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1巻
1-2
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そしてクリスマスイブの土曜日。
小百合は音楽教室のカウンターで受付業務に励んでいた。早上がりの日なので、理生と待ち合わせの時間には余裕で間に合いそうだ。
「こんにちはー」
受付前に来た若い女性に挨拶をすると、彼女が申し訳なさそうな顔をする。
「あっ、こんにちは。ギターレッスンに来たんですけど、吉田先生、もういらしてますよね? ちょっと遅れちゃって……。私、高橋といいます」
「高橋さまですね。五分遅れなので、まだキャンセルにはなりません。どうぞ教室に向かってください。今、高橋さまがいらしたことを吉田先生にお伝えしますね」
言いながら、手元にある電話の受話器を取って内線の番号を押した。
「ありがとうございます、行ってきます!」
「頑張ってくださいね~」
笑顔で生徒を見送る。
『はい、吉田です』
教室にいる講師に繋がったので、生徒が到着したことを伝え、内線を切った。パソコンの画面をチェックしながら小百合は思う。
(あぁ、赤ちゃんや小さい子どもを連れたママたちに会いたい。今日は土曜日だから、小学生以上の生徒さんと大人が主要な教室だ。もちろん大きな生徒さんもありがたいし、どんどん来てほしいんだけどね)
平日の午前と、午後の早い時間は幼児を連れたママたちで賑わうため、子ども好きな小百合にとって至福の時間だった。
可愛い子どもとお母さんの組み合わせを見ていると、イヤなことなどすべて忘れて、ほのぼのした気持ちになれる。
大きなショッピングモールの一角にある楽器店に併設された音楽教室。小百合はそこの音楽教室の受付と事務、そして親子で楽しめる音楽教室の講師をしていた。
ピアノを得意としていたので音大に進んだのだが、幼児向けの音楽教育に触れる機会があり、そこで子どもの可愛さに目覚めてしまったのだ。
……赤ちゃんは可愛い。子どもたちも可愛すぎる。ママとセットだと、なお素晴らしく可愛い。
大学卒業後に保育士になることも考えたが、音楽教室に募集があると知り飛びついた。新卒で入ってから今まで楽しく働き、早六年目。まだまだ続けたいと思っている。
午後四時過ぎに、小百合は退社した。身支度に時間がかかり、結局、待ち合わせにギリギリの時間となってしまった。
街はクリスマスイブの賑わいだ。そこかしこからクリスマスソングが聞こえ、イルミネーションが美しく煌めき、行き交う人々を笑顔にさせている。フラれてから間もない小百合も、今夜は冬の寒さを感じないほどに心が弾んでいた。
(理生のおかげで寂しく過ごさなくて済んだから? 街の雰囲気が心から楽しく感じられる。彼に感謝しないとね)
待ち合わせ場所のコーヒーショップへ向かうと、小百合から連絡を受けた理生が店の前に立っていた。
こちらに気づいた彼が手を振る。周りの女性たちが、一斉に小百合のほうを見た。こんなイケメンと待ち合わせているのはどんな人なのかと、興味があるのだろう。
慣れっことはいえ、視線が痛い。
「お待たせ。ごめん、遅れちゃったね」
「いや少しだけだろ、大丈夫だよ。予約入れてあるから行こうぜ」
爽やかな笑顔で答える理生は、すぐにその場を離れようと歩き出す。彼についていきながら、小百合は質問した。
「わざわざ銀座に来て、何の買い物するの?」
尋ねた瞬間、理生が立ち止まり、小百合を見下ろした。
「天然か? 婚約指輪を買いに行くんだろ?」
「は、え? ちょっ、は?」
「急ごう。ほら」
小百合の手を理生が掴む。大きな温かい手に包まれて、心臓が大きな音を立てた。
「あ、あの……」
「何だよ?」
戸惑う小百合の反応がおかしなものであるかのように、彼は首をかしげる。
「べ、別に」
先日、肩を抱かれた時と同じく、小百合は何でもないという顔をしてしまった。
(今さらどんな顔をしたらいいわけ? ずっと友だちだったのに、この接近の仕方は何なの? ていうか、婚約指輪?)
ぐいぐいと理生に引っ張られて、ジュエリーショップへ半ば強引に連れていかれる。
「このお店なの?」
「お気に召さない?」
「お気に召すも何も、こんなすごいブランドの指輪なんてダメよ。……いや、そうじゃなくて婚約指輪なんて本気で言ってるの?」
有名人御用達のブランドだ。女性誌やネットなどでも憧れの店として常に話題になっている。
「本気に決まってるだろ。俺たちは結婚する。だから婚約指輪を買いに来た。お前こそ、今さらどういうつもりだよ」
入り口でひとり焦る小百合に、理生が真面目な顔で言った。
「ええと、まさか理生が本気だとは思わなくて」
「いいから入るぞ。予約の時間、一分過ぎた」
「うっ……わかった。迷惑になっちゃうものね」
「そういうこと」
これ以上ここで立ち止まっていれば、お店に迷惑がかかる。仕方なく小百合は理生と共に店内に入った。
ただならぬラグジュアリーな空間に小百合はいたたまれなくなる。
個室に通され、カタログを見始めるとふたりきりになったので、小百合はささっと指輪を指定した。とにかく一番安いものをと考えたのだが、理生に却下される。
「何でろくに見もせず決めるんだよ。遠慮して安いもの選んでるだろ?」
「いやあの、これで十分すぎるってば」
一番安くても、小百合のような一般人にとっては手が届かない値段だ。
「ダメ。俺の立場も考えてくれ」
「……じゃあ、理生が選んでよ」
ぼそりと言ったところで男性スタッフが入ってきて、温かな飲み物を用意する。
「すみません、お願いしたいんですが」
「お決まりでしょうか?」
理生が声をかけると、男性はにこやかに答えた。
「値段が表示されていないカタログはありますか?」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
ハッとした顔に変わった男性はお辞儀をし、すぐさま部屋を出た。
「えっ、ちょっと、何それ」
「値段が見えなければ気にせず選べるだろ?」
「余計に選べないわよ……!」
「いいから、選んで」
揉めている間に店員が戻ってくる。先ほど見ていたものよりも大きなタブレットにジュエリーが表示された。もちろん値段は……ない。
「後悔しても知らないからね?」
「俺を見くびってもらっちゃ困るな」
ふふん、と笑った理生が、小百合の手をぎゅっと握った。思わず体がビクンとなり、顔が一気に火照る。
(何考えてるのよ。と言っても、ここに来るカップルはラブラブなんだから拒否するのも変か……。さっきも手を繋いでたけど、理生の温もりが直に伝わることが、こんなにも恥ずかしいだなんて……。ああ~どういう顔したらいいんだろう。この前、肩を抱かれた時からそればっかり……!)
混乱する状況の中、どうにか指輪を選び終えた。
もつ焼き屋の店に移動しても、小百合は少ししか食べられず、頭の中は今後のことでいっぱいだ。
そんな小百合の思いなどつゆ知らず、理生は呑気な発言を重ねていく。
「年末年始、お互いの実家に挨拶に行こう。どっちを先にする?」
「あの、本当に本気の、本気なのよね?」
「往生際が悪いなぁ。やめたいなら、納得できる明確な理由を教えてくれよ」
指摘されて考えるものの、断る理由が思い浮かばない。条件が良すぎるのだ。
考えてもみなかった相手だが、灯台下暗しとはこういうことだろう。
「……特にありません」
理生は完璧に小百合の条件にマッチしているのだから、こう答えるしかなかった。
「だよな? じゃあ次は式場の予約。俺はよくわからないから、小百合の好きな会場にしていいよ。誰を呼ぶかなぁ……。こういう時、お互いの友人が共通なのは便利だな」
「そうだけど……」
「小百合」
隣に座る彼がこちらに向き直り、小百合を真っ直ぐ見つめる。
「な、何?」
ドキリとさせられながら、小百合は返事をした。
「どうせならこの結婚、楽しもうぜ。小百合にとって結婚は、恋だの愛だのは関係ないんだろ? 俺といてラクだという利点を目いっぱい利用すればいいよ」
優しく微笑む理生の表情を見て、胸が痛くなる。
長年の付き合いから、理生が嘘を吐かない人間だとは知っていた。彼は小百合のために本気で「利用しろ」と言ってくれているのだ。
小百合も背筋を伸ばし、彼のほうへ姿勢を正す。
「理生も私のことを利用してね。私、理生には友人として、心から幸せになってほしかったのよ。理生が私との結婚によって人生にいろいろと都合がいいのなら、どんどん利用してほしい。それで理生が幸せになるなら、私も嬉しいから」
「……ありがとう。俺も、小百合には幸せになってほしいよ。誰よりも、そう思ってる」
理生の表情が曇ったような気がしたが、それは一瞬だった。
とにかく、突然のことではあるが、彼との結婚が現実的になったのだ。
理生の心意気を見せられた小百合は、自分も腹をくくって頭を下げる。
「これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
お互いハイボールのグラスを掲げて、数回目の乾杯をした。
飲んだ割にまったく酔えなかった小百合は、マンションの部屋に戻ってすぐにシャワーを浴びた。
(子どもがたくさん欲しいという私の願望も、これで安泰か……)
ふと、当然のことに気づいて声を上げる。
「――の前に、子づくりよね!?」
結婚して子どもを授かるには、つくらなければならない。理生との「それ」を想像することなど思いも寄らないほど、幼馴染という関係に慣れきっていた。
「理生と子づくりなんて、できるのかな私」
ちょっと想像するだけで、恥ずかしさに顔が熱くなる。
自分の体を見つめたが、あれこれ考えると前に進めなくなりそうなので、ひとまず洗うことに専念した。
◆ ◆ ◆
寺島理生、二十八歳。今日は人生最大の幸せな日である。
三月下旬の日曜日。東京では桜が満開を迎え、柔らかな日差しが春を告げていた。
チャペルでの挙式を無事に済ませた理生と小百合は、披露宴前に式場の中庭で写真撮影をしている。ここも桜が咲き、美しく手入れをされた緑の間から可愛らしい春の花々が顔を覗かせていた。
カメラマンの声がかかる中、幸せなポーズで写真を撮る。桜の下での撮影を終え、ベンチへ移動する際に理生はふと、我に返った。
(マジで小百合と結婚できたんだな、俺。これって本当に夢じゃないよな?)
理生は自分の頬をつねってみる。古典的な確認方法である。
「いでっ!」
「どうしたの?」
純白のドレスに身を包んだ小百合が、心配そうにこちらを見上げた。
「い、いや別に……」
「ほっぺ赤くなってるよ? ちょっと見せて」
小百合が理生の頬に手を伸ばす。
何と美しい花嫁だろう。
彼女の体に沿ったラインのドレスは裾が綺麗に広がり、背中が大きく開いている。マーメイドと呼ばれるウェディングドレスらしい。背が高く、細身の小百合を引き立てる素晴らしいデザインだ。
新芽の淡い緑の中で、小百合の姿が眩しく輝いている。あまりにも綺麗で、なかなか正視できないくらいだ。
その背中に触れたい、肩を抱きしめたいという欲望を抑えつつ、返事をした。
「何でもないって」
頬に触れてきた小百合の手を握り、カメラマンの指示に従って歩く。
「ちょっとそれ、虫さされじゃないよね? かゆくない?」
まだ心配している彼女の声が可愛くて、繋いだ手を強く握った。
「違う違う、間違えてひっかいただけ」
「ならいいけど……、写真に残らないかな?」
「少し触っただけだから、すぐに治るよ」
苦笑した理生は小百合と共にベンチに座る。
(マジでつねりすぎたわ。いくら夢みたいだからって、バカすぎるな俺)
小百合と結婚できたことが夢のよう……
そう思ってしまうのは、理生がここ二年ほど彼女に片思いをしていたからだ。
幼馴染のふたりは、お互い気の合う友人として付き合ってきた。
それがいつの間にか、理生の中にだけ違う感情が生まれていたのだ。
小百合と話すのは気楽で、素の自分が出せる。食事も遊びに行くのも、メッセージアプリで他愛ない会話をするのも楽しい。小百合と出かけたい。小百合に会いたい。いつまでも一緒にいたい――。そこまで思った時、理生は小百合をひとりの女性として好きなのだと気づく。
自覚した瞬間、パニックに陥りそうになった。
二十年も前から知っていて、恋愛感情など湧くはずがないと思い込んでいた相手に恋をしたのだから、自分の感情を持て余すのも無理はない。
それが今から二年前のこと。
当時、理生には恋人がいなかったが、小百合にはいた。婚活する前の彼氏だ。小百合と会うと、その彼氏との悩みやノロケなどを聞かされたが、理生は耐えた。小百合のためなら、どんな話も受け入れたい、少しでも彼女の悩みが和らげばいい、と思い込むことにした。
心の内では嫉妬にまみれ、ふたりを引き裂いてやりたいという悪意に満ちあふれていたが、そんな素振りは一切見せずに小百合と会った。時々、そんな奴とは別れればいいというアドバイスを交えながら――
実際、小百合が別れた時には「それで良かったんじゃないか」などと、素知らぬ顔で言った。小百合は「そうだよね……」と泣きそうな笑顔で答えた。
そして、弱っている彼女に迫るわけにはいかず、ただ遊びに連れていき、美味しい食事をするためだけに会うことにする。「俺にしておけよ」と言いそうになったことは数え切れないほどあったが、そのセリフは小百合の心の傷がすっかり良くなってから伝えようと決めていた。
そんなふうにグズグズしていると、小百合はいつの間にか婚活を始め、相手を見つけたと言うのだから、理生の血の気が引いたのは言うまでもない。
幸い、その相手とは上手くいかないだろうという予想が的中する。すぐさま理生は、このチャンスを逃すまいとプロポーズをしたのだ。
少々強引だったが、彼女もまんざらでもないように見えたので、結婚話をどんどん進めて今日に至ることができた。
互いの母親は自分たちが幼稚園の頃からのママ友であり今でも仲が良いため、この結婚には大賛成だ。また、父親同士も交流があり、そちらの反対もない。理生にとって環境も好都合なのだ。
理生の父は結婚相手は自分で決めろと前々から言っていて、小百合に告げた「親が結婚をせっついている」というのは、とっさに吐いた嘘だ。あのチャンスをどうしてもモノにしたかった。
(念願の小百合との結婚が叶った。縁結びの神社、マジで効くな。結婚式は教会だったけどそれは置いておいて、とにかく神様ありがとうございます!)
心の内の喜びのままに小百合を抱き上げ、お姫様抱っこをした。
「きゃっ……! び、びっくりした……!」
小さく叫んだ小百合の顔が間近にある。
「いいですね! どうぞ見つめ合ってください。新婦さまは、新郎さまの首にお手を回していただけると素敵ですよ!」
カメラマンに言われたとおり、彼女と視線を合わせた。恥ずかしそうに頬を染めた小百合が、おずおずと理生の首に手を回す。
ニヤリと笑いかけると、彼女は口を引き結んで羞恥に耐えていた。
煽っているのかと誤解しそうな、小百合のそそる表情。反射的に疼きそうになるのを鎮めて、平静を保った。
「……恥ずかしすぎるんだけど」
小百合が蚊の鳴くような声でつぶやく。
「楽しむんだろ? この結婚を」
「そ、そうだったわね」
理生に言われて思い出したのか、彼女は慌てて笑みを作り、こちらを見つめる。
(小百合、綺麗だ……。今日から俺の妻、奥さん、家内、あと何だっけ……? まぁいい。とにかく彼女と夫婦になった。仕事から帰れば、毎日家に小百合がいる。想像するだけで鼻血が出そうだ……)
カメラマンに写真を撮られながら、理生は心の中で悶えていた。
(とはいえ、俺が片思いしているという事実は変わらない。小百合は『恋だの愛だのはもう面倒臭い』と言っていたんだ。だからまだ告白はできない。俺が好きだと伝えたら、すぐに逃げられてしまいそうだしな。それだけはイヤだ……!)
小百合を支える手に一層力が入る。
「ねえ」
「……」
「理生ったら、ねえ」
「あっ、何?」
怪訝な顔をして小百合がこちらを見ている。理生の首に回されていた彼女の手は、とっくに外れていた。
「カメラマンさん、あっちに移動してって言ってるよ? 重いでしょ、下ろして」
「あ、ああ、うん。……いや、このまま移動するわ」
「へっ?」
戸惑う小百合をよそに、理生はお姫様抱っこをしたまま歩き始めた。
「……離したくない」
「え? 何か言った?」
「いや、何も」
小百合を離したくない。絶対に逃したくない。
だが、いつかこの想いを知ってもらえる時は来るのだろうか……
(何を弱気になってるんだ。俺は小百合を幸せにする。そして、男として振り向いてもらえるように努力していく。プロポーズした日にそう決めたんだ)
次の撮影場所に移り、理生は日の当たる芝生に彼女をそっと下ろした。
「――お前らは、こうなると思ってたよ」
「俺は意外だったな。幼馴染と結婚って珍しいんじゃない?」
披露宴会場に招待した友人らが、着席する新郎新婦の周りを囲んだ。
小学生からの付き合いと、大学時代からの友人たちだ。どちらも理生と小百合の共通の友だちである。
「私はいいと思うよ~! 幼馴染と結婚なんて理想よね」
「おっ、じゃあ俺と結婚するか? 独身同士ちょうどいいじゃん」
「いや、マジで無理。彼氏いるし」
昔からの気の置けない友人同士、冗談もあけすけな物言いも笑い飛ばしている様子が相変わらずだ。
「それにしても、背の高いふたりが並んでると迫力あるよな。座ってるとわからないけど」
友人のひとりが言うのと同時に、小百合の表情が曇った。たぶん、一瞬のそれに気づいたのは理生だけだろう。なぜなら彼女がすぐに笑顔で言い返したからだ。
「でしょ? 変な人に絡まれなくて済むから便利だよ」
「知らない奴が見たら一瞬ひるむよなぁ」
笑いながら友人が続けたが、いくら悪気がなくても小百合は気にしたに違いない。今の言葉のせいで心の内にモヤモヤが生まれたはずだ。少なくとも理生は今、モヤモヤしている。
「モデルみたいだろ? 羨ましいなら素直にそう言えよ」
理生は小百合の肩を抱き、友人に向けて笑顔を見せた。表情は優しいが、語気の強さで理生の不愉快さを友人は感じ取ったようだ。
「あ、はい、羨ましいです、すみません」
「バカねえ、最初からそう言えばいいのに。空気読めない発言しないの」
謝る友人を、小百合の親友である乾由香子が肘で小突いた。由香子の言葉に周りからも同意が起き、雰囲気が良いほうへ変わったことに理生はホッとする。
「そういえば、小百合は結婚したらたくさん子どもが欲しいって言ってたよね? もしかして今でもそうなの?」
「えっ、うん、まぁそうかな」
由香子の質問に小百合が答えると、「きゃー」とか、「うおお」などの声が上がった。
「何かもう、こっちが恥ずかしくなってきちゃうよ。仲が良くて羨ましい!」
「理生、頑張れよ! 十人くらい、いってしまえ」
こちらは理生の親友、追分知久だ。
彼にバーンと背中を叩かれて、持っていたシャンパンを落としそうになる。知久の顔を見つめながら、理生は口角を上げた。
「当然だろ。つくりまくってやる」
再びみんなの悲鳴が上がったのでチラリと小百合の顔を見ると、彼女は真っ赤になってアワアワしていた。
(俺は本気で子どもをつくりまくろうと思ってはいるが……。今さら小百合がイヤがるなんてことはないよな? 子どもが欲しいってことで結婚したんだから、当然、俺とつくる気でいるんだよな?)
急な不安に襲われたが、友人らと冗談を言い合っているうちに薄れていく。
歓談メインの披露宴は友人や親戚ら、お互いの職場の上司や同僚を呼んでいた。
理生のほうは父の希望で、理生直属の上司と同僚だけだ。堅苦しい雰囲気にさせまいという父の気遣いだった。
一方で小百合は、楽器店の同僚と講師仲間を呼んでいる。
「八雲先生……じゃなかった、今日から寺島先生ですね。ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます、吉田先生」
小百合に近づいた男性が彼女と挨拶を交わしている。
「吉田先生」と呼ばれた男性は爽やかな風貌のイケメンだ。妙に気にかかるので、理生もさりげなく吉田のほうを向く。
「先生のこと、僕は密かに狙ってたんですけどね~」
「お気遣い、痛み入ります」
小百合がさらりと吉田の言葉を躱す。理生は心の中で「いいぞ、小百合」とつぶやいた。
「お気遣いじゃなくて……まぁ、いいです。お祝いの席ですしね。余計なことを言うのはやめましょう」
苦笑した吉田が、チラリと理生を見る。微笑んでいても目の奥は笑っていない。
小百合は音楽教室のカウンターで受付業務に励んでいた。早上がりの日なので、理生と待ち合わせの時間には余裕で間に合いそうだ。
「こんにちはー」
受付前に来た若い女性に挨拶をすると、彼女が申し訳なさそうな顔をする。
「あっ、こんにちは。ギターレッスンに来たんですけど、吉田先生、もういらしてますよね? ちょっと遅れちゃって……。私、高橋といいます」
「高橋さまですね。五分遅れなので、まだキャンセルにはなりません。どうぞ教室に向かってください。今、高橋さまがいらしたことを吉田先生にお伝えしますね」
言いながら、手元にある電話の受話器を取って内線の番号を押した。
「ありがとうございます、行ってきます!」
「頑張ってくださいね~」
笑顔で生徒を見送る。
『はい、吉田です』
教室にいる講師に繋がったので、生徒が到着したことを伝え、内線を切った。パソコンの画面をチェックしながら小百合は思う。
(あぁ、赤ちゃんや小さい子どもを連れたママたちに会いたい。今日は土曜日だから、小学生以上の生徒さんと大人が主要な教室だ。もちろん大きな生徒さんもありがたいし、どんどん来てほしいんだけどね)
平日の午前と、午後の早い時間は幼児を連れたママたちで賑わうため、子ども好きな小百合にとって至福の時間だった。
可愛い子どもとお母さんの組み合わせを見ていると、イヤなことなどすべて忘れて、ほのぼのした気持ちになれる。
大きなショッピングモールの一角にある楽器店に併設された音楽教室。小百合はそこの音楽教室の受付と事務、そして親子で楽しめる音楽教室の講師をしていた。
ピアノを得意としていたので音大に進んだのだが、幼児向けの音楽教育に触れる機会があり、そこで子どもの可愛さに目覚めてしまったのだ。
……赤ちゃんは可愛い。子どもたちも可愛すぎる。ママとセットだと、なお素晴らしく可愛い。
大学卒業後に保育士になることも考えたが、音楽教室に募集があると知り飛びついた。新卒で入ってから今まで楽しく働き、早六年目。まだまだ続けたいと思っている。
午後四時過ぎに、小百合は退社した。身支度に時間がかかり、結局、待ち合わせにギリギリの時間となってしまった。
街はクリスマスイブの賑わいだ。そこかしこからクリスマスソングが聞こえ、イルミネーションが美しく煌めき、行き交う人々を笑顔にさせている。フラれてから間もない小百合も、今夜は冬の寒さを感じないほどに心が弾んでいた。
(理生のおかげで寂しく過ごさなくて済んだから? 街の雰囲気が心から楽しく感じられる。彼に感謝しないとね)
待ち合わせ場所のコーヒーショップへ向かうと、小百合から連絡を受けた理生が店の前に立っていた。
こちらに気づいた彼が手を振る。周りの女性たちが、一斉に小百合のほうを見た。こんなイケメンと待ち合わせているのはどんな人なのかと、興味があるのだろう。
慣れっことはいえ、視線が痛い。
「お待たせ。ごめん、遅れちゃったね」
「いや少しだけだろ、大丈夫だよ。予約入れてあるから行こうぜ」
爽やかな笑顔で答える理生は、すぐにその場を離れようと歩き出す。彼についていきながら、小百合は質問した。
「わざわざ銀座に来て、何の買い物するの?」
尋ねた瞬間、理生が立ち止まり、小百合を見下ろした。
「天然か? 婚約指輪を買いに行くんだろ?」
「は、え? ちょっ、は?」
「急ごう。ほら」
小百合の手を理生が掴む。大きな温かい手に包まれて、心臓が大きな音を立てた。
「あ、あの……」
「何だよ?」
戸惑う小百合の反応がおかしなものであるかのように、彼は首をかしげる。
「べ、別に」
先日、肩を抱かれた時と同じく、小百合は何でもないという顔をしてしまった。
(今さらどんな顔をしたらいいわけ? ずっと友だちだったのに、この接近の仕方は何なの? ていうか、婚約指輪?)
ぐいぐいと理生に引っ張られて、ジュエリーショップへ半ば強引に連れていかれる。
「このお店なの?」
「お気に召さない?」
「お気に召すも何も、こんなすごいブランドの指輪なんてダメよ。……いや、そうじゃなくて婚約指輪なんて本気で言ってるの?」
有名人御用達のブランドだ。女性誌やネットなどでも憧れの店として常に話題になっている。
「本気に決まってるだろ。俺たちは結婚する。だから婚約指輪を買いに来た。お前こそ、今さらどういうつもりだよ」
入り口でひとり焦る小百合に、理生が真面目な顔で言った。
「ええと、まさか理生が本気だとは思わなくて」
「いいから入るぞ。予約の時間、一分過ぎた」
「うっ……わかった。迷惑になっちゃうものね」
「そういうこと」
これ以上ここで立ち止まっていれば、お店に迷惑がかかる。仕方なく小百合は理生と共に店内に入った。
ただならぬラグジュアリーな空間に小百合はいたたまれなくなる。
個室に通され、カタログを見始めるとふたりきりになったので、小百合はささっと指輪を指定した。とにかく一番安いものをと考えたのだが、理生に却下される。
「何でろくに見もせず決めるんだよ。遠慮して安いもの選んでるだろ?」
「いやあの、これで十分すぎるってば」
一番安くても、小百合のような一般人にとっては手が届かない値段だ。
「ダメ。俺の立場も考えてくれ」
「……じゃあ、理生が選んでよ」
ぼそりと言ったところで男性スタッフが入ってきて、温かな飲み物を用意する。
「すみません、お願いしたいんですが」
「お決まりでしょうか?」
理生が声をかけると、男性はにこやかに答えた。
「値段が表示されていないカタログはありますか?」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
ハッとした顔に変わった男性はお辞儀をし、すぐさま部屋を出た。
「えっ、ちょっと、何それ」
「値段が見えなければ気にせず選べるだろ?」
「余計に選べないわよ……!」
「いいから、選んで」
揉めている間に店員が戻ってくる。先ほど見ていたものよりも大きなタブレットにジュエリーが表示された。もちろん値段は……ない。
「後悔しても知らないからね?」
「俺を見くびってもらっちゃ困るな」
ふふん、と笑った理生が、小百合の手をぎゅっと握った。思わず体がビクンとなり、顔が一気に火照る。
(何考えてるのよ。と言っても、ここに来るカップルはラブラブなんだから拒否するのも変か……。さっきも手を繋いでたけど、理生の温もりが直に伝わることが、こんなにも恥ずかしいだなんて……。ああ~どういう顔したらいいんだろう。この前、肩を抱かれた時からそればっかり……!)
混乱する状況の中、どうにか指輪を選び終えた。
もつ焼き屋の店に移動しても、小百合は少ししか食べられず、頭の中は今後のことでいっぱいだ。
そんな小百合の思いなどつゆ知らず、理生は呑気な発言を重ねていく。
「年末年始、お互いの実家に挨拶に行こう。どっちを先にする?」
「あの、本当に本気の、本気なのよね?」
「往生際が悪いなぁ。やめたいなら、納得できる明確な理由を教えてくれよ」
指摘されて考えるものの、断る理由が思い浮かばない。条件が良すぎるのだ。
考えてもみなかった相手だが、灯台下暗しとはこういうことだろう。
「……特にありません」
理生は完璧に小百合の条件にマッチしているのだから、こう答えるしかなかった。
「だよな? じゃあ次は式場の予約。俺はよくわからないから、小百合の好きな会場にしていいよ。誰を呼ぶかなぁ……。こういう時、お互いの友人が共通なのは便利だな」
「そうだけど……」
「小百合」
隣に座る彼がこちらに向き直り、小百合を真っ直ぐ見つめる。
「な、何?」
ドキリとさせられながら、小百合は返事をした。
「どうせならこの結婚、楽しもうぜ。小百合にとって結婚は、恋だの愛だのは関係ないんだろ? 俺といてラクだという利点を目いっぱい利用すればいいよ」
優しく微笑む理生の表情を見て、胸が痛くなる。
長年の付き合いから、理生が嘘を吐かない人間だとは知っていた。彼は小百合のために本気で「利用しろ」と言ってくれているのだ。
小百合も背筋を伸ばし、彼のほうへ姿勢を正す。
「理生も私のことを利用してね。私、理生には友人として、心から幸せになってほしかったのよ。理生が私との結婚によって人生にいろいろと都合がいいのなら、どんどん利用してほしい。それで理生が幸せになるなら、私も嬉しいから」
「……ありがとう。俺も、小百合には幸せになってほしいよ。誰よりも、そう思ってる」
理生の表情が曇ったような気がしたが、それは一瞬だった。
とにかく、突然のことではあるが、彼との結婚が現実的になったのだ。
理生の心意気を見せられた小百合は、自分も腹をくくって頭を下げる。
「これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
お互いハイボールのグラスを掲げて、数回目の乾杯をした。
飲んだ割にまったく酔えなかった小百合は、マンションの部屋に戻ってすぐにシャワーを浴びた。
(子どもがたくさん欲しいという私の願望も、これで安泰か……)
ふと、当然のことに気づいて声を上げる。
「――の前に、子づくりよね!?」
結婚して子どもを授かるには、つくらなければならない。理生との「それ」を想像することなど思いも寄らないほど、幼馴染という関係に慣れきっていた。
「理生と子づくりなんて、できるのかな私」
ちょっと想像するだけで、恥ずかしさに顔が熱くなる。
自分の体を見つめたが、あれこれ考えると前に進めなくなりそうなので、ひとまず洗うことに専念した。
◆ ◆ ◆
寺島理生、二十八歳。今日は人生最大の幸せな日である。
三月下旬の日曜日。東京では桜が満開を迎え、柔らかな日差しが春を告げていた。
チャペルでの挙式を無事に済ませた理生と小百合は、披露宴前に式場の中庭で写真撮影をしている。ここも桜が咲き、美しく手入れをされた緑の間から可愛らしい春の花々が顔を覗かせていた。
カメラマンの声がかかる中、幸せなポーズで写真を撮る。桜の下での撮影を終え、ベンチへ移動する際に理生はふと、我に返った。
(マジで小百合と結婚できたんだな、俺。これって本当に夢じゃないよな?)
理生は自分の頬をつねってみる。古典的な確認方法である。
「いでっ!」
「どうしたの?」
純白のドレスに身を包んだ小百合が、心配そうにこちらを見上げた。
「い、いや別に……」
「ほっぺ赤くなってるよ? ちょっと見せて」
小百合が理生の頬に手を伸ばす。
何と美しい花嫁だろう。
彼女の体に沿ったラインのドレスは裾が綺麗に広がり、背中が大きく開いている。マーメイドと呼ばれるウェディングドレスらしい。背が高く、細身の小百合を引き立てる素晴らしいデザインだ。
新芽の淡い緑の中で、小百合の姿が眩しく輝いている。あまりにも綺麗で、なかなか正視できないくらいだ。
その背中に触れたい、肩を抱きしめたいという欲望を抑えつつ、返事をした。
「何でもないって」
頬に触れてきた小百合の手を握り、カメラマンの指示に従って歩く。
「ちょっとそれ、虫さされじゃないよね? かゆくない?」
まだ心配している彼女の声が可愛くて、繋いだ手を強く握った。
「違う違う、間違えてひっかいただけ」
「ならいいけど……、写真に残らないかな?」
「少し触っただけだから、すぐに治るよ」
苦笑した理生は小百合と共にベンチに座る。
(マジでつねりすぎたわ。いくら夢みたいだからって、バカすぎるな俺)
小百合と結婚できたことが夢のよう……
そう思ってしまうのは、理生がここ二年ほど彼女に片思いをしていたからだ。
幼馴染のふたりは、お互い気の合う友人として付き合ってきた。
それがいつの間にか、理生の中にだけ違う感情が生まれていたのだ。
小百合と話すのは気楽で、素の自分が出せる。食事も遊びに行くのも、メッセージアプリで他愛ない会話をするのも楽しい。小百合と出かけたい。小百合に会いたい。いつまでも一緒にいたい――。そこまで思った時、理生は小百合をひとりの女性として好きなのだと気づく。
自覚した瞬間、パニックに陥りそうになった。
二十年も前から知っていて、恋愛感情など湧くはずがないと思い込んでいた相手に恋をしたのだから、自分の感情を持て余すのも無理はない。
それが今から二年前のこと。
当時、理生には恋人がいなかったが、小百合にはいた。婚活する前の彼氏だ。小百合と会うと、その彼氏との悩みやノロケなどを聞かされたが、理生は耐えた。小百合のためなら、どんな話も受け入れたい、少しでも彼女の悩みが和らげばいい、と思い込むことにした。
心の内では嫉妬にまみれ、ふたりを引き裂いてやりたいという悪意に満ちあふれていたが、そんな素振りは一切見せずに小百合と会った。時々、そんな奴とは別れればいいというアドバイスを交えながら――
実際、小百合が別れた時には「それで良かったんじゃないか」などと、素知らぬ顔で言った。小百合は「そうだよね……」と泣きそうな笑顔で答えた。
そして、弱っている彼女に迫るわけにはいかず、ただ遊びに連れていき、美味しい食事をするためだけに会うことにする。「俺にしておけよ」と言いそうになったことは数え切れないほどあったが、そのセリフは小百合の心の傷がすっかり良くなってから伝えようと決めていた。
そんなふうにグズグズしていると、小百合はいつの間にか婚活を始め、相手を見つけたと言うのだから、理生の血の気が引いたのは言うまでもない。
幸い、その相手とは上手くいかないだろうという予想が的中する。すぐさま理生は、このチャンスを逃すまいとプロポーズをしたのだ。
少々強引だったが、彼女もまんざらでもないように見えたので、結婚話をどんどん進めて今日に至ることができた。
互いの母親は自分たちが幼稚園の頃からのママ友であり今でも仲が良いため、この結婚には大賛成だ。また、父親同士も交流があり、そちらの反対もない。理生にとって環境も好都合なのだ。
理生の父は結婚相手は自分で決めろと前々から言っていて、小百合に告げた「親が結婚をせっついている」というのは、とっさに吐いた嘘だ。あのチャンスをどうしてもモノにしたかった。
(念願の小百合との結婚が叶った。縁結びの神社、マジで効くな。結婚式は教会だったけどそれは置いておいて、とにかく神様ありがとうございます!)
心の内の喜びのままに小百合を抱き上げ、お姫様抱っこをした。
「きゃっ……! び、びっくりした……!」
小さく叫んだ小百合の顔が間近にある。
「いいですね! どうぞ見つめ合ってください。新婦さまは、新郎さまの首にお手を回していただけると素敵ですよ!」
カメラマンに言われたとおり、彼女と視線を合わせた。恥ずかしそうに頬を染めた小百合が、おずおずと理生の首に手を回す。
ニヤリと笑いかけると、彼女は口を引き結んで羞恥に耐えていた。
煽っているのかと誤解しそうな、小百合のそそる表情。反射的に疼きそうになるのを鎮めて、平静を保った。
「……恥ずかしすぎるんだけど」
小百合が蚊の鳴くような声でつぶやく。
「楽しむんだろ? この結婚を」
「そ、そうだったわね」
理生に言われて思い出したのか、彼女は慌てて笑みを作り、こちらを見つめる。
(小百合、綺麗だ……。今日から俺の妻、奥さん、家内、あと何だっけ……? まぁいい。とにかく彼女と夫婦になった。仕事から帰れば、毎日家に小百合がいる。想像するだけで鼻血が出そうだ……)
カメラマンに写真を撮られながら、理生は心の中で悶えていた。
(とはいえ、俺が片思いしているという事実は変わらない。小百合は『恋だの愛だのはもう面倒臭い』と言っていたんだ。だからまだ告白はできない。俺が好きだと伝えたら、すぐに逃げられてしまいそうだしな。それだけはイヤだ……!)
小百合を支える手に一層力が入る。
「ねえ」
「……」
「理生ったら、ねえ」
「あっ、何?」
怪訝な顔をして小百合がこちらを見ている。理生の首に回されていた彼女の手は、とっくに外れていた。
「カメラマンさん、あっちに移動してって言ってるよ? 重いでしょ、下ろして」
「あ、ああ、うん。……いや、このまま移動するわ」
「へっ?」
戸惑う小百合をよそに、理生はお姫様抱っこをしたまま歩き始めた。
「……離したくない」
「え? 何か言った?」
「いや、何も」
小百合を離したくない。絶対に逃したくない。
だが、いつかこの想いを知ってもらえる時は来るのだろうか……
(何を弱気になってるんだ。俺は小百合を幸せにする。そして、男として振り向いてもらえるように努力していく。プロポーズした日にそう決めたんだ)
次の撮影場所に移り、理生は日の当たる芝生に彼女をそっと下ろした。
「――お前らは、こうなると思ってたよ」
「俺は意外だったな。幼馴染と結婚って珍しいんじゃない?」
披露宴会場に招待した友人らが、着席する新郎新婦の周りを囲んだ。
小学生からの付き合いと、大学時代からの友人たちだ。どちらも理生と小百合の共通の友だちである。
「私はいいと思うよ~! 幼馴染と結婚なんて理想よね」
「おっ、じゃあ俺と結婚するか? 独身同士ちょうどいいじゃん」
「いや、マジで無理。彼氏いるし」
昔からの気の置けない友人同士、冗談もあけすけな物言いも笑い飛ばしている様子が相変わらずだ。
「それにしても、背の高いふたりが並んでると迫力あるよな。座ってるとわからないけど」
友人のひとりが言うのと同時に、小百合の表情が曇った。たぶん、一瞬のそれに気づいたのは理生だけだろう。なぜなら彼女がすぐに笑顔で言い返したからだ。
「でしょ? 変な人に絡まれなくて済むから便利だよ」
「知らない奴が見たら一瞬ひるむよなぁ」
笑いながら友人が続けたが、いくら悪気がなくても小百合は気にしたに違いない。今の言葉のせいで心の内にモヤモヤが生まれたはずだ。少なくとも理生は今、モヤモヤしている。
「モデルみたいだろ? 羨ましいなら素直にそう言えよ」
理生は小百合の肩を抱き、友人に向けて笑顔を見せた。表情は優しいが、語気の強さで理生の不愉快さを友人は感じ取ったようだ。
「あ、はい、羨ましいです、すみません」
「バカねえ、最初からそう言えばいいのに。空気読めない発言しないの」
謝る友人を、小百合の親友である乾由香子が肘で小突いた。由香子の言葉に周りからも同意が起き、雰囲気が良いほうへ変わったことに理生はホッとする。
「そういえば、小百合は結婚したらたくさん子どもが欲しいって言ってたよね? もしかして今でもそうなの?」
「えっ、うん、まぁそうかな」
由香子の質問に小百合が答えると、「きゃー」とか、「うおお」などの声が上がった。
「何かもう、こっちが恥ずかしくなってきちゃうよ。仲が良くて羨ましい!」
「理生、頑張れよ! 十人くらい、いってしまえ」
こちらは理生の親友、追分知久だ。
彼にバーンと背中を叩かれて、持っていたシャンパンを落としそうになる。知久の顔を見つめながら、理生は口角を上げた。
「当然だろ。つくりまくってやる」
再びみんなの悲鳴が上がったのでチラリと小百合の顔を見ると、彼女は真っ赤になってアワアワしていた。
(俺は本気で子どもをつくりまくろうと思ってはいるが……。今さら小百合がイヤがるなんてことはないよな? 子どもが欲しいってことで結婚したんだから、当然、俺とつくる気でいるんだよな?)
急な不安に襲われたが、友人らと冗談を言い合っているうちに薄れていく。
歓談メインの披露宴は友人や親戚ら、お互いの職場の上司や同僚を呼んでいた。
理生のほうは父の希望で、理生直属の上司と同僚だけだ。堅苦しい雰囲気にさせまいという父の気遣いだった。
一方で小百合は、楽器店の同僚と講師仲間を呼んでいる。
「八雲先生……じゃなかった、今日から寺島先生ですね。ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます、吉田先生」
小百合に近づいた男性が彼女と挨拶を交わしている。
「吉田先生」と呼ばれた男性は爽やかな風貌のイケメンだ。妙に気にかかるので、理生もさりげなく吉田のほうを向く。
「先生のこと、僕は密かに狙ってたんですけどね~」
「お気遣い、痛み入ります」
小百合がさらりと吉田の言葉を躱す。理生は心の中で「いいぞ、小百合」とつぶやいた。
「お気遣いじゃなくて……まぁ、いいです。お祝いの席ですしね。余計なことを言うのはやめましょう」
苦笑した吉田が、チラリと理生を見る。微笑んでいても目の奥は笑っていない。
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