってことは旦那様聞いてるよな……働いてたよ打算……いよいよやべーじゃんうちの旦那様……」と頭を抱えて呟いた。アドルフは首を傾げるばかりだ。それよりも、早く教えてくれると言った内容を詳しく聞きたい。
「明日は雄しべと雌しべについて教えてやる。いや、飛ばして犬猫の繁殖のほうがいいか?……ともかくだ、今日はこれだけ覚えて帰れ」
男は疲れた顔のまま時計を見やると最初に言っていた屈む、口に入れる、舐めるを教えてくれた。
リチャードが起きるまであと3時間ほどある。アドルフは平気だが、彼はこれ以上睡眠時間を削られるのは耐えがたいらしかった。
そして翌日。早々に教えられた手管を実践する機会に恵まれたアドルフだったが、顔面に吐精されたあとどうすればよいのかまで聞けばよかったと後悔した。
汚れた顔のままリチャードを見つめたが、彼はアドルフの黒髪を優しく撫で眩しげに目を細めただけで何も言わない。吐精するまでの間アドルフの悩みであった息を詰め苦しげな息を吐き出すのは変わらなかったので、やり方の問題ではなかったのだと肩を落とす。練習するしかないだろう。自分一人ではできないからまた彼に頼めば引き受けてもらえないだろうかと、目前の熱に浮かされた金の瞳を見つめながら考える。
しかし彼は翌日から姿を消した。呆然としていたリチャードがはっとして発した「お前にこれを教えたのは誰だ?」という問いに、素直に教えてくれた彼の名前を出したからだ。新しい仕事先を紹介したから心配するなと言ったリチャードの冷ややかな瞳と、事情は把握したのでいずれ教育する機会を設けますと言った家令のくたびれた顔が印象に残っている。なお、未だその機会が訪れていないのは主人の圧がかかっているからだとは知る由もない。
「考え事か? 今朝は随分と余裕があるな」
「んお、ぅぶ、ッ」
注意が散漫したアドルフの様子に気づいてか、彼が呼吸をするタイミングでリチャードの腰が大きく揺れ動き、開いた喉まで一際深く雁首を挿し込まれた。喉奥まで犯され「ぷぎゅッ」と品のない声が漏れたことに失態の涙を浮かべ、アドルフは懸命に頭を前後に動かしてリチャードのそれに奉仕する。
もうとっくに許容範囲を超えた奥まで到達する長物のせいで吐き気がひどい。呼吸も苦しい。狭窄する視界の中で見上げた主人は朝日に照らされた金髪がきらきらと輝いて、一際神々しく目に映った。
意識が朦朧とする。それでもぐぽぐぽと抜き差しするのをやめる訳にはいかず、直接注がれ喉を伝うリチャードの先走りを嚥下する。自分でも咽頭が狭まったのがわかった。喉をきゅうきゅうと締め付けるアドルフに、リチャードは腰を震わせ切なげな声を出す。
「……ッ、アドルフ……ッ」
リチャードは先ほどまで撫でていた手入れの行き届いた艶やかな黒髪を、生え際から乱暴に掴んだ。その痛みを感じるのと同時に喉奥にどぷどぷと注がれる感覚を味わい、剛猛が口から引き抜かれる。
「っ、ぷはっ」
ぶるりと震わせアドルフの鼻先をペチリと打ったそれは、ぴくぴくと震えては断続的に精を吐き出してアドルフの黒髪を汚した。
「ん、んん……っ」
アドルフは顔面に乗せられた熱を感じながら、僅かに腰を震わせる。最近、おかしいのだ。むずむずと言えばよいのか、それともうずうずかうぞうぞか、ともかく形容する言葉を持たない今までにない感覚が彼の腰や腹の奥を襲っている。
それに気づかない振りをして大きく息を吸い込むと、ちょうど鼻に当たる根本と睾丸の濃いにおいで頭がくらくらした。奉仕を続けなければと懸命に舌を伸ばす。射精している間に会陰を尖らせた舌先で突かれたリチャードが喘ぎ声を押し殺し、中のものを絞り出すように乱暴な手つきで自身を扱いた。
「はっ、はぁーッ……アドルフ、アドルフ……ッ」
まだ硬いそれの先端がくぱくぱ開き、アドルフの頬を突いて子種を飛ばす。どぷ、どぷと自分に掛かるまでのそれを間近で見ていたアドルフは、段々と射精の勢いがなくなるのを見届けて先端に吸い付いた。じゅ、じゅるると音を立てて中まで綺麗にしようと努める。度の過ぎた快感に腰を戦慄かせたリチャードがもういいとそれを制すまで、自分の顔は汚したまま主人のそこを綺麗にしようと疲れた舌を働かせた。
笑みもなければ声の抑揚もなく、ただ淡々と事実だけが伝えられたその日。あれが生死を別つ分岐であり、運命の日であった。
「お前の名前はアドルフだ。来い」
彼に名前を呼ばれたそのときから、男はただの奴隷ではなくたった一人の主人に仕える奴隷となった。
……
従者の朝は早い。主人より遅く就寝して早く起床する職業はそれだけでハードなものだが、アドルフがそれに不満を持ったことはなかった。元より、あのとき拾われていなければ死んでいた命だ。その死体だって頭髪や衣類は剥ぎ取られ、肉は鴉が啄み野犬が齧り付き、骨すら残っていたかもわからない。
毎日安心して眠れる。それだけで幸運だと彼は知っている。
「ご主人様、おはようございます」
自然光の爽やかな寝覚めを提供するためにカーテンを引くと、柔らかな朝陽が室内に広がった。アドルフはいつも少し離れたところから朝の挨拶をする。
「……アドルフ、来い」
「い、いけません……ご主人様」
薄眼を開けた主人が寝台の上から手招きしている。主人の命令を断るなど恐れ多いことだが、アドルフは綺麗に仕立てられた執事服の裾をぎゅうと握り込みながらそれに耐えた。金の瞳には薄い水の膜が張っている。
毎朝のことであるのにまるで一つでも粗相を犯せば捨てられると言わんばかりの態度、表情にリチャードは思わず目を瞑った。この奴隷癖はいつになったら抜けるものか。
「……こっちに来て、起き上がるのを手伝いなさい」
なるべく柔らかく聞こえる声色でそう言うと、聞き分けの悪い従者がようやく寝台へと近づいて来た。
「ッ、わ、わ……っ」
「旦那様かリチャードと呼べと言っているだろう」
警戒を隠さない慎重な歩み寄りを無視して腕を引くと、軽い身体は簡単に傾いてリチャードの胸の上へと落ちてきた。身長と体重が合っていない。柳のようだ。
「お、恐れ多くて呼べません……!」
「この家の者は例外なく私を旦那様と呼ぶ。私は従者を雇ったのであって、奴隷を招き入れたのではない。私の寝室を歩くお前は奴隷か?」
「……ッ、お許しください……だ、だ、旦那様……」
耐え切れずほろほろと流れる涙を掬い取り、目尻に口付ける。それは主人と従者より恋人との褥の中を思い起こす行為だ。けれど、アドルフはそのことに思い至らない。そんなことを考える前提が存在しない。
唇と唇が触れそうになる手前、アドルフが肩を震わせ目を閉じる。その唇が青くなるほど固く閉ざされているのを見て、リチャードは身を起こした。
「今日の予定は?」
「……あ、えっと、東の商館より税についての相談が来ております。午前はそれで終えてしまうかと。午後からは書類の処理を」
「はあ……」
「昨日遠乗りに出掛けてしまったから今日は駄目ですよ。請求書の確認、明日までですから」
リチャードはもう一度重い溜め息を肺から吐き出し、ベッドから這い出た。アドルフは失礼しますと一言断り、慣れた手つきで主人のシャツに手を掛ける。ボタンを一つ一つ丁寧に外すと、その下にある均整の取れた筋肉質な身体が露わになった。
リチャードはまるで騎士のような見目をしているが、貴族領主だ。王都からかけ離れたそれなりの大きさの地方で、領主様として慕われている。都の生まれであったなら王族の近衛騎士に召し抱えられていても不思議でないくらい見目麗しく、腕が立つ。その上剣を振るうこと自体好きな性分だ。見るのも、するのも。
そうでもなければ、奴隷同士の殺し合いをさせる賭博場でアドルフと出逢うこともなかっただろう。
アドルフは厚い胸板をしっとりとした瞳で見つめ、薄く吐息を吐き出す。この方に拾われたことで名前もなかった奴隷は名前を頂き、人間として生きることが許されている。
「……アドルフ」
「は、はい、申し訳ございませんご主人様」
見惚れていたことを咎められたと判断したアドルフは即座に主人の声に反応して、肩にかけっぱなしだったシャツから腕を引き抜かせる。一方で、素肌にうっとりとした視線を一身に受け続けたリチャードは決まりの悪そうな咳払いを一つした。
着替えを手に取るため頭ごと視線を下げたアドルフは気づいてしまった。今、人前に出るのは少々障りがあることに。
「私の相手をしてくれるだろう?」
「は……い……」
ズボンを緩く立ち上げる屹立を前にして、乾いた喉からか細い声を出すのが精一杯だった。
じゅぽじゅぽと喉奥から音が鳴る。口から垂れ流しの涎はアドルフの誇りである執事服をみっともなく汚した。だが、それを気に掛けることもできずただ口内に抜き差しされる主人の剛猛を拒まないことに必死だ。口の中、喉の奥の入り切るところまで侵入しては引き抜かれ、息を吐く間もなく再び喉を突くそれを受け入れる。
「そう、上手だ。アドルフはいい子だな」
「ゔ、んぷ、んゔぅ……ッ」
褒められて、嬉しい。例えそれが邸にいる他の者たちとは全く違った業務内容だとしてもだ。
アドルフにとってリチャードの命令を拒否することは死にも等しい。例えリチャードにその気がなかろうとも。
最初こそ「少し手を貸せ」と口調と合わない柔らかな声色で熱くなったそこに手を導かれ戸惑ったが、手のひらに押し付けられた熱を拒む言葉はなかった。主人の命令を素直に聞き入れ「握って」「摩れ」「もう少し強く」「爪は立てるな」から始まったその行為は、ベッドの縁に腰かけたリチャードの股座に顔を埋める今の体勢に行き着いた。
アドルフがこの邸に来た当初から彼の仕事は変わらない。リチャードがアドルフに命じたのは毎日欠かさず朝起こしに来ること、一日中自分から離れないことの二つだ。元より人として育てられなかった男に執事をこなせるほどの教養がなかったので、従僕とした。
最初は「新しく側に置くので整えろ」とボロボロの汚れた奴隷を押し付けられ眉をひそめた家令も、リチャードの態度やアドルフへ向ける視線に何かを感じ取ったらしく何も言わなくなった。
“側仕えにする”ではなく“側に置く”と言ったのだ。リチャードの父である先代からこの家に仕えている家令はリチャードの言葉を正しく理解している。
理解がないのは雇われた者の中でも新参者のみだろう。そこにはアドルフ本人も含まれている。
アドルフは口内を蹂躙されながら、上手だと頭を撫でてくれる主人に申し訳なさを感じた。
行為を続けながら、少し前の出来事を思い出す。
彼にこの行為の意味はわからないが、息を詰め、時折苦しげな悩ましげな息を吐き出す主人が心配でならない。やはり自分が下手だからだろうと思い至った。
アドルフが来るまでリチャードの側仕えをしていたという男に教えを請えば、彼は一瞬目を見開き食いるようにアドルフを見つめると、目を細めて皮肉げな笑みを浮かべた。こういう表情を、アドルフは拾われる前に何度も目にしたことがある。
「ふん、形は整えていてもそういうことか。やはり性奴隷だな」
「? はい、わたしはご主人様の奴隷ですが」
「脳が足りないとは幸せそうで結構なことだ。そうとわかって拾ってきたのであれば旦那様も人が悪い……いや、あの方はそういった打算はしないだろうな」
彼はアドルフを上から下までじっとりと見つめたあと、俺には理解できん、趣味が悪いとぶつぶつ文句を言って溜め息を吐いた。
「今夜旦那様が寝入ったら俺の部屋に来い、教えてやるよ」
彼の名誉の為に言うならば、その申し出に決して下心などなかった。最初こそ側仕えの任を解かれたことに不満はあったが、なにも暇に出されたわけではない。これを理由にアドルフに悪意で何かしてやろうというほど、リチャードは使用人からの信頼や理解がない主人ではないのだ。むしろ新しく連れて来られた後釜を心配しているとまでは、捻くれ者の彼が決して口に出さない本音だ。
約束通り、リチャードが眠りに就くのを見計らいアドルフは男の部屋へと訪れた。
「屈む? 口に? え、舐めるのですか? 下の準備? 上にも準備があるのでしょうか? 何をすれば……ええっわたしも脱ぐ? あ、わ、やめ……や、やだ、やだぁ……ッ」
アドルフは自分の身体が好きではない。白い背中にも薄い腹にも細く伸びた四肢にも、整えられた上等な執事服の下には無数の傷跡が残っている。ぐちゃぐちゃとして汚くて、人の目に映してはいけない。
それは煙草の火が押し付けられた火傷であったり、先の尖ったガラス片がどこまで埋まるかと戯れに刺し込まれた深い傷であったり、抵抗した折檻として一本鞭が肌を切り裂いた拷問の跡である。
抵抗するアドルフを脱がせようとした彼は早々に手首に残る古傷を認めたあと、きまりが悪そうな顔で鋭い舌打ちをした。あの傷は奴隷商人が「切れ味を試したいから切ってみろ」と真新しいナイフでアドルフ本人に切らせたものだ。そのナイフを商人に向けることもなく泣きながら己の手首に刃を当てた奴隷を、いつまでも止まらない血に泣くアドルフを見て愉快そうに笑っていた。
「いい、無理を言った。だが旦那様が脱げと言ったら必ず脱げよ」
アドルフに向けられたあの瞳は、多分同情だ。アドルフ本人はそれに気づけるほど人の心はわからない。ただこの人は悪い人ではないのだろうなと感じ取り、必死に涙を止めようと努めながらこくこくと頷いた。
男は悪い人ではなかったが、貴族の側仕えをしていたにしては随分と乱暴な人物だった。手こそ出さなかったものの、怒鳴り声を聞くと反射的に身を竦ませるアドルフの様子に気づくこともない。
終いには「お前なんっにも知らねえな!」と荒げた口調でアドルフを再び泣かせたが、こんな無知の子に手を出すうちの旦那様はまずいと判断して必要な知識を授けることを約束した。
「男はそこ擦ると勃つんだよ、お前もなる」
「えっ……」
「ここで試すな! ……いや待てアドルフ、お前いくつだ」
「わからないです。わたしを売っていた人がミセイネンのハツモノだと言ってました」
未成年の初物。そのせいでアドルフはしばらくの間、自分の名前をハツモノだと勘違いしていた時期がある。今ではそれが違うとわかっているし、アドルフと名前を授かったので口にすることはないけれど。
未成年の意味はここに来てリチャードに教えてもらったが、初物の意味は知らない。それと、人にそれを言うなと口止めされていたのを忘れていた。
男は深く深く溜め息を吐き出すと「奴隷商人が言ってたってことは旦那様聞いてるよな……働いてたよ打算……いよいよやべーじゃんうちの旦那様……」と頭を抱えて呟いた。アドルフは首を傾げるばかりだ。それよりも、早く教えてくれると言った内容を詳しく聞きたい。
「明日は雄しべと雌しべについて教えてやる。いや、飛ばして犬猫の繁殖のほうがいいか?……ともかくだ、今日はこれだけ覚えて帰れ」
男は疲れた顔のまま時計を見やると最初に言っていた屈む、口に入れる、舐めるを教えてくれた。
リチャードが起きるまであと3時間ほどある。アドルフは平気だが、彼はこれ以上睡眠時間を削られるのは耐えがたいらしかった。
そして翌日。早々に教えられた手管を実践する機会に恵まれたアドルフだったが、顔面に吐精されたあとどうすればよいのかまで聞けばよかったと後悔した。
汚れた顔のままリチャードを見つめたが、彼はアドルフの黒髪を優しく撫で眩しげに目を細めただけで何も言わない。吐精するまでの間アドルフの悩みであった息を詰め苦しげな息を吐き出すのは変わらなかったので、やり方の問題ではなかったのだと肩を落とす。練習するしかないだろう。自分一人ではできないからまた彼に頼めば引き受けてもらえないだろうかと、目前の熱に浮かされた金の瞳を見つめながら考える。
しかし彼は翌日から姿を消した。呆然としていたリチャードがはっとして発した「お前にこれを教えたのは誰だ?」という問いに、素直に教えてくれた彼の名前を出したからだ。新しい仕事先を紹介したから心配するなと言ったリチャードの冷ややかな瞳と、事情は把握したのでいずれ教育する機会を設けますと言った家令のくたびれた顔が印象に残っている。なお、未だその機会が訪れていないのは主人の圧がかかっているからだとは知る由もない。
「考え事か? 今朝は随分と余裕があるな」
「んお、ぅぶ、ッ」
注意が散漫したアドルフの様子に気づいてか、彼が呼吸をするタイミングでリチャードの腰が大きく揺れ動き、開いた喉まで一際深く雁首を挿し込まれた。喉奥まで犯され「ぷぎゅッ」と品のない声が漏れたことに失態の涙を浮かべ、アドルフは懸命に頭を前後に動かしてリチャードのそれに奉仕する。
もうとっくに許容範囲を超えた奥まで到達する長物のせいで吐き気がひどい。呼吸も苦しい。狭窄する視界の中で見上げた主人は朝日に照らされた金髪がきらきらと輝いて、一際神々しく目に映った。
意識が朦朧とする。それでもぐぽぐぽと抜き差しするのをやめる訳にはいかず、直接注がれ喉を伝うリチャードの先走りを嚥下する。自分でも咽頭が狭まったのがわかった。喉をきゅうきゅうと締め付けるアドルフに、リチャードは腰を震わせ切なげな声を出す。
「……ッ、アドルフ……ッ」
リチャードは先ほどまで撫でていた手入れの行き届いた艶やかな黒髪を、生え際から乱暴に掴んだ。その痛みを感じるのと同時に喉奥にどぷどぷと注がれる感覚を味わい、剛猛が口から引き抜かれる。
「っ、ぷはっ」
ぶるりと震わせアドルフの鼻先をペチリと打ったそれは、ぴくぴくと震えては断続的に精を吐き出してアドルフの黒髪を汚した。
「ん、んん……っ」
アドルフは顔面に乗せられた熱を感じながら、僅かに腰を震わせる。最近、おかしいのだ。むずむずと言えばよいのか、それともうずうずかうぞうぞか、ともかく形容する言葉を持たない今までにない感覚が彼の腰や腹の奥を襲っている。
それに気づかない振りをして大きく息を吸い込むと、ちょうど鼻に当たる根本と睾丸の濃いにおいで頭がくらくらした。奉仕を続けなければと懸命に舌を伸ばす。射精している間に会陰を尖らせた舌先で突かれたリチャードが喘ぎ声を押し殺し、中のものを絞り出すように乱暴な手つきで自身を扱いた。
「はっ、はぁーッ……アドルフ、アドルフ……ッ」
まだ硬いそれの先端がくぱくぱ開き、アドルフの頬を突いて子種を飛ばす。どぷ、どぷと自分に掛かるまでのそれを間近で見ていたアドルフは、段々と射精の勢いがなくなるのを見届けて先端に吸い付いた。じゅ、じゅるると音を立てて中まで綺麗にしようと努める。度の過ぎた快感に腰を戦慄かせたリチャードがもういいとそれを制すまで、自分の顔は汚したまま主人のそこを綺麗にしようと疲れた舌を働かせた。
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『神子様』と呼ばれイケメンたちにちやほやされる瑠衣であったが、彼はどうも不満そうで…。
長編の合間の息抜きに書きました。
ふわっと設定なのでふわわっと読んでください。
すけべシーンには※が付いてます。

君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
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