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31 崖の上の約束(1)

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 長野駅で新幹線を降り、在来線に乗り換える。そこから一時間ほど電車に揺られ、目的の駅に到着した。 

「お父さん!」

 車で迎えに来てくれた父に駆け寄る。

「お帰り、夕美。神原さんもいらっしゃい。遠いところをすみません」

 嬉しそうに笑顔を見せた父が、千影に頭を下げた。

「こちらこそ迎えに来ていただいて恐縮です。今日は、本当にありがとうございます」

 千影も父の前で深々と頭を下げる。

 その様子を見て、夕美はひとり胸を熱くしていた。こんな光景を目の当たりにするなど、少し前の夕美には想像もつかなかったことだ。

「いやいや、そんなに気を遣わないで。さぁ乗ろう。荷物はそれだけかい?」

 父の問いに千影と夕美はうなずき、車に乗り込んだ。


 夕美の実家は、駅から車で四十分ほどの山間にある。舗装された道路を進んでいくと、家や畑が少しずつ減っていき、道の両脇には森が現われた。
 どこを見ても、雪に覆われた銀世界だ。天気予報通りよく晴れているので、眩しいくらいに真っ白な雪が輝いていた。

「今年は雪が少ないと聞いたんですが……」

「いつもよりは少ないが、スキー場に支障は出てないから良かったよ」

「そうでしたか――」

 運転席にいる父と助手席に座る千影の会話を、夕美は後ろからじっと見つめる。いや、見つめるどころか、スマホに録画していた。 

(どうしてもこれを撮りたくて、千影さんに助手席を薦めてしまった。強引だったかもだけど、ふたりは楽しそうに話してるからオッケー。ということで……さいこう!)

 くふふと笑いがこみ上げたが、どうにか我慢してこっそり撮り続けた。


夕美 そうこうしているうちに、夕美の実家に到着する。夕美は慌ててスマホをバッグに入れ、車を降りた。
 半年ぶりの実家はなんら変わりなく、いつものように整えられている。雪かきもしっかりされていた。

「お帰りなさい、夕美! 神原さん!」

 玄関から出て来た母が、満面の笑みでふたりを迎える。

「ただいま、お母さん!」

「こんにちは。今日はありがとうございます」

 夕美と一緒に千影も挨拶すると、母が笑いながら手招きをした。

「そんなにかしこまらないでいいから。ほら、寒いんだからふたりとも早く入りなさい」

 父は母に頼まれた買い物を車から降ろし、玄関に入っていく。夕美と千影も自分のバッグを持って父の後に続いた。
 そこでハッとした夕美は、母に声を掛ける。

「ねぇお母さん。荷物置いたら、ちょっとだけいいかな。千影さんに見せたいものがあるの」

「なあに、来て早々……、って、ああ、あれね。わかったわ、行ってらっしゃい。まだ間に合うわね」

 夕美の意図を察した母が、目配せした。

  玄関に荷物を置くと、母がふたりのために用意したマフラーと帽子を持ってきた。ありがたく受取り、千影と一緒に身に着ける。
 そして夕美は千影の手を引いて、外に出た。ロッジの前にある小道を歩いて行く。

「ふう……、さすがに寒いね。千影さん、大丈夫?」

 サクサクと雪の上を歩きながら彼に尋ねた。
 お互い、ダウンコートを着てブーツを履いてきたとはいえ、都会とは寒さが段違いだ。

「お母さんがくれたマフラーと帽子のおかげで平気だけど、何があるの、夕美?」

 千影は夕美に連れられながら、戸惑いの声を出す。

「いいものよ。すぐそこだからね」

 だいぶ日が傾いており、その時が迫っていた。

「――はい、到着!」

 夕美はその場所で止まり、前を見つめる。それほど標高は高くないのだが、この場所は遠くの山まで見渡せた。
 雪が積もる山々に、今まさに沈もうとしている夕日が当たり、赤く燃え始めている。

「この夕日を千影さんに見せたかったの。ここは山間だから、日が落ちるのが早いんだけど、ぎりぎり間に合って良かった」

「……」

「千影さん? って、あっ! すでに見たことあったのね。そうよね、何度も来てるんだもの」

 沈黙する千影を見てそう思ったのだが、彼は首を横に振った。

「いや、夕日を見たことはないよ。ありがとう。素晴らしい景色だ……」

 千影は遠くに視線を置いたまま、静かに息を吐いた。夕美も美しい景色を見つめながら、言葉を続ける。

「この夕日を見て私の名前を『夕美』にしたんだって。ここにロッジを作ったのも夕日に感動したからって言ってた」

「素敵なご両親だね。君にぴったりの名前だ」

「ありがとう。千影さんの名前の由来は……」

 と尋ねたところで、千影がこちらを見た。そして首をひねりながら思案する。

「さぁ、聞いたことないなぁ。あ、でも……」

「なぁに?」

「夕美が夕日なら、僕は影だな。君を影からずっと見つめて守る、って意味にしよう。どうかな?」

「うん、素敵ね……」

 照れてしまうが、彼の気持ちが嬉しかった。
 そんな会話をしているうちに、あっという間に日が落ちていき、山際に迫っている。あたりはさらに冷え込みが厳しくなった。

 もう戻らなければと思ったその時、千影が夕美から離れて歩き出す。

「あっちのほうが良く見えそうじゃない?」

 雪が深いほうへ踏み出していく彼の背に、夕美は慌てて声をかけた。

「千影さん! そっちは危ないから行かないで――」

 彼を止めた瞬間、夕美の脳裏に「ある出来事」がフラッシュバックする。

「あ……」

 そして、忘れていた記憶が一気に呼び覚まされた。

 夕美が大学に入るもっと前。高校二年の夏に、ここで出会ったロッジの客のことを……。
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