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番外編
さんにん
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「お弁当」の数か月後のお話。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
九月に入ったばかりの陽気は、まだ秋の気配を微塵も感じさせない。
窓の外に広がる目が痛くなるくらいの真っ青な空を見つめ、ほっと息を吐いた。その瞬間、リビング中に泣き声が響き渡る。
「あららら~、東京のばぁばは嫌かな? どうしようね~」
「やっぱり私がいいんだろう。どれ、抱っこするから、ほら」
「お父さんはだーめ。今まで抱っこしてたでしょ」
「お前は昨日、さんざっぱら抱っこしてたじゃないか。私ももっと抱っこしたいぞ」
義母に手を伸ばした義父の間に、壮介さんが割り込んだ。
「父さんも母さんも取り合いしないの。ほら泣いちゃってるじゃない。僕が抱っこするよ」
あれよという間に、彼は自分の腕の中に子どもをおさめた。
「まぁ、壮介ったら」
「小夏ちゃんは、パパがいいんだもんね~。あー可愛い。世界一可愛い子だ、いい子いい子」
壮介さんは小夏の柔らかなぷにぷにのほっぺたに、ちゅっちゅと何度もキスをして、とろけそうな笑顔を浮かべている。
「絶対にどこにも嫁にはやらないからね~、ずっとパパのところにいようね~。彼氏なんか連れて来たら、その男ぶちのめしてやるからね~」
「怖いな、お前は。気持ちはわかるが」
お義父さんが呆れたようなため息を吐く。私は反対に笑いがこみ上げた。
義父母には仕事人間の顔、私の両親には何でもそつなくこなす、しっかりした婿の顔を見せていた壮介さんの子煩悩っぷりに、皆驚きっぱなしだ。私には想定の範囲内だったけど、ね。
七月に横浜の実家に帰った私は、八月初めに出産をした。ありがたいことに初産とは思えないほどの安産で、生まれたのは元気な女の子。壮介さんが妊娠中に「予定日が夏だから、女の子が生まれたら『小夏』ちゃんにしよう」と決めていて、その通りになった。響きが可愛らしく、古田の名字にもぴったり合っている。私も大賛成をした名前だ。
そのまま実家にいた私と小夏は一か月健診を終え、その後、お宮参りも近くで済ませることになる。鎌倉でのお宮参りもいいなと思ったけれど、それは少し大きくなってからの七五三にする予定だ。
昨日、こちらへきてくれた義父母と壮介さんとともにお宮参りを済ませ、皆は私の実家に泊まった。小夏の生後一か月と、私の体が順調に回復しているのをお祝いしてもらう。義母と義父は初孫ということもあって、ことさら嬉しそうだった。そんな二人の笑顔を見ることが、私もとても嬉しい。
「いいパパでよかったわね、七緒」
「うん」
母が私のそばにきて座った。実家で頼りっぱなしだった一か月が、これで終わる。多少の心細さはあるけれど、不思議と不安はなかった。産む前は不安なことがいっぱいだったのに、小夏の顔を見てからはなぜだろう、私がしっかりして、この子を守らなくてはという気持ちのほうが勝っている。
「忘れ物はない?」
「大丈夫」
「まぁ、何かあったら、すぐ宅配便で送るから」
「うん、お願い」
壮介さんは泣き止んだ小夏を私の腕にそっと預けた。小さな重みを大切に抱っこする。彼は私の荷物を持ってくれた。
「これでしばらく横浜のばーばとはさよならね、小夏ちゃん」
「じーじもな。またな、小夏ちゃん」
腕の中にいる小夏を、私の両親が覗き込む。小夏は何となく二人の方をじっと見た。黒目の大きな瞳がきらきら輝いている。
「お父さんお母さん、お世話になりました。家にも遊びに来てね」
「またくるんだぞ、七緒」
「うん、ありがとう、お父さん」
「何かあったら言いなさいよ、飛んでいくから」
「ありがと、お母さん」
私はそばにいた義父母にも頭を下げた。
「お義父さん、お義母さん。昨日、今日と本当にありがとうございました」
「よかったわね、七緒ちゃん。無事に一か月健診もお宮参りも済んだし、ホッとしたでしょう」
「ええ、本当に。首が座ったらみもと屋に連れて行きますね。あ、もちろん家にも遊びに来てください」
「ありがとう、七緒ちゃん。何かあったら私も飛んでいくから、遠慮せずに何でも言ってね?」
「はい!」
私と小夏は、壮介さんが昨日迎えに来た車で家に帰る。義父母はこの後、横浜周辺を観光してから帰るようだ。
「ただいまー! あ~家の匂いがする。懐かしい」
「七緒さん、二か月ぶりだもんね」
「うん。やっぱりホッとする。エアコンつけておいてくれたのね」
「ああ、スマホでね。やっぱりこれがあると便利だな」
家に着き、玄関を上がって驚いた。意外にもとても片付いていて、掃除もよくされている。私が妊娠中から掃除を手伝ってくれたことはあるけど、ここまでしてくれていたとは思いもよらなかった。
リビングで壮介さんが振り向く。
「ほら小夏ちゃん、ここが君のお家だよ。お腹にいるとき、ここにいたんだよ。だから大丈夫だよ、安心してね」
小夏の顔に近づいた彼の穏やかな声に包まれる。
「……そっか、そうよね。ずっとここで一緒にいたんだよね、私たち」
小夏を不安がらせないようにと気遣う壮介さんの言葉が、私の胸にもじんと沁みた。
「壮介さん、優しいのね」
「何言ってんの。僕はいつだって優しいでしょ」
「うん、そうね」
「また笑うんだから。あ、七緒さんは小夏ちゃんとソファに座ってて」
荷物を置いた彼は慌てて洗面所に行き、すぐさま戻ってきた。
「なあに?」
「僕がお布団敷いてあげるから、ちょっと待っててね」
「あ、ありがとう」
リビングと続きになっている和室の押し入れを開けた壮介さんは、お布団を敷いてシーツをかけた。赤ちゃん用のお布団にも同じようにしてれる。
「もしかして、お布団干しておいてくれたの?」
「そうだよ。休みの日と、昨日の朝も少しだけど干したよ。七緒さんと小夏ちゃんを迎えるんだ。綺麗にしておかないとね」
「色々と不便かけたのに……ありがとう。嬉しい」
何も言わなくても、ここまでしてくれたことに心から感謝したい。料理は作れるようになったし、お洗濯も自分でしていたようだし……仕事の忙しい彼が、頑張ってくれていたことに感動する。
「まぁね、こんなことくらい当然だよ。パパなんだから」
「パパかぁ」
「七緒さんだってママじゃない」
「うん、そうね。小夏ちゃんのパパとママね」
微笑み合い、小夏を綺麗なお布団の上にそっと寝かせた。
「七緒さーん! 小夏ちゃん出るよー!」
「はーい! 今行くー!」
帰ってきて早々だけれど、今夜初めて小夏をお風呂の湯船に入れることにした。張り切っていた壮介さんは、昨夜私の実家でベビーバスを使って練習したばかりだ。とはいえ心許ないので、体を洗う時だけはバスルームの外から見守っていた。ぬるめのお湯に二人が浸かっている間に、私はささっと夕飯の用意をする。といっても、母に持たされたおかずを並べただけなんだけど。
壮介さんに呼ばれた私は、急いでバスルームに行く。広げたバスタオルの上で小夏を受け取り、ふんわりとくるんだ。嫌がるかと思ったけれど、意外にも小夏はご機嫌だ。
「よかったね。パパと一緒にお風呂は楽しかったかな?」
「楽しかったよね~、小夏ちゃん。一緒に湯船へ入れるのはいいなぁ」
小夏は応えるように、むちむちの手足をぐいぐいと動かしている。可愛くてどうしても顔が綻んでしまう。
「ありがとう壮介さん。あとはごゆっくり」
「うん、よろしくー」
しばらくして、タオルで頭を拭きながら壮介さんがリビングにやってきた。和室のお布団に横たわる小夏のところへ行く。
「あれ、寝ちゃったの?」
「うん。おっぱい飲んだら、すぐに寝ちゃった。今日は移動もあったし、湯船に入って疲れちゃったのかも」
「そうか。七緒さんも疲れたでしょ」
「ううん、大丈夫。夕飯も全部お母さんが持たせてくれたものだし。ごめんね、手抜きで」
「いいんだよ。これから大変なんだから、三年でも五年でも十年でも手抜きしてな」
「十年も?」
彼なりの優しさで言ったんだろうけれど、つい噴き出してしまった。
「いいの、いいの。適当にやったって死にはしないんだから」
「そうね、ありがとう」
やっぱり壮介さんっていいな。一緒にいて会話をしているだけで、心から安心できる。
ゆったりした食事を終えて、私たちは寝ている小夏のお布団のそばに座った。
寝顔を見ているだけで、何とも言えない感情が胸に湧き上がる。ぎゅっと握っている小さい手に、私の指を握らせた。ずっとずっと守っていきたい、宝物。
「そのうち首が座って、寝返り打って、お座りして、はいはいして、立っちして、歩いて……」
「七緒さんは気が早いね」
「だってね、きっとあっという間に成長しちゃうと思うの。今はおぎゃーって泣いてるけど、いつの間にかうええーんっていう、子どもの泣き声に変わっちゃう。そんな感じでどんどん大きくなっていくんだから」
帆夏の赤ちゃんの時を思い出す。彼女だって、ついこの前まで赤ちゃんだと思ってたのに、今は幼稚園の年中さんだ。
「……そうか。そう考えると寂しいな。成長するのは嬉しいけど」
「うん。だから一瞬一瞬をたくさん覚えていたい。三人で楽しく過ごしたことも、全部」
「そうだね。うん、そうだ」
小夏を見ていた壮介さんが顔を上げた。
「七緒さん、抱きしめていい?」
「え」
「まだ無理かな」
「ううん、そんなことない。嬉しい」
返事をすると、すぐそばに来た壮介さんが私を抱きしめた。
産後、病室で抱きしめてくれた時以来かな? 緊張しながらも、彼の腕の中で身を委ねる。あったかくて心地いい。
「七緒さん」
ぎゅっとされた途端、両胸がちくんと痛んだ。
「あっ、いたた」
「え! ごめん、どうした!?」
「ううん、壮介さんは悪くないの。私が……」
「?」
ありがたいことに、私は安産な上に母乳の出もよかった。そのせいか小夏に飲ませた後も、どんどん作りだしてくれているのか、すぐに胸が張ってしまう。
「胸が張っちゃって。……母乳がたまってきたみたい」
「じゃあ僕が飲んであげる」
「ええっ!!」
とんでもないことを言いだすから、声を上げてしまった。小夏は気にせず寝ている。
「ははっ、冗談だよ。……ちょっと本気だけど」
「そ、壮介さんてば……! でも、もしかして皆そういうことしてるの?」
「他は知らないけど、僕は興味あるなぁ」
顔を上げた途端、そっと唇を重ねられた。
「ん……」
「キス、嫌じゃない?」
すぐに唇を離した彼が、私の瞳を覗き込む。その表情がなぜか不安げに見えた。
「どうして?」
「……いや、それならいいんだ」
微笑んだ彼が、また私の唇を奪う。今度はほんの少しずつ舌を入れて絡ませてきた。
「ん……ん、ん」
久しぶりのキスはとても優しい感触で、頭がぼうっとしてしまう。と、彼の大きな手のひらが私の胸を包み込んだ。途端にまた、ちくんと痛みが走る。
「あ、ん……っ!」
「あ、ごめん。やっぱり痛いか」
「ううん、大丈夫。何ていうか、いつもの十倍敏感になってる感じなの」
「そうか、今日はやめとくよ。今は小夏ちゃんのものだもんね」
や、やめておくって、本当にそのうち飲むつもりなのかな……。壮介さんならやりかねない。何だか、とてつもなくいやらしくない? 想像して顔が火照る。
私は布団に横になった。きちんと洗ってあるシーツは肌触りがよく、気持ちがいい。うーん、と伸びをして天井を見上げる。家っていいな。今日帰ってきてから、何度そう思っただろう。
私のお布団の左に小夏のお布団。右に壮介さんのお布団が敷いてある。子どもを真ん中で川の字もいいんだけど、壮介さんが自分の寝相を気にして、こういう配置になった。
彼はひざまずいて小夏の寝顔に話しかけている。
「かーわいいなぁ、小夏ちゃんは。世界一可愛い。あ、もちろん七緒さんも世界一可愛いよ」
「ありがと」
眼鏡を外した壮介さんは、小夏に頬ずりをした。あ、痛いかな? なんて心配そうに彼女の顔を確認している。小夏は一瞬だけ眉根を寄せ、すぐにまた寝入ってしまった。ホッとした壮介さんは、また小夏の寝顔をじっと見つめている。
これだけのことなのに、幸福感が次々と湧き上がってくる。
「こんなに小さいのにさ、この存在感の大きさは何なんだろうね」
「本当ね。ね、小夏ちゃん、壮介さんに似てきたよね」
「そう?」
「うん。生まれたばかりの時は私に似てる気がしたんだけど、段々壮介さんに似てきてるよ」
「そうかなー。僕は七緒さんに似てほしいけどなぁ」
と言いつつも、ものすごく嬉しそうだ。
壮介さんは立ち上がり、小夏のそばを離れて私の隣のお布団へ寝転がった。
「僕、あのとき……七緒さんを諦めないで良かったなぁ」
「え?」
壮介さんのほうに横向きになると、手を取られた。大きくて温かな彼の手が、私の手をきゅっと掴む。壮介さんは私と視線を合わせ、目を細めた。
「僕をこんなに幸せにしてくれてありがとう、七緒さん」
「な、何言って……」
胸に嬉しさが込み上げて、私の涙を溢れさせる。気づけば、ぽろぽろと頬を涙が零れていった。
「あ、ああ、ごめんごめん。余計なこと言っちゃったかな? 産後もナーバスになるんだっけ?」
「ち、違うの。嬉しいの、とても」
「七緒さん」
「私だって、こんなに幸せにしてもらって、ありがとうって言いたい。壮介さん、ありがとう」
「うん」
壮介さんは私をそっと抱き締め、泣いている私の背中を優しく撫でてくれた。私の大好きな彼の香りに胸がきゅんとする。
「七緒さん。もう一回キスしてもいい?」
「……うん。して」
「よかった」
安心したように笑うから、涙を拭きながら問い掛ける。
「さっきから、どうしてそんなこと聞くの?」
「いや、拒否されても仕方ないと思ってたんだよ。赤ちゃん産んだばかりだと、あんまり触られたくなくなるっていうの読んでさ。だから、ちょっとホッとした」
「そうだったの」
「いやでも、七緒さんがまだそういうの一切嫌だって言うならいいんだよ? 無理はしないで欲しいし」
私の為に、私の知らないところで壮介さんはたくさん考えてくれている。そんな彼と一緒に子どもを育てていけることが、とても幸せだと思う。
「全然無理してません。私は壮介さんとキス、したいです」
「僕も七緒さんとたくさんキスしたい」
「うん。いっぱいして」
「するよ、たくさん」
微笑み合ったあと、どちらからともなく唇が重なった。
いたわるような彼の優しいキスが、私の心も体も癒してくれる。
何度も何度もキスをして、鼻先を合わせ、額をくっつけ、手を握って、頬を寄せ合う。壮介さんの息遣い、体温、心臓の音……すべてが愛しい。私たちは離れていた時間を取り戻すかのように、ただ黙ってお互いを包むように抱きしめた。時々微笑みを交わし、そして私たちの可愛い赤ちゃんの様子をうかがいながら。
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九月に入ったばかりの陽気は、まだ秋の気配を微塵も感じさせない。
窓の外に広がる目が痛くなるくらいの真っ青な空を見つめ、ほっと息を吐いた。その瞬間、リビング中に泣き声が響き渡る。
「あららら~、東京のばぁばは嫌かな? どうしようね~」
「やっぱり私がいいんだろう。どれ、抱っこするから、ほら」
「お父さんはだーめ。今まで抱っこしてたでしょ」
「お前は昨日、さんざっぱら抱っこしてたじゃないか。私ももっと抱っこしたいぞ」
義母に手を伸ばした義父の間に、壮介さんが割り込んだ。
「父さんも母さんも取り合いしないの。ほら泣いちゃってるじゃない。僕が抱っこするよ」
あれよという間に、彼は自分の腕の中に子どもをおさめた。
「まぁ、壮介ったら」
「小夏ちゃんは、パパがいいんだもんね~。あー可愛い。世界一可愛い子だ、いい子いい子」
壮介さんは小夏の柔らかなぷにぷにのほっぺたに、ちゅっちゅと何度もキスをして、とろけそうな笑顔を浮かべている。
「絶対にどこにも嫁にはやらないからね~、ずっとパパのところにいようね~。彼氏なんか連れて来たら、その男ぶちのめしてやるからね~」
「怖いな、お前は。気持ちはわかるが」
お義父さんが呆れたようなため息を吐く。私は反対に笑いがこみ上げた。
義父母には仕事人間の顔、私の両親には何でもそつなくこなす、しっかりした婿の顔を見せていた壮介さんの子煩悩っぷりに、皆驚きっぱなしだ。私には想定の範囲内だったけど、ね。
七月に横浜の実家に帰った私は、八月初めに出産をした。ありがたいことに初産とは思えないほどの安産で、生まれたのは元気な女の子。壮介さんが妊娠中に「予定日が夏だから、女の子が生まれたら『小夏』ちゃんにしよう」と決めていて、その通りになった。響きが可愛らしく、古田の名字にもぴったり合っている。私も大賛成をした名前だ。
そのまま実家にいた私と小夏は一か月健診を終え、その後、お宮参りも近くで済ませることになる。鎌倉でのお宮参りもいいなと思ったけれど、それは少し大きくなってからの七五三にする予定だ。
昨日、こちらへきてくれた義父母と壮介さんとともにお宮参りを済ませ、皆は私の実家に泊まった。小夏の生後一か月と、私の体が順調に回復しているのをお祝いしてもらう。義母と義父は初孫ということもあって、ことさら嬉しそうだった。そんな二人の笑顔を見ることが、私もとても嬉しい。
「いいパパでよかったわね、七緒」
「うん」
母が私のそばにきて座った。実家で頼りっぱなしだった一か月が、これで終わる。多少の心細さはあるけれど、不思議と不安はなかった。産む前は不安なことがいっぱいだったのに、小夏の顔を見てからはなぜだろう、私がしっかりして、この子を守らなくてはという気持ちのほうが勝っている。
「忘れ物はない?」
「大丈夫」
「まぁ、何かあったら、すぐ宅配便で送るから」
「うん、お願い」
壮介さんは泣き止んだ小夏を私の腕にそっと預けた。小さな重みを大切に抱っこする。彼は私の荷物を持ってくれた。
「これでしばらく横浜のばーばとはさよならね、小夏ちゃん」
「じーじもな。またな、小夏ちゃん」
腕の中にいる小夏を、私の両親が覗き込む。小夏は何となく二人の方をじっと見た。黒目の大きな瞳がきらきら輝いている。
「お父さんお母さん、お世話になりました。家にも遊びに来てね」
「またくるんだぞ、七緒」
「うん、ありがとう、お父さん」
「何かあったら言いなさいよ、飛んでいくから」
「ありがと、お母さん」
私はそばにいた義父母にも頭を下げた。
「お義父さん、お義母さん。昨日、今日と本当にありがとうございました」
「よかったわね、七緒ちゃん。無事に一か月健診もお宮参りも済んだし、ホッとしたでしょう」
「ええ、本当に。首が座ったらみもと屋に連れて行きますね。あ、もちろん家にも遊びに来てください」
「ありがとう、七緒ちゃん。何かあったら私も飛んでいくから、遠慮せずに何でも言ってね?」
「はい!」
私と小夏は、壮介さんが昨日迎えに来た車で家に帰る。義父母はこの後、横浜周辺を観光してから帰るようだ。
「ただいまー! あ~家の匂いがする。懐かしい」
「七緒さん、二か月ぶりだもんね」
「うん。やっぱりホッとする。エアコンつけておいてくれたのね」
「ああ、スマホでね。やっぱりこれがあると便利だな」
家に着き、玄関を上がって驚いた。意外にもとても片付いていて、掃除もよくされている。私が妊娠中から掃除を手伝ってくれたことはあるけど、ここまでしてくれていたとは思いもよらなかった。
リビングで壮介さんが振り向く。
「ほら小夏ちゃん、ここが君のお家だよ。お腹にいるとき、ここにいたんだよ。だから大丈夫だよ、安心してね」
小夏の顔に近づいた彼の穏やかな声に包まれる。
「……そっか、そうよね。ずっとここで一緒にいたんだよね、私たち」
小夏を不安がらせないようにと気遣う壮介さんの言葉が、私の胸にもじんと沁みた。
「壮介さん、優しいのね」
「何言ってんの。僕はいつだって優しいでしょ」
「うん、そうね」
「また笑うんだから。あ、七緒さんは小夏ちゃんとソファに座ってて」
荷物を置いた彼は慌てて洗面所に行き、すぐさま戻ってきた。
「なあに?」
「僕がお布団敷いてあげるから、ちょっと待っててね」
「あ、ありがとう」
リビングと続きになっている和室の押し入れを開けた壮介さんは、お布団を敷いてシーツをかけた。赤ちゃん用のお布団にも同じようにしてれる。
「もしかして、お布団干しておいてくれたの?」
「そうだよ。休みの日と、昨日の朝も少しだけど干したよ。七緒さんと小夏ちゃんを迎えるんだ。綺麗にしておかないとね」
「色々と不便かけたのに……ありがとう。嬉しい」
何も言わなくても、ここまでしてくれたことに心から感謝したい。料理は作れるようになったし、お洗濯も自分でしていたようだし……仕事の忙しい彼が、頑張ってくれていたことに感動する。
「まぁね、こんなことくらい当然だよ。パパなんだから」
「パパかぁ」
「七緒さんだってママじゃない」
「うん、そうね。小夏ちゃんのパパとママね」
微笑み合い、小夏を綺麗なお布団の上にそっと寝かせた。
「七緒さーん! 小夏ちゃん出るよー!」
「はーい! 今行くー!」
帰ってきて早々だけれど、今夜初めて小夏をお風呂の湯船に入れることにした。張り切っていた壮介さんは、昨夜私の実家でベビーバスを使って練習したばかりだ。とはいえ心許ないので、体を洗う時だけはバスルームの外から見守っていた。ぬるめのお湯に二人が浸かっている間に、私はささっと夕飯の用意をする。といっても、母に持たされたおかずを並べただけなんだけど。
壮介さんに呼ばれた私は、急いでバスルームに行く。広げたバスタオルの上で小夏を受け取り、ふんわりとくるんだ。嫌がるかと思ったけれど、意外にも小夏はご機嫌だ。
「よかったね。パパと一緒にお風呂は楽しかったかな?」
「楽しかったよね~、小夏ちゃん。一緒に湯船へ入れるのはいいなぁ」
小夏は応えるように、むちむちの手足をぐいぐいと動かしている。可愛くてどうしても顔が綻んでしまう。
「ありがとう壮介さん。あとはごゆっくり」
「うん、よろしくー」
しばらくして、タオルで頭を拭きながら壮介さんがリビングにやってきた。和室のお布団に横たわる小夏のところへ行く。
「あれ、寝ちゃったの?」
「うん。おっぱい飲んだら、すぐに寝ちゃった。今日は移動もあったし、湯船に入って疲れちゃったのかも」
「そうか。七緒さんも疲れたでしょ」
「ううん、大丈夫。夕飯も全部お母さんが持たせてくれたものだし。ごめんね、手抜きで」
「いいんだよ。これから大変なんだから、三年でも五年でも十年でも手抜きしてな」
「十年も?」
彼なりの優しさで言ったんだろうけれど、つい噴き出してしまった。
「いいの、いいの。適当にやったって死にはしないんだから」
「そうね、ありがとう」
やっぱり壮介さんっていいな。一緒にいて会話をしているだけで、心から安心できる。
ゆったりした食事を終えて、私たちは寝ている小夏のお布団のそばに座った。
寝顔を見ているだけで、何とも言えない感情が胸に湧き上がる。ぎゅっと握っている小さい手に、私の指を握らせた。ずっとずっと守っていきたい、宝物。
「そのうち首が座って、寝返り打って、お座りして、はいはいして、立っちして、歩いて……」
「七緒さんは気が早いね」
「だってね、きっとあっという間に成長しちゃうと思うの。今はおぎゃーって泣いてるけど、いつの間にかうええーんっていう、子どもの泣き声に変わっちゃう。そんな感じでどんどん大きくなっていくんだから」
帆夏の赤ちゃんの時を思い出す。彼女だって、ついこの前まで赤ちゃんだと思ってたのに、今は幼稚園の年中さんだ。
「……そうか。そう考えると寂しいな。成長するのは嬉しいけど」
「うん。だから一瞬一瞬をたくさん覚えていたい。三人で楽しく過ごしたことも、全部」
「そうだね。うん、そうだ」
小夏を見ていた壮介さんが顔を上げた。
「七緒さん、抱きしめていい?」
「え」
「まだ無理かな」
「ううん、そんなことない。嬉しい」
返事をすると、すぐそばに来た壮介さんが私を抱きしめた。
産後、病室で抱きしめてくれた時以来かな? 緊張しながらも、彼の腕の中で身を委ねる。あったかくて心地いい。
「七緒さん」
ぎゅっとされた途端、両胸がちくんと痛んだ。
「あっ、いたた」
「え! ごめん、どうした!?」
「ううん、壮介さんは悪くないの。私が……」
「?」
ありがたいことに、私は安産な上に母乳の出もよかった。そのせいか小夏に飲ませた後も、どんどん作りだしてくれているのか、すぐに胸が張ってしまう。
「胸が張っちゃって。……母乳がたまってきたみたい」
「じゃあ僕が飲んであげる」
「ええっ!!」
とんでもないことを言いだすから、声を上げてしまった。小夏は気にせず寝ている。
「ははっ、冗談だよ。……ちょっと本気だけど」
「そ、壮介さんてば……! でも、もしかして皆そういうことしてるの?」
「他は知らないけど、僕は興味あるなぁ」
顔を上げた途端、そっと唇を重ねられた。
「ん……」
「キス、嫌じゃない?」
すぐに唇を離した彼が、私の瞳を覗き込む。その表情がなぜか不安げに見えた。
「どうして?」
「……いや、それならいいんだ」
微笑んだ彼が、また私の唇を奪う。今度はほんの少しずつ舌を入れて絡ませてきた。
「ん……ん、ん」
久しぶりのキスはとても優しい感触で、頭がぼうっとしてしまう。と、彼の大きな手のひらが私の胸を包み込んだ。途端にまた、ちくんと痛みが走る。
「あ、ん……っ!」
「あ、ごめん。やっぱり痛いか」
「ううん、大丈夫。何ていうか、いつもの十倍敏感になってる感じなの」
「そうか、今日はやめとくよ。今は小夏ちゃんのものだもんね」
や、やめておくって、本当にそのうち飲むつもりなのかな……。壮介さんならやりかねない。何だか、とてつもなくいやらしくない? 想像して顔が火照る。
私は布団に横になった。きちんと洗ってあるシーツは肌触りがよく、気持ちがいい。うーん、と伸びをして天井を見上げる。家っていいな。今日帰ってきてから、何度そう思っただろう。
私のお布団の左に小夏のお布団。右に壮介さんのお布団が敷いてある。子どもを真ん中で川の字もいいんだけど、壮介さんが自分の寝相を気にして、こういう配置になった。
彼はひざまずいて小夏の寝顔に話しかけている。
「かーわいいなぁ、小夏ちゃんは。世界一可愛い。あ、もちろん七緒さんも世界一可愛いよ」
「ありがと」
眼鏡を外した壮介さんは、小夏に頬ずりをした。あ、痛いかな? なんて心配そうに彼女の顔を確認している。小夏は一瞬だけ眉根を寄せ、すぐにまた寝入ってしまった。ホッとした壮介さんは、また小夏の寝顔をじっと見つめている。
これだけのことなのに、幸福感が次々と湧き上がってくる。
「こんなに小さいのにさ、この存在感の大きさは何なんだろうね」
「本当ね。ね、小夏ちゃん、壮介さんに似てきたよね」
「そう?」
「うん。生まれたばかりの時は私に似てる気がしたんだけど、段々壮介さんに似てきてるよ」
「そうかなー。僕は七緒さんに似てほしいけどなぁ」
と言いつつも、ものすごく嬉しそうだ。
壮介さんは立ち上がり、小夏のそばを離れて私の隣のお布団へ寝転がった。
「僕、あのとき……七緒さんを諦めないで良かったなぁ」
「え?」
壮介さんのほうに横向きになると、手を取られた。大きくて温かな彼の手が、私の手をきゅっと掴む。壮介さんは私と視線を合わせ、目を細めた。
「僕をこんなに幸せにしてくれてありがとう、七緒さん」
「な、何言って……」
胸に嬉しさが込み上げて、私の涙を溢れさせる。気づけば、ぽろぽろと頬を涙が零れていった。
「あ、ああ、ごめんごめん。余計なこと言っちゃったかな? 産後もナーバスになるんだっけ?」
「ち、違うの。嬉しいの、とても」
「七緒さん」
「私だって、こんなに幸せにしてもらって、ありがとうって言いたい。壮介さん、ありがとう」
「うん」
壮介さんは私をそっと抱き締め、泣いている私の背中を優しく撫でてくれた。私の大好きな彼の香りに胸がきゅんとする。
「七緒さん。もう一回キスしてもいい?」
「……うん。して」
「よかった」
安心したように笑うから、涙を拭きながら問い掛ける。
「さっきから、どうしてそんなこと聞くの?」
「いや、拒否されても仕方ないと思ってたんだよ。赤ちゃん産んだばかりだと、あんまり触られたくなくなるっていうの読んでさ。だから、ちょっとホッとした」
「そうだったの」
「いやでも、七緒さんがまだそういうの一切嫌だって言うならいいんだよ? 無理はしないで欲しいし」
私の為に、私の知らないところで壮介さんはたくさん考えてくれている。そんな彼と一緒に子どもを育てていけることが、とても幸せだと思う。
「全然無理してません。私は壮介さんとキス、したいです」
「僕も七緒さんとたくさんキスしたい」
「うん。いっぱいして」
「するよ、たくさん」
微笑み合ったあと、どちらからともなく唇が重なった。
いたわるような彼の優しいキスが、私の心も体も癒してくれる。
何度も何度もキスをして、鼻先を合わせ、額をくっつけ、手を握って、頬を寄せ合う。壮介さんの息遣い、体温、心臓の音……すべてが愛しい。私たちは離れていた時間を取り戻すかのように、ただ黙ってお互いを包むように抱きしめた。時々微笑みを交わし、そして私たちの可愛い赤ちゃんの様子をうかがいながら。
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「いあぁぁぁっ・・!!」
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※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
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あやけいです。遅くなりましたがこちらに感想を書かせてもらいますね。
出会いから惹かれあっていたのに言葉が足りなかったりタイミングが会わなかったり。
なかなか素直になれない二人にハラハラしました。けれど二人がお互いにふとした瞬間に感じる優しさや態度に「がんばれ!」とエールを送りました。真面目で一途な七緒さんにちょっと頑固だけれど真摯な壮介さん。お似合いな二人がいつまでも幸せで過ごせますように。何回も読んでも感動する作品をありがとうございます。
ひっとんこさん、こんばんは!(って、あやけいさんだったのですね!)
ご感想をいただきまして、ありがとうございました!ご返信が大変遅れましてごめんなさい!(感想を認証したら返信欄がどこかに行ってしまい…今やっと見つけました 笑)
>出会いから惹かれあっていたのに言葉が足りなかったりタイミングが会わなかったり。なかなか素直になれない二人にハラハラしました。
本当に言葉が足りないというか、お互いに勝手に色々思いこんですれ違っているというか…(笑)。私はこのふたりの関係が大好きなのですが、連載の頃も読者さんにずいぶん心配されました(懐かしい)。
そんなふたりに「がんばれ!」とエールを送ってくださって、本当に嬉しく思います!
>何回も読んでも感動する作品をありがとうございます。
そんなふうに言ってくださって、天にも昇る気持ちです!
素敵な感想をありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!