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6 あなたの好きなもの(1)
しおりを挟む約束の十五分前に一階のロビーに着いたのだが、すでに神原社長はそこにいた。
「お待たせして申し訳ありません……!」
「いや、大丈夫だよ。僕が早すぎただけだから。こちらこそ急にすまなかったね」
「……」
コートを手に持ち、ソファから立ち上がった神原に、夕美は思わず見とれてしまった。
先ほどとは違うネイビーのスーツに着替えている。彼の体躯に美しく沿ったスーツ姿は、神々しくさえ思えた。
ネクタイもワイシャツも、彼のために誂えた世界にひとつだけのものかと思えるほど、素晴らしく似合っている。
「どうしたの?」
神原が怪訝な顔をする。じろじろ見過ぎてしまったようだ。
「いっ、いえ、なんでもありません」
(いくら貴重なシチュエーションだからって失礼すぎでしょ! これから仕事のお話をしに行くんだから、見とれてる場合じゃないの!)
慌てて否定する夕美に、神原は「それならいいけど……」とうなずき、ビジネスバッグを持ち直した。
「何か気になることがあったら遠慮せずに言ってね」
「本当に何もありませんので、お気遣いなく……!」
「わかった。じゃあ行こうか」
「はいっ!」
「元気いいね」
神原がクスっと笑った。
「っ!!」
彼の笑顔に夕美の心臓が撃ち抜かれる。
(破壊力がすごい……。果たして今日、私は無事に生きて帰れるんだろうか……)
すうはぁと呼吸を整えた夕美は、歩き出した神原のあとをついていった。
運転手付きの神原の車で移動する。
車窓の外は夜の帳が下り、木枯らしが吹いていた。
道行く人々は寒そうに身を縮めて歩いているが、車内にいる夕美の体はポカポカどころか、熱くてたまらないくらいだ。もちろん暖房のせいではない。
後部座席、神原の隣に座っている夕美の緊張はすでにピークに達している。
(この車、中がすごく広い! 足をしっかり伸ばしてもまだ余裕がある! なんか嗅いだことのない、いい匂いがする!)
チラチラと車内を見ながら、心の中では大騒ぎしている。
(そしてこんな近くにリアル社長がいらっしゃる……! 社長の隣に座るのなんておこがましいけど嬉しい! 社長もいい匂いがする! 嬉しいけど身動きが取れない! ヤバイ、こんな時なのにお腹が空いてきた! 鳴ったりしませんように!)
夕美がアレコレ気を揉んでいると、神原がこちらを向いた。
「奥寺さん。食事をしながら話そうと思うんだけど、苦手なものはある?」
「いえ、特にないです」
心の声が聞こえたのだろうかと焦るが、平静を装って返事をする。
「じゃあ、寿司がメインの和食でいいかな?」
「お寿司、大好きです!」
「そう、良かった。とても美味しい店なんだ。奥寺さんも気に入ると思うよ」
「ありがとうございます。楽しみです」
心臓はバクバクだが、どうにか笑顔で会話ができた。
(わざわざ私の好みを聞いてくれるなんて神対応すぎる……)
神原に感動しつつ、夕美はこのあとの食事について思案を始めた。
この状況からして、神原とふたりきりの食事で確定だろう。いや、やはりそこは確認した方がいいか……。
「あの、社長、すみません。ちょっとよろしいでしょうか?」
「ん? どうしたの?」
窓の外を見ていた神原がこちらを振り向いた。
「今日は他にも誰かいらっしゃるんでしょうか?」
「いや、奥寺さんと僕のふたりだよ」
「そうですか。わかりました、ありがとうございます」
ふたりきり、ふたりきり、ふたりきり……と、頭の中でエコーがかかる。
改めて考えるととんでもないことだ。
推しとふたりきりで食事など、想像もしたことがないのだから。
「……ふたりじゃ、困る?」
ふいに、神原が夕美の顔を覗き込んできた。
「っ!!」
本日最大の「きゅんっ!」が夕美の胸に発動する。
――なんという表情をするのだろう。まるで主人に置いて行かれた子犬のような。いや、ごはんを目の前にして待てを言われたというほうが合っている――
(って、何考えてるの、またも失礼な妄想をして……!)
「いえっ、全然っ! 困ることなんて微塵もありません!」
「そう、良かった」
満足げに笑んだ神原は前を向き、左腕に付けている腕時計を右手でそっと撫でた。
(本当に気に入ってくれているみたい。良かった……)
わざわざ夕美との場を設けるくらい、神原はこのプレゼントに興味があったのだ。
夕美が感じたように腕時計のブランドを好きになってくれたら嬉しいし、もしかしたら彼は何かのビジネスにつなげようとしているかもしれないのだから、真剣に対応しなければならない。
夕美が気に入った商品だが、メリットもデメリットも、嘘偽りなく正直に伝えよう。
と、背筋を伸ばした夕美だが、次の瞬間には「推し活」の妄想を始めていた。
(神原社長の好きなお寿司のネタをチェックして目に焼き付けておかなくちゃ。家に帰ったらすぐ推し活手帳にまとめて……。あっ、今日の服装をした社長のぬいぐるみも作りたいから、早速型紙も作らないと)
本人の隣で不謹慎とはわかっているが、どうにもやめられない。
到着したのは、銀座の路地裏。喧騒から少し離れた場所にひっそりと佇む品の良い和食店だった。
入り口の引き戸は真っ白な暖簾がかかり、隅に小さく店名が記されている。
運転手は2時間後に迎えに来るという。
――それまではふたりきり。
夕美は高鳴る胸を抑えながら、神原とともに店に入った。
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