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7 あなたの好きなもの(2)
しおりを挟むテーブル席の個室に通された。
シンプルな和モダンの部屋は六畳ほどの広さで、間接照明が美しく、大きな窓から中庭が見える。
神原社長と対面で着席すると、温かいおしぼりとお茶が運ばれた。
「おまかせのメニューで予約を入れているんだ。飲み物だけ選んでもらっていいかな?」
神原がメニューをひらき、夕美に見せた。
「はい」
ドリンクのメニューに写真などはなく、美しい文字が羅列しているだけだ。
「お互い酒はやめておこう。君に不快な思いをさせるのはイヤだし、誤解を受けるような真似はしたくないから」
「お気遣いありがとうございます」
好きーーーー!! と言ってしまいそうになるのをこらえて、夕美はうなずいた。
夕美を気遣ってくれるのはもちろんありがたいが、社長に変な噂が立たないよう、自分も気をつけなければならない。
恋愛関係にない(それも社内の)男女ふたりが出かけるのは、リスクが高いのだと思い知らされる。
(私を安心させてくれる社長も素晴らしいし、いろいろと勉強になる。これは営業先の人と会食になった場合にも気をつけなくちゃいけないことだ)
基本的に「nano-haカンパニー」では、取引先との会食の相手をひとりですることは禁じられているため、今まで危険なことはなかったのだが、心に留めておくべきだろう。
「ここはノンアルコールのドリンクも豊富でね、日本酒もあるんだよ」
神原がメニューをめくり、そこを指し示す。
「ノンアルコールの日本酒なんて初めて知りました……!」
メニューを覗きこんだ夕美は、種類の豊富さに驚いて声を上げた。
「オススメはこれかな。フルーティで美味しい。日本酒の他にも、この店で特別に仕入れているのがノンアルの白ワインとスパークリングワイン。和食によく合うんだ」
楽しそうに説明してくれる神原から目が離せない。
彼の長い指が綺麗だ。近くで聞く、低く柔らかな声もいい。
こんなにそばにいると、彼の息遣いまでわかってしまいそうで――。
「どれも美味しそうで、迷っちゃいます」
夕美は、神原を意識してしまう自分を振り払うように、明るく答えた。
「どうぞ、ゆっくり選んで」
優しく笑う彼の瞳が夕美の心を揺さぶる。どうにかごまかさなければ、「社長、最高に素敵です、推してます」などと口走ってしまいそうで怖い。
「社長は何を飲まれるんですか?」
絶対におかしな雰囲気を出してはいけない。
夕美は会話を途切れさせないように問いかけた。
「僕は……、このスパークリングワインにしようかな」
夕美の思いなど露知らず、神原は神妙な顔つきでメニューを眺め、真面目に答えてくれる。
「じゃあ私も、同じものでお願いします」
「同じでいいの?」
「はい。社長が選んだものを、私も飲んでみたいです。その後も、全部同じで」
「……そう言われると、なんだか嬉しいね」
素直な気持ちを伝えると、神原が照れたように笑んだ。
彼のこのような表情を見るのは初めてで、夕美の全身に動揺が走る。
「あの……」
なんと答えて良いかわからず戸惑う夕美に、神原が静かに言葉を続けた。
「同じものを飲んでみたいって共感されるのは、素直に嬉しかった。ちょっと緊張してたから」
「社長、緊張されてたんですか?」
「ああ、緊張してた。うちの女性社員とふたりで食事をするのは初めてだし」
神原は恥ずかしそうに夕美から目をそらした。
「……意外です」
驚きすぎて、つい本音が唇からこぼれてしまった。
彼が緊張していることについてもだが、女性社員とふたりで出かけたことがないというのも、だ。
そこまでコンプライアンスに警戒しているのに、こうして夕美を誘ったということは、彼にとってプレゼントの品がよほどのものだったに違いない。
(彼の照れ顔や恥ずかしがる様子に萌えている場合じゃないわ。真剣に社長の話を聞かないと……)
夕美は背筋を正し、彼の顔を見つめたが――。
「君だって緊張してただろ?」
神原の表情は一転して、意地悪な笑みに変わった。
「あ……」
いつもの優しげな雰囲気は消え、口の端を上げて笑う神原から、視線を外せなくなる。
(な、何この表情……、色っぽくて、なんかゾクゾクしちゃう……素敵……)
椅子から落ちて萌え転がりそうになる衝動を抑えていると、神原が、ははっと苦笑した。
「会社の社長と食事なんて緊張するに決まってるよね。困らせてごめん」
その時、「失礼します」と店員が注文を取りに来た。
(ホッとしたような、でも社長の気持ちをもっと知りたいような、複雑な気持ちだわ……)
夕美はオーダーする神原を見つめながら、膝の上で手のひらをぎゅっと握った。
「――以上でお願いします」
「かしこまりました」
個室を去る店員とにこやかに挨拶を済ませた神原に、夕美は言葉を発した。
「先ほどの続きですが、もちろん社長とお話をする機会なんて滅多にありませんので、どの社員も緊張すると思います。それは本当です」
自分よりも大切な推しに向けて、心の内を話すのは緊張どころではない。
握っている手はすでに汗を掻いているし、震えも起きている。
それでもなお、伝えずにはいられなかった。
「でも私は緊張する以上に、その……」
「その……?」
「社長とお話できるのが、とても楽しみでした。これも……本当です」
一瞬、驚いたように夕美を見つめた神原は、すぐに微笑み、つぶやいた。
「……ありがとう」
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