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49 あなたがいた場所を誰にも触れさせたくなくて(3)

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 夕美の足元に落ちた紙袋を見て、千影が心配そうに顔を覗き込んでくる。

「大丈夫? 疲れちゃったのかな。ほら、座ろう」

「……わかった、私」

 汗を掻いている手を握りしめ、夕美はつぶやいた。

「私が……、千影さんのことを推していたのを知って、気持ちが悪くて、こんなことをしたんでしょう? 私に千影さんの不快をわからせるために、わざわざいろいろ用意して、それで……」

 なぜ彼がこんなことをするのか。夕美は彼のことよりもまず、自分の行いを省みた。
 千影は夕美の推し活動を目の当たりにしても、千影は受け入れてくれたように見えたが、本音はきっと違ったのだ。だから……。

 続きを言おうとした時、千影の盛大なため息が届く。

「君は本当に僕のことを何もわかっていないんだね。……悲しいなぁ」

 言い終わると同時に、千影が夕美の目の前に来た。彼は夕美のコートを脱がせてハンガーに掛け、鴨居に引っかける。そして夕美の手を優しく取り、おもむろにベッドへ向かう。

 拒否することなど考えつかないほどに、夕美は混乱を極めており、彼のなすがままだった。

「僕を推している君に『気持ち悪いなんて思うどころか、嬉しすぎるよ』って、言ったじゃないか。覚えてないの?」

「……それは、本音じゃなくて、私に気を遣って……」

 千影に連れられてベッドの前に来ると、彼が優しく夕美をそこへ座らせ、自分も隣に座った。
 ベッドのシーツや布団カバーも夕美が使っていたものと同じに見えるが、これらは新品だ。わざわざ同じものを購入したのだろうか――。

 そんな考えが夕美の思考を邪魔し、目線を泳がせることしかできない。

「僕は何も困らない、だからもっと推してって言ったじゃないか。僕があのときどれだけ嬉しかったか、話しただろう? そんな僕が、君の推し活を受け入れていないなんて、そんなわけがないんだよ」

 悲しみの色を声に交えて彼が訴える。

「じゃ、じゃあどうして? どうしてこんなことをするの? あの男の人だって、千影さんが変装したり、私の後をついてきたってことなの? 全然、意味がわからな――」

「夕美が何も気づいてくれないから」

 夕美の言葉を遮った千影は両手を膝の上で組み、うなだれた。

「……私が? 千影さんは、私に気づいてほしかったの……?」

 夕美の問いかけに、千影はうなずいた。うなだれたままでいるので、彼の顔が見えない。

 そしてそれきり、千影は何も言わなくなってしまった。
 この状況に慣れてしまったのか、夕美の体は汗が引き、手足も温まってきたのがわかる。

 少しだけ冷静になれた夕美は、すぐ隣にいる千影を思った。
 夕美は彼のことが大好きだ。愛を誓った相手であり、結婚も控えている。彼のことは二年も推していて、そんな人と結ばれて、これ以上ないくらいの幸せを掴んだばかりだ。

 千影を尊敬しているし、彼を愛している。
 だから知りたい。まだわからない「なぜ」を。彼の行動に対して理解できる「理由」を。

「……千影さん、教えて。どうしてこの部屋を、こんなふうにしたの?」

 だから夕美はひとつずつ慎重に、彼に尋ねることにした。

「……どうして?」

「うん、教えて。私が捨てたものを、どうしてまた戻したの? 千影さんがここを借りているの……?」

 夕美の問いを聞いた彼は、ひとつ息を吸い込んだ後、ボソボソとひとりごとのように話し始めた。

「君が住んでいた大切な場所に、誰かが住むなんて許せなかったからだよ。君が使っていたものが売られて、誰かに使われるのも。どちらも絶対に許せない。……許せないんだ……!」

「っ!?」

 千影は言い終わるやいなや、ガバッと体を起こして、こちらを向いた。
 その口調から怒っているのかと思ったが、意に反して彼は笑顔だ。

「でもさ、これって『おあいこ』だよね? 夕美も僕の写真を隠し撮りしたり、僕の行動を逐一書き留めて楽しんでいた。いろいろなグッズまで手作りして、それと一緒にこのベッドで寝ていたんでしょ? 僕のことを想像して罪悪感に苛まれながらも、やめられなくて最後まで、さ」

「……っ」

 実際に見られたわけではないのに悟られてしまい、夕美は羞恥で死にそうになりながら顔を背けた。

「恥ずかしがることはないよ。好きなら当然のことさ。僕だって君のことを大好きだから、ここまでしているんだ」

「きゃっ!」

 突然、ベッドに押し倒された。そして千影は夕美の左手首を掴んで、ベッドに押しつける。

「いやっ、何を……!」

「大丈夫、痛いことも怖いこともしないから、安心して」

 優しい声でそう言った千影は、枕元を片手で探る。
 その数秒後、「カチャッ」という音とともに、夕美の左手首に冷たい金属の感触が訪れた。

「なっ、何!?」

 驚いて体を起こそうとするも、千影が体に覆い被さっているので出来ない。

「ベゼルをサイズ変更した甲斐がある。うん、夕美の手首にピッタリだ」

 満足げな彼の声が聞こえ、左手だけは解放された。夕美はすかさず、ずっしりと重たい何かが付けられた左手首を確認する。

「これは……時計?」

 目の前に現われたのは、高級時計だった。
 大きさからしてメンズものだが、手首のサイズは夕美がつけても違和感がない。彼が言った通り、ピッタリなのである。

「約束の腕時計だよ。もらってくれるよね?」

「約束……って?」

「長野の山で、僕を救ってくれた君と約束したじゃないか」

 再び覆い被さってきた千影は、夕美の顔を懐かしげに見下ろした。
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