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44 サボテンは大切に育てているから(1)
しおりを挟む休日前の金曜日。
千影はようやく仕事に余裕が出たようで、久しぶりに一緒に朝食を取る。
出勤前のひとときを目玉焼きとともに味わいながら、夕美は幸福に浸っていた。
(こんなこと思っちゃいけないんだろうけど、仕事でやつれた千影さんも……素敵。なーんて)
「ねえ、夕美」
「は、はいっ?」
ニヤけていることを不審に思われたのかと焦りながら返事をするが、それは杞憂だった。
「前に住んでたアパートのサボテンって、結局どうなったんだっけ?」
彼は夕美が淹れたコーヒーを美味しそうに飲みながら言った。
「あ~、うん。まだ確認してないの。気にはなっているんだけど……」
玄関のドア横で育てていたサボテンの鉢を引っ越しの時に忘れてしまい、先日そのことを千影に話していたのだ。
彼と始まった新生活の忙しさから、確認に行く機会を作れなかったのだが……。
「大家さんも処分に困ってるかも……」
夕美は朝食を食べる手を止め、つぶやく。
サボテンは手のひらに乗るくらいの小さなサイズなので、そもそも大家さんに気づかれていない可能性もありそうだ。
「チラッと見に行ってみたら? まだ玄関の横にあるかもしれないし」
「そうね。今日の帰りに見てきてみる。まだあったら大家さんに言って引き取ってくるね」
「うん、それがいいよ」
千影はこんなふうに夕美の些細なことまで気にかけてくれる。
推しだからということを抜きにしても、彼のことを知れば知るほど、好きが積もっていくのを夕美は日々実感していた。
仕事を終えた後、夕美は千影に約束した通り、アパートに向かっていた。
最寄り駅から小さな商店街を進んでいく。露店の青果店から「いらっしゃい」の声が響き、揚げたてのコロッケが好評な肉屋の前には人が並んでいた。レトロな喫茶店の窓際の席は、常連で埋まっている。
ついこの前まで毎日歩いていた道なのに、すでに懐かしさを感じていた。
(大学時代からずっとこの道を通っていたんだもの。ホッとするし、ちょっと寂しくも感じちゃうな)
夕美はひとり苦笑しながら、帰りに夕飯用のコロッケを買おうと決め、路地に入る角を曲がった。そこから歩いて一分ほどの場所にアパートがある。
その時、夕美の横を、ついっと誰かが追い抜いていった。
今日は定時で会社を出たため、あたりはまだ日が落ちて間もない時間だ。薄明るく、電灯がつき始めていることもあり、見間違えることはない。
追い抜いていったのは、アパートの隣に住んでいた男性だ。
そう気づいた瞬間、夕美の背中に悪寒が走ったが、夕美は彼の後ろ姿を凝視した。
髪はボサッとしており、背丈も記憶に残るものと同じくらいだ。手にはビジネスバッグと紙袋を持っている。
(こんなにじっくり見たことなかったけど……、スタイルがいいのね。歩き方も綺麗。変に思うことがなければ、いい印象なのに)
彼の歩く速度が速いので細かいところまでは見えなかった。だが、アパートの前でその歩みが止まったため、隣人の男性なのだと確信する。
距離を取って静かについていった夕美は、アパートの近くで足を止めて彼の動向を見守った。
ポストをチェックした彼は、自分の部屋のドア前で立ち止まる……はずだった。
しかし彼は隣の部屋まで歩き、鍵をドアノブに差し入れ、当然のように回したのだ。
(え……え?)
戸惑う夕美の目に、彼が部屋の中へ入っていった様子が映る。信じられない光景を理解するまで数秒かかったが、現実だと認識したとたん、夕美の動悸と呼吸は呼吸は激しくなり、血の気が引いていった。
「な……なんで? なんであの人が、私の住んでいた部屋に、入ったの……?」
夕美は震え声でつぶやく。
そう、何年も住んでいた夕美の部屋に、当然のごとく男性が入っていったのである。
(……落ち着いて。薄明るいとはいえ夕暮れ時なんだから、見間違いかもしれない。彼に遭遇したことで動揺しているんだ、きっと)
夕美はその場で頭を横に振り、何度か深呼吸をした。
そしてアパートに近づき、ゆっくりと歩みを進めていく。夕美の住んでいた部屋は一番奥の角部屋だ。手前が男性の部屋である。
各部屋のドア横にキッチンの窓があるため、部屋に誰かがいればそこから明かりが漏れる。
男性が住んでいた部屋のキッチンは、真っ暗だった。
(キッチンのドアを閉めて奥の部屋にこもったら、明かりは漏れてこないかもしれない)
そんな期待を胸に夕美はそこを通り過ぎた。そして慎重に歩みを進めていこうとした次の瞬間。
夕美の息が止まった。
角部屋のキッチンから、明かりが漏れているのだ。
ドア横に掲げられた部屋番号のプレートは、夕美が住んでいた部屋番号と同じだった。
再び激しくなる心臓の音を抑えるように胸に手を当て、恐る恐る視線を下げる。
「サボテンが……」
玄関横には手のひらサイズのサボテンがふたつ並んでいた。
「……い、いやっ」
夕美は小さな悲鳴を上げて後ずさり、急いでその場を離れる。
混乱した頭と、言い様のない恐怖に襲われながら。
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