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39 素晴らしい趣味(1)

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 室井と別れ、マンションに着いた頃には二十二時近くになっていた。

「ただいま。やっぱり千影さん、まだなのね。今日は大事な取引相手の人と会食って言ってたけど……大変だな」

 リビングの明かりを点け、エアコンの暖房もつける。この部屋自体がそれほど冷え込んでいないので、すぐに温かくなった。

「社長が頑張ってるんだもの。私もいち社員として頑張らなければ!」

 夕美はグッと拳を握り、バッグを置いて手を洗いに行く。
 お風呂にお湯を沸かし、洗面台でメイクだけ落とした。さっぱりした顔を鏡で見つめながら、室井との会話を思い出す。

「千影さんが、私を他の人に盗られないようにしていたなんて、そんなことあるのかな……」

 だから夕美が合コンに行かないように仕向け、食事に誘った。いやあれは、腕時計のことを知りたかったから夕美を誘ったのでは……?

「それに、あの忙しい千影さんに、そんなヒマがあったとは思えない。そもそも本当にそこまで好かれてたとしたら、私だって少しは気づくはず」

 夕美はひとりうなずき、リビングに向かった。

「でも、もしも……もしも本当にそんなことがあったとしたら。ちょっと彼を怖いと思うの半分、でも今の私はそれくらい彼に好かれてみたいと思うの、半分……って感じ」

 千影になら、嫉妬されたり、束縛されたみたい、などという考えが頭に浮かんでいることに驚く。

(それよりも、私のほうが嫉妬するんじゃないかって、そのほうが心配……)

 毎日、推しを独り占めしているという、とんでもない幸福。それに浸かりきってしまったら……。
 欲張りな自分が出てしまいそうで怖かった。

 そんなふうに悩みながら入浴し、寝支度を整えてリビングに戻るとスマホが光っていた。

「あ、千影さんからメッセージが来てる」

 会食は終わり、これから帰るというメッセージだ。時間は二十三時半になろうとしている。

「今、青山にいるってことは……帰ってくるまでまだ時間がある。よし、推し活手帳書いちゃお」

 悩んでいるときはこれに限る。
 夕美は「気を付けて帰ってね」と千影に返信し、急いで自室に入って暖房をつけた。そして隠しておいた推し活手帳を取り出す。

 このマンションに引っ越してからはまだ、一度もひらいていなかった推し活手帳。夕美はテーブルにそれを広げ、お気に入りのペンを手にした。

 ここでの千影の様子、言ってくれた嬉しい言葉、お気に入りの手料理……、などなど書き込んでいく。ずっととっておいた「神原社長シール」も慎重に貼った。

「うわ~、楽しい~! かわいい~! 素敵~! ……はっ」

 嬉しさのあまり声を上げた夕美は、つい癖で「いけない」と口を覆う。しかし、すぐにその手を戻した。

「ううん。いいのよ、大きな声を出しても。ここはアパートと違って、お隣の声は何も聞こえないんだから」

 ホッと安心した夕美は、クローゼットの奥にしまっておいた自作の「神原社長ぬいぐるみ」も引っ張り出した。

 ダークグレーのスーツを着た社長のぬいは、穏やかな笑みを湛えて夕美を見つめている。

「かわいい……。お洋服の替えと、新作のぬいも作りたいな。こうやって千影さんの帰宅時間が遅い日にこっそり作ろう。楽しみ~」

 パジャマ姿もいいな……などと想像しながら、ぬいのほっぺを突っついた。アクスタやアクキーも並べているうちに止まらなくなり、自作の推し活うちわや、推し活手帳の情報をまとめたファイルなども取り出した。

「あとは、千影さんが出張でいないときの寂しさを紛らわすために、今から抱き枕を作っておきたいんだよね……。危険が伴うけど、欲しい……」

 つぶやきながら、テーブルの上に肘をつく。

 推しグッズに囲まれて幸せな気持ちのまま、夕美はゆっくりとまぶたを下ろして、妄想に耽った。
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