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6.三人目

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「なぁ野宮、バレてんじゃないか?」
 僕と野宮はコンビニの前に置かれたベンチで倉井が仕事を終えるのを待っていた。
 倉井はファミレスを勧めてくれたが、あいにく野宮には百四十円しかない。そして僕はこれ以上奢りたくないし、夕飯用におにぎりを買ってしまった。
 以上の理由でコンビニ前待機となったのだ。
「向こうは反撃してやろうと考えて『待ってろ』なんて言ったのかもしれないぞ。例えば万引きだとでも言って警察に通報したりとか」
 明太子おにぎりの包装を解いてをぱくりと頬張った。ピリ辛の明太子が白米とマッチして美味しい。おにぎりで一番好きな具材だ。
「別にそれでもいいですよ。私は何にもしてないんですし、防犯カメラもあるんですから。逆に名誉毀損で訴えてやりますよ」
 オレンジジュースのキャップを開けると野宮はグビリと飲んだ。
「ところで倉井にはどんな仕返しをするんだ? また金澤みたいに嵌めるのか? それとも奥本みたく弱みでも握るつもりか?」
 野宮は「いいえ」と首を横に振った。
「どちらでもありません。それに今回は何をするかは秘密です。教えたら絶対天原さんは反対すると思うので言いません。天原さんは倉井が逃げたり、逆上して襲って来た時に彼女を抑える役目だけ果たしてくれればいいです」
「もう君が何をしようが止めやしないよ。学生証だって何度頼んでも返してくれないし、野宮が僕の言うことを聞かないのは身に染みて理解している」
 自慢じゃないがこの半月、野宮と行動を共にして彼女の性格というか人となりを僕は把握している。彼女はこれと決めたら何がなんでも目標に向かって突っ走る猪みたいな人だ。
 猪と張り合うなんて骨が折れること僕はごめんだ。
 お茶で口の中を一旦リセットしてから、次はツナマヨおにぎりにぱくついた。
「それにしても驚きました。莉奈……倉井の見た目があんなに変わるなんて。退学前は髪も長かったんです。それに金髪でもなかったし」
「高校生なら金髪は校則で無理だしな」
 野宮は「そうですね」とオレンジジュースをあおった。
「SNSに自撮り写真はなかったのか?」
「ありましたけど、加工されてましたし。それに写真と実物では印象が違いますよ」
 それもそうだな、と最後の梅おにぎりを開封しながら思った。
 街中で芸能人を見ても意外と普通で肩透かしをくらった、みたいなものだ。写真は時間を切り取るがあくまで複製だ。オリジナルと感じ方が変わるのはしょうがない。
「それで話した感じはどうだった? 昔のままか?」
「うーん。なんだかしおらしかったですけど、腹の底では何考えているか分かりません。なんせ彼女は仲の良いふりをして、裏では悪口を言っていたんですから」
「まぁ、用心しておくに越したことないってことだな。もし倉井が何かして来ても野宮をしっかり守るから安心してくれ」
 残された三つのおにぎりの包装をレジ袋につめ込んだ。そして立ち上がったて、ベンチのすぐ脇にあるゴミ箱へ捨てた。
「それにしてもあと二時間、暇だなぁ」
「暇ですね」
 僕は前の道路に出ると大きく伸びをした。車通りはそこそこあるが歩道には人の姿がほとんどいない。こんな場所でコンビニをやっていて儲かるのだろうか、などというと経営者が聞いたら余計なお世話だと怒りそうなことを考えていた。
 その時、あることを思い出した。
「あ、そうだ。野宮にこれ返しておくよ」
 カバンの中からDVDを取り出した。
 このDVDにはずいぶんと助けられた。
「ありがとう。これのおかげで元気を取り戻せたよ」
「お役に立てて何よりです」
 DVDを受け取ると野宮は嬉しそうに言った。
「それともう一つ。お礼じゃないけど、この前電話で話したやつ」
 僕はカバンから封筒を取り出すとその中に入れてあったアントリアのライブチケットを一枚、野宮に渡した。
 DVDを返す時に一緒に渡そうと出かける前にカバンに忍ばせておいたのだ。
 受け取った野宮は立ち上がると嬉しそうにおじぎした。
「ありがとうございます。これ楽しみにしてたんです。当日はどこで待ち合わせますか?」
「手っ取り早く会場前はどうだ」
「いいですね。では土曜日の午後六時会場前集合ってことで」
 僕たちはそこからアントリアのどの曲が好きかという話をして時間を潰した。
 楽しい時間はどうしてすぐに経ってしまうのだろう。
 気がつくと腕時計の針が二時間進んでいた。
 外からレジの様子をうかがうと倉井の姿がなかった。もうすぐ出てくるのだろう。
 僕と野宮は裏の従業員出入り口の前で倉井が現れるのが待った。
 しばらくして出てきた倉井はシャツにジーンズという出で立ちで、髪の毛の色に反して服装はいささか地味な印象を受けた。
「ファミレスで待っててくれてよかったのに」
 倉井は野宮を視界に認めるとそう呟いた。
 そのあと僕の存在に気づいたようで僕と野宮を交互に見た。
「野宮の彼氏?」
 口もとに手のひらで作った壁を添えて倉井は野宮に訊いた。
「違う。この人はボディーガードみたいなものだから気にしないで」
「そっか。ここじゃなんだから近くの河原まで行こう」
 自転車を押して歩き出した倉井に僕たちもついて行った。
「優月は今何してるの?」
「今も高校生だよ。そっちは?」
「あたしは見ての通りフリーター。バイトを転々として今はコンビニ」
 倉井に先導されて行った先は一級河川の河川敷で、散歩やランニングができるように綺麗に整備されていた。
「悪いな、こんな遅くまで」
「大丈夫。私もあなたに用事があったから」
 自転車を止めながら言う倉井に、野宮は冷たい声を放った。
「あたしに用って?」
「そっちも何か用があったんじゃないの?」
「先に言えよ」
 倉井は野宮に先に話すように促した。
 野宮は覚悟を決めた様子で僕に振り返ると目で「始めます」と伝えてきた。
 これからどんな仕返しが始まるんだろう。いつでも動けるように体勢を整えた。
 大きく息すると野宮は倉井を見据えた。
「倉井梨奈。あなたは高校一年の時、私をいじめたのは覚えているよね」
 野宮の言葉に倉井の表情が暗く沈痛なものに変わった。
 それを見て野宮は追い討ちをかけるように厳しい声で続けた。
「隠れてクラスに私の悪口を吹聴し、いじめを扇動した。それにあなた自身も私の口では言い表せないほど酷いことをした。その仕返しを──」
「ごめんなさい!」
 突然、倉井が話を遮って頭を下げた。金色の髪が重力にしたがって垂れる。
「なっ!」
 不意打ちの出来事に野宮が声をつまらせた。この状況を理解するのに戸惑っているみたいだ。
 僕も状況を飲み込むのに数秒要した。
「わざわざ待っててもらったのは、その話がしたかったんだ」
「えっ?」
 倉井がさらに野宮を混乱の淵に追いやった。
 しかし倉井本人はそんなこと気づきもせず、ただ俯き加減で語り出した。
「私も高校辞めてから今までいろいろあったんだ。虐げるほうから虐げられるほうになったっていうか。そこで気づいた。優月に酷いことしてたって」
 顔をあげた倉井の目には薄っすらと涙が出ていた。
「でも許してもらえるなんて思ってない。だから──」
 倉井は精一杯にいうと両手を広げた。
「優月も仕返ししていいよ。そのために来たんでしょ? ほら、昔あたしがしたみたいに殴っていいよ」
 殴っていいよ、という言葉に野宮は反応しなかった。彼女は唇を噛んだままじっとしている。ただ拳だけが心情を表すかのごとく強く握りしめられているだけだった。
 しばらく誰も声を出さなかった。夜の虫の声が、川の流れる音が、遠くにかかる橋を通過する車の音が辺り一面を覆った。
「……んで」
 沈黙を破ったのは濡れた野宮の声だった。
「なんで反省なんてしてんの。ねぇ、なんで」
 野宮の問いに倉井は「ごめん」とだけ答えた。
「悪者はずっと悪者のままでいて欲しかった。反省なんかされたら仕返しする私が悪者みたいじゃん……」
 スン、と鼻をすすって野宮は続けた。
 野宮の瞳も涙で覆われていて決壊寸前だ。
「あなたは謝ることで気持ちの清算が済んで満足でしょ。でもずっといじめられ続けた私はどうしたらいいの? 傷ついた私の気持ちはどうなるの!」
 最後は叫ぶといっていいほど声を張り上げていた。すべてを出し尽くすと野宮は顔を手で覆って地べたに崩れ落ちた。覆った手の隙間から嗚咽が漏れてくる。
 僕は野宮の隣にしゃがみ込むと慰めるように彼女の肩を抱いた。
「野宮、大丈夫だ」と肩をさすっても返ってくるのは嗚咽ばかりだ。
 倉井を見上げると彼女も心配そうに、でもどうしたらいいか分からないのか呆然と野宮を見下ろしていた。
「悪いが今日はここまでみたいだ」
 僕がいうと倉井は「そうですか……」残念そうに呟いた。
 それからカバンからメモ帳を取り出すと何かを書いてペリっとページごと破った。
「これ、あたしのメアドと電話番号。罪滅ぼしじゃないけど、何か、あたしに出来そうなことがあったらいつでも連絡して」
 差し出されたメモに野宮は目もくれず泣き続けている。仕方がないので代わりに僕が受け取った。
「分かった。ありがとう」
 倉井はすまなそうに一礼すると僕たちに背を向けて自転車へ戻った。
 次の瞬間、座り込んでいた野宮はカバンから光るものを取り出すと、勢いよく地面を蹴り倉井の方へ駆け出した。手に持った光るもの、それは月明かりが反射した包丁だった。

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