6 / 90
第一章 Travel to Whiteford
6話
しおりを挟む
6
悲しくなるほど貧相な食事を終えた二人は、別の建物にある古びた教室に入った。同じ第三学年の二人には、一限目に歴史学の授業があった。
やや縦長の教室は、一般的な日本の高校の教室の半分くらいの面積だった。木製の二人掛けの机が所狭しと並んでいて、その大半がすでに埋まっており、生徒たちが雑談や授業の準備をしていた。
壁も深みのある茶色の木でできており、一面にびっしりと英語が刻まれていた。一つしかない窓は小さく、補強のためか六角形の、黒の金属の部材が表面に見えた。
遥香は、前から二番目の空席に座った。教室を見渡した桐畑は、遥香の隣席を選んだ。できるだけ後ろに座りたかったが、空きがなかった。
机の上の立て台には、羽ペンが刺さっていた。映画でしか見た経験のないペンに、桐畑は興味津々だった。
程なくして前の入口から、膝下まで届く黒ガウンと、天辺が正方形の黒帽子を身に着けた女性教師が入ってきた。四十代と思われる風貌で、すっと伸びた背と大きく開かれた目からは強い能動性が感じられた。
黒板前の教卓で止まった教師は手に持っていた本を置き、「では、授業を始めます」と、ゆっくりと顔を上げた。
「先週、告知しましたように、今日は、第三回十字軍におけるリチャード一世の施策について議論していただきます。ではミス・エアリー、概要の提示をお願いします」
遥香に向いた教師の笑顔には、有無を言わさぬものがあった。
「はい」
ぴしりと答えた遥香は、さっと立ち上がった。
「十字軍遠征に大きな情熱を持つリチャード一世は、王庫の金やサラディン税、軍役負担金を遠征の費用に充てるだけでなく、城や所領、官職まで売って……」
(いやいや、何をぺらぺら講釈を垂れてんだよ。俺ん中にゃあ、そんな崇高な歴史の知識はないって。英語は、なんでかわかるがよ。おんなじ感じで、過去に飛ばされたはずだぜ。あんたいったい、どうなってんの?)
疑問でいっぱいの桐畑の頭には、遥香の朗々とした説明が入ってこない。
遥香が着席すると、「ありがとう、ミス・エアリー」と教師が滑らかに労った。
「では先ほどの概要を踏まえて、リチャード一世の施策への意見や、自分がリチャード一世ならどのように行動するかなど、自由に議論なさい」
教師の端的な指示に、生徒たちは移動を始めた。
「ちょいちょい、朝波さんよ。お前、何でそんなにイギリスの歴史に詳しいの? 今、流行の歴女ってやつか? それともまさかの帰国子女? まあお前の知的さなら、マサチューセッツ帰りですって言われても納得は行くがよ」
桐畑は、再び立ち上がった遥香におじおじと尋ねた。振り向いた遥香は、わずかに眉の上がった不思議そうな面持ちだった。
「オバマ元大統領が、『キリスト教徒も奴隷制度や黒人差別、十字軍で酷い行いをしてきた』、みたいな発言をしてたでしょ? で当然、気になるじゃない? 差別問題は、知ろうとしない事が罪になりうるからね。そういう経緯で、かるーく本を漁って調べたの」
遥香は、台詞通りの軽い口振りだった。
「オバマの台詞は知らんけど、かるーくってどのくらい? 百ページとか?」
「……予想、ページ単位なんだ。君との常識のギャップを、どうしようもなく感じちゃうね」
溜息を吐かんばかりの遥香の表情は、やがて凛としたものに変わる。
「ちゃんと数えてないけど、十冊強ってとこかな。もっと読む気だったけどサッカーも忙しいし、他に読みたい本もあったから。まあ、十あたりが妥協点だよね」
何気なく告げた遥香は小さく微笑んで、男女混合の三人の生徒が身振り手振りを交えながら議論する机へと向かった。少し迷った桐畑だったが、やがておもむろに遥香に従いていく。
アッコン降伏がああだとか、サラディンがこうだとか、桐畑以外の四人が喧々諤々と討論する中、黙り込む桐畑はぼんやりと考える。
(あんたらさ、よくそんな一心不乱に話し込めるよな。歴史なんて研究してどうすんだ? このいかんともしがたい空腹が、解消されるわけじゃああるめえよ)
悲しくなるほど貧相な食事を終えた二人は、別の建物にある古びた教室に入った。同じ第三学年の二人には、一限目に歴史学の授業があった。
やや縦長の教室は、一般的な日本の高校の教室の半分くらいの面積だった。木製の二人掛けの机が所狭しと並んでいて、その大半がすでに埋まっており、生徒たちが雑談や授業の準備をしていた。
壁も深みのある茶色の木でできており、一面にびっしりと英語が刻まれていた。一つしかない窓は小さく、補強のためか六角形の、黒の金属の部材が表面に見えた。
遥香は、前から二番目の空席に座った。教室を見渡した桐畑は、遥香の隣席を選んだ。できるだけ後ろに座りたかったが、空きがなかった。
机の上の立て台には、羽ペンが刺さっていた。映画でしか見た経験のないペンに、桐畑は興味津々だった。
程なくして前の入口から、膝下まで届く黒ガウンと、天辺が正方形の黒帽子を身に着けた女性教師が入ってきた。四十代と思われる風貌で、すっと伸びた背と大きく開かれた目からは強い能動性が感じられた。
黒板前の教卓で止まった教師は手に持っていた本を置き、「では、授業を始めます」と、ゆっくりと顔を上げた。
「先週、告知しましたように、今日は、第三回十字軍におけるリチャード一世の施策について議論していただきます。ではミス・エアリー、概要の提示をお願いします」
遥香に向いた教師の笑顔には、有無を言わさぬものがあった。
「はい」
ぴしりと答えた遥香は、さっと立ち上がった。
「十字軍遠征に大きな情熱を持つリチャード一世は、王庫の金やサラディン税、軍役負担金を遠征の費用に充てるだけでなく、城や所領、官職まで売って……」
(いやいや、何をぺらぺら講釈を垂れてんだよ。俺ん中にゃあ、そんな崇高な歴史の知識はないって。英語は、なんでかわかるがよ。おんなじ感じで、過去に飛ばされたはずだぜ。あんたいったい、どうなってんの?)
疑問でいっぱいの桐畑の頭には、遥香の朗々とした説明が入ってこない。
遥香が着席すると、「ありがとう、ミス・エアリー」と教師が滑らかに労った。
「では先ほどの概要を踏まえて、リチャード一世の施策への意見や、自分がリチャード一世ならどのように行動するかなど、自由に議論なさい」
教師の端的な指示に、生徒たちは移動を始めた。
「ちょいちょい、朝波さんよ。お前、何でそんなにイギリスの歴史に詳しいの? 今、流行の歴女ってやつか? それともまさかの帰国子女? まあお前の知的さなら、マサチューセッツ帰りですって言われても納得は行くがよ」
桐畑は、再び立ち上がった遥香におじおじと尋ねた。振り向いた遥香は、わずかに眉の上がった不思議そうな面持ちだった。
「オバマ元大統領が、『キリスト教徒も奴隷制度や黒人差別、十字軍で酷い行いをしてきた』、みたいな発言をしてたでしょ? で当然、気になるじゃない? 差別問題は、知ろうとしない事が罪になりうるからね。そういう経緯で、かるーく本を漁って調べたの」
遥香は、台詞通りの軽い口振りだった。
「オバマの台詞は知らんけど、かるーくってどのくらい? 百ページとか?」
「……予想、ページ単位なんだ。君との常識のギャップを、どうしようもなく感じちゃうね」
溜息を吐かんばかりの遥香の表情は、やがて凛としたものに変わる。
「ちゃんと数えてないけど、十冊強ってとこかな。もっと読む気だったけどサッカーも忙しいし、他に読みたい本もあったから。まあ、十あたりが妥協点だよね」
何気なく告げた遥香は小さく微笑んで、男女混合の三人の生徒が身振り手振りを交えながら議論する机へと向かった。少し迷った桐畑だったが、やがておもむろに遥香に従いていく。
アッコン降伏がああだとか、サラディンがこうだとか、桐畑以外の四人が喧々諤々と討論する中、黙り込む桐畑はぼんやりと考える。
(あんたらさ、よくそんな一心不乱に話し込めるよな。歴史なんて研究してどうすんだ? このいかんともしがたい空腹が、解消されるわけじゃああるめえよ)
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
曙光ーキミとまた会えたからー
桜花音
青春
高校生活はきっとキラキラ輝いていると思っていた。
夢に向かって突き進む未来しかみていなかった。
でも夢から覚める瞬間が訪れる。
子供の頃の夢が砕け散った時、私にはその先の光が何もなかった。
見かねたおじいちゃんに誘われて始めた喫茶店のバイト。
穏やかな空間で過ごす、静かな時間。
私はきっとこのままなにもなく、高校生活を終えるんだ。
そう思っていたところに、小学生時代のミニバス仲間である直哉と再会した。
会いたくなかった。今の私を知られたくなかった。
逃げたかったのに直哉はそれを許してくれない。
そうして少しずつ現実を直視する日々により、閉じた世界に光がさしこむ。
弱い自分は大嫌い。だけど、弱い自分だからこそ、気づくこともあるんだ。
あの虹をもう一度 ~アカシック・ギフト・ストーリー~
花房こはる
青春
「アカシック・ギフト・ストーリー」シリーズ第8弾。
これは、実際の人の過去世(前世)を一つのストーリーとして綴った物語です。
多忙の父母の代わりに連は乳母に育てられた。その乳母も怪我がもとで田舎に帰ってしまう。
数年後、学校の長期休みを期に乳母の田舎へと向かう。
そこで出会った少年ジオと共に今まで経験したことのないたくさんのことを学ぶ。
歳月は流れ、いつしかそのジオとも連絡がつかなくなり・・・。
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説
宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。
美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!!
【2022/6/11完結】
その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。
そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。
「制覇、今日は五時からだから。来てね」
隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。
担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。
◇
こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく……
――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――
青天のヘキレキ
ましら佳
青春
⌘ 青天のヘキレキ
高校の保健養護教諭である金沢環《かなざわたまき》。
上司にも同僚にも生徒からも精神的にどつき回される生活。
思わぬ事故に巻き込まれ、修学旅行の引率先の沼に落ちて神将・毘沙門天の手違いで、問題児である生徒と入れ替わってしまう。
可愛い女子とイケメン男子ではなく、オバちゃんと問題児の中身の取り違えで、ギャップの大きい生活に戸惑い、落としどころを探って行く。
お互いの抱えている問題に、否応なく向き合って行くが・・・・。
出会いは化学変化。
いわゆる“入れ替わり”系のお話を一度書いてみたくて考えたものです。
お楽しみいただけますように。
他コンテンツにも掲載中です。
彗星と遭う
皆川大輔
青春
【✨青春カテゴリ最高4位✨】
中学野球世界大会で〝世界一〟という称号を手にした。
その時、投手だった空野彗は中学生ながら152キロを記録し、怪物と呼ばれた。
その時、捕手だった武山一星は全試合でマスクを被ってリードを、打っては四番とマルチの才能を発揮し、天才と呼ばれた。
突出した実力を持っていながら世界一という実績をも手に入れた二人は、瞬く間にお茶の間を賑わせる存在となった。
もちろん、新しいスターを常に欲している強豪校がその卵たる二人を放っておく訳もなく。
二人の元には、多数の高校からオファーが届いた――しかし二人が選んだのは、地元埼玉の県立高校、彩星高校だった。
部員数は70名弱だが、その実は三年連続一回戦負けの弱小校一歩手前な崖っぷち中堅高校。
怪物は、ある困難を乗り越えるためにその高校へ。
天才は、ある理由で野球を諦めるためにその高校へ入学した。
各々の別の意思を持って選んだ高校で、本来会うはずのなかった運命が交差する。
衝突もしながら協力もし、共に高校野球の頂へ挑む二人。
圧倒的な実績と衝撃的な結果で、二人は〝彗星バッテリー〟と呼ばれるようになり、高校野球だけではなく野球界を賑わせることとなる。
彗星――怪しげな尾と共に現れるそれは、ある人には願いを叶える吉兆となり、ある人には夢を奪う凶兆となる。
この物語は、そんな彗星と呼ばれた二人の少年と、人を惑わす光と遭ってしまった人達の物語。
☆
第一部表紙絵制作者様→紫苑*Shion様《https://pixiv.net/users/43889070》
第二部表紙絵制作者様→和輝こころ様《https://twitter.com/honeybanana1》
第三部表紙絵制作者様→NYAZU様《https://skima.jp/profile?id=156412》
登場人物集です→https://jiechuandazhu.webnode.jp/%e5%bd%97%e6%98%9f%e3%81%a8%e9%81%ad%e3%81%86%e3%80%90%e7%99%bb%e5%a0%b4%e4%ba%ba%e7%89%a9%e3%80%91/
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる