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第二章 続編 セネルス国の騒動
4 グレバリオ閣下の思惑
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《グレバリオ視点》
そして翌日、私の執務室で向かい合って座っているのは、冷ややかな視線を送ってくる氷鉄の騎士だけだった。シュンも連れてくるよう、あれだけ念を押したにもかかわらず。
机の横、鎧戸を開いた窓側に座ったリーベック老師と目を見交わす。
「シュン君は同行してこなかったのかね?」
私が訊ねると、炎さえも凍るような一瞥を向けられる。私は一応彼の上司であり、軍部の最上位で宰相と並ぶ地位にあるのだが。
私が睨むと誰もが身を硬くして緊張する。身分や地位だけではなく、それだけの威厳も実力もあると自負している。
だが、この男はそれすらも歯牙にかけない。出世欲も物欲もなく、失うものを持たない強さなのだろう。全てに関心を持たなかった。自分にさえも。彼の目的は、闘うことだけだ。だから怖いものがない。国王にさえ彼は恐れない。全てを拒絶するような氷鉄の騎士なのだ。
その彼が得たと言う伴侶の少年。少年に向ける柔らかい眼差しは、この男を知る者にとって驚天動地の現象だったが、他の者へ向ける視線はむしろいっそう厳しくなった気がする。少年を守ろうと牙を剥くのだ。
私はごほんと咳払いをした。このグレバリオ総司令官が騎士隊隊長に気圧されたなどとあってはならない。外聞が悪すぎる。
目の端にリーベックの同情を浮かべた表情を捉えた。私は内心イラっとする。
そもそも誰の所為でこういう気まずい場を設けることになったと思うのだ。そんな人ごとのような顔はやめてもらいたい。
「このリーベック老師の要請でな。私も気は進まなかったのだぞ。だが、どうしてもと言われてな」
ちろりと老師に視線をやる。涼しい顔などさせてやるものか。少々大人げないとは思ったが、このままロワクレスのきつい視線を受け続けては胃に穴が開く。半分は、負担してもらいたい。
ロワクレスの視線が老師へと向けられた。魔術の恩師でも遠慮のないのがロワクレスだ。だが、古だぬきのリーベックは澄ました顔で直視を避け、氷鉄の視線を受け流す。
「ロワクレス騎士隊長、あのシュンという少年、あれはこの世界の者ではあるまい?」
私は思わず頭を抱えた。何という直球な質問だ。半目で見遣る先で、ロワクレスがぎくりと身体を揺らすのが見えた。さすがに動揺するか。
ロワクレスは無言だが、その態度こそ雄弁に肯定するものだった。
「瞬時に移動したり、手に持たずに物を動かす能力は、その世界ゆえの力なのかな? 今更隠しても無駄じゃよ。わしはこの目で見ているのだ。それに、ローファートからも証言を得ている。あれは、テレ何とかというそれを経験したそうじゃ」
ロワクレスの目がぎらぎらと強く光り出す。こちらの動き次第では、本気で我々を殺す気だと判った。横目で見ると、リーベックはさりげなく結界術式を編んでいる。同じようにロワクレスの殺気を感じているのだろう。
「落ち着け、ロワクレス。シュン君のことはここだけの秘密だ。他言はしない。異能の能力を持つ異世界の人間がいると知れれば混乱が生じる。王都ばかりではなく、テスニア王国内でも、他の国でも動揺が生じるだろう。人の噂というものは制御が難しい。噂に尾ひれがついて一人歩きでもすればどんな問題が起こるかわからん。シュン君の身にも危険が及び兼ねん」
ロワクレスが私の目を睨む。彼の氷のような青い眼に赤褐色の髪の私が映っている。
――あとで胃薬を飲もう。
そう思いながらも、冷静な表情は変えない。総司令官としての矜持を保つことは大事な責務の一環なのだ。
「わかりました。正直に話しましょう。しかし、ここだけの話として、秘密を守る約束は違えないでください」
ロワクレスがため息をついた。私も心からほっとする。
「約束しよう」
「それで、その世界の者はみな、ああいう不思議な能力を持つのかね?」
リーベック老師が勢い込んで訊いてくる。
「いいえ。普通はないそうです。シュンたちは特別に脳が発達した者だということで、その力を異能と呼び、彼らを異能者と言うそうです」
ロワクレスの目の奥に苦悩の色がちらりと見えた。だが、彼は詳しくは語ろうとしなかった。
「テレ何とかというのは? 魔法の一つなのかね?」
「シュンに魔力を感じないことはご存知でしょう? 彼の世界には魔力や魔法は存在しないそうです。彼の異能はテレポーテーションといい、瞬間移動するものです。私も体験しましたが、魔法陣による移動とはまるで違うものでした。悟感を作り変えられるような印象を受けたものです。もう一つはテレキネシス。物を手に触れずとも動かす力だそうです。彼の世界でも、シュンの能力は卓越したもののようでした」
「興味があるのう。一度でいいから、わしも体験したいものじゃ。協会のほうへ来てはもらえんだろうか?」
「だめです。あんな危ない所へなど、シュンをやれるはずがないではないですか」
危ないなどとそんなはっきりと……、奴は魔導士統括協会にどんな印象をもっているのか? リーベック老師、貴方もそれを、なぜ否定しない?
「ならば、わしがそちらへ行ってはどうじゃ?」
「シュンの了解を取ってからです」
「そうか。楽しみじゃのう」
リーベックはにこにこと揉み手をする。もう行くことは決定らしい。さすが老師、押しが強い。
***
ロワクレスが退出してから、私は書簡を取り上げた。セネルスの首都ネルビアに潜伏している者からの伝書である。
この報告とセネルス軍の動きが、今最も大きな懸念だった。
「向こうもなかなか小狡い手を使いますな」
リーベックが口を開いた。
「あの魔法陣の失敗の所為で二師団も軍を全滅させたのだから、てっきり中央の方でも責任追及があるものと思っておったよ」
「敵も抜け目がないということだな、老師。これを逆手に取って彼らの都合のいいように使った。転んでもただでは起きない強かさだ」
私は忌々し気に吐き捨てた。
セネルスの軍事権力者は、二個師団の全滅をテスニア王国の侵略だと国民に喧伝したのだ。魔術の大掛かりな実験中にテスニア王国の奇襲を受け、応援に駆け付けた軍も全滅させられたと。
遺族たちの怒りを掻き立て、国民のテスニア王国への反感を煽っている。国民の憎しみは軍の活力となり、大隊を仕立ててテスニア南部、ボラード国境へ向けて進軍しようと大々的な準備が行われていると言うのだ。
もともと山と荒れ地に囲まれたセネルスは産業が振るわない。牧畜と貧しい農業は自給にかつかつの状態が続いている。
セネルスは常にサマラ川を挟んだ隣国ボラードを執拗に狙っていた。サマラ川沿い南側に広がるボラード国は豊かな穀倉地帯国だ。平らな国土なうえに、夏前の雨季の終わりにある定期的な川の氾濫によって、下流流域は山岳森林地帯からもたらされる栄養の豊富な土の堆積で肥沃な大地が広がっている。
人々の命や財産を奪う毎年の災害でボラード国は宗教への傾倒が強く、ボボルク大神殿を中心とした宗教国家を成していた。穏やかな農業国であるボラードがこれまでセネルス国の侵攻を免れてきたのは、テスニア王国が軍を派遣し他国の侵略から守ってきたからだ。
ボラード国の大神殿を守る大神官は王族の勤めであり、その王族はテスニア王族と兄弟・親戚関係にあった。常に婚姻を繰り返し血縁を絶やさない。ボラード国は兄弟国テスニア王国に農業生産物を優先的に輸出し、テスニア王国は代わりに強大な軍事力でボラード国を守るという関係を長く続けてきていた。
先日までオズワルド大将軍がヤーディングまで出兵していたのも、ボラード国から要請があったからだった。
今回の会議のために将軍は魔法陣を使って急きょ王都に戻ってきたが、自身の軍の将兵はボラードのヤーディング国境に駐屯させたままである。
軍事衝突を避けてセネルス国の軍隊派遣を挫折させられれば、これにこしたことはない。私はリーベック老師に探るように視線を飛ばした。
「あのシュンという少年、使えそうだな」
そして翌日、私の執務室で向かい合って座っているのは、冷ややかな視線を送ってくる氷鉄の騎士だけだった。シュンも連れてくるよう、あれだけ念を押したにもかかわらず。
机の横、鎧戸を開いた窓側に座ったリーベック老師と目を見交わす。
「シュン君は同行してこなかったのかね?」
私が訊ねると、炎さえも凍るような一瞥を向けられる。私は一応彼の上司であり、軍部の最上位で宰相と並ぶ地位にあるのだが。
私が睨むと誰もが身を硬くして緊張する。身分や地位だけではなく、それだけの威厳も実力もあると自負している。
だが、この男はそれすらも歯牙にかけない。出世欲も物欲もなく、失うものを持たない強さなのだろう。全てに関心を持たなかった。自分にさえも。彼の目的は、闘うことだけだ。だから怖いものがない。国王にさえ彼は恐れない。全てを拒絶するような氷鉄の騎士なのだ。
その彼が得たと言う伴侶の少年。少年に向ける柔らかい眼差しは、この男を知る者にとって驚天動地の現象だったが、他の者へ向ける視線はむしろいっそう厳しくなった気がする。少年を守ろうと牙を剥くのだ。
私はごほんと咳払いをした。このグレバリオ総司令官が騎士隊隊長に気圧されたなどとあってはならない。外聞が悪すぎる。
目の端にリーベックの同情を浮かべた表情を捉えた。私は内心イラっとする。
そもそも誰の所為でこういう気まずい場を設けることになったと思うのだ。そんな人ごとのような顔はやめてもらいたい。
「このリーベック老師の要請でな。私も気は進まなかったのだぞ。だが、どうしてもと言われてな」
ちろりと老師に視線をやる。涼しい顔などさせてやるものか。少々大人げないとは思ったが、このままロワクレスのきつい視線を受け続けては胃に穴が開く。半分は、負担してもらいたい。
ロワクレスの視線が老師へと向けられた。魔術の恩師でも遠慮のないのがロワクレスだ。だが、古だぬきのリーベックは澄ました顔で直視を避け、氷鉄の視線を受け流す。
「ロワクレス騎士隊長、あのシュンという少年、あれはこの世界の者ではあるまい?」
私は思わず頭を抱えた。何という直球な質問だ。半目で見遣る先で、ロワクレスがぎくりと身体を揺らすのが見えた。さすがに動揺するか。
ロワクレスは無言だが、その態度こそ雄弁に肯定するものだった。
「瞬時に移動したり、手に持たずに物を動かす能力は、その世界ゆえの力なのかな? 今更隠しても無駄じゃよ。わしはこの目で見ているのだ。それに、ローファートからも証言を得ている。あれは、テレ何とかというそれを経験したそうじゃ」
ロワクレスの目がぎらぎらと強く光り出す。こちらの動き次第では、本気で我々を殺す気だと判った。横目で見ると、リーベックはさりげなく結界術式を編んでいる。同じようにロワクレスの殺気を感じているのだろう。
「落ち着け、ロワクレス。シュン君のことはここだけの秘密だ。他言はしない。異能の能力を持つ異世界の人間がいると知れれば混乱が生じる。王都ばかりではなく、テスニア王国内でも、他の国でも動揺が生じるだろう。人の噂というものは制御が難しい。噂に尾ひれがついて一人歩きでもすればどんな問題が起こるかわからん。シュン君の身にも危険が及び兼ねん」
ロワクレスが私の目を睨む。彼の氷のような青い眼に赤褐色の髪の私が映っている。
――あとで胃薬を飲もう。
そう思いながらも、冷静な表情は変えない。総司令官としての矜持を保つことは大事な責務の一環なのだ。
「わかりました。正直に話しましょう。しかし、ここだけの話として、秘密を守る約束は違えないでください」
ロワクレスがため息をついた。私も心からほっとする。
「約束しよう」
「それで、その世界の者はみな、ああいう不思議な能力を持つのかね?」
リーベック老師が勢い込んで訊いてくる。
「いいえ。普通はないそうです。シュンたちは特別に脳が発達した者だということで、その力を異能と呼び、彼らを異能者と言うそうです」
ロワクレスの目の奥に苦悩の色がちらりと見えた。だが、彼は詳しくは語ろうとしなかった。
「テレ何とかというのは? 魔法の一つなのかね?」
「シュンに魔力を感じないことはご存知でしょう? 彼の世界には魔力や魔法は存在しないそうです。彼の異能はテレポーテーションといい、瞬間移動するものです。私も体験しましたが、魔法陣による移動とはまるで違うものでした。悟感を作り変えられるような印象を受けたものです。もう一つはテレキネシス。物を手に触れずとも動かす力だそうです。彼の世界でも、シュンの能力は卓越したもののようでした」
「興味があるのう。一度でいいから、わしも体験したいものじゃ。協会のほうへ来てはもらえんだろうか?」
「だめです。あんな危ない所へなど、シュンをやれるはずがないではないですか」
危ないなどとそんなはっきりと……、奴は魔導士統括協会にどんな印象をもっているのか? リーベック老師、貴方もそれを、なぜ否定しない?
「ならば、わしがそちらへ行ってはどうじゃ?」
「シュンの了解を取ってからです」
「そうか。楽しみじゃのう」
リーベックはにこにこと揉み手をする。もう行くことは決定らしい。さすが老師、押しが強い。
***
ロワクレスが退出してから、私は書簡を取り上げた。セネルスの首都ネルビアに潜伏している者からの伝書である。
この報告とセネルス軍の動きが、今最も大きな懸念だった。
「向こうもなかなか小狡い手を使いますな」
リーベックが口を開いた。
「あの魔法陣の失敗の所為で二師団も軍を全滅させたのだから、てっきり中央の方でも責任追及があるものと思っておったよ」
「敵も抜け目がないということだな、老師。これを逆手に取って彼らの都合のいいように使った。転んでもただでは起きない強かさだ」
私は忌々し気に吐き捨てた。
セネルスの軍事権力者は、二個師団の全滅をテスニア王国の侵略だと国民に喧伝したのだ。魔術の大掛かりな実験中にテスニア王国の奇襲を受け、応援に駆け付けた軍も全滅させられたと。
遺族たちの怒りを掻き立て、国民のテスニア王国への反感を煽っている。国民の憎しみは軍の活力となり、大隊を仕立ててテスニア南部、ボラード国境へ向けて進軍しようと大々的な準備が行われていると言うのだ。
もともと山と荒れ地に囲まれたセネルスは産業が振るわない。牧畜と貧しい農業は自給にかつかつの状態が続いている。
セネルスは常にサマラ川を挟んだ隣国ボラードを執拗に狙っていた。サマラ川沿い南側に広がるボラード国は豊かな穀倉地帯国だ。平らな国土なうえに、夏前の雨季の終わりにある定期的な川の氾濫によって、下流流域は山岳森林地帯からもたらされる栄養の豊富な土の堆積で肥沃な大地が広がっている。
人々の命や財産を奪う毎年の災害でボラード国は宗教への傾倒が強く、ボボルク大神殿を中心とした宗教国家を成していた。穏やかな農業国であるボラードがこれまでセネルス国の侵攻を免れてきたのは、テスニア王国が軍を派遣し他国の侵略から守ってきたからだ。
ボラード国の大神殿を守る大神官は王族の勤めであり、その王族はテスニア王族と兄弟・親戚関係にあった。常に婚姻を繰り返し血縁を絶やさない。ボラード国は兄弟国テスニア王国に農業生産物を優先的に輸出し、テスニア王国は代わりに強大な軍事力でボラード国を守るという関係を長く続けてきていた。
先日までオズワルド大将軍がヤーディングまで出兵していたのも、ボラード国から要請があったからだった。
今回の会議のために将軍は魔法陣を使って急きょ王都に戻ってきたが、自身の軍の将兵はボラードのヤーディング国境に駐屯させたままである。
軍事衝突を避けてセネルス国の軍隊派遣を挫折させられれば、これにこしたことはない。私はリーベック老師に探るように視線を飛ばした。
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