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11 はい、結婚!(2)

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「実は、君のご両親が経営しているロッジを、数年前から利用させてもらっているんだ」

 見合い相手はロッジの客ではないかと、母に尋ねたことが当たっていた。もちろんそれが社長だとは思いも寄らなかったが……。

「そうだったんですね。私、全然知らなくて……」

「ご両親に、君には言わないでほしいと話していたんだ。あとは、奥寺さんが実家に帰るのは夏休みと年末年始だと聞いて、その時期は外すようにしていたから、会うこともなかったんだと思うよ」

「ええ、お会いしたことはなかったと思います。でも、どうして言ってくださらなかったんですか? うちのロッジに来てくださっているなら、私も知りたかったです」

 社長が推しだからではなく、ロッジの大切なお客様としてお礼を言わせてもらいたかった。

 会話をしながらも食事は進む。
 アワビと蛤のカプチーノ仕立ての温かな前菜は、コクとうま味が凝縮されたソースが貝の食感を引き立ててくれる。……らしいが、「結婚」の二文字が頭から離れず、味わう余裕がない。

 ワインが注がれ、ひとくち飲んだ神原が話を続けた。
 
「君が就活を始める前、ご両親に僕の会社を勧めたことがある。君のことはご両親から聞いていて、とても真面目な印象を持っていた。地域の活性化についても興味があるのなら、うちの会社はどうですか、と」

 それについては心当たりがあったので、夕美は当時をよく思い出しながら返答をする。

「信頼できる人が、両親にnano-haカンパニーを勧めてくれたと言っていました。それがきっかけで、nano-haカンパニーにエントリーさせていただいたんです。信頼できる人というのは、社長のことだったんですね」

 実家に帰った際、「こういう会社があるらしいよ」と両親にパンフレットをもらった。そこから自分で調べてみて、とても良い企業だとわかり、検討を始めたのだ。

「もちろん、僕が勧めたからと言って、君の合格を約束したわけじゃない。だが、面接に来た奥寺さんと直接会って、僕はこの人と一緒に仕事をしたいと思った。それで採用を決めたんだが……」

「特別扱いをされたと私が誤解しないように、両親に口止めしてくださったんですね」

 言いづらそうにしている神原の気持ちを汲み取り、夕美が言葉を続けると、立ち上がった彼がテーブル脇で頭を下げた。

「君を騙していたことは申し訳ないと思っている。謝らせて欲しい。……ごめん」

「ちょ、ちょっとやめてください社長……! 何も気にしていませんし、騙されたなんて思っていませんから!」

 夕美も慌てて立ち上がり、神原を止める。彼は静かに顔を上げた。

「ありがとう。君まで立ち上がらせてすまない。食事を続けよう」

「はい」

 神原が椅子に座ってから、夕美も座る。

 彼は真相を知った夕美が傷ついたと思って謝ったのだろうが、そんな必要はない。夕美は傷つくどころか、嬉しかったのだから。

「社長のお気遣いに感謝します。ありがとうございます。それに、ロッジに来てくださっていることも嬉しかったです。両親が信頼しているということは、結構な頻度で来てくださっているんですよね?」

「年に数回、いつもオフシーズンに行くようにしているんだ。人が少ない時だから、ご両親と話をする機会が自然と増えてね」

 温かくて素敵なご両親だね、と神原が微笑んだ。

 夕美の両親は東京出身だが、ふたりとも登山好きが高じて、結婚を機に長野へ移り住んだ。そして夕美が生まれる前にロッジを始めたのである。
 物心ついた頃には、両親はいつも忙しく働いていた。
 彼らはオフシーズンの数日しか休みがなく、観光地やテーマパークなどに連れて行ってもらったことはない。
 だが、夕美は両親から愛情を受けていたことはわかる。いつも夕美を気にかけていたし、夕美を褒めて認めてくれた。
 両親の実家が東京のため、夕美が東京に進学や就職したのも反対どころか応援してくれたくらいだ。

 そんな両親が夕美に「nano-haカンパニー」を勧めたのだから、よっぽど神原を気に入っていたのだろう。

「それで……、社長と私の両親が知り合いということはわかったのですが、なぜそこからお見合いの話に?」

「君にとっては突然かもしれないが、僕は以前からこうなれば嬉しいと思っていた」

 神妙な面持ちでうなずく彼に、夕美は抗議の声を出す。

「うっ、嘘です、そんな……!」

「嘘じゃないよ」

「え……」

「嘘じゃないんだ」

 低く優しい彼の声が、夕美の心を捉え、体までも動かなくさせる。

「だから、これから話す僕の気持ちを、最後まで聞いてくれる?」

「……はい」

 こちらに向けられた真摯な瞳に、夕美は抵抗できるはずもなかった。


 メイン料理が運ばれる前に、神原は夕美への気持ちを綴り始める。

 神原は自然が好きで、学生時代からいろいろな場所のロッジに泊まっていた。
 そして長野を訪れた際に夕美の両親が営むロッジと出会い、宿泊するように。
 忙しさの合間を縫ってたびたび癒やされに行くと、夕美の両親に顔を覚えられ、雑談をする仲になった。
 話の中でたびたび夕美が登場し、ロッジに飾ってある写真に夕美を見つけ、顔も知っていた。
 両親は自分たちが忙しくても不満など言わずいつも楽しそうにしてくれていた夕美に、感謝していると言っていたそうだ。

 面接に訪れた夕美や、入社して頑張っている夕美、そして両親から聞いていた話がつながり、好感を持つように。

「いつの間にか、君を目で追うようになっていた。ご両親から聞いている話以外にも、もっと知りたいと思うようになったんだ。でも、社長から声を掛けられたら君が困惑すると思って、それは控えていた」

 神原は眉根を寄せて苦笑いする。その表情に、夕美の胸がきゅっと痛くなった。

「だから、あの腕時計を君が選んでくれたと知って舞い上がってしまったんだ。もちろん、腕時計のショップに興味があるというのは嘘じゃない。でも、これを機に君と近づけたら嬉しいというほうが上回っていた」

 だからその日、食事へ誘ったんだよ、と神原はつぶやく。

 食事をした後の休日に、神原は早速、腕時計が置いてあるセレクトショップに行った。そこで商品を確認したあと、ロッジに宿泊したところ、神原の結婚話になったそうだ。

「まだ結婚はしないのかと聞かれて、相手がいないと答えたら、ご両親が君を推薦してくれたんだ。だから僕はすぐに了承したんだけど、冗談ですよと笑われてしまって」

「す、すみません、私の両親が失礼なことを……!」

 穴があったら入りたいと縮こまる夕美に、神原は申し訳なさそうな顔をして首を横に振った。

「いや、親御さんとしては当然の反応だと思う。それで僕のほうから君と本気で見合いをさせてほしいとお願いしたんだ。ありがたいことに、僕が本気ならぜひにと言ってくださったんだよ」

「そうだったんですか……」

 神原が結婚相手に夕美をぜひと言ったとか、夕美と本気で見合いをしたいとか、次から次へと信じられない言葉を聞かされ、そう答えるのが精一杯だった。

「今日、僕が来ることを君に内緒にしていたのは、社長が見合い相手だとわかったら、君が驚いて来ないんじゃないかと思ったからなんだ。これも騙したようになって申し訳ない」

「いえ、そんなこと……! 謝らないでください」

 確かに、社長が見合い相手だと知ったら怯んだだろう。そもそも両親の言うことを信じられなかったかもしれない。

「それで、僕としては結婚を前提に、奥寺さんとお付き合いしたいと思っている。少しでも考えてもらえないだろうか」

「ダッ、ダメです!」

 神原からの現実とは思えない数々の賞賛を受けて、夕美は半ばパニックになりながら答えた。

「そうか、ダメか……。残念だけど、はっきり言ってくれてありがとう。……でも僕、諦めが悪いほうなんだよね」

 寂しそうな声が届く。ありがとう、の後は聞き取れないほど、小さな声だった。がっかりさせてしまったことに申し訳なくなり、夕美は自分の気持ちを説明しようとするが……。

「いえ、違うんです! ダメというのは、ダメじゃなくて、なんというか……、社長のお気持ちはありがたいですし、嬉しいんです。でも、ええと……あの」

「大丈夫だよ。ちゃんと聞くから落ち着いて」

 大人の対応をしてくれる神原に感謝しつつ、夕美は水をひとくち飲み、深呼吸をした。

「……社長には、もっと素敵な女性が似合います。顔は女優さんで、スタイルはモデルさんで、性格がとびきり良くて、そんな誰もが憧れる女性がお似合いなんです。それが私だとは思えません」

 大切に思ってきた推しである神原千影社長。
 彼にはいつか素敵な女性と幸せになってほしい。そう、毎日のように願ってきたのだ。その相手が自分などと、思いつくことすらなかった。

「君は素敵だよ」

 夕美を見つめながら、神原がとんでもない発言をする。瞬間、夕美の顔が沸騰しそうなくらいに熱くなった。

「うっ、嬉しいお言葉ですが、私は社長が不幸になってしまうのが心配なんです……」

 嬉しいよりも先に、どうしても「恐れ多い」が来てしまう。

 沈黙が訪れたその時、魚料理が運ばれた。石鯛のポワレに綺麗な色のソースがかかっている。季節の野菜も添えられ、とても美味しそうだ。
 しかし、混乱している夕美はお皿に手を付けられない。
 同じようにしていた神原が口火を切った。

「はっきりさせておきたいんだが、今の言葉は、奥寺さんが僕を気遣って断っているのか、それとも本心で言っているのか、正直に教えてもらえないかな? 答えたからと言って、君の仕事に支障が出ることはないし、そんな権限は僕にはない。だから安心して話してほしいんだ」

 ここまで言われたら、降参するしかないだろう。

「では……、正直に言います」

 神原が心の内を明かしてくれているのだ。彼への思いをきちんと話さなければ納得してもらえない。

「社長は、私の憧れの人なんです。お仕事ができて、いつも穏やかで優しくて、人望があって、会社の未来も考えていて、本当に心から尊敬しています。私の生きがいは社長のためにお仕事をすることで、家では私、毎日社長の幸せを祈っているくらいなんです。社長の幸せが私の幸せだと……、あの、気持ちが悪くてすみません……!」

 恥ずかしさのあまり神原の顔を見ることができず、目を伏せた。

「そんな方と結婚なんて恐れ多くて、ダメだと言いました。私が相手では、社長は幸せになれないと思って」

 無言でいる神原が気になり、恐る恐る顔を上げると、彼は驚いた顔をして夕美を見つめていた。

「引きましたよね? だから私を結婚相手にというのは考え直したほうがよろしいかと――」

「今君が言ったそれは、本当なんだね?」

 夕美の言葉尻に被せて、神原が問う。

「ほ、本当です」

「僕のことを、嫌いだから断るのではなく?」

「絶対に嫌いじゃありません、むしろ大好きですっ! ……あっ、ごめんなさい、つい」

 思わず力を入れて否定してしまった。

「ありがとう……本気で嬉しい」

 夕美から顔を逸らした神原は、右手で自分の口を覆った。心なしか、彼の頬が赤くなっている気がする。

(嘘でしょ……。私の言葉で社長が照れている……?)

 その様子に萌え転がりそうになるが、夕美は堪えて神原の言葉を待った。

「僕のことをそんなふうに思ってくれていたのは知らなかった。僕は君の気持ちを大切にしたい。僕のそばにいても、君が僕を受けいれられないなら、その時はきっぱり諦める。だから、少しの期間だけでいい。僕と付き合ってもらえないだろうか」

 神原は冗談でこんなことを言う人ではない。彼の言葉を信じたい。信じてみたい。そして彼に見合うような女性になれるよう、努力したい。

「そこまで私のことを考えてくださって、嬉しいです。あの、では……よろしくお願いします」

 夕美は震える声で返事をした。

「こちらこそ、よろしくお願いします。君にがっかりされないように、頑張るから」

 微笑んだ神原がワイングラスを掲げたので、夕美もワイングラスを持ち、乾杯する。

 甘めの白ワインを、夕美はふわふわとした夢心地とともに味わった。この夢が永遠に覚めなければいいと願いながら。
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