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15.日曜日

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 入ってみると、聖歌隊は楽しかった。ほとんどは真面目そうな生徒たちで、椿のこともそれなりに受け入れてくれた。中には椿の声を絶賛してくれる者もいて、少し面映ゆい。
 カタリーナさんの褒め言葉は、右から左に流せるんだけどね。
 寮の練習室で琴を弾いていると、頻繁にカタリーナが押し掛けてくるので、彼女についてはもう何もかもが諦め半分慣れ半分になっていた。押し掛けてきたカタリーナに歌の練習をさせられるのも、すでに日課になりつつある。
 聖歌隊の練習は週三回で、日曜日には虹の橋ビフロストを渡って街の教会に歌いに行く。
 聖歌隊に参加するようになった椿もまた、日曜日、早起きをして教会に行って礼拝に参加し、歌を歌った。
 礼拝が終われば、自由だ。
 聖歌隊のメンバーは思い思いに買い物に出かけたり、デートにいそしんだりしていたが、椿は市場に寄って一週間分の食材を買い込んでから寮に帰るのが常だった。
 学内と同じく、東洋人である椿は市場でも一段低く見られている。鷹也によるとこの国には東洋人の移民が多く、その多くは下働きや、中には犯罪に走る者もいるため、軽んじられているのだそうだ。“綺麗な”キャベツをください、“新鮮な”ミルクをください、と言わない限り、腐りかけのキャベツや賞味期限の切れたミルクを売りつけられる。
 それでも、唯一、最初からちゃんとしたものを売ってくれた老夫婦のワゴンで、椿はいつも買い物をしていた。
「おばあちゃん、こんにちは」
 声をかけると、がっしりとした体つきの老婆がおススメの野菜を手渡してくれる。
 その中にあった見慣れない野菜に戸惑い、訊ねる。
「これ、どうやって食べるの?」
「ピクルスにしておあがり。おばあちゃんが漬けた、このピクルスもあげるからね。さっとゆがいて、この汁につけるといいよ」
「はい。どうもありがとう。あと、このジャムね、おばあちゃんに教えてもらった通りに作ってみたの。でも、なんか上手くいかなかったんだ。何が足りなかったんだろ?」
 椿は持参した自作のリンゴジャムの感想を求めた。
 老婆は椿の持ってきたジャムを口にいれてから、言った。
「砂糖が足りないね。もっとたっぷりいれないと駄目だよ。これだったら、ハムやポークソテーのソースに使うといいかもしれないね」
「お砂糖、ケチったつもりはないんだけど。おいしいジャムって、すっごくたくさん砂糖を使うんだねえ」
「そうだよ。ジャムに使うお砂糖は、ケチっちゃ駄目だよ」
「はい。ありがとう。また今度、作ったら持ってくるね。上手にできたら、おじいちゃんも味見してね」
 椿は新鮮な野菜と果物を抱えて、老夫婦のワゴンを後にした。
 寮へ向かう道の途中、花屋のワゴンを見つけて足を止める。
 色とりどりに咲く綺麗な花が小さなブーケになっていた。
 何か買っていこうかな。
 手を伸ばしたそのとき。
 一斉に話しかけられた椿は硬直した。花々の声は、さながら、稲穂に群がる雀たちの囀りのようだ。
『私を連れてってよね!』
『私、私!』
『ねえ、どうして、私じゃないの?』
 花束の一つを取ろうとすると不満の声があがるので、どれも手にできない。それならいっそ、何も買わずにさっさと立ち去りたいが、店の女主人に目をつけられてしまったためそれもできず、椿は途方にくれた。
「椿? 何やってるんだ?」
 このときほど、ギルバートに感謝したことはない。
 椿はすがるような思いで「ギルバートさん!」と、彼の名を呼んだ。
「あ、ああ」
 いつもと違うテンションの椿に戸惑ったように、ギルバートは応じた。
「随分賑やかだな」
 花々の声はギルバートにも聞こえているらしく、場をつなぐように言う。
「花を買うのか? だったら、」
「いいえ、いいんです! ギルバートさん、お買い物ですよね? 行きましょう」
 椿はギルバートに口を挟む隙を与えず、女主人に会釈すると歩きだした。
 ワゴンを離れると突然足を止め、呼吸を整える。
「おい、椿? 大丈夫か?」
「す、すみません。大丈夫です。一斉に声をかけられて、混乱しちゃっただけです」
 心底疲れたといった態の椿の手を取り、ギルバートは市場から少し離れた湖のほとりのベンチに連れて行った。
「待ってろ」
 離れていったギルバートは、すぐに、スタンドで買ったカフェオレを持って戻ってきた。差し出された紙コップからは、ほのかに甘い香りがする。
「ありがとうございます。おいくらですか?」
「気にしなくていいから。飲め」
 椿はもう一度礼をいい、素直にカフェオレを飲んだ。カフェオレの甘さが全身にしみ込む。椿は思わずほうっとため息をもらした。
「よっぽど疲れてたんだな」
「だって……、あの勢いには参りますよ。あの子たち、そんなに退屈してたんでしょうか?」
「さあな。椿は遊んでくれそうだと思われたんじゃないか?」
「そんな元気、ありませんよ」
 ギルバートは笑った。
 ふたりは並んでベンチに腰掛けたまま、湖を眺めていた。
 椿は、虹の橋ビフロストをこんな風に眺めるのは初めてだった。わざわざこの橋を見に来る人がいるのも頷ける美しさだ。湖面を渡る風はひんやりしていて、清々しかった。周囲では、多くの人々がボート遊びや散歩、水鳥に餌をやるなどして、実に様々な楽しみ方をしている。
 椿は今更のように、自分がギルバートに礼を言っていなかったことを思い出した。
「ギルバートさん、あの……、声をかけてくれてありがとうございました。どうしていいかわからなかったので、助かりました」
「おおげさだな。それよりも、花が欲しかったんだろう? 買わなくていいのか?」
「いえ、もういいです。あんなに賑やかなお花があったんじゃ、部屋にいても気が休まりませんから」
 ふと思いついて、ギルバートに訊ねる。
「ギルバートさんは、本当にひとりになりたいときってどうするんですか?」
 それはつまり、植物にさえ話しかけられたくないときのことだ。
 ギルバートには説明せずともわかったらしい。逆に問い返された。
「椿はどうするんだ?」
「自分の部屋に籠ります。それしかないから」
「それで本当にひとりになれるのか?」
 椿は首を振った。
「近くにいれば、部屋の外でもわかるので難しいです。植物の方は私のそういう気分を察して、声をかけずに放っておいてくれます。でも、その気配を感じてしまうので……」
 そういった、人とは違う自分を持て余しているときには、気遣ってくれる優しい気配さえ辛く感じてしまうのだ。そして、そう感じてしまう自分がひどくわがままで恩知らずのようにも思えてしまう。
ギルバートは空になった紙コップをくしゃりと握りしめると、ゴミ箱に放り投げ、立ち上がった。
「この後の予定は?」
「寮に帰るだけですけど」
「じゃ、送ってやるからつきあえ」
 買い込んだ食糧で一杯になった椿の買い物袋を手に、ギルバートはすたすたと歩き出す。
 椿は慌てて冷めたカフェオレを飲みほして紙コップを捨てると、ギルバートの後を追った。
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