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第二章 続編 セネルス国の騒動

28 全軍出立の儀

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 《マウリシオ視点》

 朝から不快な気分が続いている。まず、昨夜の伽の女だ。
 ネルビア西区でも評判の美女だと言うから連れて来させた。職人の娘で十六ということだが何も知らない生娘で、何の技巧も愛想もない。恋人がいたらしいが、その男を想ってめそめそ泣くばかりのでくのぼうで面白くもなかった。朝も待たぬうちに、好きにしろと兵士らに下げ渡してしまった。

 なんだか胸の中がもやもやと不安が渦巻いて、落ち着かない。昨日からそんな状態が続いている。

 執務室に入って副官の顔を見、今日はいよいよ軍を出兵させる日だと思うと、若干気持ちが浮上した。やはり、私は軍人だ。軍を指揮してこそ充実した張りも出ると言うもの。
 式に備えて着用した正装の軍服の襟を指で直す。執務室の壁にある鏡で自分の姿を検分した。軍で鍛えてきた身体はこの歳になっても贅肉はなく力強い体躯を保つ。鷲鼻だが、眉も太い厳めしい顔と姿は十分な威圧を与えられるだろうと、鏡の中のグレーの眼が満足の笑みを浮かべていた。

 だが、しばらくするとまた、あの例えようのない不安感が心の奥底から湧き出してきた。

 ――何を不安に思うのだ?

 セネルスの最高権力者であり、全ては思うままで、誰も自分に逆らえない。少しでも不服従の素振りを見せたり、不審な気配があれば容赦なく断罪する。誰もかもが私の顔色を窺ってびくびくしているのだ。抗えるものなどいるはずがない。
 二番党首のドゥアルデは確かに私を蹴落として自分が第一になりたいと画策してはいるが、実力も兵力も到底私に敵うわけもない。悔し気に足掻いている奴の顔を見るのは楽しみの一つだ。

 三番手のエンベレと手を組んで巻き返そうと何やら動く素振りもあった。が、エンベレは副官のダーギラスとか言ったか――奴がおかしな魔法陣などを持ち出してきたおかげで大きな失策を犯した。師団を二個隊も失い、本来なら処断されて当然のところを、私が庇ってやった。テスニア王国へ罪を着せて国を挙げての軍派遣の口実にしたのだ。
 エンベレは私に歯向かうどころか、今後二度と頭も上がるまい。
 すなわち、ドゥアルデはどうやっても私に敵う力は集められないということだ。

 私はそこまで考えながら時間を確認し、副官たちを連れて執務室を出た。城の閲兵場へと向かうのだ。そこではいよいよテスニア王国へ、そしてそこからボラード国へと侵攻する大軍が今や遅しと出立の式を待っていることだろう。
 それを思うと胸が弾む。軍を掌握するということは国家を掌握するということだ。自分の権力を目に見える形で確認できる喜びに勝るものはない。軍兵に激励の指揮を執ることはいつも大きな高揚感と自信を与えてくれるもの。

『計略は進んでいる』

 ふと、耳に聞こえた声にぎくりと足を止めた。周囲を鋭く見回すが、突然立ち止まった私を副官や護衛騎士が驚いた顔で見ているだけだった。
 気のせいだったのかと再び歩き出す。どうも昨日から神経が昂っているのかもしれない。

『ドゥアルデ閣下に奇策があるそうだ。マウリシオ閣下の天下も終わりか?』

 通路の左右に目を配る。
 今、話していたのは誰だ? 通り過ぎた兵士か? 向こうの角に居る事務官か?

 どっと冷や汗が噴き出す。

 ――ドゥアルデにまだ巻き返しの手があるというのか? どんな手だ?

 そこで、はっとした。
 メルシア家のガルシアス。あれかもしれない。あれがこちらの手にあるからこそ、ギムラサスも金や兵士を寄こすのだ。あれに万一でもあって死んだりすれば、さすがのギムラサスも怒って支援を打ち切るだろう。
 メルシア伯爵も怒り狂って軍隊を差し向けるかもしれない。それどころか、復讐に目がくらんでドゥアルテに手を貸し、一緒に私に剣を向けてこないとも限らない。


 思いつくと、身体が震えて止まらなくなる。激しい不安と危機感に叫びだしたくなってきた。
 私は辛うじて護衛の騎士に声を掛けた。命じる声が震えて掠れないように必死にこらえる。

「ガルシアスがどうしているか、見てこい。何も異常がなければそれでいい。だが、扉を警護する人数を倍に増やせ。誰も近づけないように良く見張らせろ」

 復命して駆け去って行く騎士の背を見送りながら、なぜもこうまで恐怖に捉われるのだろうと不思議に思う。よりによって、なぜ、今なのか?



 ***

 城の通用門を出て閲兵場へ続くアプローチを通る頃には、粟立つ心もいくらか落ち着いてきた。城の城壁に沿う緩やかな坂を上がり、そこから石の階段を上って突き出た場所に出る。先に控えてきた騎士や兵士がさっと道を開け、私と副官を通した。

 王や最高権力者、軍総司令官を始め、将軍や大臣を隣席させかつ護衛の騎士や兵士を並べるため、高台の観覧台はかなり広い造りになっている。
 軍隊に栄誉を与え威容を示す場である。眼下の閲兵場からもこちらの立つ姿がよく望めるよう視界は良い。
 
 閲兵場は広く平らな四角い空間で、背後に凱旋門、左右に一段高く観覧席が囲んでいた。閲兵場で行われる軍事パレードや公開模擬訓練などは一般にも公開されるからである。
 今日の軍隊出兵の儀式に臨んで、そこには貴族たちが列席していた。
 冬に入って空は晴れ、冷たい風が北の山地から吹き渡ってくる。

 観覧台の先へ進む。既にみんな揃っているようだった。
 斜め後ろに一歩下がる位置にドゥアルテやエンベレの姿も認める。彼らの姿を目にすると、先ほどから加速している彼らへの不信感に心が苛立ってきた。

 軍人の家柄のドゥアルデはともかく、貴族将軍のエンベレは体格も貧弱だ。茶色の髪と茶色の目のぱっとしない痩せたこの男がなぜ将軍なのか、いつも不思議に思うほどだった。

 ついきつい視線で睨むと、エンベレはおどおどとした目を彷徨わせて委縮した。侯爵という高い身分で貴族を抑えるだけのために党首の一人にした男なのだ。
 背後には薄墨色のローブを着た痩せた男が控えている。深いフードで顔がよく見えないが、いつも側にいる副官のダーギラスだろう。エンベレ同様存在感の薄い男だ。

 ドゥアルテの方は引き攣った媚びるような笑みを浮かべてきたが、腹で舌を出しているような気がして不愉快になる。


 観覧台の低い手すり越しに望むと、広い閲兵場一杯に軍が整然と並んでいるのが見えた。十五師団、総勢三万の軍である。ほぼセネルスの全軍と言っていい規模だった。テスニアへ本気で戦争を仕掛ける覚悟の軍勢である。

 この勇壮な軍力を眺めると、つい先ほどまで心をざらつかせていた危惧も不安も消え失せて行く。
 テスニアを蹴散らし、豊かなボラードを手にすれば、セネルスは大陸最大の国家となる。その勢いで軍を進め大陸全土を征服しても良い。大陸を支配下に治めれば、私が皇帝としてその上に君臨するのだ。

 周囲には大臣や貴族たちが式典に臨んで立ち並んでいた。国家規模の戦だ。誰もが緊張した顔で言葉も控えている。
 そうだ。大臣だろうが貴族だろうが、誰も私には逆らえない。この軍隊を掌握している私、マウリシオこそがセネルスの最高権力者なのだ。

 私は胸を張り、一歩前に足を勧めた。

 その時、城から走って来る足音を耳にした。足音は真っすぐこの観覧台へと向かって来る。誰だ? と不機嫌に振り向くと、騎士が取り乱した様子で駆けて来るのが見えた。

 それが、先程ガルシアスの様子を見に行かせた護衛だと気づいて、どきりと大きく胸が騒いだ。
 報告しようか、待った方がいいのか逡巡する様子に、私が先に促した。

「何事だ?」
「はっ。ガ、ガルシアスが、ガルシアスの姿がありません!」
 
 絶叫するように放たれた言葉に、私は呼吸を忘れた。
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