33 / 60
第三章 総力戦と致命禁断の詠唱
3話
しおりを挟む 春の挨拶も終わり、数ヶ月の間はリーゼロッテにとっても、ベルンハルトにとっても平和な時が流れていた。
未だに二人の間には拳一つ分の空間が開くし、ベルンハルトはその仮面をリーゼロッテの前で外すことはない。
だが、リーゼロッテの部屋を訪れる回数は確実に増えているし、リーゼロッテの部屋で出されたお茶には手をつけてくれる。
ベルンハルトと出会って一年。その関係も季節の移り変わりと共に少しずつ変化してきており、まだ見ぬ夏に心を馳せる。
王都シュレンタットよりも北側に位置するロイスナーの夏は過ごしやすいと聞いた。窓から見える木々の葉が徐々に緑色を濃くしており、吹き抜ける風にも青々とした香りが混ざる。
庭を覗けば、ちょうどヘルムートが草木に水をやっていて、ヘルムートの手元から作り出される水が、初夏の太陽に照らされて小さな虹を作り出していた。
窓から覗く庭は、春に訪れたディースの城に比べ確かに小さいが、それでもそれなりの大きさだと思う。その庭を魔力石を使ったとしても、ヘルムート一人で管理し、その上であの余裕を見せるとは。
ベルンハルトやアルベルトに比べ少ないとはいえ、ヘルムートの魔力量もそれなりのものだと、簡単に推測できる。
(わたくし、やっぱりお役に立たないわ)
ベルンハルトの頑なだった態度が軟化し、アルベルトやヘルムートに親切にされればされるほど、自分にその価値があるのかと、そんな思いが駆け巡る。
自分にも何かできないかと、そんな焦りだけが心の中に溜まっていった。
「ヘルムートさん」
「奥様。今日はお早いのですね」
「うふふ。部屋からヘルムートさんがお庭にいらっしゃるのが見えて、慌てて飛び出してきちゃった」
「またそのようなことを仰る」
「あら。本当よ。ヘルムートさんが淹れてくださるお茶が楽しみなんですもの」
元執事長のヘルムートが淹れるお茶は、ベルンハルトだけではなく、先代のロイエンタール当主も好んでいたという。
当主が飲んでいたものを味わうことができるなんて、王城では考えられなかった。
「このようなもので良ければ、いくらでもお淹れしますよ。そもそも、王城で飲まれていたものの方が、茶葉も高価なものでしょう」
「うふふ。茶葉の値段ではないわ。わたくしのために淹れてくださる、それだけで味わいが変わってくるもの」
王城でリーゼロッテに出されていたものは、誰かのついでに用意されるもので、魔力のない自分にはそれも当然のことだと、当たり前に受け入れていた。
ヘルムートに初めてお茶を淹れてもらった時は、その味はもちろん、それが自分のために淹れられたものだということが、心に染みた。
「そういうものでしょうか。私の淹れるものに、そこまで仰っていただけるのは、ありがたい限りです」
ヘルムートが淹れてくれたお茶は、この季節にちょうど良く、少し冷えたものだ。その爽やかな口当たりを楽しんでいたときだった。
「今日もこんなところにいるのね。リーゼロッテ様」
リーゼロッテの背後から聞こえたのは、数ヶ月前に突然姿を消した声。
次に会ったら謝ろうと心に決めていた声の持ち主。
「レティシア様!」
「なぁに? そんなに大きな声出さないで」
「あ、あのっ、先日は、申し訳ありませんでした!」
リーゼロッテは口から謝罪の言葉を、そして立ち上がり丁寧に頭を下げ、謝罪の態度をとった。
「え? 何のこと? 私、何で謝られてるのかしら」
「あの、わたくしがレティシア様に言ってしまった……その、言葉のせいで」
「あぁ! 嫌ってこと? あんなもののために謝ったの?」
「そ、そのせいで、レティシア様が帰ってしまったのだと……」
レティシアの態度が理解できず、しどろもどろになりながら、リーゼロッテが自分の不始末を説明する。
「そんなはずがないじゃない。まさか、あんなことを気にしていたの?」
「え、えぇ。ずっと気がかりで……」
「ははっ。ごめんなさい。私も突然消えてしまったものね。気を煩わせてしまったわ」
「いえ。そんなこと、気になさらないでください」
「あの日は、どちらにせよ帰る予定だったのよ。クラウスが近くまで来たのを感じとったからね。それで姿を消したってわけ」
「そう、だったのですね」
ずっと気に病んでいたことの、呆気ない幕引きに、リーゼロッテの気は抜け、先程まで座っていた椅子に全身を預けた。
「えぇ。そうだったのよ」
レティシアもリーゼロッテが座り込むのを見て、その向かい側に据えられた椅子へと腰掛ける。
すぐさまヘルムートがリーゼロッテに用意したお茶と同様のものをレティシアに出せば、数ヶ月の時間をおいて、お茶会の形が整った。
「レ、レティシア様もどうぞ」
「あら、ありがとう」
「やっと、お茶会ができますね」
レティシアが席につき、そのお茶を手に取ったのを見て、リーゼロッテは安堵を覚えた。
「ベルンハルトは私がいつ姿を現して、いつ姿を消しても気にも止めないから。つい貴女もそうだと思いこんでいたわ」
「わたくしが、勝手に思っていただけです。酷く傷つけてしまったのだと」
リーゼロッテが面と向かって他人に文句を言ったのは、あれが初めてだった。だからこそ、どれぐらい傷つけてしまったのか、どうやって償えば良いのか、わからずに時間が経った。
レティシアが再び現れてくれたこと、ずっと気がかりだったことを笑い飛ばしてくれたこと、そのことで心の中に引っかかっていた棘が抜けていく。
未だに二人の間には拳一つ分の空間が開くし、ベルンハルトはその仮面をリーゼロッテの前で外すことはない。
だが、リーゼロッテの部屋を訪れる回数は確実に増えているし、リーゼロッテの部屋で出されたお茶には手をつけてくれる。
ベルンハルトと出会って一年。その関係も季節の移り変わりと共に少しずつ変化してきており、まだ見ぬ夏に心を馳せる。
王都シュレンタットよりも北側に位置するロイスナーの夏は過ごしやすいと聞いた。窓から見える木々の葉が徐々に緑色を濃くしており、吹き抜ける風にも青々とした香りが混ざる。
庭を覗けば、ちょうどヘルムートが草木に水をやっていて、ヘルムートの手元から作り出される水が、初夏の太陽に照らされて小さな虹を作り出していた。
窓から覗く庭は、春に訪れたディースの城に比べ確かに小さいが、それでもそれなりの大きさだと思う。その庭を魔力石を使ったとしても、ヘルムート一人で管理し、その上であの余裕を見せるとは。
ベルンハルトやアルベルトに比べ少ないとはいえ、ヘルムートの魔力量もそれなりのものだと、簡単に推測できる。
(わたくし、やっぱりお役に立たないわ)
ベルンハルトの頑なだった態度が軟化し、アルベルトやヘルムートに親切にされればされるほど、自分にその価値があるのかと、そんな思いが駆け巡る。
自分にも何かできないかと、そんな焦りだけが心の中に溜まっていった。
「ヘルムートさん」
「奥様。今日はお早いのですね」
「うふふ。部屋からヘルムートさんがお庭にいらっしゃるのが見えて、慌てて飛び出してきちゃった」
「またそのようなことを仰る」
「あら。本当よ。ヘルムートさんが淹れてくださるお茶が楽しみなんですもの」
元執事長のヘルムートが淹れるお茶は、ベルンハルトだけではなく、先代のロイエンタール当主も好んでいたという。
当主が飲んでいたものを味わうことができるなんて、王城では考えられなかった。
「このようなもので良ければ、いくらでもお淹れしますよ。そもそも、王城で飲まれていたものの方が、茶葉も高価なものでしょう」
「うふふ。茶葉の値段ではないわ。わたくしのために淹れてくださる、それだけで味わいが変わってくるもの」
王城でリーゼロッテに出されていたものは、誰かのついでに用意されるもので、魔力のない自分にはそれも当然のことだと、当たり前に受け入れていた。
ヘルムートに初めてお茶を淹れてもらった時は、その味はもちろん、それが自分のために淹れられたものだということが、心に染みた。
「そういうものでしょうか。私の淹れるものに、そこまで仰っていただけるのは、ありがたい限りです」
ヘルムートが淹れてくれたお茶は、この季節にちょうど良く、少し冷えたものだ。その爽やかな口当たりを楽しんでいたときだった。
「今日もこんなところにいるのね。リーゼロッテ様」
リーゼロッテの背後から聞こえたのは、数ヶ月前に突然姿を消した声。
次に会ったら謝ろうと心に決めていた声の持ち主。
「レティシア様!」
「なぁに? そんなに大きな声出さないで」
「あ、あのっ、先日は、申し訳ありませんでした!」
リーゼロッテは口から謝罪の言葉を、そして立ち上がり丁寧に頭を下げ、謝罪の態度をとった。
「え? 何のこと? 私、何で謝られてるのかしら」
「あの、わたくしがレティシア様に言ってしまった……その、言葉のせいで」
「あぁ! 嫌ってこと? あんなもののために謝ったの?」
「そ、そのせいで、レティシア様が帰ってしまったのだと……」
レティシアの態度が理解できず、しどろもどろになりながら、リーゼロッテが自分の不始末を説明する。
「そんなはずがないじゃない。まさか、あんなことを気にしていたの?」
「え、えぇ。ずっと気がかりで……」
「ははっ。ごめんなさい。私も突然消えてしまったものね。気を煩わせてしまったわ」
「いえ。そんなこと、気になさらないでください」
「あの日は、どちらにせよ帰る予定だったのよ。クラウスが近くまで来たのを感じとったからね。それで姿を消したってわけ」
「そう、だったのですね」
ずっと気に病んでいたことの、呆気ない幕引きに、リーゼロッテの気は抜け、先程まで座っていた椅子に全身を預けた。
「えぇ。そうだったのよ」
レティシアもリーゼロッテが座り込むのを見て、その向かい側に据えられた椅子へと腰掛ける。
すぐさまヘルムートがリーゼロッテに用意したお茶と同様のものをレティシアに出せば、数ヶ月の時間をおいて、お茶会の形が整った。
「レ、レティシア様もどうぞ」
「あら、ありがとう」
「やっと、お茶会ができますね」
レティシアが席につき、そのお茶を手に取ったのを見て、リーゼロッテは安堵を覚えた。
「ベルンハルトは私がいつ姿を現して、いつ姿を消しても気にも止めないから。つい貴女もそうだと思いこんでいたわ」
「わたくしが、勝手に思っていただけです。酷く傷つけてしまったのだと」
リーゼロッテが面と向かって他人に文句を言ったのは、あれが初めてだった。だからこそ、どれぐらい傷つけてしまったのか、どうやって償えば良いのか、わからずに時間が経った。
レティシアが再び現れてくれたこと、ずっと気がかりだったことを笑い飛ばしてくれたこと、そのことで心の中に引っかかっていた棘が抜けていく。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
転移先は薬師が少ない世界でした
饕餮
ファンタジー
★この作品は書籍化及びコミカライズしています。
神様のせいでこの世界に落ちてきてしまった私は、いろいろと話し合ったりしてこの世界に馴染むような格好と知識を授かり、危ないからと神様が目的地の手前まで送ってくれた。
職業は【薬師】。私がハーブなどの知識が多少あったことと、その世界と地球の名前が一緒だったこと、もともと数が少ないことから、職業は【薬師】にしてくれたらしい。
神様にもらったものを握り締め、ドキドキしながらも国境を無事に越え、街でひと悶着あったから買い物だけしてその街を出た。
街道を歩いている途中で、魔神族が治める国の王都に帰るという魔神族の騎士と出会い、それが縁で、王都に住むようになる。
薬を作ったり、ダンジョンに潜ったり、トラブルに巻き込まれたり、冒険者と仲良くなったりしながら、秘密があってそれを話せないヒロインと、ヒロインに一目惚れした騎士の恋愛話がたまーに入る、転移(転生)したヒロインのお話。

ポーションが不味すぎるので、美味しいポーションを作ったら
七鳳
ファンタジー
※毎日8時と18時に更新中!
※いいねやお気に入り登録して頂けると励みになります!
気付いたら異世界に転生していた主人公。
赤ん坊から15歳まで成長する中で、異世界の常識を学んでいくが、その中で気付いたことがひとつ。
「ポーションが不味すぎる」
必需品だが、みんなが嫌な顔をして買っていく姿を見て、「美味しいポーションを作ったらバカ売れするのでは?」
と考え、試行錯誤をしていく…

スキル「糸」を手に入れた転生者。糸をバカにする奴は全員ぶっ飛ばす
Gai
ファンタジー
人を助けた代わりにバイクに轢かれた男、工藤 英二
その魂は異世界へと送られ、第二の人生を送ることになった。
侯爵家の三男として生まれ、順風満帆な人生を過ごせる……とは限らない。
裕福な家庭に生まれたとしても、生きていいく中で面倒な壁とぶつかることはある。
そこで先天性スキル、糸を手に入れた。
だが、その糸はただの糸ではなく、英二が生きていく上で大いに役立つスキルとなる。
「おいおい、あんまり糸を嘗めるんじゃねぇぞ」
少々強気な性格を崩さず、英二は己が生きたい道を行く。
EX級アーティファクト化した介護用ガイノイドと行く未来異星世界遺跡探索~君と添い遂げるために~
青空顎門
SF
病で余命宣告を受けた主人公。彼は介護用に購入した最愛のガイノイド(女性型アンドロイド)の腕の中で息絶えた……はずだったが、気づくと彼女と共に見知らぬ場所にいた。そこは遥か未来――時空間転移技術が暴走して崩壊した後の時代、宇宙の遥か彼方の辺境惑星だった。男はファンタジーの如く高度な技術の名残が散見される世界で、今度こそ彼女と添い遂げるために未来の超文明の遺跡を巡っていく。
※小説家になろう様、カクヨム様、ノベルアップ+様、ノベルバ様にも掲載しております。
【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。
ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。
彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。
「誰も、お前なんか必要としていない」
最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。
外れスキル《コピー》を授かったけど「無能」と言われて家を追放された~ だけど発動条件を満たせば"魔族のスキル"を発動することができるようだ~
そらら
ファンタジー
「鑑定ミスではありません。この子のスキルは《コピー》です。正直、稀に見る外れスキルですね、何せ発動条件が今だ未解明なのですから」
「何てことなの……」
「全く期待はずれだ」
私の名前はラゼル、十五歳になったんだけども、人生最悪のピンチに立たされている。
このファンタジックな世界では、15歳になった際、スキル鑑定を医者に受けさせられるんだが、困ったことに私は外れスキル《コピー》を当ててしまったらしい。
そして数年が経ち……案の定、私は家族から疎ましく感じられてーーついに追放されてしまう。
だけど私のスキルは発動条件を満たすことで、魔族のスキルをコピーできるようだ。
そして、私の能力が《外れスキル》ではなく、恐ろしい能力だということに気づく。
そんでこの能力を使いこなしていると、知らないうちに英雄と呼ばれていたんだけど?
私を追放した家族が戻ってきてほしいって泣きついてきたんだけど、もう戻らん。
私は最高の仲間と最強を目指すから。
神託の聖女様~偽義妹を置き去りにすることにしました
青の雀
恋愛
半年前に両親を亡くした公爵令嬢のバレンシアは、相続権を王位から認められ、晴れて公爵位を叙勲されることになった。
それから半年後、突如現れた義妹と称する女に王太子殿下との婚約まで奪われることになったため、怒りに任せて家出をするはずが、公爵家の使用人もろとも家を出ることに……。
鋼月の軌跡
チョコレ
SF
月が目覚め、地球が揺れる─廃機で挑む熱狂のロボットバトル!
未知の鉱物ルナリウムがもたらした月面開発とムーンギアバトル。廃棄された機体を修復した少年が、謎の少女ルナと出会い、世界を揺るがす戦いへと挑む近未来SFロボットアクション!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる