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4.退行
しおりを挟む「今日からここの部屋を使って。」
「……。」
シャルロッテは一言も話さず無表情のまま。
俺の言葉に反応することはなかったが、軽く背中を押すとおとなしく部屋に入ってくれた。
「アニー、シャルロッテを頼む。何も反応が無いんだ。言葉の意味は理解しているようなんだけど……。」
「はい。畏まりました。」
アニーはこの屋敷に長く勤めていて、幼い頃のシャルロッテの事も知っていた。
久しぶりにみたシャルロッテの窶れた様子にアニーは痛ましそうな視線を向けたが、すぐにプロとしての表情を取り戻した。
「さあさあ、シャルロッテ様。まずはさっぱりいたしましょ。」
アニーは彼女を風呂に入れて髪を整え、ゆったりしたワンピースを着せてくれた。そのてきぱきとした仕事ぶりに、シャルロッテは黙って身を任せているようだ。
侍医の診察で、シャルロッテの身体や脳に損傷があるわけでは無いことが分かった。彼女が話さないのは、心を閉ざしてしまったかららしい。人は受け止めきれないストレスに晒されると、幼児期のような行動に戻ることがあるそうだ。
「ゆっくりと生活してれば、少しずつ普通の生活は出来るようになります。あまり無理には全てを思い出させないでください。」
侍医はそう言って精神安定剤と睡眠薬を処方してくれた。
侍医の言う通り、彼女は幼児のような行動をとる。
食事は手掴みで食べて、着替え方も分からない。
身の回りのことはほとんど出来なくて、アニーは付きっきりで彼女の世話をしてくれた。
その夜、シャルロッテは夜になってもなかなか眠れないらしく、バルコニーに出て静かに夜空を見上げていた。慣れない場所に来て、不安なのかもしれない。
アニーに身体を洗われ髪を梳かれた彼女は、月明かりの中儚くて、美しくて、今にも消えてしまいそうで……。
「シャル?何か思い出したのか?」
飛び降りてしまわないか心配で、俺もバルコニーへ出て彼女のそばに近寄っていった。
「……。」
「月が明るい……な。」
慰めたくて傍に行っても、シャルロッテは俺が見えて居ないように振る舞う。
俺の言葉は彼女の心に届いていないみたいに感じて……感情を無くした彼女の瞳を見て心が折れそうになる。
もう、あのシャルの弾けるような笑顔は見れないのかもしれない……。
「シャル、大丈夫だよ。苦しい事は終わったんだ。」
理解していないのだろう。俺の言葉は彼女に届かず宙に浮かんだまま。
それでも、俺は何とか彼女を元気づける言葉を探すように喋り続けた。
「もう怖くないよ。」
「ここにはシャルを傷付ける人は居ない。」
「安心して、ゆっくり眠っていいんだ。」
なんて薄っぺらい言葉だろう。
俺は彼女が何が不安で何が怖いのか、どうしてそんなに傷付いてしまったのか何も知らない。
だからこんな事しか言えない。
そんな自分がただ悔しかった。
俺の隣で彼女のエメラルドの瞳は、真っ黒な夜を映していた。
「もう大丈夫。ずっとそばにいるから。」
もう掛ける言葉が無くなった俺は、無言で付き添うことにした。夜の静寂の中、穏やかな時間が流れる。
それから俺は時間の許す限り、シャルロッテのそばにいるようにした。
初めてこの家に来た日は一口も食べようとしなかったから俺が手ずから食べさせた。
「大丈夫だよ。ほら美味しいから食べてごらん?」
まるで、怯えるように恐る恐る口を開ける。
その後も食べては吐くの繰り返しで……。
漸くちゃんと食事を食べてくれるようになっても、食べ方は忘れたようだった。熱い物でも構わず彼女は手掴みで食べようとする。手で持って食べやすい物を用意して貰い、彼女は少しずつ食欲を回復させていった。
☆
父と母にはシャルロッテの滞在の許可は得ていた。
幼い頃からシャルロッテのことを知っている母は大歓迎していたが、父はシャルロッテの滞在に難色を示した。
双方とも適齢期の独身の男女。同じ屋敷に住むのはまずいという理由だ。
「すみません。もう暫く時間をください。」
「分かっている。あのような状態の少女に無理はさせられないからな。」
俺が王都に戻って来たのは、結婚相手を探すためでもある。もし俺に別の婚約者が出来た場合、シャルロッテが同じ屋敷に住んでいるのは嫌だろう。
けれど俺は、別の相手など探すつもりは無かった。
一度は諦めた恋。
俺はもう二度とシャルロッテを離さない。彼女にずっと寄り添っていこうと決めていた。
例え、彼女が笑顔を取り戻せなくても……。
☆
父と話をした後、俺はソレイクス伯爵家に関する報告書を読んで、侍従に指示を出した。
「ソレイクス前伯爵夫人が亡くなった後に使用人が何人も辞めているな……。この辞めた使用人たちの居場所を探せないか?それと、金の流れも調べられるだけ調べておいてくれ。」
「はい。」
「それと、ルファリオ子爵家にこの書簡を届けてくれ。」
「ルファリオ子爵家?」
「ああ、よろしく頼む。」
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