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27 千影視点 愛しの君へ(1)

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 正月休みが明けて、しばらく経った一月中旬。
 一日の仕事を終え、部屋に帰ってきた千影は、冷え冷えとした室内に身震いしながら明かりを点けた。

「今日は疲れたな……」

 そうぼやきながら荷物を置き、部屋の暖房をつける。ひどい寒さなのでコートは脱がない。
 給湯器のスイッチを押して手を洗うも、温かい湯がなかなか出ず、結局冷たい水のまま洗い終えた。そのまま風呂場に行き、湯を溜める。たぶん、夕美もそろそろ風呂に入る時間だろう。

 キッチンの電気ポットでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れる。マグカップで手を温めながら部屋に入った。

 いったんマグカップは小さな簡易テーブルに置いた。そして畳の上にコートを着たまま仰向けになる。
 テレビも、プロジェクターもないこの部屋は、コー、という古いエアコンの音と、微かな隣人の生活音くらいしか聞こえない。
 殺風景な部屋の天井を見つめ、深呼吸した。

「何もないからこそ、こうして目をつぶれば夕美のことを容易に思い浮かべることができるし、気配も感じられる。……最高の癒やしだ」 

 ひとりごちながら、千影はここ半月ほどの夕美と自分の進展について、思考を巡らせた。

 こうなったのも、夕美の先輩「室井」が合コンに彼女を誘ったのが事の発端だ。
 夕美をそのような誘いから遠ざけるために、常に裏で画策をしていたのだが、完璧に彼女を守るのは無理があったと認めざるを得ない。

 しかし偶然、ふたりの会話を聞きつけたのは幸運だった。
 夕美が室井の誘いを受けてすぐに、千影は知り合いの経営者たちに声を掛けることができ、夕美が行かなくても済むようにできたのだから。

「夕美に良くしてくれるのはありがたいが、合コンに誘うのだけは勘弁してくれよ、……ったく」

 その後の夕美の状況を思い出すと、さらに腹が立ってくる。
 社員たちから誕生日プレゼントを受け取った時、夕美はその場にいなかった。取引先が急に彼女を呼び出したのである。
 しかも先日、正月休みに夕美が千影のところにいる際、その取引先から彼女にプライベートの誘いがあったのだ。
 もちろんその場で断らせたが、千影は内心、怒りが収まらなかった。

(古民家再生のプロジェクトのT社。予定にない呼び出しをしてきた時点でどうかと思っていたが……まぁ、どうでもいい相手だ)

 夕美の担当を男性社員に変更したとしても、ああいう相手は何かにつけて問題を起こされる可能性が高い。ということで、休み明け早々にT社を取引先から外した。

(頑張っていた夕美には可哀想だったが、仕方ないな。……ああ、そういえば、夕美は僕のために仕事を頑張ってくれているんだっけ)

 笑みを浮かべた千影は、コート姿のままでごろんと横向きになる。
 そしてポケットに入れていたプライベート用のスマホを取り出し、写真のアプリをタップした。

「可愛いね、夕美は」

 そこにある3518枚の写真は、すべて夕美を写したものだ。
 この他にも、別の場所に写真のデータが数え切れないほど大量にある。一枚一枚、どんなに小さな彼女の姿でも、千影にとってはかけがえのない宝物だ。

 スクロールして止めたのは、初めて夕美を誘った日の、彼女の姿。遠目だが、しっかり表情は写っている。夕美を誘う前に撮っていたものだ。

 銀座の店で彼女と交わした会話を思い出し、苦笑する。

「あんなこと言うんだもんなぁ。その言葉を聞かなければ、ここまで急にことを運ばせるつもりじゃなかったんだよ……。もう一度、聞こう」

 言いながら、千影はむくりと起き上がった。暖房が効いてきたのでコートを脱ぎ、スーツ姿になる。
 そしてすぐそばの押し入れを開けた。
 そこに置いてある箱の蓋をひらき、中からボイスレコーダーを取り出す。小さめの音量にして再生ボタンを押した。

 ――乗り気ではなかったのに行こうとしたことは、本当に反省しています。相手の方たちにも失礼ですよね。

 夕美の可愛らしい声が耳をくすぐる。

 ――そうだね。

 返事をした自分の声に笑いがこみ上げた。どうにか自分の感情を抑えようとしているのが、丸わかりだからだ。

 ――ただ、そろそろ彼氏を作ってもいいんじゃないかと気づけたのは事実なので、室井さんには感謝しています。私がその気でも、相手にしてもらえなければ意味ないんですが。

 このときの夕美の言葉と明るい笑顔に、千影のタガが外れたのだ。

「彼氏を作るだって? 僕がそんなことをさせるわけがないじゃないか」

 再生を止めて、ボイスレコーダーを畳の上に置く。

 この会話後は、食事を堪能しているように見せかけ、その実、千影の頭の中は今後のプランを練ることに忙しかった。

 銀座を出て、彼女を駅まで送ってすぐ、千影は彼女を手に入れるために奔走する。
 夕美の実家に宿泊の予約を入れ、彼女の両親に会いに行った。
 もともと彼らの信頼が厚かった千影だ。何気ない結婚話をすると、彼らのほうから夕美を薦めてくれ、難なく見合いの場を設けることができた。

 そして、千影以外の男を見つけるなどと考えるヒマも与えないほど、次から次へと夕美へたたみかけていく。
 結婚を前提に付き合うこと、初のデートは二日間一緒にいられる旅行、プロポーズ、同棲の許可。
 不自然と捉えられてもおかしくはないスピードだったが、夕美に強く拒否されることもなく、ここまで来ることができたのだ。

(順調にいったとはいえ、まだ油断はならない。一緒に住むまでは。いや、結婚するまでは)

 千影は熱いコーヒーを、ひとくち啜った。 

 一刻も早く同棲したいが、夕美にも都合がある。
 年明けの仕事は毎年当然のように、目が回るほど忙しい。そんな中で彼女に無理をさせるわけにはいかなかった。
 だが、引っ越しシーズンの二月までには、どうしても夕美をマンションに招きたい。その時期は引っ越し業者を捕まえることすら難しくなる。

「やっと夢が叶ったんだ。絶対に逃がさないからね、夕美」

 口元を緩めた千影は立ち上がり、窓際に行く。締め切っていたカーテンをそっと開け、暗い外に目をやった。
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