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1.失意
しおりを挟むその知らせを聞いた日ーー
雨季にも関わらず晴天で、空気までが透き通っているような、爽やかで穏やかな一日だった。
世界で一番大好きな人を喪ったーーー
彼は留学先から戻る途中、崖崩れに巻き込まれて亡くなったそうだ。
その知らせを聞いた日、私は彼との再会に備えて街へ買い物に出かけ帰って来たところだった。
玄関まで出迎えてくれた両親は、私をみると悲しそうに目を伏せた……。
なのに、まさか彼の訃報だなんて思わなくて、私は両親に明るく笑いかけた。
「お父様、お母様、どうかされたのですか?」
「カトリーナ……。」
悲痛な……父の表情。
ドクンと、心臓が嫌な音を立てた。
「ローレンス君が、リュゼットからの帰り道で事故に遭ったそうだ……。必死に捜索して……先ほど遺体が見つかったと連絡があった。」
ゴトッ、と重い音を立てて落ちた彼へのプレゼントが床を転がっていった。私は突然の知らせの意味がすぐには理解出来なくて……。呆然とただ立ち尽くしていた。
「……う……そ……。お父さま?……ローレンスが……?」
やっと口から出た言葉に、父は苦しげに小さく首を振った。
「そ……んなわけない……。あ、あした……かえるって……。」
父は何を言っているのだろう。まだ若くてあんな……エネルギーの塊みたいな人が死ぬわけなんて……ない。
理解できない……。何かの間違い。
だけど、両親のその深刻な様子から「冗談でしょ?」なんて、笑いとばすことも出来なくて……。
頭の中で何度も何度も父の言葉を反芻する。なのに、私の心が理解するのを拒絶するみたい……。
「ローレンス君はラザの山道で崖崩れに巻き込まれたそうだ。崖崩れなど一度も起きたことのない、固い地盤なんだがな……。」
両親は事故の詳細や葬儀の説明をしていたが、全く頭に入ってこなかった。
声が奇妙なほど遠くに聞こえる。
現実感がないのに意識は鮮明だった。
彼はエニュオ侯爵家の嫡男で外交官を目指していた。
5年もの留学を終え、帰ったら結婚式を挙げる予定だった。優しくて真面目な人。親が決めた婚約だったけど、私たちは幼馴染で初恋同士だった。
彼は留学に発つ前、私にプロポーズをしてくれた。
彼らしくちょっと硬いセリフ。
「カトリーナ、貴女だけを生涯愛すると誓います。どうか私の伴侶として人生を共に歩んでください。」
片膝をついて恭しく言う様子があまりにも彼らしくて、思わず吹き出した。そんな私にローレンスは唇を尖らせて「何だよ。こういうことはキチンとしといた方が良いだろ?」って少し拗ねたみたいに言うから、彼の胸に飛び込んだ。
「世界一幸せな夫婦になろうね。」
笑いながら彼を見上げたら、眩しそうに目を細めて私を見つめてくれた。
初めてのキスはぎこちなくて……。その柔らかな感触を今でも覚えてる。私の肩に置かれた手の微かな震え。
その日の空も、プレゼントの花束も、全てが色鮮やか。思いだすと、いつだってほんの少し気恥ずかしくなる。
想い出の中の私はまだ5年の長さを知らなくて……、二人の間には何の障害も無いって信じてて……、心から幸せそうに笑ってた。
幼い頃から彼の隣に立つ未来しか想像したことが無かった。
あまりにも彼の事が大好きで、私の世界の全部が彼だった。
あの日の自分が幸せそうで、いまでは儚くて遠い……。
まるで世界から自分だけが取り残されたようだった。
私は両親に連れられて、エニュオ侯爵家へ行った。私が泣き喚いたりしないか、みんなが心配してくれていたけど、私はまだ何の感情も無くて……。ただ言われるまま、彼の棺の前に跪いた。
戻ってきた彼の遺体の顔は綺麗で、崖崩れに巻き込まれたなんて、思えないぐらい。表情も眠っているかのように安らか。
(遺体?みんな何を言ってるの?彼は眠っているだけよ。)
ーーそう思った。
「ねぇ、ローレンス、みんなが心配するわ。早く目を開けて……?」
彼の白い頬に手を伸ばして触れた瞬間、信じていた僅かな望みは粉々に打ち砕かれた。
それは、私と彼の住む世界が分かたれてしまったことをまざまざと見せつける決定的な冷たさ。
ここにある身体は確かにローレンスで、目尻にある小さな傷跡も幼い頃の彼のまま……。
なのに、彼は私が語りかけても、その頬に触れても、応えてはくれない。
父が身動ぎ出来なくなった私の肩を抱いて、棺のそばから静かに引き離した。
私の目には彼の棺が皆に抱えられ運ばれていく光景が映る。
☆
それからの日々は悪夢のよう。
朝起きると繰りかえし、あの日に引き戻される。
「カトリーナさん、ローレンスの事は残念だったが、君には未来がある。ローレンスの事はもう忘れて幸せになって欲しい。」
「カトリーナちゃん、今までありがとう。カトリーナちゃんがお嫁さんに来てくれるのを楽しみにしてたの……。幸せになってね。」
彼の両親が葬儀の後、我が家に挨拶に来てくれた。息子の婚約者だった私を娘のように可愛がってくれたご両親。ローレンスの留学中も彼の家には花嫁修業でよく訪れていた。
忘れるには彼との想い出は多すぎる。どこに行っても何を見ても、彼と過ごした日々を思い出す。
「ローレンス……、私をおいて行かないで……。」
暗い庭園に私の声は虚しく響いた。
一番たくさんの想い出が詰まったこの庭園。いつも光が降り注いで温かだったのに……。
(カトリーナ、泣かないで。大丈夫だよ。)
眼を閉じると彼の声が聞こえる。彼の優しい気配がする。
私はその幻の声にすがるように、ずっと眼を閉じてただ時間が過ぎるのを待っていた。
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