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1巻
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「はぁ~~、クリスマス直前にフラれるとか、最悪なんだけど……」
八雲小百合は薄いグラスを掲げ、日本酒をぐいと飲んだ。
「私の身長があと十センチ低かったら、フラれなかったのかなぁ。こういうパターン、何度目だろ?」
「そろそろやめとけって。飲みすぎだぞ」
ため息を吐きながら徳利に伸ばした手を、正面から制される。
「明日は休みだし、理生が一緒だから安心して飲んでるの」
「そりゃどうも。ていうか、俺のことそんなに信用してるんだ?」
小百合の相手をしている幼馴染の寺島理生が呆れ声で言った。
彼は幼稚園、小学校の同級生だ。中学、高校と一度疎遠になったが再会した大学で意気投合し、社会人になってもこうしてよく会っている。
「昔からの付き合いだもの。理生のことは信用してる。他の人とだったらこんなに飲まないし、醜態もさらしません」
「まぁ、誰にも見られない個室だしな。酔いまくっても、どうせ俺が送っていくしな」
「……ありがと。いつもごめん」
小百合がしゅんとすると、日本酒を手にした理生が苦笑した。
「いいよ。俺も小百合と飲むの、楽しいから」
「私も楽しい。でも、こんなに豪華なところばかりはちょっと困るよ。割り勘にもさせてくれないんだもの」
小百合は誘われた料亭の個室内を見回す。
床の間のある清潔な八畳の和室に二席だけという贅沢さ。隅に置かれた間接照明が部屋を上品に照らしている。美しい空間に素晴らしい食事――
できたばかりの恋人にフラれた小百合のために、「慰めてやるか」と理生が用意してくれた場所だ。
こういった「慰めの会」は何度目だろうか。
社会人一年目に当時の恋人にフラれた時から、理生とふたりで飲み始めた記憶がある。
小百合は背が高いことにコンプレックスを持っていた。
昨今、女性の百七十六センチという身長は珍しくもなさそうだが、彼女にとってはネガティブな要素が大きく、特に男性関係においては顕著だった。
フラれた理由で過去に一番傷ついたのは、体の相性が悪いと指摘されたこと。自分とたいして変わらない身長の体を相手にするのはしんどいだとか、そもそもその気になりにくいだとか、挙げ句の果てには、小柄の女性のほうが好みだとはっきりわかった、などと言われてしまった。
そして今回は婚活で出会った相手。深い関係になる前に別れたのは不幸中の幸いかもしれないが、去られた理由が「隣を歩くと背丈が一緒で恥ずかしいから」だったので、またかと落ち込んでいる。
とにかく、その前も、その前も、フラれた時は理生が慰めてくれた。次の恋に向かうまでの期間、彼は素晴らしい場所ばかりを選び、遊びや食事に連れていってくれたのだ。
それができたのは理生が大企業の御曹司であり、セレブな人種だからだろう。
「店を決めてるのは俺なんだ。金のことは気にしなくていい。誘いづらくなるから、そういう遠慮はやめてくれ」
理生は小百合の言葉を聞いて、不満げな顔をする。
「本当に?」
「本当。俺も、小百合が相手だと気兼ねなく飲めていいんだ。だからお互い気を遣うのはなし。いいな?」
「わかった。じゃあ、これからもよろしくお願いします」
理生はセレブではあるが、小百合が誘う居酒屋にも気軽に付き合い楽しんだ。何の話でも盛り上がるし盛り上げてくれるから、彼といると居心地が良くてつい時間を忘れてしまう。理生にとっても小百合はそういう存在なのだろう。
(そういえば、この二年くらい恋人がいないみたいだけど、どうしてなんだろう? 理生なら、よりどりみどりなのは間違いないのに)
疑問に思った時、個室をノックされた。小百合はとっさに居住まいを正す。
「お待たせいたしました」
入ってきた仲居が、鴨葱の陶板焼きと蕎麦を座卓に並べた。茶蕎麦、十割蕎麦、変わり種のバジル蕎麦が、それぞれ小鉢に可愛らしく盛られている。
「ここの蕎麦、美味いんだよ」
「美味しそう~……!」
ごゆっくりどうぞ、と仲居が出ていき、再びふたりだけの空間になる。
小百合は蕎麦を啜ったあと、目の前で同じく蕎麦を頬張る理生を改めて観察した。
たぶん、誰がどう見ても理生はイケメンの部類に入る。実際、大学の時はかなりモテていた。彼の恋人遍歴はだいたい知っている。みんな美人で人気のあった女性だ。
理生の身長は百八十八センチ。小百合より十センチ以上高い。手足が長く、細身に見えてしっかりした体躯は、上着を脱ぐと男らしさを感じさせた。
(見慣れちゃったから普段は忘れてるけど、本当にイイ顔してる)
きりりとした大きな目、通った鼻筋、大き目の口が野性的なところも魅力的だ。ビジュアルの良さは百点満点だろう。
(それに加えて性格は明るくてノリがいいし、誰にでも優しくて、私の面倒まで見てくれるイイ奴なのよ。これでモテないほうがおかしいでしょ。まぁ、たまに意地悪なことは言うけど……)
客観的に見れば本当に素敵な男性である。だが、幼い頃から知っているせいか、小百合の恋愛対象にはならなかった。彼もまた同様で、小百合が恋愛対象になることはない。
何でも気兼ねなく話せて、愚痴を言い、聞き役に回り、バカ話をして笑い、楽しい時間を共有できる大切な友人。それが小百合と理生の関係だ。
(大切な友人だからこそ、理生には幸せになってほしいと思ってる。面と向かってそれを伝えるのは照れ臭いけどね)
香ばしく焼けた鴨肉を口に入れる小百合に、理生が言った。
「お前さ、『これからもよろしくお願いします』って、また懲りずにフラれるつもりなのか?」
「ちょっ、好きでフラれてるわけじゃないわよ、失礼な!」
鴨肉をもぐもぐ噛みながら抗議する。
「身長のことは気にしなくていい。小百合はモデル並みにスタイルがいいんだから」
「理生だけよ、そんなふうに言ってくれるの。理生は背が高いから、気にしないでいてくれるもんね。でも、私と同じくらいの身長の男性からするとダメみたい」
「身体的なことを相手に求める男は、自分に自信がないんだろ。小百合は何も悪くないよ」
きっぱりと言ってくれた理生の言葉で、心が慰められた。
「……ありがと。理生がやめておけって忠告してくれたのに、私が中途半端な気持ちでいたのがいけなかったのよね、きっと」
「やめて良かっただろ、あんな男」
「結婚するには良い人だと思ったの。年収も十分あって優しそうだったし……」
「でもケチ臭かったじゃん」
「そ、それは結婚する前提だったから、お金にうるさかったのよ」
言い訳じみたことを口にしながら、結婚相手と考えていた彼の行動を思い出す。
「初デートで『ふつーの蕎麦屋』に行って、ワリカンのうえに端数は小百合持ちだったんだろ?」
「うん、まぁ……。細かいお金がなかったのかなって」
「カードで払えよ、そんなもん。その次のデートは牛丼屋に行って終わり。その後もデートらしいデートなんてしてなかったよな」
「よく覚えてるわね。理生って記憶力がいいよね」
感心していると、理生が腹立たしげな表情をあらわにした。
「先月の小百合の誕生日だって祝わなかった。どこまでケチなんだよ」
「それは……。まだ付き合い始めたばかりだったししょうがないよ。あ、あの時はありがとう。理生が誘ってくれたテーマパーク楽しかったね」
「ああ、また行こうな。って、いやそれは別にいいんだよ、とにかくだな――」
「お金の価値観以外は結婚してもいいかなって思えたのよね。好きなドラマとか映画も似てて」
「そんなもん、俺だって小百合と好み一緒じゃん。小百合の友だちだって同じじゃないか」
「と、とにかく、婚活で結婚話が進んだのはその人だけだったんだもの。いいと思ったのよ」
小百合はバジル蕎麦をつゆにつけ、ひとくち啜った。爽やかな風味が口に広がり、意外な美味しさに驚く。
「身長がどうのの前に、小百合の『結婚したい! 誰でもいいから! 早く!』っていう焦りが相手に伝わってるんじゃないか? それに怖じ気づいた男が、身長を理由にして去っていく……。あると思うな、俺は」
理生は鴨葱を日本酒のアテにして食べ、美味しいと言っては飲む、を繰り返している。
そんな理生を見つめて、小百合は小さく息を吐いた。
「もう二十八歳だもの……焦るわよ。世間じゃ、結婚したくない二十代だの、おひとりさまが流行ってるだの言われてるけど、あんなの嘘」
「嘘って?」
理生が残りの蕎麦を啜る。彼は気持ちいいくらいの食べっぷりなので、小百合も一緒に結構な量をたいらげてしまう。それもまた楽しいのだが。
「私の周りはみんな恋人いるし、っていうか恋人どころか半数以上結婚して子どももいる。後輩も結婚し始めて……。とにかくね、現実はこんなものなのよ」
「まぁ……、男はまだしも、女性はそういうことを気にする年齢かもな」
理生はおちょこを口にして、うんうんとうなずいた。
「でしょ? ほら、夏に夕子の結婚式、理生も一緒に出たじゃない。あ、春には富井くんの結婚式も」
「ああ、そういえばそうだった」
「だから焦るな、なんて安易に言わないでほしいわけ。……私ね、夢があるの」
理生と話しているうちに、気持ちが落ち着いた自分に気づく。
冷静になってみれば、自分をフッた相手に対してそれほど恋愛感情があったわけではない。理生に言われたとおり、結婚というものに焦っていただけなのだろう。
「知ってる。子どもは三人以上産みたい、金銭的に余裕があれば五人は欲しい、戸建てに家族でわいわい賑やかに暮らしたい……だろ?」
座椅子の背にもたれ、くつろいだ体勢で理生が答えた。
「正解! よくそんなに詳しく覚えてるわね~、やっぱり記憶力がいい!」
「まぁな」
ふふんと鼻で笑う彼に、小百合は苦笑する。
「そんなの、夢のまた夢だってわかってる。このあたりで戸建てを持つなんて私の歳じゃ到底無理。だからせめて早く子どもを産みたいと思って……」
何だかんだ、自分の欲を優先していただけ。そんな思惑を感じ取った相手が去るのは、当然かもしれない。
「何かもう、恋だの愛だのは面倒臭い、どうでもいいってなっちゃった。理生が慰めてくれたけど、身長のコンプレックスはなくなりそうにないし」
最終目標は「たくさん子どもが欲しい」なのだ。その過程にしがみついても意味がないと、ようやく理解する。
「だからもう、恋愛すっ飛ばして結婚だけしたーい! なんてね――」
「じゃあ俺と結婚すれば?」
理生が言った。聞き間違いかと思うほど、さらりとした言い方で。
「……え?」
「親同士も知り合いだし、面倒なことは一切ないだろ」
「ちょ、ちょっと冗談がすぎるでしょ、何言ってんの」
「冗談でこんなこと言わないって」
珍しく真剣な表情でこちらを見るから、小百合の心臓がドキリと音を立て、無意識に顔が熱くなる。
確かに理生は冗談で大切なことは言わない。
ということは――
「もしかして何かあったの? 悩みがあるなら言って? 親友なんだから」
小百合が身を乗り出すと、彼はさっと視線を逸らした。
「親に結婚しろって、うるさくせっつかれてるんだよ。でも、親が決めた相手は絶対にイヤだ」
「何でイヤなの? あんた御曹司なんだから、お相手はすごい女性ばっかりなんでしょう? 理生と同じ立場のお嬢様、親が俳優のモデル、あとは……女優? アナウンサー? よりどりみどりじゃないの」
理生は口をつぐみ、まだ視線を正面に向けずにいる。
「会ってみればいいのに。すごく可愛くていい人かもしれないよ? 今時、政略結婚を決めようとする女性なんて、真面目で心意気があっていいと思うけどなぁ」
「小百合ってお人好しだよな。そんなんだから、ろくな男が寄ってこないんだよ」
「わ、私の話じゃないでしょ。理生の結婚の話を――」
「だから俺は小百合と結婚する。お前にとっても優良物件だろ、俺」
上目遣いで問われ、今度は小百合が目を逸らしてしまった。
(何で私、ドキドキしてるの? 結婚って言葉に弱いから? というか、理生がいつになく素敵に見えたのはどういうこと?)
動揺を鎮めるためにコホンと咳払いし、姿勢を正す。
「そりゃまぁ、優良物件だろうけど……。でも、私と結婚したって理生にはメリットがないじゃない」
「いやありすぎるだろ。幼馴染だから気心が知れてる。親同士の仲がいいからこの結婚を喜ぶに決まってる。小百合は変にセレブに染まってない。俺にとってはいい条件ばかりだ」
「なるほど……」
そういう考え方もあるのかと妙に感心していると、理生がニヤリと笑った。
「俺と結婚したら、子どもは何人産んでくれてもかまわない。もちろん育児は協力する。その上でシッターをつけて小百合の負担を減らそう」
「なっ、何人でも!?」
嬉しい提案に、小百合は思わず立ち上がりそうになる。
「そう、何人でもオーケー。俺の仕事的にも、子どもは大歓迎だからな」
「ああ、確かにそうよね。忘れてたわ」
理生が勤めているのは「テラシマ・ベイビー株式会社」という、マタニティ、赤ちゃん、キッズ用品を取り扱っている大企業だ。
品物が購入できるだけではなく、マタニティママのコミュニティや習い事、幼児教育などの運営もしており、これらはすべてオンライン上でも行える。また様々なイベントを開催していて、そちらも盛況だ。この業界では頭ひとつ抜きん出ている会社である。
海外への輸出においては、品質の良い日本製品が受け、国内の少子化による消費の縮小も避けられていた。SDGsに対する取り組みも積極的だ。
(そんな完璧な企業の社長が理生のお父さん。理生がその会社を継ぐことは決まっていて、仕事に邁進中。理生は真面目でよく働くのよね……)
などと、酔った頭で考えていると、彼がおちょこを掲げる。
「小百合が続けたいなら、今の仕事を辞めなくていい。育児同様、お互いに忙しい時は家事を外注に頼ろう」
「でも御曹司の奥さんなんて、お付き合いが大変そう」
「最近は奥さん同伴のパーティーや会食は滅多にないよ。起業家も独身者が増えてるんで」
「へえ、そうなんだ」
「な、条件いいだろ? それに俺の隣なら身長は目立たない。まぁ、そもそも俺はそんなこと気にしないって、さっきも小百合が言ったとおりだしな」
理生が日本酒を飲み干し、こちらを見て笑った。
確かに条件は最高だ。小百合の夢が叶うのは目に見えている。親同士も喜びそうだ。
「理生と結婚ねぇ……。うん、まぁ、そういうのも良いかもね」
つい、そんな返事をこぼす。
「よし決まり。じゃあ、そろそろ出ようか」
「えっ、あ、そうね。もうこんな時間? ありがとう、いろいろ愚痴聞いてもらっちゃって」
「いえいえ。有意義な時間だったよ。美味かったしな」
「本当ね。すごく美味しかった」
慌ただしくその場を出ることになり、小百合も急いで身支度をする。
理生は今夜も、彼女には支払わせてくれない。
「ごちそうさまでした。でも、私から誘いにくくなるから、今度は絶対に払わせてね」
店を出て、路地に入ったところで小百合はお願いした。
きんと冷たい空気にさらされた頬が、日本酒で火照った熱を一気に冷ます。寒さに縮こまった小百合の肩を、理生が抱き寄せた。
「っ!?」
唐突な彼の行動に絶句して顔を上げる。視線が合った理生が、ニッと笑った。
「じゃあ次はクリスマスな。そこでごちそうしてもらうよ」
「……わかった。お店が空いているかわからないけど、探しておくね」
過剰に反応するのもおかしい気がして、平静を装って返事をする。と、同時に理生が手を離し、普通に隣を歩き始めた。
(今のは何だったの? 肩を抱くなんてこと、今まで一度もしなかったのに。もしかして理生ってば相当酔ってる……?)
寒さなど吹っ飛んでしまうくらいの衝撃である。
(きっとそう。だから私と結婚するだなんて、とんでもないことを言い出したのよね?)
小百合はドキドキしながら夜空を見上げた。冷え込みが厳しいせいか、都会の空にも星がいくつか輝いて見える。
「その時、婚約指輪、買いに行くから」
「え、あ、はい……?」
「小百合が好きな指輪買ってやるよ」
照れ臭そうに頭を掻きながら彼が言う。
小学校の時から変わらないそのクセを見て、小百合は苦笑した。
「買ってやるって言い方~」
「そうか、失礼だったな。ええと……買わせてください」
「それまでに理生の考えが変わってなければ、ね」
やはり酔っているのだろう。明日になれば理生はきっと忘れている。小百合も彼の言葉を本気になどしていなかった。
ここまで考えた時、ふと思い出す。
先月の話だ。
婚活相手と付き合い始めた十一月初旬。ちょうど小百合の誕生日だったのだが、その彼は何も言ってこなかった。婚活で互いのプロフィールはわかっていたのに、である。それを知った理生が気を遣い、以前に約束していたテーマパークへ誘ってくれたのだ。
落ち込んでいた小百合に、理生がかけてくれた言葉が――
「理生、テーマパークに出かけた時に冗談言ったでしょ? 律儀にその約束を守らなきゃって思ってるんじゃないの?」
「クリスマス前に小百合がフラれたら一緒にいる。それでひとりになった小百合を俺がもらってやるって話?」
「そう!」
「お前さぁ……それ、マジで忘れてただろ?」
はぁ~、と理生が大げさにため息を吐いた。
「だってあれは、私を慰めてくれようとした冗談の言葉でしょ?」
「本気だって言ったよ」
「え……、そうだったっけ……?」
言われた記憶がないので首をかしげると、彼は体を傾けて顔を覗き込んできた。
「寺島小百合って、良くない?」
「寺島小百合……、まぁ悪くはないんじゃない?」
「語呂はいいな」
「こういうの語呂って言う?」
「あははっ、わからん」
「理生ったら」
理生が笑い、何だか小百合もおかしくなって、一緒に笑う。
美味しい料理と美味しいお酒。素敵な空間と、理生との会話。それらを満喫した小百合は、すっかりいつもどおりの元気な自分に戻ったことを、真冬の夜の中で実感していた。
翌日の午後。
今日は休日なので小百合はひとり暮らしの部屋のベッドで、ゴロゴロしながらスマホの画面を眺めていた。
昨夜は飲みすぎた気がしたのだが、どこも何ともない。良い酒は美味しいだけでなく、悪酔いにすらならないのだ。
(今さらこんな時期にクリスマスの予約なんてやっぱり取れないな……。どうしよう、近所のパスタ屋さんですら予約でいっぱいだわ)
せっかく理生にごちそうできると思ったのに、これでは約束を果たせそうにない。
彼は仕事が忙しく、普段はそれほど頻繁に会えないのだが、小百合に悩みができると必ず駆けつけてくれる。美味しいものがあるところや楽しい場所に連れていってくれて、小百合の気が紛れた頃に解散する。それらの支払いを、いつも知らない間に理生が済ませてしまうのだ。
(理生がいいと言ってくれても甘えてばかりは申し訳なさすぎる。私の財力では豪華なところは無理だけど、美味しそうなお店を探そう)
その後、しばらくSNSで探しまくっていると、良さそうなお店が見つかった。
「新しいもつ焼き屋さんだ。何これ、席にハイボールのサーバーがついてるの? 飲み放題ってこと?」
ワクワクしながら情報をチェックする。予約も取れそうだ。クリスマスにもつ焼き……、まぁカップルでもないのだしいいか、と思った時。
――二十四日どう? 俺が店取ろうか?
理生からのメッセージがスマホに届く。
――新宿にあるもつ焼き屋さんの予約が取れそうなの。七時に予約入れちゃってもいい?
――いいね、ありがとう。じゃあ待ち合わせは五時に銀座で。小百合、早番の日だよな。間に合うか?
「銀座? 何でだろう?」
――間に合うけど、銀座に何の用なの?
――買い物だよ。そのあと、もつ焼き屋に間に合うようにするから大丈夫。不都合があったらメッセージして。
そこで会話は途切れた。仕事なのか会食なのかわからないが、理生は忙しそうだ。
「まさか本当に指輪を買いに行くつもり? ……なわけないか」
突然浮上した結婚話が本気だとは思えない。
「理生は酔ってたし、今も結婚話は出ていない。次に会った時はいつもどおりの関係に戻ってるでしょ」
ぶつぶつ言いながら店の予約をする。何を着ていこうか、などと小百合は呑気に考えていた。
八雲小百合は薄いグラスを掲げ、日本酒をぐいと飲んだ。
「私の身長があと十センチ低かったら、フラれなかったのかなぁ。こういうパターン、何度目だろ?」
「そろそろやめとけって。飲みすぎだぞ」
ため息を吐きながら徳利に伸ばした手を、正面から制される。
「明日は休みだし、理生が一緒だから安心して飲んでるの」
「そりゃどうも。ていうか、俺のことそんなに信用してるんだ?」
小百合の相手をしている幼馴染の寺島理生が呆れ声で言った。
彼は幼稚園、小学校の同級生だ。中学、高校と一度疎遠になったが再会した大学で意気投合し、社会人になってもこうしてよく会っている。
「昔からの付き合いだもの。理生のことは信用してる。他の人とだったらこんなに飲まないし、醜態もさらしません」
「まぁ、誰にも見られない個室だしな。酔いまくっても、どうせ俺が送っていくしな」
「……ありがと。いつもごめん」
小百合がしゅんとすると、日本酒を手にした理生が苦笑した。
「いいよ。俺も小百合と飲むの、楽しいから」
「私も楽しい。でも、こんなに豪華なところばかりはちょっと困るよ。割り勘にもさせてくれないんだもの」
小百合は誘われた料亭の個室内を見回す。
床の間のある清潔な八畳の和室に二席だけという贅沢さ。隅に置かれた間接照明が部屋を上品に照らしている。美しい空間に素晴らしい食事――
できたばかりの恋人にフラれた小百合のために、「慰めてやるか」と理生が用意してくれた場所だ。
こういった「慰めの会」は何度目だろうか。
社会人一年目に当時の恋人にフラれた時から、理生とふたりで飲み始めた記憶がある。
小百合は背が高いことにコンプレックスを持っていた。
昨今、女性の百七十六センチという身長は珍しくもなさそうだが、彼女にとってはネガティブな要素が大きく、特に男性関係においては顕著だった。
フラれた理由で過去に一番傷ついたのは、体の相性が悪いと指摘されたこと。自分とたいして変わらない身長の体を相手にするのはしんどいだとか、そもそもその気になりにくいだとか、挙げ句の果てには、小柄の女性のほうが好みだとはっきりわかった、などと言われてしまった。
そして今回は婚活で出会った相手。深い関係になる前に別れたのは不幸中の幸いかもしれないが、去られた理由が「隣を歩くと背丈が一緒で恥ずかしいから」だったので、またかと落ち込んでいる。
とにかく、その前も、その前も、フラれた時は理生が慰めてくれた。次の恋に向かうまでの期間、彼は素晴らしい場所ばかりを選び、遊びや食事に連れていってくれたのだ。
それができたのは理生が大企業の御曹司であり、セレブな人種だからだろう。
「店を決めてるのは俺なんだ。金のことは気にしなくていい。誘いづらくなるから、そういう遠慮はやめてくれ」
理生は小百合の言葉を聞いて、不満げな顔をする。
「本当に?」
「本当。俺も、小百合が相手だと気兼ねなく飲めていいんだ。だからお互い気を遣うのはなし。いいな?」
「わかった。じゃあ、これからもよろしくお願いします」
理生はセレブではあるが、小百合が誘う居酒屋にも気軽に付き合い楽しんだ。何の話でも盛り上がるし盛り上げてくれるから、彼といると居心地が良くてつい時間を忘れてしまう。理生にとっても小百合はそういう存在なのだろう。
(そういえば、この二年くらい恋人がいないみたいだけど、どうしてなんだろう? 理生なら、よりどりみどりなのは間違いないのに)
疑問に思った時、個室をノックされた。小百合はとっさに居住まいを正す。
「お待たせいたしました」
入ってきた仲居が、鴨葱の陶板焼きと蕎麦を座卓に並べた。茶蕎麦、十割蕎麦、変わり種のバジル蕎麦が、それぞれ小鉢に可愛らしく盛られている。
「ここの蕎麦、美味いんだよ」
「美味しそう~……!」
ごゆっくりどうぞ、と仲居が出ていき、再びふたりだけの空間になる。
小百合は蕎麦を啜ったあと、目の前で同じく蕎麦を頬張る理生を改めて観察した。
たぶん、誰がどう見ても理生はイケメンの部類に入る。実際、大学の時はかなりモテていた。彼の恋人遍歴はだいたい知っている。みんな美人で人気のあった女性だ。
理生の身長は百八十八センチ。小百合より十センチ以上高い。手足が長く、細身に見えてしっかりした体躯は、上着を脱ぐと男らしさを感じさせた。
(見慣れちゃったから普段は忘れてるけど、本当にイイ顔してる)
きりりとした大きな目、通った鼻筋、大き目の口が野性的なところも魅力的だ。ビジュアルの良さは百点満点だろう。
(それに加えて性格は明るくてノリがいいし、誰にでも優しくて、私の面倒まで見てくれるイイ奴なのよ。これでモテないほうがおかしいでしょ。まぁ、たまに意地悪なことは言うけど……)
客観的に見れば本当に素敵な男性である。だが、幼い頃から知っているせいか、小百合の恋愛対象にはならなかった。彼もまた同様で、小百合が恋愛対象になることはない。
何でも気兼ねなく話せて、愚痴を言い、聞き役に回り、バカ話をして笑い、楽しい時間を共有できる大切な友人。それが小百合と理生の関係だ。
(大切な友人だからこそ、理生には幸せになってほしいと思ってる。面と向かってそれを伝えるのは照れ臭いけどね)
香ばしく焼けた鴨肉を口に入れる小百合に、理生が言った。
「お前さ、『これからもよろしくお願いします』って、また懲りずにフラれるつもりなのか?」
「ちょっ、好きでフラれてるわけじゃないわよ、失礼な!」
鴨肉をもぐもぐ噛みながら抗議する。
「身長のことは気にしなくていい。小百合はモデル並みにスタイルがいいんだから」
「理生だけよ、そんなふうに言ってくれるの。理生は背が高いから、気にしないでいてくれるもんね。でも、私と同じくらいの身長の男性からするとダメみたい」
「身体的なことを相手に求める男は、自分に自信がないんだろ。小百合は何も悪くないよ」
きっぱりと言ってくれた理生の言葉で、心が慰められた。
「……ありがと。理生がやめておけって忠告してくれたのに、私が中途半端な気持ちでいたのがいけなかったのよね、きっと」
「やめて良かっただろ、あんな男」
「結婚するには良い人だと思ったの。年収も十分あって優しそうだったし……」
「でもケチ臭かったじゃん」
「そ、それは結婚する前提だったから、お金にうるさかったのよ」
言い訳じみたことを口にしながら、結婚相手と考えていた彼の行動を思い出す。
「初デートで『ふつーの蕎麦屋』に行って、ワリカンのうえに端数は小百合持ちだったんだろ?」
「うん、まぁ……。細かいお金がなかったのかなって」
「カードで払えよ、そんなもん。その次のデートは牛丼屋に行って終わり。その後もデートらしいデートなんてしてなかったよな」
「よく覚えてるわね。理生って記憶力がいいよね」
感心していると、理生が腹立たしげな表情をあらわにした。
「先月の小百合の誕生日だって祝わなかった。どこまでケチなんだよ」
「それは……。まだ付き合い始めたばかりだったししょうがないよ。あ、あの時はありがとう。理生が誘ってくれたテーマパーク楽しかったね」
「ああ、また行こうな。って、いやそれは別にいいんだよ、とにかくだな――」
「お金の価値観以外は結婚してもいいかなって思えたのよね。好きなドラマとか映画も似てて」
「そんなもん、俺だって小百合と好み一緒じゃん。小百合の友だちだって同じじゃないか」
「と、とにかく、婚活で結婚話が進んだのはその人だけだったんだもの。いいと思ったのよ」
小百合はバジル蕎麦をつゆにつけ、ひとくち啜った。爽やかな風味が口に広がり、意外な美味しさに驚く。
「身長がどうのの前に、小百合の『結婚したい! 誰でもいいから! 早く!』っていう焦りが相手に伝わってるんじゃないか? それに怖じ気づいた男が、身長を理由にして去っていく……。あると思うな、俺は」
理生は鴨葱を日本酒のアテにして食べ、美味しいと言っては飲む、を繰り返している。
そんな理生を見つめて、小百合は小さく息を吐いた。
「もう二十八歳だもの……焦るわよ。世間じゃ、結婚したくない二十代だの、おひとりさまが流行ってるだの言われてるけど、あんなの嘘」
「嘘って?」
理生が残りの蕎麦を啜る。彼は気持ちいいくらいの食べっぷりなので、小百合も一緒に結構な量をたいらげてしまう。それもまた楽しいのだが。
「私の周りはみんな恋人いるし、っていうか恋人どころか半数以上結婚して子どももいる。後輩も結婚し始めて……。とにかくね、現実はこんなものなのよ」
「まぁ……、男はまだしも、女性はそういうことを気にする年齢かもな」
理生はおちょこを口にして、うんうんとうなずいた。
「でしょ? ほら、夏に夕子の結婚式、理生も一緒に出たじゃない。あ、春には富井くんの結婚式も」
「ああ、そういえばそうだった」
「だから焦るな、なんて安易に言わないでほしいわけ。……私ね、夢があるの」
理生と話しているうちに、気持ちが落ち着いた自分に気づく。
冷静になってみれば、自分をフッた相手に対してそれほど恋愛感情があったわけではない。理生に言われたとおり、結婚というものに焦っていただけなのだろう。
「知ってる。子どもは三人以上産みたい、金銭的に余裕があれば五人は欲しい、戸建てに家族でわいわい賑やかに暮らしたい……だろ?」
座椅子の背にもたれ、くつろいだ体勢で理生が答えた。
「正解! よくそんなに詳しく覚えてるわね~、やっぱり記憶力がいい!」
「まぁな」
ふふんと鼻で笑う彼に、小百合は苦笑する。
「そんなの、夢のまた夢だってわかってる。このあたりで戸建てを持つなんて私の歳じゃ到底無理。だからせめて早く子どもを産みたいと思って……」
何だかんだ、自分の欲を優先していただけ。そんな思惑を感じ取った相手が去るのは、当然かもしれない。
「何かもう、恋だの愛だのは面倒臭い、どうでもいいってなっちゃった。理生が慰めてくれたけど、身長のコンプレックスはなくなりそうにないし」
最終目標は「たくさん子どもが欲しい」なのだ。その過程にしがみついても意味がないと、ようやく理解する。
「だからもう、恋愛すっ飛ばして結婚だけしたーい! なんてね――」
「じゃあ俺と結婚すれば?」
理生が言った。聞き間違いかと思うほど、さらりとした言い方で。
「……え?」
「親同士も知り合いだし、面倒なことは一切ないだろ」
「ちょ、ちょっと冗談がすぎるでしょ、何言ってんの」
「冗談でこんなこと言わないって」
珍しく真剣な表情でこちらを見るから、小百合の心臓がドキリと音を立て、無意識に顔が熱くなる。
確かに理生は冗談で大切なことは言わない。
ということは――
「もしかして何かあったの? 悩みがあるなら言って? 親友なんだから」
小百合が身を乗り出すと、彼はさっと視線を逸らした。
「親に結婚しろって、うるさくせっつかれてるんだよ。でも、親が決めた相手は絶対にイヤだ」
「何でイヤなの? あんた御曹司なんだから、お相手はすごい女性ばっかりなんでしょう? 理生と同じ立場のお嬢様、親が俳優のモデル、あとは……女優? アナウンサー? よりどりみどりじゃないの」
理生は口をつぐみ、まだ視線を正面に向けずにいる。
「会ってみればいいのに。すごく可愛くていい人かもしれないよ? 今時、政略結婚を決めようとする女性なんて、真面目で心意気があっていいと思うけどなぁ」
「小百合ってお人好しだよな。そんなんだから、ろくな男が寄ってこないんだよ」
「わ、私の話じゃないでしょ。理生の結婚の話を――」
「だから俺は小百合と結婚する。お前にとっても優良物件だろ、俺」
上目遣いで問われ、今度は小百合が目を逸らしてしまった。
(何で私、ドキドキしてるの? 結婚って言葉に弱いから? というか、理生がいつになく素敵に見えたのはどういうこと?)
動揺を鎮めるためにコホンと咳払いし、姿勢を正す。
「そりゃまぁ、優良物件だろうけど……。でも、私と結婚したって理生にはメリットがないじゃない」
「いやありすぎるだろ。幼馴染だから気心が知れてる。親同士の仲がいいからこの結婚を喜ぶに決まってる。小百合は変にセレブに染まってない。俺にとってはいい条件ばかりだ」
「なるほど……」
そういう考え方もあるのかと妙に感心していると、理生がニヤリと笑った。
「俺と結婚したら、子どもは何人産んでくれてもかまわない。もちろん育児は協力する。その上でシッターをつけて小百合の負担を減らそう」
「なっ、何人でも!?」
嬉しい提案に、小百合は思わず立ち上がりそうになる。
「そう、何人でもオーケー。俺の仕事的にも、子どもは大歓迎だからな」
「ああ、確かにそうよね。忘れてたわ」
理生が勤めているのは「テラシマ・ベイビー株式会社」という、マタニティ、赤ちゃん、キッズ用品を取り扱っている大企業だ。
品物が購入できるだけではなく、マタニティママのコミュニティや習い事、幼児教育などの運営もしており、これらはすべてオンライン上でも行える。また様々なイベントを開催していて、そちらも盛況だ。この業界では頭ひとつ抜きん出ている会社である。
海外への輸出においては、品質の良い日本製品が受け、国内の少子化による消費の縮小も避けられていた。SDGsに対する取り組みも積極的だ。
(そんな完璧な企業の社長が理生のお父さん。理生がその会社を継ぐことは決まっていて、仕事に邁進中。理生は真面目でよく働くのよね……)
などと、酔った頭で考えていると、彼がおちょこを掲げる。
「小百合が続けたいなら、今の仕事を辞めなくていい。育児同様、お互いに忙しい時は家事を外注に頼ろう」
「でも御曹司の奥さんなんて、お付き合いが大変そう」
「最近は奥さん同伴のパーティーや会食は滅多にないよ。起業家も独身者が増えてるんで」
「へえ、そうなんだ」
「な、条件いいだろ? それに俺の隣なら身長は目立たない。まぁ、そもそも俺はそんなこと気にしないって、さっきも小百合が言ったとおりだしな」
理生が日本酒を飲み干し、こちらを見て笑った。
確かに条件は最高だ。小百合の夢が叶うのは目に見えている。親同士も喜びそうだ。
「理生と結婚ねぇ……。うん、まぁ、そういうのも良いかもね」
つい、そんな返事をこぼす。
「よし決まり。じゃあ、そろそろ出ようか」
「えっ、あ、そうね。もうこんな時間? ありがとう、いろいろ愚痴聞いてもらっちゃって」
「いえいえ。有意義な時間だったよ。美味かったしな」
「本当ね。すごく美味しかった」
慌ただしくその場を出ることになり、小百合も急いで身支度をする。
理生は今夜も、彼女には支払わせてくれない。
「ごちそうさまでした。でも、私から誘いにくくなるから、今度は絶対に払わせてね」
店を出て、路地に入ったところで小百合はお願いした。
きんと冷たい空気にさらされた頬が、日本酒で火照った熱を一気に冷ます。寒さに縮こまった小百合の肩を、理生が抱き寄せた。
「っ!?」
唐突な彼の行動に絶句して顔を上げる。視線が合った理生が、ニッと笑った。
「じゃあ次はクリスマスな。そこでごちそうしてもらうよ」
「……わかった。お店が空いているかわからないけど、探しておくね」
過剰に反応するのもおかしい気がして、平静を装って返事をする。と、同時に理生が手を離し、普通に隣を歩き始めた。
(今のは何だったの? 肩を抱くなんてこと、今まで一度もしなかったのに。もしかして理生ってば相当酔ってる……?)
寒さなど吹っ飛んでしまうくらいの衝撃である。
(きっとそう。だから私と結婚するだなんて、とんでもないことを言い出したのよね?)
小百合はドキドキしながら夜空を見上げた。冷え込みが厳しいせいか、都会の空にも星がいくつか輝いて見える。
「その時、婚約指輪、買いに行くから」
「え、あ、はい……?」
「小百合が好きな指輪買ってやるよ」
照れ臭そうに頭を掻きながら彼が言う。
小学校の時から変わらないそのクセを見て、小百合は苦笑した。
「買ってやるって言い方~」
「そうか、失礼だったな。ええと……買わせてください」
「それまでに理生の考えが変わってなければ、ね」
やはり酔っているのだろう。明日になれば理生はきっと忘れている。小百合も彼の言葉を本気になどしていなかった。
ここまで考えた時、ふと思い出す。
先月の話だ。
婚活相手と付き合い始めた十一月初旬。ちょうど小百合の誕生日だったのだが、その彼は何も言ってこなかった。婚活で互いのプロフィールはわかっていたのに、である。それを知った理生が気を遣い、以前に約束していたテーマパークへ誘ってくれたのだ。
落ち込んでいた小百合に、理生がかけてくれた言葉が――
「理生、テーマパークに出かけた時に冗談言ったでしょ? 律儀にその約束を守らなきゃって思ってるんじゃないの?」
「クリスマス前に小百合がフラれたら一緒にいる。それでひとりになった小百合を俺がもらってやるって話?」
「そう!」
「お前さぁ……それ、マジで忘れてただろ?」
はぁ~、と理生が大げさにため息を吐いた。
「だってあれは、私を慰めてくれようとした冗談の言葉でしょ?」
「本気だって言ったよ」
「え……、そうだったっけ……?」
言われた記憶がないので首をかしげると、彼は体を傾けて顔を覗き込んできた。
「寺島小百合って、良くない?」
「寺島小百合……、まぁ悪くはないんじゃない?」
「語呂はいいな」
「こういうの語呂って言う?」
「あははっ、わからん」
「理生ったら」
理生が笑い、何だか小百合もおかしくなって、一緒に笑う。
美味しい料理と美味しいお酒。素敵な空間と、理生との会話。それらを満喫した小百合は、すっかりいつもどおりの元気な自分に戻ったことを、真冬の夜の中で実感していた。
翌日の午後。
今日は休日なので小百合はひとり暮らしの部屋のベッドで、ゴロゴロしながらスマホの画面を眺めていた。
昨夜は飲みすぎた気がしたのだが、どこも何ともない。良い酒は美味しいだけでなく、悪酔いにすらならないのだ。
(今さらこんな時期にクリスマスの予約なんてやっぱり取れないな……。どうしよう、近所のパスタ屋さんですら予約でいっぱいだわ)
せっかく理生にごちそうできると思ったのに、これでは約束を果たせそうにない。
彼は仕事が忙しく、普段はそれほど頻繁に会えないのだが、小百合に悩みができると必ず駆けつけてくれる。美味しいものがあるところや楽しい場所に連れていってくれて、小百合の気が紛れた頃に解散する。それらの支払いを、いつも知らない間に理生が済ませてしまうのだ。
(理生がいいと言ってくれても甘えてばかりは申し訳なさすぎる。私の財力では豪華なところは無理だけど、美味しそうなお店を探そう)
その後、しばらくSNSで探しまくっていると、良さそうなお店が見つかった。
「新しいもつ焼き屋さんだ。何これ、席にハイボールのサーバーがついてるの? 飲み放題ってこと?」
ワクワクしながら情報をチェックする。予約も取れそうだ。クリスマスにもつ焼き……、まぁカップルでもないのだしいいか、と思った時。
――二十四日どう? 俺が店取ろうか?
理生からのメッセージがスマホに届く。
――新宿にあるもつ焼き屋さんの予約が取れそうなの。七時に予約入れちゃってもいい?
――いいね、ありがとう。じゃあ待ち合わせは五時に銀座で。小百合、早番の日だよな。間に合うか?
「銀座? 何でだろう?」
――間に合うけど、銀座に何の用なの?
――買い物だよ。そのあと、もつ焼き屋に間に合うようにするから大丈夫。不都合があったらメッセージして。
そこで会話は途切れた。仕事なのか会食なのかわからないが、理生は忙しそうだ。
「まさか本当に指輪を買いに行くつもり? ……なわけないか」
突然浮上した結婚話が本気だとは思えない。
「理生は酔ってたし、今も結婚話は出ていない。次に会った時はいつもどおりの関係に戻ってるでしょ」
ぶつぶつ言いながら店の予約をする。何を着ていこうか、などと小百合は呑気に考えていた。
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