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3 何でも知ってます

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 翌朝。
 地下鉄を降り、地上へ上がった夕美は、道行く人々に交ざって急ぎ足で会社に向かっていた。

「うう、寒い。来週はもう十二月だもんね……」

 吹いてくる冷たい風に身を縮ませながらつぶやく。

(でも、十二月になれば神原社長のお誕生日がある! 盛大に誕生祭をしなければ! その楽しみがあれば寒くても頑張れる!)

 自宅でひとり、社長の誕生日を祝うのだ。

 部屋の飾り付けや、どんなケーキを用意しようかなど……、考えるだけでワクワクが止まらない。

「夕美ちゃんおはよう」

 ふいに声を掛けられてそちらを見ると、同じ部署の室井むろいが笑顔を向けている。

「あ、おはようございます、室井さん!」

「どうしたの~? 朝からニヤニヤして。何かいいことあった?」

 彼女は夕美のふたつ年上で、入社時から色々と教えてくれている。

 スラリとした美人の室井は一見近寄りがたい印象だが、関わると世話好きでノリが良く、頼りになる先輩なのだ。

「……私、ニヤけてました?」

「うん、嬉しそうな顔してた」

 ふふっと笑う室井に、夕美は咄嗟の言い訳を口にする。

「ええと、昨日見た動画が面白かったので、思い出し笑いしちゃってたみたいです」

 社長の誕生祭計画を妄想していたなどとは言えず、えへへと笑ってごまかしたのだが……。

「へえ、どんなの? 教えて」

「そ、それはですね、あのー、ライブ配信者の~……」

 まさか問われるとは思わず、目を泳がせながら適当に答えると、室井は私も早速見てみるね、と笑った。

 そして次の話題に移った室井の言葉が、さらに夕美を襲う。

「そうそう、来週の水曜日って神原社長のお誕生日じゃない?」

「っ!!」

 夕美の心臓がドキーンと大きな音を立てた。

「毎年恒例の、みんなから社長に渡すプレゼント企画なんだけど、ちょっとネタが尽きちゃって。それとなく欲しいものを聞いても、はぐらかされちゃうのよ。社長のことだから遠慮してるんだろうけど……」

「社長はすごく謙虚ですから、そういうの遠慮しそうですもんね、わかります!」

「そ、そうなのよ」

 夕美の食い気味な答えに引きつつも、室井は話を続けた。

「社長は交友関係が広いから、他社の経営者からいただきものはたくさんしているだろうし、女性にも社内外問わず人気でしょう? 私たちが選ぶような物はすでに持っていると思うと難しくて……」

「確かに」

 室井の言う通り、容姿端麗で仕事の出来る神原は人気があり、特に女性から騒がれることが多いのだ。

「それで夕美ちゃん、前に社長が好きな食べ物を詳しく知っていたじゃない? だから他にも何か知らないかなと思って」

 困ってるのよ~、とため息をつく室井に、これがチャンスとばかりに夕美は自分の胸を叩いた。

「それなら私が買いにいきます! もちろん購入前に室井さんにご相談しますので」 

「えっ、いいの? 大変じゃない?」

「全然大丈夫です!」

 神原社長のことならお任せください何でも知っておりますので、と早口で言いそうになるのを我慢しながら、大きくうなずいた。
 何でも、というのはおこがましかったなと、一瞬反省しながら。

「ありがとう、本当に助かる! とりあえず予算の説明をするね」

 話を続ける室井と、オフィスビルに入る。

 とたんに、ほんわりとした暖房の空気に包まれた。
 社長の誕生日の件で興奮していた夕美には、少々暑いくらいだったが。

 エレベーター前で室井の説明を聞く一方で、夕美の胸中はお祭り状態である。

(あ~~っ、妄想が現実になるなんて!! 私が選んだプレゼントを神原社長に贈るの!? ダメ、想像しただけで飛び跳ねちゃいそう、くううっ)

 またもニヤけそうになる顔を両手で押さえ、室井とエレベーターに乗り込む。

 他のビジネスマンたちと同じく、表示された階数を見つめながら、夕美は先日ネットで調べたとある物を思い浮かべていた。

(絶対にこれだっていう物に目をつけておいたのは大正解だった。誕生祭用に買おうと思ってたんだもの)

 社長ならきっと興味を持ってくれそうなものだったから――。

 エレベーターがひらき、オフィスのあるフロアに到着した。降りながら、室井が再び話しを戻す。

「あと、その社長の誕生日、水曜日の夜ね。夕美ちゃんにもうひとつお願いしたいことがあるの」

「なんですか?」

「知り合いに頼まれて合コンに行くんだけど、急に決まったからこっちの人数が足りなくて、夕美ちゃんどうかなって」

 室井からの珍しい誘いだった。
 彼女に限らず、この会社では先輩風を吹かして、飲み会やプライベートの遊びに後輩を強引に誘うことはない。
 コンプライアンスが徹底されているからだ。

 とはいえ、お互い気が乗れば会社帰りに食事へ行くなど、楽しい付き合いはある。

「私、合コンって参加したことがないんですけど、男女の集まりの飲み会で合ってますよね?」

 大学ではサークルに入らず、バイトと推し活に励んでいたせいで、サークルの飲み会どころか合コンにも行ったことがない。就職してからも合コンに誘われたことはないので未経験なのだ。

「うん、合ってるよ。向こうは取引先のSテックさんの人たち。こっちの参加者は、営業部と総務の人と、私の友人が来る予定かな」

「なるほど……」

「強引な人がいたらその場で終了、解散という決まりだから、そこは安心して。もちろん私が夕美ちゃんのそばにいるから。危険な目には絶対に遭わせないよ」

 少々不安げな声を出した夕美を見て、室井が安心させるように言った。

「途中で帰りたくなったら遠慮せずに言って大丈夫。あ、もちろん素敵な人がいたら応援するから、そこも任せて」
 
 いつもお世話になっている先輩が困っているのだ。これくらいなんてことはない。それに――。

「一次会で帰れるなら行きます。場所はどこですか?」

「ほんとに? 良かった、ありがとう~! 場所は渋谷の――」

 ――それに、夕美は社長を推しているだけであって、彼とどうこうなりたいわけではない。
 いや、どうこうなりたいなどと思うこと自体が罪深いわけで……。

(神原社長は私にとって、ただただ幸せになって欲しい人。社長を推している時間が一番楽しくて大切なのは本当。だけど、そろそろ現実を見て彼氏を作るのも悪くないかもね……)

 胸の片隅に生まれた空しさを、室井に聞こえないよう小さなため息で払いのける。

 じゃあよろしくね、と言った室井とそこで別れ、それぞれのデスクに向かった。

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