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12 デートの約束

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 休日が明けた月曜日。
 会社へ向かう夕美の足取りは、ふわっふわの羽毛のように軽く、軽すぎて空でも飛べそうな勢いだった。

 土曜日に行われた「お見合い」の夢見心地から、未だ抜け出せずにいる。

(しつこいけど、また見ちゃお)

 地下鉄のホームで電車を待つ間、バッグからスマホを取り出す。次の発車はすぐだが、確かめずにはいられない。

 ――今日は本当にありがとう。奥寺さんが僕を受け入れてくれたことに感謝しています。今夜は嬉しくて寝られそうにないよ。

 帰宅後に届いた神原からのメッセージである。
 お見合いの帰りにプライベートのアプリを交換し、メッセージを送り合うことが可能となったのだ。
 そしてそのメッセージを繰り返し見ては、ひとりニヤけている。

(私、本当に社長とお見合いをしてお付き合いすることになったのよね? 会社で彼に会ったとたん目が覚めて、夢オチだったなんてことないよね?)

 たびたび不安に襲われそうになるが、昨日実家の母に連絡したところ、神原の話はすべて本当だったのだからと、自分を安心させた。


「そういえば神原社長、毎日腕時計を着けてくれてて驚いてるのよ。夕美ちゃん、本当にありがとうね」

 昼休みになり、一緒にランチに来た室井が夕美に言った。

「お役に立てて嬉しいです」

「ねえ、最近何か、いいことあった? いつも可愛いけど、今日はすごく輝いてる気がする。すごく幸せそうに見えるよ?」

 デミグラスソースがかかったオムライスを前に、室井が真面目な顔をして問う。

「そっ、そうですか? 嬉しいですけど、特に何もないですよ~」

 室井は鋭いところがある。
 神原とのことを話すのは、さすがに無理だろう。神原の了承も得ていないし、何より、ふたりの関係は始まったばかりなのだから。

「気のせいかもしれないけど、夕美ちゃんが幸せならいいのよ。私も嬉しいって言いたかっただけ」

 室井が優しく笑いながら、スプーンでオムライスをすくう。夕美はハヤシライスに手を付けた。

「室井さんはどうですか? 先日の合コンの人、良さそうだったんですよね?」

「最初はいいなと思ったんだけど、スマホでやり取りを始めたらなんだか合わなくてね。向こうもそう思ってるみたいで、これ以上の進展はなさそう」

「そうでしたか……」

「あーあ、もうクリスマスだし、たまにはときめくデートでもしたいわ~、なんてね」

 デートという単語にドキリとする。
 見合いの帰り、タクシーの中で神原に「今度どこかへ出かけよう」と言われたのだ。

(お出かけイコール、デートでいいのよね? 昨日、張り切って洋服を買いに行ってしまったけど、社長は忙しいからデートは三ヶ月後とかだったら、せっかく買った洋服の季節が合わなかったりして……)

 推しとデート。とんでもないパワーワードだ。
 本当にこんな夢みたいなことがあっていいのだろうか……。

「夕美ちゃん、どうしたの?」

「えっ? あっ、すみません……!」

「もしかして仕事量が多すぎるんじゃない? 最近頑張りすぎだなって思ってたのよ。振り分けを見直そう」

「いえっ、それは全然大丈夫です! 最近、思い出し笑いすることが多くて……、ごめんなさい」

「ああ、この前夕美ちゃんが言ってた配信の人、私も見たよ。面白くてハマっちゃった」

 あはは、と室井が笑ってくれたのでホッとする。
 真剣に夕美のことを心配してくれる室井は、先輩という前に本当にいい人なのだ。その時が来たら、神原とのことを一番に彼女へ報告したいと思う。


 夕美は帰宅後、風呂が湧くのを待ちながら、「推し活手帳」をこたつの上でひらいた。

「ああ~、幸せなことがありすぎて手帳に書ききれない……! 情報量が多過ぎるから、ページを継ぎ足さないと」

 一日一ページの手帳を使っているのだが、神原に誘われて行った食事の夜から細かい文字で書いてもページが全然足りない。
 夕美はお気に入りのメモ帳に追加情報を書き、切り離して、手帳のページを継ぎ足した。こんな手間も、社長に関することなら楽しくて仕方がなかった。

「私、本当に社長とお付き合いするのよね……? まだ信じられない……」

 スマホを取り出して神原とのやり取りを眺め、「本当だった」とまた確かめる。
 
「勝手に笑いがこみ上げちゃう。こんなんじゃ、室井さんに指摘されるのは当然だよね。……わっ、社長! って、ええっ、通話っ!?」

 メッセージではなく通話だとは思わなかったので、あたふたしながらスマホをタップした。

「はいっ、奥寺ですっ!」

『こんばんは。遅くなってごめん。今、大丈夫?』

「全然、大丈夫です! 社長はこのお時間まで、お仕事ですか?」

『会食という仕事だね。でも、奥寺さんの声を聞いたら疲れが吹き飛んだよ』

 嬉しそうな神原の声を聞くだけで、体が溶けてしまいそうなくらいに心地良い。

『奥寺さんの休みは二十五日からだよね? 実家に帰るのはいつ頃になりそう?』

 会社内では、週の半分をリモートで仕事する人や、年末ギリギリまで営業をする人、夕美のように早めに休みを取って、年始は早めに出る人など、自由に設定ができるため、仕事納めは個人で違うのだ。

「休みは二十五日からなんですが、昨日、社長とのお見合いの話を両親にした際、今年の年末年始は帰らなくていいと言われたんです。理由はその……」

『僕と一緒にいるように、って?』

「どうしてわかったんですか!?」

 先読みされた夕美は驚きの声を上げた。
 母にお見合いの件で話をし、その時に「神原さんとたくさんデートしなさいよ~」などとからかわれたのだ。

『実は僕も昨日、ご両親に電話をさせてもらったんだよ。お見合いについてのお礼を話したら、今年は奥寺さんを帰らせないってお母さんが言ってたんで、ピンと来たんだ。でも君は家に帰りたいかもしれないから、敢えて僕からは言わなかったんだけどね』

「お気遣い、ありがとうございます。ロッジの人手も足りているようですし、今年は帰りません。その……社長とお会いしたいから」

 正直な気持ちを言ってしまった。

『ありがとう、嬉しいな。僕もたくさん会いたいと思ったから』

 こういう甘い言葉を言われたとき、どう返して良いかわからずに言葉に詰まる自分がもどかしかった。

『じゃあ、実家にはオフシーズンになったら一緒に行こうか? 僕もご両親に直接会ってご挨拶したいから』

「いいんですか?」

『もちろん。逆に、僕が一緒でお邪魔じゃないかな』

「そんなことありません。私はすごく嬉しいですし、母も父も喜ぶと思います」

 三人が話している姿を見てみたいし、両親に神原のことを詳しく聞きたいので、その提案はかえってありがたかった。

『では改めて。二十五日は僕も休みを取っているから、その日に出かけない?』

「嬉しいです、ぜひ!」

『良かった。それで、二日間の予定になるんだけど、いいかな?』

 神原の問いかけに、夕美の心臓がドキッとする。

「あの、もしかして、お泊まりということでしょうか……?」

『ああ、そうなんだ。奥寺さんにどうしても食べてもらいたいところがあって、場所が都心から離れてるんだよ。どうせなら泊まったほうが酒も飲めると思って』

「わ、わかりました……!」 

 突然ではあるが、覚悟を決めよう。
 夕美はまだ誰とも付き合ったことがなく、当然のようにセックスの経験はない。だから、たとえ推しの誘いでも、泊まりがけで出かけると言われれば、かなりの勇気がいる。
 しかし急な話とはいえ、大好きな推しが初めての相手というのは幸運だろう。神原と付き合っていれば、いずれその時は訪れるのだ。だったら、すぐにそういうことをしても、同じというわけで……。

 一瞬のうちにあれこれ考えを巡らせていると、神原の戸惑いの声が届いた。

『……ん? ああ、そうか! いやその……、ごめん!』

「社長?」

『ただ一緒に過ごしたいっていうだけなんだよ。宿が取れたから嬉しくて、つい勢いで誘ってしまった。心配させてごめん。僕は奥寺さんの気持ちを優先させたいから、いきなり襲いかかったりはしないよ。安心して』

「そういうことだったんですね。……でも『襲いかかる』って」

 初めて聞く、慌てふためく神原の声を可愛く感じてしまい、思わずクスッと笑いがこぼれる。

『笑われてしまったな……』

 バツが悪そうにぽつりと言った神原も、夕美に釣られて小さく笑った。

「いろいろ考えてくださってありがとうございます。ぜひ一緒に行きたいです」

『よし、じゃあ決まりだね。行き先はメッセージで送るよ。楽しみだな』

「私もすごく楽しみです」

『じゃあ、また。おやすみ』

「おやすみなさい」

 通話は切れたが、夕美はスマホを握りしめたまま大きく息を吐いた。

「はぁああああ、ビックリしたぁあ……! いきなりお泊まりなんて、ど、どうしよう……!」

 二十五日まであと三日しかない。
 夕美は手帳を脇に置いて、急いで準備することと、持ち物のチェック表を作り始める。

「社長が幸せになることが私の望みなんだから、一緒にいて幸せに感じてもらえるように、がんばろう」

 神原は夕美の気持ちを優先させたいと言ってくれた。彼の優しい気遣いを知るたびに、嬉しさで胸がいっぱいになる。

「でも私、社長だったら……、その日にしてもいい……。なんて言ったら、どう思われるかな」

 自分で言っておきながら、恥ずかしさで体が熱くなる。

 興奮冷めやらぬままベッドに入って「神原社長の幸福を願う儀式」を終えたあとも、さまざまな甘い期待と、彼に伝えなければと思い悩むことで、夕美はなかなか寝付けずにいた。

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