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15 来年も、再来年も、その先もずっと
しおりを挟む車を走らせた先に現れたのは、美しい白浜と青い海だった。
「さっき漁港で見た海よりも、真っ青……!」
「白浜だから、よけいに青が映えるのかもしれないね」
「こんなに白い砂浜、初めて見ました。本当に綺麗……」
うっとりしながら外の景色を眺める夕美に、千影がつぶやく。
「敬語に戻ってるなぁ」
からかうような千影の声でハッとした夕美は、彼のほうを向いた。
「あの!」
「ん?」
「敬語はクセになっちゃってるから気を付けるね。それで、別の話なんだけど……聞いてほしいの」
「もちろん聞くよ。どうしたの?」
彼の声色と横顔が心配げなものに変わる。
「あの、千影さんは今日のこと、私の気持ちを優先したいって言ってくれたでしょう?」
「え? ああ、そうだね」
お泊まり旅行に誘われた際、戸惑う夕美に千影が言ってくれたのだ。
ただ、それはすでに夕美が覚悟を決めたあとであり、彼が望むのならそうなってもいいのではないかと、昨夜は寝られずに悩んでいた。
宿に着く前に、その気持ちを伝えておかなければと告白を始めたのである。
夕美は下を向き、膝の上で両手を握りしめた。
「私を気遣ってくれたことが本当に嬉しいんだけど、その……大丈夫って伝えたくて。そういう覚悟を持って今日、ここに来たの。そうじゃなければ、最初からお泊まりなんてしないから」
一気に話したが、上手く伝わらなかった気がする。彼の反応が気になるのに、顔を上げられない。
「ふうん……。そうなんだ」
一瞬の沈黙のあとで、千影の声が耳に届いた。
不機嫌だとか、気を悪くしただとか、そういう返事ではない。だが、聞いたことのない複雑さを帯びた彼の声色に、夕美は焦った。
「あのっ、千影さんにそういうつもりがないというのは重々承知なんだけど……! って、じゃあわざわざ言う必要なかったよね、ごめんなさい……」
千影は本心から下心なく、この旅行に夕美を誘ったのだろう。だから彼は今、複雑な声で返答したのだ。
猛烈に恥ずかしくなった夕美は慌てふためいて、謝罪の言葉を述べたのだが……。
「いや、言ってくれたほうがいい。僕も気持ちを切り替えられるし、この後の行動も変更できる」
「どういう意味……?」
信号で車が停止すると、こちらを向いた千影が微笑んだ。
「準備をしておいてもいいって、ことだよね?」
「え?」
「君を傷つけたくなかったから、今夜は何もするつもりはなくて持ってきてないんだ。街に戻ってもいい? ドラッグストアに寄ろう」
「あ……、うん」
意味がわかった瞬間、夕美の頬がたちまち熱を持った。
買い物を終え、宿に到着する。
そこは海岸沿いに建てられた大人の隠れ家的な宿だった。
エントランスからスタッフに案内され、部屋に向かう。一日限定数組というだけあって、他の客とは遭遇しなかった。
「こちらのお部屋になります。どうぞお入りくださいませ」
靴を脱いで室内に入ったとたん、ふんわりと良い香りに包まれる。
「わぁ……!」
思わず感嘆のため息が漏れ出てしまうほど、素晴らしい部屋だった。
大きな窓の向こうにはテラスがあり、海が見える。広々とした部屋に大きなベッドがふたつ並び、横にはバリアフリーの和室もついている。
テラスの横には露天風呂とプライベートサウナが付いているのが特徴的だ。
荷物を置くと、夕食の時間などを確認したスタッフは、にこやかに部屋を出て行った。
ふたりきりになったとたん、すぐそばにある真っ白いリネンに覆われたベッドに意識が向く。さっきは自分であんなことを言っておきながら、いざ目の前にすると怖じ気づいてしまい、情けないことこのうえない。
「ねえ、夕美」
「はっ、はい」
夕美の体に緊張が走ったその瞬間、千影に手を取られる。
「まだコートは脱がないで。ちょっとテラスに出てみないか?」
「あ……、そうね。行きたい」
動揺する夕美に気づいたのだろう、千影がさりげなくこの場を離れるよう誘ってくれた。彼のこういうスマートな優しさも、好きでたまらなくなる。
「素晴らしい景色ね。手が届きそう」
テラスの下は一面の美しい白浜。そして近すぎる距離に青い海と空が広がっていた。
「下田は二回ほど訪れたが、こんなに海が綺麗に見える時に来たのは初めてだよ」
日はだいぶ傾いてきたが、このあたりは気温が低くなりにくく、天気が良くて風がない日は冬でも暖かく過ごせるらしい。まさに今日がその日だったことに感謝せずにはいられないほど、目の前の景色は感動的だった。
「夏だと、すぐそこから海に入れちゃいそう」
「夕美が言った通り、目の前は宿泊客のプライベートビーチになっているらしいんだ。だから夏もふたりで来ようよ」
「そうなったら嬉しいな」
千影との関係がこのまま続いてくれれば夢のようだ、という気持ちを込めて呟いたのだが、彼の反応は予想外のものだった。
「僕は夏も一緒にいるつもりだよ。来年も、再来年も、その先もずっと。さっきお寺でお願いしたのは『また夕美と来年も来られますように』だったんだから」
夕美の右肩に自分の左手を置いた千影が、こちらを見下ろしている。その表情に必死さを感じたのは、気のせいだろうか。
うぬぼれてしまいそうだが、彼の言葉が夕美の心に強く響いたのは本当だ。
「千影さん……。ありがとう、すごく嬉しい」
「あの、さ」
千影は夕美の肩から手を離し、海のほうを向いた。
「見合いの時に『結婚を前提にお付き合いしたい』と言ったの、覚えてるよね?」
「ええ、もちろん覚えてる」
「僕は夕美のご両親を知っているし、僕の社員だから個人情報もわかっている。でも君は僕のことを知らない。それはフェアじゃないと思って、今ここで僕の家族構成や、僕のこれまでの経歴を聞いて欲しいんだ。いいかな?」
「うん、聞かせてほしい」
こちらを見た千影の顔を見つめると、彼は静かにうなずき、夕暮れ前の海に視線を戻した。
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