恋の一文字教えてください

葉嶋ナノハ

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番外編

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 窓から入る日がとても明るい個室で、私とおじいちゃんと琴美姉と幸香姉、四人が並んでテーブルに着いていた。
「晴れてよかったわよね。うん、よかったよかった」
「そっ、そうね」
 琴美姉に返事をした幸香姉が、お水の入ったグラスを倒した。
「わぁ! ご、ごめんっ!」
「ちょ、ちょっと何してんのよ……!」
 二人が慌てていると、すぐに店員さんがやってきて片付けてくれた。
 いつもの琴美姉と幸香姉はどこ行っちゃったの、というくらい彼女たちは意外にも緊張している。

 梅雨に入る直前の六月初め。今日は花岡家と杉田家、両家の顔合わせの日だ。
 ここは鎌倉の閑静な住宅街にある、立派な平屋造りの和食店。
 逗子の隣に位置する鎌倉を会食の場にすれば、おじいちゃんの負担にもならないだろうというのが、一番の決め手だった。それに加えて鎌倉には憧れの美味しいお店がたくさんあって、大切な話をするにはもってこいということで、お姉ちゃんたちも喜んで賛成してくれた。
 彼女らの子どもたちは、それぞれの旦那さんたちが家で見てくれている。
「花岡先生のご両親は、先生の家に寄ってからここへ来るのかい?」
「鎌倉駅で柚仁と待ち合わせて、直接こっちに来るみたい。ここで食事をした後に鎌倉観光をして、夜は花岡家に泊まるんだって」
「そうかそうか。お久しぶりだなぁ。日鞠はご両親がいる長野に行ってきたんだろ?」
「うん。自然がいっぱいで、食べ物が美味しくて、いい所だったよ」
「海もいいが、山があるのもいいよなぁ」
 私とおじいちゃんが盛り上がっている横で、お姉ちゃんたちはまだ緊張しているのか、無言でお水を飲み続けている。
「琴美姉、大丈夫?」
「日鞠、いい度胸じゃないの。ふ、ふふ」
 琴美姉、目がすわってるんですが。昨夜よく寝てないんじゃないかな。
「あちらのご両親に会ったばかりで、あんまり緊張してないっていうか、大丈夫。でも、お姉ちゃんたちだって柚仁には一度会ってるじゃん」
 長野に行く直前のこと。
 お姉ちゃんたち家族が住む二世帯住宅で、先月柚仁を夕食に招待していた。初め緊張気味だった柚仁は、私の甥や姪たちに囲まれて一緒に遊ぶうちに、すっかり杉田家に慣れていた。お姉ちゃんたちも私の幼い頃の話をダシに、柚仁と楽しく会話していたんだよね。
「ご両親に会うのは初めてだもの。それに私たちは日鞠の親代わりみたいなものなんだから、しっかりしないとって思ったら、ちょっとね」
「そうそう。緊張の度合いが違うわよね」
 ふう、と幸香姉がため息を吐いたとき、店員さんに連れられた花岡家の皆さんが個室に入ってきた。
「遅れて申し訳ありません」
「乗り継ぎが悪くて。申し訳なかったです」
 柚仁のご両親が深々と頭を下げた。私たちも急いで立ち上がり、お辞儀をする。
「いえ、お気になさらないでください。こちらこそ遠いところをご足労いただいて、申し訳ありません」
 琴美姉、緊張してた割にすぐ切り替えができていて、やっぱりすごい。やるときはやるんだよね、この姉は。
 それにしても柚仁……黒いスーツ着ちゃって、すごくカッコいい。私もワンピースを着て少しはおめかししてみたんだけど、どうだろう。後で可愛いって言ってくれますように。
「すみません、日鞠に連絡入れたんだけど……」
 ぼうっと見とれていた私に、柚仁が言った
「え」
 う、嘘。慌ててバッグからスマホを取り出すと、ずいぶん前にメッセージが入っている。
「あー本当だ! 気付かなかった、ごめんなさい!」
 柚仁は私をチラリと見て、おかしな笑い方をした。顔が引き攣ってるような。
 これは……本当は舌打ちしたいけど、ものすごく我慢しているという感じ? 後で覚えてろよ的な……こわー。
 彼は手にしていた荷物を、壁際にある長椅子に置いた。何を持ってきたんだろう? 大きくて細長い箱だ。

「柚仁の父の、花岡宗仁です。こちらが妻の早苗です」
「早苗です。どうぞよろしくお願いいたします」
 両家の挨拶が始まった。姿勢を正して、視線を交わしあう。
「日鞠の姉で長女の佐藤琴美です。こちらが次女の松本幸香です」
「幸香です。よろしくお願いいたします」
「そして、私たちの祖父、杉田辰朗です」
 琴美姉が紹介すると、おじいちゃんが嬉しそうに柚仁のご両親へ目を向けた。
「花岡さん、ご無沙汰しております」
「こちらこそ、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
 柚仁のご両親も、懐かしそうな笑みを浮かべておじいちゃんと挨拶を交わした。
 顔合わせの食事会といっても、簡略化した結納のやり取りも兼ねていたので、それを済ませてから食事が始まった。
 旬の懐石料理が次々に運ばれてくる。
「まぁ、綺麗」
「ここ、素敵なお店ね」
「これすごく美味しいですよ……!」
 柚仁のお母さんと姉たちが和やかに会話していて、何だかいい雰囲気。おじいちゃんと柚仁のお父さんも昔話に花を咲かせている。私と柚仁は目配せしながら、食事や皆との会話を楽しんだ。
 同時に式場の話などが進み、料理はもうデザートを残すのみとなった。
「すみません私、ちょっと失礼します」
 静かに席を立って化粧室へ向かう。食事の途中で恥ずかしいけれど、肩がかちこちに凝ってしまい、一人で息を抜けるスペースに行きたかった。
 化粧室の手前はロビーのように広く、外の緑が良く見える大きな窓の前に、ゆったりとしたソファがいくつか置かれていた。
 女性用トイレで手を洗い、鏡の前でグロスを塗り直す。
「やっぱり緊張してたんだなぁ……」
 独りごちながら、さきほどのソファのほうへ行くと、彼が立っていた。
「日鞠」
「あ、柚仁」
「具合でも悪いか?」
「ううん、ちょっと緊張しただけなの」
 心配して来てくれたんだ。彼の優しさに、心がじんわりとして緊張が解けていく。
「これ、可愛いじゃん」
 明るいブルーのワンピースを柚仁が触った。
「ほんと?」
「おう。似合ってるよ」
「柚仁も、カッコいい」
「まーな。当然だけど」
 にやっと笑った柚仁が私の耳元へ顔を近づけた。こ、こんなところでどうしたの?
「この後、いいもん見せてやる」
 相変わらずのイイ声に、腰が砕けそうになる。次の瞬間、ちゅっ、と頬にキスされた。
「ちょっ、柚仁」
「誰もいないって」
 笑った柚仁が私から離れた。そりゃ、ここには誰もいないけど、お店には結構お客さんいたんだから。
「柚仁、いいものって何?」
「後のお楽しみ」
 もしやあの細長い箱のこと? まさか、あの中に何か変な物入れてるんじゃないよね……。柚仁のことだから、ちょっと不安になる。
「……」
 こんなおめでたい席で、おかしなもの持ってくるわけないか。

 席に戻ると、水菓子とお茶が運ばれてきた。綺麗な色の枇杷だ。瑞々しくて美味しそう。
 皆で枇杷を口にし始めたとき、柚仁が荷物のところでしゃがみ、何やらごそごそと始めた。やっぱり、アレのことだったんだ……!
「今日は、自分がどういうものを書いているのか、皆さんにお見せしようと思い、作品を持ってきました。新作です」
 手にしていた細長いものを、ばっと広げた。その大きな紙に皆が一斉に注目する。そこには「一意専心」と、堂々とした美しい文字が書かれていた。崩していない字で、しっかり読める。
「一意専心、仕事も家庭もよそ見せずに、何事も一筋でいきたいと思っていますんで!」
 あ、そういう意味なんだ。
 柚仁の気合が入った言葉に、その場がしんとした。のも束の間。
「ふっ、ははは!」
「それ、いいですねえ~!」
 柚仁のお父さんと琴美姉が一緒に笑い出した。お母さんと幸香姉もクスクス笑っている。
「え、変でした?」
 柚仁が真面目な顔で問いかけた。
「いい、いい、変じゃない! 素敵ですよ~!」
「柚仁らしくていいじゃないの」
 うん、私もお母さんと同じ意見だ。その言葉選びが彼らしいと思う。おじいちゃんも嬉しそうに頷いている。一意専心かぁ。仕事も家庭も一筋なんて……何だか照れちゃう。
 再び柚仁はしゃがんで、何やらもう一枚、大きな紙を取り出した。
「こっちはお前に、な」
 私のほうへ向けて、その書を広げる。

 ――海誓山盟

「……ほう。やるねえ、柚仁」
 お父さんが感心した声を出した。
「まぁな」
 柚仁は頷き、私のほうを再び見た。彼は優しく微笑んでいる。
「柚仁あの、ありがとう」
「おう」
「ところで、それ……どういう意味?」
「は!?」
 優しい笑みがいっぺんで消えたよ。ぷっ、と琴美姉が噴き出してる。え、知らないとまずい感じなの? 琴美姉、意味わかってるの?
「今スマホで調べろ、っていうか、後で調べてみれば、どうでしょう、かね……」
 柚仁てば、いつもの命令口調が出そうになって焦ってるのが丸わかり。皆の前じゃ、絶対怒れないもんね。
「わかった。後で調べるね」
 にっこりして答えると、柚仁がまた引き攣った笑顔で応えた。笑いを堪えるのが大変なんですけど。
「ひまちゃん。後で一人でこっそり調べてごらんなさい。とても素敵な言葉よ。柚仁のひまちゃんに対するラブラブな気持ちだから」
「は、はい……!」
 うふふ、とお母さんが笑った。彼女の言葉を頭の中で繰り返して、頬が熱くなる。
 ラブラブな言葉……ということは、彼は皆の前で私に何かを告白したってことだよね。余計に恥ずかしくなって、俯いた。一刻も早く知りたいけれど、お母さんの言うように後で一人で調べたほうがいいのかな。
「花岡先生、聞いてくれるかい」
 黙っていたおじいちゃんが、柚仁に声を掛けた。
「俺は……息子を早くに亡くしてしまったが、こんなにもいい孫に恵まれた。三人ともいい人に巡り合って、末っ子の日鞠まで花岡先生のような立派な人に貰ってもらえるだなんて、こんなに幸せなことはない。長生きしてみるもんだなぁ」
「杉田さん」
 おじいちゃんは椅子からゆっくりと立ち上がり、片手でテーブルの端に掴まりながら、頭を下げた。
「花岡先生。先生のお父さん、お母さん。日鞠をよろしくお願いします。日鞠はいい子だ。きっといい嫁になる。俺が保証する」
 その姿に、わっと涙が溢れた。
「おっ、おじい、おじいちゃん……っ!」
 皆がいるのはわかっていても、止まらなかった。
 私も椅子から立ちあがって、おじいちゃんに駆け寄る。後ろから抱き付いて、丸めた背中に顔を寄せた。
「日鞠」
「ありがとう、おじいちゃん」
 おじいちゃんの、匂いだ。背中が少し曲がったおじいちゃんは、私が幼い頃よりも小さくなったように感じる。
「杉田さん、俺……絶対日鞠を幸せにします。だからいつまでも傍で見守っていてください。お願いします!」
「おう、そうだな先生」
 柚仁が涙ぐんでいた。返事をしたおじいちゃんも。ううん、その場にいる皆が泣いている。
 ああ、私……幸せだ。幸せ過ぎて胸がいっぱいで、また涙が溢れてしまう。


 会食後、私はおじいちゃんの家に泊まらせてもらうことにした。柚仁のご両親は花岡家へ行く前に、予定通り鎌倉観光をするみたい。お姉ちゃんたちは私とおじいちゃんを車で送り、実家へ帰っていった。
 早目のお風呂へ入り、夕食後、居間でおじいちゃんとまったりと話をする。
「ねえ、おじいちゃん」
「んー?」
「今日、とっても素敵な食事会だったね」
「ああ、そうだなぁ。花岡先生のご両親、あんまり変わっていなかったよ。優しそうで良かったな、日鞠」
「うん」
 二人で熱いお茶を啜る。
 テレビの旅番組がCMに入ると、おじいちゃんがぽつりと言った。
「俺なぁ、日鞠たちが結婚したら、美佐さんとここで一緒に住むことにしたんだ」
「えっ!」
 おじいちゃんと美佐さんは半同棲している。近所に住む美佐さんは、週に数回おじいちゃんの家に泊まっていたんだけど、とうとう一緒に……?
「前から美佐さんは一緒にいたいと言ってくれてたんだが、俺はこんな老いぼれだろ? 迷惑かけるなら、気楽な半同棲生活で十分だと思ってなぁ」
「うん」
 今は元気だけど、そのうち介護のことだって考えなくてはいけない。だから美佐さんを心配するおじいちゃんの気持ちは、よくわかる。
「でもな、美佐さんが言ったんだ」
「なんて?」
「残りの人生を私に分けて欲しいってな。……甘えることにしたよ」
「美佐さん、喜んだ?」
「ああ。嬉しいって、泣いてた」
 おじいちゃんは穏やかな表情で言った。
 あの人ならきっと、おじいちゃんを幸せにしてくれると思う。会うたびに、そう強く感じていたから。
「おじいちゃん、おめでとう。よかったね」
「お、おう。何だか照れるな、この歳で」
「何歳だっていいじゃん。おめでたいことに変わりないんだもん」
「そうだな。日鞠の子どもを見るまでは、死ぬわけにもいかねぇしな」
「!」
「なーに赤くなってんだ。すぐだろ、すぐ」
「も、もう」
 おじいちゃんは楽しそうに大きな声で笑った。釣られて私も笑ってしまう。
 おじいちゃん、柚仁が言ったようにいつまでも私たちの傍にいてね。絶対絶対、長生きしてね。

 夜も更けて、泊まらせてもらう部屋に入った。普段は美佐さんが泊まっているお部屋らしい。
 パジャマに着替えてお布団に座り、昼間の柚仁を思い出す。あんなに大きな紙を持って来て……張り切ってたんだろうな。私の為に、ううん、私たちの結婚の為に頑張ってくれたことが、心から嬉しい。
「あ、そうだ」
 バッグからスマホを取り出して検索を始めた。
「えーと海誓山盟……だっけ」
 ごろんと横になって、出てきたその意味を見つめる。
「……柚仁」
 彼が告白してくれた言葉に胸がきゅーんとして、今すぐ柚仁の声が聴きたくなった。その気持ちに素直に従い、急いで彼に電話をかける。

 私も彼に伝えたい。
 永遠に変わらない愛を、私も誓うよ、って。
 大切な、私の愛する柚仁に。

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