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8 あなたの好きなもの(3)
しおりを挟む今の会話はなんだったのだろう。
夕美が神原に共感したことを嬉しいと言ってくれた。
彼は今日、夕美とここへ来ることに緊張していたとも言っていた。
そして夕美が今日を楽しみにしていたと伝えると、彼はありがとうとつぶやいた。
想像していたものとは違う神原の意外な発言の数々に、夕美の心臓は高鳴りっぱなしで、本当に生きて帰れるか心配になってくるほどだ。
そして彼はなぜか、こちらへ視線を置いたままでいる。
(社長が私を見つめ続けてる……? なんだか上手く息ができない。ど、どうしよう……)
パニックに陥りそうになったその時、店員が個室に来たので、どうにか呼吸を整えることができた。
テーブルに置かれた先付は、ごま豆腐、桜えびの佃煮、百合根と壬生菜の酒蒸しが、大ぶりの豪奢な皿に美しく盛られている。
「美味しそうだね」
「ええ、本当に。それにとても綺麗です」
思わず感激の声を上げると、神原がグラスを手にした。
「乾杯しようか」
「はい」
いつもの笑顔に戻った神原にホッとし、夕美も笑顔になる。
ノンアルコールのスパークリングワインを掲げてから、お互い先付を味わった。
ノンアルとは思えない美味しさのスパークリングワインと、旬の先付を口にしながら、思う。
(こんな夢みたいなことがあっていいの? 何もかも感動しちゃう……)
夕美はご褒美のようなこの時間をひとつひとつ、しっかり心に留めておくことにした。
脂がのった旬の寒ブリを熱々の出汁にくぐらせ、たっぷりの大根おろしとポン酢でいただく。おどろくほどに柔らかく、美味しい。
じゅわっとうま味が口中に広がる、のどぐろの天ぷらは、衣がサクサクと軽く、いくらでも食べられそうだ。
松葉ガニの風味と甘みを余すことなく味わえる茶碗蒸しは、ただただ口福でしかない。
「何もかも、こんなに美味しいお料理は食べたことないです」
「最高に美味いね。喜んでもらえて良かった。奥寺さんは、和食以外だと何が好きなの?」
「フレンチもイタリアンも中華も、なんでも好きですが、強いて言えば……最近はマーボー丼にハマってます」
チラと神原の顔を伺うと、彼はパッと表情を明るくした。
「偶然だね、僕もだよ。会社のそばにある、ええと、なんて名前だったかな……」
「ハシマー軒!」
「そう! ハシマー軒のマーボー丼、美味いよね」
「私も最近イチオシなんです……!」
先日手に入れたばかりの神原情報だが、答え合わせを本人とできるとは……!
夕美はこの上ない喜びと、料理の美味しさに身を震わせた。
「酒はイケる口なの?」
神原の質問は続く。
「強くはありませんが、室井さんや同期と飲みに行くことはあります。楽しいお酒は大好きです」
「室井さんと仲がいいんだね」
「入社当時からいろいろ教えていただいています。仕事以外の場でも良くしてくださって、本当に素敵な先輩です」
「その関係で今夜は合コンに?」
「えっ、ええ、まぁ、そうですね、はは……」
まさか合コンの話につながるとは思わず、苦笑いをしてごまかそうとした夕美に、神原が眉をひそめた。
「先輩の誘いだからって、無理をしちゃダメだよ。君には断る権利があるんだから」
お叱りの言葉を賜わるなど、夕美にとってはご褒美だが、末端の社員の行いで社長の頭を悩ませたくはない。
「乗り気ではなかったのに行こうとしたことは、本当に反省しています。相手の方たちにも失礼ですよね」
神原は「そうだね」とうなずき、追加で注文していたノンアルの日本酒を飲んだ。
「ただ、そろそろ彼氏を作ってもいいんじゃないかと気づけたのは事実なので、室井さんには感謝しています。私がその気でも、相手にしてもらえなければ意味ないんですが」
自爆しつつ、明るい笑顔を作った。
神原はモテるどころか、素敵な恋人がいるに違いないのはわかっている。だから夕美のような恋愛超初心者に同情してくれるかもしれないが、それはさすがにちょっとツラいので、何か言われる前に自虐に走ったのである。
「奥寺さんがその気になれば、きっといい出会いが待っているよ。無理せず、その時を待てばいいんじゃないかな?」
「あ、ありがとうございます」
神原はそう言って微笑んだのだが、彼の目の奥は笑っていない。
夕美はいたたまれなくなり、料理に目を落とした。
(社長の気分を害したのかもしれない。いい加減な気持ちで合コンに参加しようとししたから? それとも今の自虐がダメだった? ……どうしよう)
恐る恐る顔を上げて再び神原を見ると、彼は「ん?」という表情をして首をかしげた。いつもの神原と変わらず、優しい瞳で。
どうやら夕美の考えすぎだったようだ。
毎日「推し」と崇めている人を目の前にしたら、彼の一挙一動に翻弄されるのも無理はないとはいえ、勝手に妄想が始まるのはいただけない。
(もっと冷静にならなくちゃ。お仕事で来てるんだから)
夕美は襟を正し、神原との会話を社員として楽しむことに努めた。
その後に運ばれてくる料理も、すべて夕美の大好物ばかりだった。
メインの寿司は、大ぶりの牡丹海老、油の乗った分厚いサーモン、五種類のマグロ、金目鯛など……頬が緩みっぱなしになるほど、極上に美味しかった。
「私、好き嫌いは本当にないんですが、今夜は特に好きなものばかり出てくるので驚いています」
「気に入ってもらえて良かったよ」
「どれも最高に美味しいです」
あさりの赤だしを口にし、手巻きイクラを食べながら、とてつもない幸福を味わう。
「美味しそうに食べてくれるから、僕もいつもより美味しく感じるよ。こういうのって幸せだね」
「ふっ! んぐっ!」
神原の言葉に驚愕し、手巻き寿司が喉に詰まりそうになる。
「大丈夫!?」
「だ、大丈夫です、すみません……っ」
「ゆっくりでいいからね。お水、飲めたら飲んで。……僕が変なこと言っちゃったのかな」
「全然そんなことありません! 美味しくてがっついた私がいけないんです。お気になさらないでください……!」
「そんなに美味しかったんだ。もう一個、追加しようか?」
「いえっ、さすがに大食いの私でも、もうお腹いっぱいですので……!」
「遠慮しないでね? 僕、たくさん食べる人は大好きだから」
クスッと笑った神原の笑顔に、またもむせそうになる。
(ああもう~~、この素晴らしい社長の言語とお顔とお姿を、空間ごと録画しておきたいっ!)
ニコニコしていた神原だが、ふいにハッとしてお椀を持つ手を止めた。
そして真面目な顔で夕美を見つめる。
「ごめん、楽しくて忘れそうになっていた。そろそろ本題に入ろうか」
「あっ、こちらこそすみません……! どうぞ、よろしくお願いします」
いよいよ、その時が来た。
頭の中では用意していたものの、つい楽しくて、神原が言うように忘れてしまいそうだった。
(……社長も楽しいって言ってくれたのよね? 気遣ってくれたとしても嬉しすぎる)
夕美も箸を置き、神原と視線をつなげると、うなずいた彼が左腕をこちらに見せた。
「では、改めて。この腕時計を奥寺さんが選んでくれた理由を、包み隠さず、詳細に教えてもらいたいんだ」
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