継ぎはぎ模様のアーヤ

霜月 幽

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第二章 境界の砦

28 西アゴートの老婦人

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 《西アゴートの老婦人》

「ええ、お引き受けいたしましょう! お任せくださいな」

 トラセンタ夫人が頼もしく請け合った。大きな耳が特徴のジャッカル耳獣人の老婦人である。
 ビートは丁寧に頭を下げると、アーヤの頭を大きな手で撫でる。アーヤがぺこりと大きくお辞儀をした。

「やっぱりそれが一番いいと思うよ。俺もほっとした」

 金色狼のカシムも何度も頷く。アーヤは困ったような複雑な顔でそんなカシムと夫人の顔を見上げながら、ビートの上着の服の裾をぎゅっと握りしめていた。



 ***

「アーヤ、訪ねたいとこありゅの」

 西アゴートの街に戻ったアーヤが、ビートにおずおずと言ってきた。そう言えば、そもそもアーヤたちは西アゴートへ行く途中のはずだったとビートも思い出す。

「場所、分かるか?」
「んとね。んとね。住所書いてありゅ紙なくしちゃったから、わからにゃいにょ」

 アーヤの耳がぺたりと萎れ、尻尾もふにゃりと垂れてしまった。

「でも、きっとずっと着かないでいるから、心配させちゃってると思うの」

 ビートはアーヤのふわふわの赤茶と黒の髪を撫でた。

「心配ない。砦のほうから連絡してある」

 それでもうるうるとした目で見上げるアーヤを見て、言葉を続けた。

「砦に場所を問い合わせる」

 スミソン隊長が砦で保護していると先方に連絡しているはず。すぐに場所は分かるだろう。

「ありがにょ。ビーにゃ」

 嬉しそうに笑うアーヤに頷くビートを見て、西アゴートに待機していた砦隊員が目を丸くしてびっくりしていた。
 むっと顔を顰めて(本人はなぜ驚いているのだと呆れたつもり。だが、傍からは無表情の怖い顔がさらに怖くなったようにしか見えない)、隊員にすぐにアーヤを引き取るはずだった先の住所を問い合わせてこいと命じる。

「ビート副官の、あれ、笑ったのかな? よく解らなかったけど笑ったんだよな?」
「口の端が上がっていたぞ。俺、初めて見た。ネコ耳の子の頭、撫でてたし。俺、びっくり!」

 馬を引きながらごしょごしょ言い合っている隊員に、ビートが早く行けと怒鳴った。叱られた隊員は馬に飛び乗って砦へと駆けて行く。
 土煙を立てて走り去る二人を睨んで、ビートは失礼な奴らだと腹の中でむくれた。



 西アゴートの街から砦まではほぼ一直線で、歩きなら三時間ほど、馬車なら一時間、馬なら三十分で行ける。
 街の広場に設置してある野外ベンチに座り、丸太を輪切りにしたテーブルに屋台で買った串肉やパン、果汁水などをビートは並べた。
 串肉をアーヤに持たせ、硬いパンを小さく割ってやる。ずっとろくに食べていなかったようで、アーヤはニパッと笑うと、精一杯大きな口を開けて肉に齧り付いた。

 アーヤがほっぺを大きく膨らませてまぐまぐと食べている様子を、ビートは満足げにテーブルに片ひじついて眺めていた。
 と、突然、ぴたっと食べるのを止める。どうしたんだ? と片眉を上げて見遣ると、アーヤが片頬を膨らませたまま、むーむーもごもご声を出す。

「全部食べてから言え」

 ビートが呆れて言うと、アーヤは一生懸命顎を動かして口の中に頬張った肉を飲み込んだ。ちょっと咽て、ビートに果実水を飲ませてもらう。

「あ、あにょね。一緒にいた子たちは? イヌ耳の子がいたにょ。すっごくお腹が空いていたみたいなにょ。どうしてるのかにゃ?」

 夢中で食べていたが、途中ではっと思いだしたらしい。自分ばっかり食べて、と決まり悪そうな顔をして耳と尻尾がへにょっと垂れた。

「安心しろ。獣人の警察隊が保護している。犬の子は、たしか、砦の獣人の隊員がひと足先に砦へ連れ帰ったはずだ。かなり衰弱していたから、医療部で治療させるのだろう」

 それに、あの毛の色ではこの町できちんと医師の手当を受けさせてもらえるかわからないしな、とビートは胸の中で付け加えた。アーヤにそこまで話す気はない。アーヤも毛色でずいぶんひどい差別を受けて来ただろうからだ。

 安心したアーヤがまた一生懸命食べ始めるのを見ながら、この町へ派遣した隊員はイヌ耳の獣人だったなと思い浮かべた。同じイヌ耳なので、余計に人任せにできなかったのだろう。


 腹が膨れて疲れがどっと出たのか、パンの欠片を手に、こっくりこっくりとテーブルに顔をぶつけかねない様子でアーヤが船をこぎ始めた頃、騎馬が土煙を上げて駆けて来た。

 馬の嘶きにはっと顔を上げたアーヤが、馬からひらりと降りてテーブルに近づいて来る銀の長髪の騎士を見た。

「あ、スミにょん隊長しゃん?」

 まだ寝ぼけた顔でアーヤが呼ぶ。スミソンはそんなアーヤににっこりと笑顔を向けた。

「アーヤちゃん。無事で良かった。報告を受けて、砦のみんなも安心して喜んでいたよ」
「ごめしゃい」

 耳をペタっと伏せて謝るアーヤの頭をスミソンが優しく撫でる。

「いいんだよ。アーヤは悪くない。悪いのはアーヤを騙して攫った連中なんだからね」

 ビートと比べると細身で背も低く、長い銀髪も相まって柔和な印象だが、彼の魔法攻撃は過激である。砦の部隊ではビートを除いて、ハドリー大佐の次を誇る実力者だ。それが、ビートへと向き直って告げた。

「俺が案内します。それから、ビート副官、ヒューイットが話したいことがあるそうです。なんだか、物凄く怒っているみたいでしたよ?」

 ビートの表情はほとんど動かなかったが、本人はひどくうんざりしていた。狼耳族の里ルロンの街から転移魔法で戻ってすぐに、ヒューイットを置いて勝手に西アゴートへ来てしまったことを怒っているのだろうとわかるからだ。

 ビートが幼いころからずっと傍に仕えて来た気の置けない侍従だけに、主人のビートに対して遠慮がない。侍従としては非常に有能な男なのだが、口うるさいのが欠点だった。
 ヒューイットに言わせれば、口うるさいのはビートのせいなのだと返すだろうが。

「件の老婦人はトラセンタ夫人といいまして、この西アゴートでは名士として……」
「へえ。トラセンタ学園の? なになに? 俺も混ぜて?」

 スミソンの説明を遮って言葉を挟んできた者が一名。それにビートが苦い顔を向けた。

「お前、どこから湧いてきた? あっちは終わったのか? カシム?」

 いつのまにか金色狼のカシムがスミソンの背中に張り付くようにして顔を出していた。

「いーんだよ。あとはライオネルがやってくれるって」

 けろりと流すカシムのふさふさ金色尻尾がふぁさふぁさ左右に揺れていた。

 ――ライオネルも気の毒にな……。

 遠い目をしながら、思わず胸の中で同情を禁じえないビートだった。
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