人喰奇談 ―ホラー短編小説集

Kfumi

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人喰奇談

Ⅳ 車中 ――いつか捧げられた話

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  行楽の日々に訪れた非日常。いつでもどこでも一緒だった。


 まず初めにリサが口を開いた。

「じゃあハイ! 私から怖い話するね」

 車は○×県と△○県の県境に位置する山中を走っていた。

 山を削り、舗装した道路は思っているよりも綺麗ではあったが、暗い夜道のおかげでひどく不気味ではあった。

 暗闇の林が月明かりに照らされ、禍々しい陰陽を作り出している。

 都内大学に通う俺たちはこの長ったらしい夏休みのなか、仲の良い4人で車を使った小旅行の帰り道だった。

 関東を回ってのドライブ旅行はなかなかに楽しめた。

 しかしその分だけこの数日間、ほとんどの時間を運転に費やしていた俺は流石に憔悴しきっていた。

 運転を交代して欲しいという想いは勿論あったが、やれ免許を持っていないだの、やれペーパーだの、結局のところ俺が運転するのが早いと思ったからである。

 夜も更けたこの時間、疲れきったこの体で運転というのは避けたほうがいいのはわかっていたが、明日外せない用事やバイトという者も居たため、渋々急ぎ足での帰り道だった。

 運転していなかった他の奴等すら疲れきった様子で、しかし眠るのは俺に申し訳ないとでも思ったのか、運転中もずっと起きていてはくれた。

 疲労と沈黙が支配する車内は、こんな薄気味悪い雰囲気のなかであるのと重なり、昼までの観光気分には浸れないでいた。

 そんなときにリサが提案してきたのだ。

「ちょっと怖い話しようよ」


 この夜の山道のなか、よくそんなこと言えたものだ、と思ったが嫌々ながらも最終的にはリサの提案に乗っていた。

 疲労の沈黙の雰囲気に耐えられなくなったのかもしれない。
 リサは前からそういう奴だった。

 話が決まった人から挙手制で即興の怖い話大会は幕を開けた。

「じゃあハイ! 私から怖い話するね」

 車内は静かにリサの話に耳を傾け始めていた。
 外の静寂なる夜もリサのこれから話す恐怖という御伽話を歓迎してくれているかのようで。


「今、私たちが走っているこの峠ね、昔は『ニエの山』って呼ばれてたんだって。

 なんでも、ここの峠を挟んでる○×県の人と△○県の人たちが凄い仲が悪かったらしいの。

 お互いがお互いのことを忌み嫌ってて、争いとかも絶えなくて、死人とかが出ることもあったらしくて。

 そんなわけだからそれぞれの県の人たちがある決め事を作ったんだけど、それが『交わらずの掟』。

 まあ簡単に言えば、お互いの県とは関わらないようにしましょう、っていう決め事。

 とりあえずその掟のお陰で、お互いの県同士干渉し合うことがなくなったの。

 それでまあ、仲が良くなったってことは無いんだけど、争いとかはほとんど起きなくなったんだって」


 車は急ぎつつも、ゆったりとしたカーブを描きながら、山道を進んでいく。

 リサのやつよりにもよってこの場所を舞台にした話を持ってくるなんて。
 暗く不気味な夜道に、その夜道を表現されるような話は嫌な気分になる。

 しかし、始まりはいかにもな展開で昔どこかで聞いたこともあるような捻りのない話だ。
 きっとリサの即興に違いない。

 きっと。


「両方の県に平和が訪れ始めた頃にね、この山へ山菜取りにやってきていた若い男がいたんだって。

 その男は○×県の人間で名前をリョウタって言ったの。

 別にこの山に来ること自体は悪いことでも無いし、相手の県に入らなきゃ掟を破ることでもないから、彼は結構な頻度でやって来ていたらしいの。

 そんなときリョウタは山の中である女性と出会ったの。

 その女性はとても綺麗で、サラサラの黒髪で、透き通るような肌で、まるで自分と同じ人間という生き物ではないほど美しかったそうなの。

 竹やぶの中に立って、静かに空を見上げていた。

 リョウタはその姿を一目見ただけで恋に落ちてしまったの。

 それからリョウタはこの山でその女性に会うたびに沢山のアプローチを掛けていって、そして仲良くなって、愛を育んでいったんだって。

 だけどそんな日々を送っていたとき、リョウタはある疑問を感じるようになった。

 その女性はね、絶対に○×県にやってくることはなかったらしいの。
 いつも別れは山の中。

 そしてリョウタはその女性から真実を告げられてしまうの。

 その女性は△○県の人間だった」


 リサの口から告げられた言葉は誰もが予想した言葉だった。

 なんというか昔らしい悲恋。
 身分や格差の悲恋の次に聞いたことがあるような場所・生まれからくる違いの悲恋。

 アリガチな話でつまらないなあ。

 俺は素直にそう思ってしまったものの口には出さずにリサの話に耳を傾けていた。

 まあ俺自身の感想はどうであれ、なんというか、今まで沈黙に支配されていた車内よりは幾分かマシな気分になっていた。

 誰かが話をしてくれているというだけで紛れるものはある。

 おそらくだが俺以外のメンバーも同じことを感じているはずだ。


「その真実を知ったあと、リョウタは勿論衝撃を受けたの。

 そして物凄い悩んだ。

 彼女との交際を止めるべきかどうか。

 そして彼が出した決断は両県の人たちにばれないようにこの山の中だけで彼女との愛を育み続けるっていうことだった。

 そして二人は他の人間には黙ってこの山の中に家を立てた。

 愛を繋ぎ合わせて子供も生んだ。

 ここに自分たちだけの幸せな世界を作っていったの」


 家、か。

 やはり。
 おそらくリサの作り話だろう。

 いくら昔とは言え、こんな山の中に家を建てて暮らすことなど出来たのだろうか。

 誰とも関わらずに、ばれずに山の中で暮らしていくということにいまいちリアリティを感じることができない。

 どれだけ昔の話かわからないが。

 そう考えながらも車は山道を進んでいく。
 静かに奥深くへと。

 まるでとてつもなく大きな獣の体内へと吸い込まれていくかのように。


「でもね、そんな二人とその間に生まれた子供の幸せはすぐに崩れ去ることになる。

 その暮らしが両県の人間に見つかってしまったの。

 そしてその二人の掟を破った行為は両県の長の怒りを買って、咎められることになる。

 二人とも身包みを剥がされ、山の入り口の側の木に体中に釘を打たれて張り付けられ、火あぶりにされて、そのまま処刑されてしまったの。

 もうお互いの県の人間がこの山で会わないようにするために。

 所謂見せしめ。

 次に破った奴もこうなるぞ、っていうね。

 だからそれ以来この山には誰一人として人が訪れることができなくなった」


 ……なんとも嫌な話だ。

 即興にしても惨くて、酷い。

 しかし気になることがある。

 まず俺たちはこの山道を通っているし、俺たち以外にもこの山に来る人間はいるだろう。

 つまりその「山の閉鎖」はいつ解除されたのか。
 まあ昔話だし、自然と時代が移り変わって消えていったのだろうが。

 それと気になることがもうひとつ……。


「リサ。ちょっと気になることがあるんだけど、生け贄にされたのリョウタとその女性だけだろ?じゃあその間に生まれた赤ちゃんってどっちの県の人間が引き取ったんだよ」

 そのとき前席に座っているユウヘイが口を開いた。
 車内はずっとリサ一人だけの声色の空間だったためか、急に発せられたユウヘイの声に猛烈な違和感を感じてしまった。

「どっちの県の人間も引き取ってないわよ」
「はあ?」
「だって今でも赤ちゃんはこの山でずっと一人で生きているから」


 暗黒と静寂に包まれたこの山は、小さな獣たちの鳴き声だけが鳴り響いていた。

 都会ではこんなに月明かりだけに照らされるなんてことは無い。

 普通の家庭には電気があるし、食事もあるし、風呂もある。
 暖かい寝床も。

 こんな山のなかに赤ちゃんが一人だけで生きていけるわけなんて無い。

「い、いやおかしいってリサ。赤ちゃんだぜ。オチとしては面白いかもしれないけど、流石に変っていうか」
「どこが変なの? だってこれ本当の話よ」
「ほ、本当って。それにさ、今でも……? 時代設定いつなんだよ、っていう」
「数年前の話よ」
「え……? 数年前……?」

 何を言っているリサ?
 おかしくなってしまったのか?

 数年前?
 この話はテレビで放映でもされるような遥か昔の話じゃないのか?
 だったらこの山は、俺たちが今、走っているこの行為はどうなる?

 だって……この山は……


「うん。だからこの山は今でも閉鎖されてるの。『入らずの山』として。つまり今、この山には私たちとその赤ちゃんだけしか居ない」

 再び静寂なる闇が車内を包み込んだ。
 闇というものは静かなる混沌である。
 いやもしくは秩序なのかもしれない。

 この世に存在する全ての色をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような暗黒。
 それは全ての色の混沌であり、全ての色が『黒』という色に統率された秩序である。

 そんな闇に包まれた山の中、ひとつ走るこの車は総てを乱す異色異物であり、妖しくも来訪者。
 俺たちはこの『入らずの山』にとってそういう存在なのかもしれない。

 そんな剣山のような道を全身で受けるように孤独な車は走り続ける。


 リサ、随分と面白い冗談だ。

 怖い話にしてはぶっ飛びすぎている。

 それにしてもリサのこの表情はなんだ。

 どうして俺たちのほうがおかしいとでも言いたげな真顔で不安そうな表情をしている?
 お前の話のほうがおかしいんだぞ?

「と、とりあえずさ。リサの話は終わりな、もうさっさと次の人の話始めようぜ」
「ちょっとユウヘイ。まだ私の話終わってないわよ。どうしてこの山が『贄の山』って呼ばれることになったか話してない」

 ?
 それはリョウタという男とその女性が火あぶりの刑として処刑されたことが生け贄だからなのではないのか。


「リョウタと女性が処刑された後でも、長に黙って山に近づく愚か者は居たの。

 この山は山菜がよく取れるって有名だったから。

 でもリョウタと女性の死後、この山に足を踏み入れて帰ってこれた人間は一人も居なかった。

 まるで山の中に閉じ込められているみたいに。

 山が訪れた人間を飲み込み、咀嚼でもしているかのように。

 だからね、両県の人間はこれを山の呪いだってことにしたの。

 そして呪いを解くために、それから毎年お互いの県が一人以上の生け贄を出すことにしたの。

 手を縛って目を塞ぎ、目立つような柄の服を着せて、山に向けて夜の獣道を一人静かに歩かせて」

「……」


 ユウヘイもリサのその話に何も返せずにいた。

 それが数年前の話?

 リサはやはりおかしくなってしまったのか。
 今、この国でそんな恐ろしい行事をしているなんて有り得ない。
 呪いというものを正当化させるために生け贄を捧げているようなものだ。

「でもね、真実は違ったの」
「は? 真実ってなんだよ」
「ただの山だよ? 遭難でもしない限り出てこれないわけないじゃん。山に入って行った全ての人間が帰ってこれないなんて有り得ないでしょ?」
「あ、ああ」
「実はね、この山に住んでいる赤ちゃんが喰っていたらしいの。捧げられた人間を」
「……」
「だからこの山は『贄の山』って呼ばれることになったんだって」

 捧げられた生け贄を赤ん坊が食べる……?

 そんなことあるわけない。

 だったら今、この山を進んでいる俺たちはどうなる……?
 これではまるで俺たちが次の生け贄なのでは……?


「……ふふ、あははははは! どう? 怖かったあー?」
「は?」
「嘘うそ! 全部作り話だよー! イエス、フィクション!」
「え? ま、マジで?」
「当たり前じゃん! 即興で、皆が黙ってるときからずっと考えてたんだよねー。結構うまく話せたんじゃないかと思うんだけど~。どうだった?」
「……つー。てめえ、ふざけんじゃねえよ! いや絶対嘘だとは思ってたけど、途中であんなにマジな顔すんじゃねえよ!」
「あっはっはっは! なんかユウヘイ凄いビビッてそうだったから面白くて笑っちゃいそうだった! 作り話に決まってるじゃん! だったらこの舗装された道路はいったいなんなのって話だしね!」
「いやだとしてもこんなときにそんな話すんじゃねえよ……」


 はあー。
 どっと疲れが滲むように襲ってきた。

 変な話を聞いてしまったせいで車の外の景色すらも不自然な何かのように感じてしまう。
 夜の闇は今だ静かにそこに佇んでいた。


「その話本当だよ」

 その言葉に車内の皆が体を強張らせた。
 声を発したのはリサの真後ろに座っていたアカリだった。

 これまで一向に口を開こうとしていなかったアカリを俺は静かに心配していた。

 やはりこの旅の途中、特にこの山道に入るときに気分を悪くしてしまっていたのだと。

 そんなアカリが口にした「本当だよ」。

 それはどういう意味なのだろうか。

「『贄の山』って呼ばれてるのは本当。
 この山には人喰い赤子が住んでいて、通る人々を次々と食い殺してしまう、って話が昔から伝わってるよ」

「えっと……アカリ? 大丈夫?」

「でも両県の仲が悪かったっていうのは嘘。
 寧ろ仲が良くて交流が盛んだった。

 でもお互いの県に行き来するためにはこの峠を必ず通らなければならない。

 だからこの県境を挟んだ両県は赤子に人を食われないように定期的に赤子の腹を満たすため生け贄を捧げていたの」

「アカリ。止せって気持ちはわかるけど。気にしすぎたらおかしくなるぞ。あれは仕方ないことだったんだ」
「違うの。本当よ」
「だからそう思い込みたいって気持ちはわかる。でも俺たちがしっかりしていなきゃ駄目だろ?」
「人喰い赤子がでるから仕方がなかったの。人喰い赤子がでるから仕方なかったの。人喰い赤子がでるから仕方なかったの。人喰い赤子がでるから仕方なかったの。人喰い赤子がでるから仕方なかったの。人喰い赤子がでるから……」

 ブツブツとアカリは俯きながら呟き始めてしまった。

 リサにユウヘイに、アカリ……?

 コイツ等はいったいさっきからなんの話をしているんだ?

「アカリ、普通にヤラレちまってるな」
「うん。まあ、仕方ないよ。タイスケと一番仲良かったのアカリだし。でもこのままじゃアカリ、いっちゃうかもしれないね」
「……共犯ってことわかってんのかな。言わないように監視しとかなきゃな」
「いざとなったらアカリといえども……ね。てかアカリとタイスケって付き合ってたのかな」
「わかんね。たぶん付き合ってたんじゃね? ってもうそんな話どうでもいいだろ?」
「ふふ。なんか話してないと眠くなっちゃうのかな~と思って。運転手が眠ったらアウトでしょ?」

 なんなんだよコイツ等。

 ずっと俺を無視してやがる。
 それに俺とアカリは別に付き合ってるわけじゃ……。

 あーくそ。
 頭がぐらつく。
 視界が霞んでいく。

 さすがに旅のせいで疲れが出てしまってるんだろう。

 意識がもうろうとして消えてしまいそうだ。

 まるで外の闇に溶け込んでいくかのように。

 せめてハンドルを握っている俺くらいはしっかりしないと。

 あれ?

 俺の目の前にはハンドルがないな。

 さっきまで、いや昼……、いや今朝、車に乗ったときは握っていたはずなのに。

 ハンドルはいったいどこだ?
 ん?
 あ~ユウヘイが握っているのがハンドルか。
 ペーパーの癖に無理しやがって。

 あー、ていうことはこの車、もう俺が運転しているわけじゃないんだな。

 よかったよかった。
 それじゃあ安心だな。

 もう俺は疲労困憊。

 これでやっと休むことができるってことだ……。


* * * * *

「よし。ここらへんに捨てとくか」
「でも本当にばれないかな」
「大丈夫だって。この山、人とかほとんど来ないらしいし」
「そう……だよね、そうだよね!」
「こ、ころした……い、いや……ころした」
「違う、違うって、アカリ。……う~ん。どうしようかな~」
「あ、そうだ。……この峠にはね、人喰い赤子ってお化けが住んでいて、通る人を皆食い殺してしまうんだ。だから誰も食べられないようにするために、こうやって生け贄を捧げないと駄目なんだよ? わかった?」
「え……そ、そうなの?」
「そうよ! だから仕方ないこと。私たちは何もしてないのよ」
「いいね? アカリ」
「うん、わかった……ごめんね、タイスケ。さよなら」

 ああ。さよなら、リン。

 end
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