2 / 61
2 あなたを推してます!(2)
しおりを挟む
この推し活手帳には、夕美が得た神原社長の情報がびっしりと書かれている。
彼のヘアスタイル(ヘアカット後の日付もチェック)、スーツとネクタイの色、靴の種類、チラッと見えた靴下のカラー、腕時計、フレグランスの種類、出社時刻、持ち込んだコーヒーがどこのショップのものか(タンブラーを使っているか否か)、お昼ご飯に何を食べたのか、取引先に何時頃向かったのか、などなど……。
見返すのが楽しい、生きる糧にもなっている大切な手帳だ。
夕美はお気に入りのボールペンを手にし、今日一日の出来事に思いを巡らせた。
「今日は社食にいらしたから、さりげなく後ろの席に座って聞き耳立てちゃった。マーボー丼が好きだなんて、私と一緒で嬉しい……! そういえばドラマも見てるって言ってた。こっちも偶然、私が最近ハマってるやつ~!」
興奮しながら言ったところで、ふと手帳を書く手が止まる。
(我ながら気持ち悪いとは思うけど、こっそり推させていただいているだけなので、お許しくださいね、社長。絶対に迷惑がかかることはしませんので。誰にも言いませんし。いや、こんなこと言えるわけないけど)
考えたところで今さらである。
夕美は気を取り直し、色ペンを使って「挨拶」の部分にアンダーラインを引く。
「今朝のおはようの声、最高だった~~っ!!」
と、声を上げたところでハッとした夕美は、慌てて口を両手で押さえた。
(いけない、いけない。このお部屋、お隣さんが何をしゃべっているかまではわからないけど、大きい声は聞こえるんだから。夜は特に響くから、ね)
夕美が住む築三十年を超える木造の賃貸アパートは、鉄筋コンクリート造のマンションとは違って遮音性が低い。冬は寒く、夏は暑さが厳しかった。
しかし都内の駅近で通学にも便利、家賃も安いため、夕美は大学入学で上京した際、この物件を選んだ。
そんな古い物件も住めば都。日当たりと風通しの良さを長所とし、古さを生かしたレトロなインテリアにして、夕美はささやかなひとり暮らしを楽しんでいた。
就職してもここを離れなかったのは、通勤にも便利だったのと居心地の良さからだ。
さて、と呟いた夕美は手帳を閉じ、溢れる思いを小声で口にした。
「ダメなところなんて一切見せない、あんなに完璧な人っていませんよね? そんな人を毎日拝めるなんて幸せすぎます。神様、本当にありがとうございます……っ」
その場で手を合わせて、頭を下げる。
(社長のためになると思えば、どんなに大変な仕事だって頑張れる。同じ会社にいられることに感謝……!)
こんな調子で、何度でもお礼を言いたくなるくらい、今の環境に幸せを感じている夕美だった。
寝支度を終えた夕美はベッドの上で仰向けになり、心を込めて手作りしたデフォルメ神原社長ぬいぐるみとともに掛け布団を掛けた。そしてゆっくり目を閉じる。
一日の終わりに行なう「神原社長の幸福を願う儀式」の始まりだ。
(神原社長がいつも幸せでありますように。社長が願う会社に成長しますように。社長が好きだと思う食べ物をたくさん食べられますように)
祈りはまだまだ続く。
(社長がいつも笑っていられますように。社長が愛する女性と幸せに過ごせますように。社長が結婚したらめっちゃお祝いします。推しの幸せは私の幸せ……!)
強く願いを込めて儀式を終えた夕美は、まぶたをそっとひらき、ふうと息を吐いた。
そして枕元に置いたリモコンで部屋の明かりを消す。
今夜は満月のようで、カーテン越しに入り込む淡い光が部屋を薄明るく浮かび上がらせた。
アパート前の路地を歩く人の靴音や、通り過ぎる自転車の音が響いて届く。
「……おやすみなさい、神原社長。明日もよろしくお願いします」
夕美は神原社長デフォルメぬいを胸に抱きしめ、彼を思いながら眠りに落ちた。
彼のヘアスタイル(ヘアカット後の日付もチェック)、スーツとネクタイの色、靴の種類、チラッと見えた靴下のカラー、腕時計、フレグランスの種類、出社時刻、持ち込んだコーヒーがどこのショップのものか(タンブラーを使っているか否か)、お昼ご飯に何を食べたのか、取引先に何時頃向かったのか、などなど……。
見返すのが楽しい、生きる糧にもなっている大切な手帳だ。
夕美はお気に入りのボールペンを手にし、今日一日の出来事に思いを巡らせた。
「今日は社食にいらしたから、さりげなく後ろの席に座って聞き耳立てちゃった。マーボー丼が好きだなんて、私と一緒で嬉しい……! そういえばドラマも見てるって言ってた。こっちも偶然、私が最近ハマってるやつ~!」
興奮しながら言ったところで、ふと手帳を書く手が止まる。
(我ながら気持ち悪いとは思うけど、こっそり推させていただいているだけなので、お許しくださいね、社長。絶対に迷惑がかかることはしませんので。誰にも言いませんし。いや、こんなこと言えるわけないけど)
考えたところで今さらである。
夕美は気を取り直し、色ペンを使って「挨拶」の部分にアンダーラインを引く。
「今朝のおはようの声、最高だった~~っ!!」
と、声を上げたところでハッとした夕美は、慌てて口を両手で押さえた。
(いけない、いけない。このお部屋、お隣さんが何をしゃべっているかまではわからないけど、大きい声は聞こえるんだから。夜は特に響くから、ね)
夕美が住む築三十年を超える木造の賃貸アパートは、鉄筋コンクリート造のマンションとは違って遮音性が低い。冬は寒く、夏は暑さが厳しかった。
しかし都内の駅近で通学にも便利、家賃も安いため、夕美は大学入学で上京した際、この物件を選んだ。
そんな古い物件も住めば都。日当たりと風通しの良さを長所とし、古さを生かしたレトロなインテリアにして、夕美はささやかなひとり暮らしを楽しんでいた。
就職してもここを離れなかったのは、通勤にも便利だったのと居心地の良さからだ。
さて、と呟いた夕美は手帳を閉じ、溢れる思いを小声で口にした。
「ダメなところなんて一切見せない、あんなに完璧な人っていませんよね? そんな人を毎日拝めるなんて幸せすぎます。神様、本当にありがとうございます……っ」
その場で手を合わせて、頭を下げる。
(社長のためになると思えば、どんなに大変な仕事だって頑張れる。同じ会社にいられることに感謝……!)
こんな調子で、何度でもお礼を言いたくなるくらい、今の環境に幸せを感じている夕美だった。
寝支度を終えた夕美はベッドの上で仰向けになり、心を込めて手作りしたデフォルメ神原社長ぬいぐるみとともに掛け布団を掛けた。そしてゆっくり目を閉じる。
一日の終わりに行なう「神原社長の幸福を願う儀式」の始まりだ。
(神原社長がいつも幸せでありますように。社長が願う会社に成長しますように。社長が好きだと思う食べ物をたくさん食べられますように)
祈りはまだまだ続く。
(社長がいつも笑っていられますように。社長が愛する女性と幸せに過ごせますように。社長が結婚したらめっちゃお祝いします。推しの幸せは私の幸せ……!)
強く願いを込めて儀式を終えた夕美は、まぶたをそっとひらき、ふうと息を吐いた。
そして枕元に置いたリモコンで部屋の明かりを消す。
今夜は満月のようで、カーテン越しに入り込む淡い光が部屋を薄明るく浮かび上がらせた。
アパート前の路地を歩く人の靴音や、通り過ぎる自転車の音が響いて届く。
「……おやすみなさい、神原社長。明日もよろしくお願いします」
夕美は神原社長デフォルメぬいを胸に抱きしめ、彼を思いながら眠りに落ちた。
41
お気に入りに追加
132
あなたにおすすめの小説

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」
突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。
冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。
仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。
これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?
割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。
不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。
これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
恋に異例はつきもので ~会社一の鬼部長は初心でキュートな部下を溺愛したい~
泉南佳那
恋愛
「よっしゃー」が口癖の
元気いっぱい営業部員、辻本花梨27歳
×
敏腕だけど冷徹と噂されている
俺様部長 木沢彰吾34歳
ある朝、花梨が出社すると
異動の辞令が張り出されていた。
異動先は木沢部長率いる
〝ブランディング戦略部〟
なんでこんな時期に……
あまりの〝異例〟の辞令に
戸惑いを隠せない花梨。
しかも、担当するように言われた会社はなんと、元カレが社長を務める玩具会社だった!
花梨の前途多難な日々が、今始まる……
***
元気いっぱい、はりきりガール花梨と
ツンデレ部長木沢の年の差超パワフル・ラブ・ストーリーです。

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・
希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!?
『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』
小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。
ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。
しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。
彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!?
過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。
*導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。
<表紙イラスト>
男女:わかめサロンパス様
背景:アート宇都宮様
人生を諦めた私へ、冷酷な産業医から最大級の溺愛を。
海月いおり
恋愛
昔からプログラミングが大好きだった黒磯由香里は、念願のプログラマーになった。しかし現実は厳しく、続く時間外勤務に翻弄される。ある日、チームメンバーの1人が鬱により退職したことによって、抱える仕事量が増えた。それが原因で今度は由香里の精神がどんどん壊れていく。
総務から産業医との面接を指示され始まる、冷酷な精神科医、日比野玲司との関わり。
日比野と関わることで、由香里は徐々に自分を取り戻す……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる