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第一章 Travel to Whiteford

5話

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 桐畑の驚愕を見届けたアルマは、「従いてきてくれる?」と、涼やかに告げた。そのままくるりと前を向き、扉を開く。桐畑は慌てて、アルマの後を追った。
 二人は整備の行き届いた芝生を貫く道を行き、白や灰色のレンガから成る建物に辿り着いた。高さは十m、横幅は二十mほどあり、二階建てなのか、上下に二段の四角形の窓が等間隔に並んでいる。
 アルマが、荘厳な柱の間の、複雑な模様の彫り込まれた扉を押し開いた。アルマに続いて中へと入った桐畑は、辺りを見回す。
 ほぼ正方形の広々とした部屋を、六つの木製の長い机が縦に走っていた。机の両脇には、賑やかに食事をする者たちの姿がある。年齢の幅こそあるが、皆、十代の欧米系の顔立ちだった。
 一段、高くなった部屋の奥にも机はあるが、席に着く者はいなかった。机の上方には、制服のエンブレムと同じ紋様の巨大な彫刻があり、部屋全体を支配しているかのようだった。
 左右の黄土色の壁は聳え立つように高く、天井でアーチを描いていた。中ほどには大きく古風な暖炉があり、赤々とした炎が燃え盛っている。
 二人は、左端から二番目の机に着いた。会話を聞かれないように、隣に座る生徒との間隔は充分に取っていた。
「それじゃあまず、状況を整理しよっか。外見はこんなだけど、私は、朝波遥香。現代の日本じゃ、君と同じクラス……。って、さすがにクラスメイトの顔触れぐらい把握してるよね」
 まっすぐに桐畑を見詰めながら、遥香は小声で淡々と告げた。
 はっとした桐畑は、即座に遥香に詰問する。
「おう、当然だろ。自分でどう思ってるかは知らんが、お前は有名人だからな。名前と経歴ぐらいは知ってるよ。問題はその前だ。現代の日本? そんじゃあ、俺らがいる時代は……」
「一八七一年、ヴィクトリア女王の統治する、大英帝国全盛期のロンドン」
 遥香は、あっさりとした口調で言葉を引き継いだ。
「大英帝国って、現代のイギリスと同じ国だよな? 全盛期って、今じゃねえの? ロンドンとか、めちゃくちゃ華やかな感じじゃんかよ。いや今ってのは、二十一世紀の初めって意味な」
 桐畑は、深く考えずに疑問を口に出した。遥香は、呆れたようにわずかに息を吐く。
「私はこの時代に来る前でも、イギリスの黄金時代がいつかぐらいは知ってたけどね。君さ、サッカーばっかりしてちゃあ駄目だよ。色々と学んで、人間の幅を広げなきゃ。ああでも、もう退部したんだったね」
 遥香は、あっけらかんと言い放った。
 遥香の指摘に、少しカチンときた桐畑は言い返そうと口を開く。
「ああ、部活は辞めたよ。だからどうしたっての。ていうか俺ら、ほぼ初対面だよな? 何で俺の退部を知ってんだよ?」
「誰かの会話を聞いたんだよ」
「盗み聞きしたのかよ。趣味悪くねえ?」
「見方によってはそうなるね。私、常に周りにアンテナを張って生活してるから。そうしてるとさ。色々と情報が入ってきて、何かと自分のプラスになるのよ。人生は短いんだから、あらゆる面で賢く生きていかないとだよね」
 穏やかな語調の遥香は、桐畑の視線を受け流すかのように、余裕がたっぷりで微笑んでいる。
(ほんとに同じ高校生かよ? 妙に大人びてやがる。なんか、こいつには敵わないかもな)と、桐畑は内心、舌を巻く。
「って、こんな無駄話をしてる場合じゃないよね」
 遥香の口振りが、切迫感を帯び始める。
「私がタイム・スリップしたタイミングは、三日前。JFAアカデミーとの試合の後、控室に忘れ物を取りに帰ったら、隅に昔の時代のボールを見つけて何となく手に取ったの。我ながら、ほんと迂闊だったな。で、急に気が遠くなってこの時代に来たってわけ。目が覚めた場所は、スチュアート寮のベッド」
 正体を現す前の、弱々しい振る舞いもどこへやら。遥香は強い意志が感じられる顔付きで、てきぱきと説明する。
「お前の事情は、じゅーぶん理解できた。で結局、ここはどこなんだよ? 学校っつー予測は付くがよ」
 桐畑は、冷静さを意識しながら遥香に問うた。
「名門パブリック・スクール、ホワイトフォード校。十八世紀末、とある篤志家が、私財を擲って設立した、十三歳から十八歳が所属する学校だよ」
 真顔の遥香の端的な返答に、桐畑は調子を変えずに質問を続ける。
「パブリック・スクールって、すっごい金持ちが通うエリート校だよな? サッカー、ああいや、フットボールの統一ルールが、初めて作られたっつー……」
「サッカー関連の知識は豊富なんだ。勿体ないなー。その関心をいろんな分野に向けたら、もっと生活が充実するんだけどね」
 呟くように感慨を口にした遥香は、すっと居住まいを正した。
「私には、達成すべき目的がいくらでもあるの。だから絶対に、現代日本に帰らなきゃいけない。部活を辞めた君がどうかは、知らないけどね」
 ドライに言い捨てた遥香に、桐畑は、小さく笑みを向ける。
「まあ、なんとかなんじゃねえの? 映画とかだと、元の時代に帰れない、ってオチも多いけどさ。なんてったってここは現実、俺たちはリアルを生きてるんだからよ。それまで、大英帝国だっけ? の上流階級様の生活を死ぬほど満喫してやろうぜ」
 桐畑が力強く主張するや否や、トン、と木製のトレーが桐畑の目の前に置かれた。
「おっ、どうも」と、歩き去る給仕服の中年女性に気易く告げた桐畑は、トレーに視線を遣った。
 トレー上には紅茶に加えて、二つの白色の皿があった。深皿には、握り拳の体積より小量のオートミールが入っていて、浅皿には、一辺が十センチにも満たないパンが一切れと親指より少し大きなぐらいのソーセージが一本、載っているだけだった。
 絶句する桐畑の耳に、遥香の落ち着き払った声が届く。
「満喫、ね。少なくとも、食事の面では難しいかもね。ここの食事は、質と量の両面でイギリスの最貧家庭と競るぐらいだから。ああちなみに、夕食なんて洒落たものは存在しないよ。日本の常識は食に関しては通じないから、くれぐれも気を付けてね」
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