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10 はい、結婚!(1)

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 神原社長の誕生日から二週間と少し経った、クリスマス直前の休日。
 今日は朝から寒く、夜遅くに雪が降るという予報だった。

 夕暮れも過ぎた頃、街ゆく人々に交ざって夕美も歩道を進む。あちらこちらの店から、楽しげなクリスマスソングが流れていた。

 夕美は寒さに身を縮ませながら、指定された南青山のフレンチレストランの前で足を止める。 

(待ち合わせの場所はこのお店……。変な人だったらすぐに帰ろう)

 夕美は気合を入れて店内に入った。


 手荷物とコートをレセプションに預け、ギャルソンの案内で個室へ案内される。
 結婚式以外でフレンチを食べることなどなかった夕美は、緊張しながら部屋に進んだ。

「失礼いたします。お客様をご案内いたしました」

「ありがとうございます」

 聞き覚えのある声に顔を上げると、そこにはなぜか夕美の「推し」がいる。

「こんばんは、奥寺さん」

 笑みを浮かべた神原社長に、夕美はついうっとりしそうになるが、慌てて頭を下げた。

「しゃ、社長……! あの、すみません私、お部屋を間違えたようで……! お邪魔しました!」

 椅子を引いて夕美を待っていてくれたギャルソンは、戸惑った表情でふたりを交互に見る。
 おかしな空気が流れそうになった時、神原が優しい声で答えた。

「間違えてないよ? 僕は奥寺さんを待ってたんだから」

「えっ!?」

「ほら、座って。一緒にアペリティフを飲もう」

「あのっ、あ……いえ、わかりました」

 何がなんだかわからないが、とりあえず言われるがままに着席した。

 乾杯した食前酒を口に付け、夕美はここに来たいきさつを丁寧に思い浮かべる。


 ――先週、実家の母から夕美のスマホに電話があった。

『それで、夕美に会って欲しい人がいるのよ。レストランの名前を教えるからメモしてちょうだい』

「急に電話なんてしてきたと思ったら、どういうこと? 知らない人と食事になんて行きたくないんだけど」

 突然の母の提案に状況が飲み込めず、強く問い返す。

『夕美もよく知っている人だから大丈夫よ。その人とお見合いしなさい』

 衝撃の言葉を受けてスマホを落としそうになった。

「……は、はあああ?! 何言ってんの、私がお見合い?! そんなこと勝手に決めないで――」

『彼氏はできたの?』

「え」

『お付き合いしてる人はいるのかって聞いてるの! あなた、大学生の時もいろんなものに夢中になって、彼氏のかの字も聞こえてこなかったじゃない。まさかまだアイドル追っかけてるんじゃないでしょうね?』

「それはとっくにやめてるってば。……彼氏はいないけど」

 ボソッとつぶやいた夕美の言葉に、母がため息を漏らした。

『お母さんたちだって、夕美に家を継ぎなさいなんて言ってるわけじゃないんだから、お見合いするくらい、親の言うことを聞いてくれてもいいでしょう』

「まさか、お父さんも賛成してるの?」

『それがね、お父さんのほうが乗り気なのよ』

 母の声が嬉しそうなものに変わった。

『もちろんお母さんも賛成。あんなに素敵な人が夕美の旦那さんだったら、お母さんも安心だもの』

「その人って、ロッジのお客さん? お母さんたちと私の共通の知り合いなんてそれくらいしかいないよね?」

 両親は長野県にある山の麓でロッジを経営している。そこが夕美の実家だ。
 稼ぎ時は夏と冬。夏はハイキングや登山客、年末年始はスキー客で満室になる。
 夕美は夏休みと年末年始に帰るとロッジを手伝っているので、常連客の顔ぶれはなんとなく覚えているが、見合い相手と言われると心当たりがない。

『行けばわかるわよ。夕美が大変お世話になっている人だから。とりあえずお見合いの場所を教えるわね』

 夕美が無理だと思ったら、すぐに帰って良いという相手の了承も得ているらしい。
 だが、どうしても母は「当日のサプライズ」と言うばかりで相手の名前を教えてくれず、とうとう当日を迎えてしまったのである。

 そして実際に来てみたら、夕美の推しである神原社長が待っていたというオチだった。


 神原がワインをテイスティングしている様子をぼんやり見つめる。
 母の話が本当なら、夕美の見合いの相手が神原ということになるのだが……。

「ドレスアップしてきてくれたんだね、ありがとう」

 ギャルソンがテーブルを去った後、夕美のワンピースに目をやった神原が微笑む。その言葉が嬉しくてキュンとしてしまうが、今はそんなことを感じている場合ではない。

「いえ、そんな……。じゃなくてですね、今日は私、両親にお見合いをしろと言われてここに来たんです」

「うん」

 微笑んだ神原が夕美の言葉にうなずく。
 いつもに増して品の良いスーツの袖口から、社員ちにプレゼントされた腕時計が見えた。神原は本当に気に入ったのか、あれ以来ずっとこの時計を着けている。

「ここに来ればわかると言われて、相手のお名前は知りませんでした。それで先ほど、社長は私を待っていたとおっしゃいましたが……、社長のご用件は私のものとは違いますよね?」

 落ち着き払った様子でいる神原に、夕美は恐る恐る尋ねた。

 目の前にいるこの素晴らしく素敵な男性が、自分とお見合いなどするわけがないのだから。

「僕も君と同じ用件だよ?」

 夕美の疑問を拒否するかのように、神原がキョトンとした顔でこちらを見た。

「え……」

「君とお見合いするために、僕はここへ来たんだ」

 ニコッと笑われて、夕美の感情がショートしそうになる。

「そ、そんな……! いったい何があったんでしょうか? うちの両親がさぞ失礼なことを言ったんでしょうが、本気にしないでください……! 無理やりこんなところまで、社長にご足労いただくなんて――」

「違うよ」

 肘をつき、顔の前で両手を組んだ神原が、真剣な顔で夕美を見つめた。

「違う、とは……?」

 夕美は彼の視線に囚われ、それ以上言葉が出ない。

「僕が君のご両親にお願いしたんだ。君とお見合いをさせてくださいって」

「……」

「奥寺さん?」

「……」

「奥寺さん、大丈夫? 具合悪いの?!」

 動揺した神原が椅子から立ち上がり、夕美のそばに駆け寄る。彼の手が夕美の肩に触れようとしたところで、どうにか正気が戻ってきた。

「いえっ! あ……、す、すみませ……、驚きすぎて意識が飛んじゃって……あ、わわ……!」

「本当に? 気持ちが悪いとか、どこか痛いとかはないの?」

「大丈夫です、すみません……!」

 ホッと息を吐いた神原は自分の席に戻り、夕美を見てクスッと笑った。

「あわわって言う人、現実で初めて見たよ」

「私も漫画以外では見たことないです。……ってそうじゃなくて! 社長はこんな冗談をおっしゃる方でありませんよね? 何かよほどのワケがあってここにいらっしゃるんですよね?」

 息を切らせて夕美が訴え終わった時、料理が運ばれ、会話が途切れる。

 大きな真っ白いお皿に美しく盛られた宝石のようなアミューズを前にして、夕美は身じろぎもできずにいた。

「奥寺さん」

 ふたりきりになったとたん、神原に名を呼ばれる。

「は、はい」

 神原の表情から笑みは消え、真剣なまなざしがこちらへ向けられていた。

「僕と、結婚を前提にお付き合いしてくださいませんか」

「っ!!」

 今度こそ失神しそうになり、夕美はテーブルに両手をついた。

「おっ、お言葉ですが、本気でおっしゃっているんですか? 社長が私と、けっ、結婚だなんて、何を……っ!」

「おかしいかな? 僕は本気なんだけど……」

 動揺しすぎて噛みまくる夕美に、神原が不思議そうな声で問う。

「とりあえず食べながら話そうか。美味しそうだよ、これ」

「え、あ……はい。では、いただきます……」

 お皿の上にちょこんと盛られた前菜を口に入れる。ほどよい塩気とねっとりした食感の温かいフォアグラのムースに、黒トリュフがのっていた。

「お、美味しい~~!」

 神原の言葉に戸惑っていた夕美だが、あまりの美味しさに思わず声を上げてしまう。
 星のついたレストランなのだから、驚嘆するのは当然ではあるが……。

「うん、美味いね。初めて来た店だが、雰囲気もいい」

 満足げに個室内を見回した神原は、夕美に視線を戻し、真剣な声を出した。

「どうして今日、僕がここに来たのか。君のご両親との関係も、全部聞いてほしい」

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