Lost Fiction

湯月@重陽

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魚の城の女王は

霧に包まれた国

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 彼女の産まれた日。
 鳳凰が空を飛び、麒麟は地を駆け巡った。
 そして民に告げられる!

 伝説の女王の 其の帰還

※※

 足元。銀の波が港へと寄せている。
 アシェンの眼の前には霧が深くわだかまる。
 霧笛が鳴る。
 霧を押し退けて、船は現れた。
 船は間近まで迫り其の威容。先じて飛び降りた船員が綱を引く。晴れぬ霧で濡らされながら船の固定を終えた船員は、船着き場の鐘まで走っていって、鐘を9回鳴らして客へ乗船開始を知らせた。

「アシェン!」

 ぐいりと引かれた右腕。たたらを踏んで振り向けば、目尻を吊り上げた同輩が、
「お前。とっとと来いよ! 船が出る」噴飯やるたかなしと吐き捨てた。
 深い霧は闇と変わらず。周りの人は、急な影として現れる。一寸先は白く閉ざされる中を、同輩は左右に頭を動かして、打ち鳴らされる鐘の音を探っていた。強く掴まれた腕の痛み。手繰たぐり握り返せば、一瞬緩み_もう一度、強く引いた。


 霧深く立ち込めた、向こうにこそ城はある。
 果て無く見える湖にも似た、大きな大きな河の上に。
 其の国は女王の国。



 キウの前には、壮麗な船がある。絢爛に施された装飾は生き生きとした躍動感に満ちている。
 広すぎる河はどうにも遠近感を狂わせる。
 実際には河である。しかし湖と呼ばれて久しい。川下方向が国の玄関口。近隣から其の国に向かうには此の港を利用するしか無く。公用には特に、決められた船を利用するしか無い。国の役人達に先導されて向かう途中、民間の船着き場からも舟が出ようとしているのが見えた。
 数人が幾種類かの作物を舟に運んでいたが、どうやら全部を載せ終えたらしく、いよいよ前後に一人ずつ跳び乗って、岸を櫂で突くと、舟は水上へ。船着き場からゆっくりと放れていく。見れば、季節の瓜や葉野菜や水野菜の類を一杯に乗せた舟は他にも幾艘もあった。ひと方向へと進んで行く。朝の時分。おそらく近隣の農地の行商だろう。舟を手慣れて操っていた。
「何か御座いましたか?」
 どうやらすっかり注目していたらしい。あちらの役人に声を掛けられてしまった。
 まごつく処に、
「失礼を。此の男は何分、貴国を訪れるのが初めて。何もかもが珍しく目新しく見えているのです。私共の知る市とは大地の上で行われるものばかりなものですから。_あまり皆様へ手間を掛けさせぬように」
上司の助け舟に全力で乗り、弾けるように手を組んで頭を下げる。
 相手方の困惑を、近づいて来る軽い足音が破る。
 少年がもう一人の手を引いて現れた。
 余りに濃い霧に巻かれて迷子になっていた従者も、どうやら見つかったらしい。


 祖母から繰り返し聴いた物語。
 祖母が、其の祖母、更に其の祖母_其の国の隣国の生まれであった人から聞いた昔話。

 ある時、それはそれは美しいきぬ被った女王が、荒れ果てた地の端に立って、ツイと片手を延べた。
 すると見る間に水が湧き立ちて、大きな河が出来たのだ。女王が更に手に持った草を幾らか河に投げれば、そちらは大きな浮き島になった。
 女王と家臣、其の民たちは、連れ立って浮き島に跳び乗り、浮き島ごとスルスルと 霧の立ち込め始めた河の奥深くへと去って行ってしまったそうな。
 だから、あの国は 女王の国。
 の女王が、戻って来る日を待っている。

 _いま此の国は、迫る400年ぶりの女王の戴冠に沸いていた。

 祖母にいつか聞いた昔話。脳裏によぎる夢物語。
 時に渇水に悩まされる故郷よ。
 思うままに水が手に入るなら、どんなにか。



 波に、音よりも揺れで気づく。
 ほんの半刻程の船旅に、茶の支度を整える。
 柔らかに音を鳴らす茶器を取り上げて茶杯に注いだ。茶請けには、果物を芯に型に広げた砂糖を押し固める、砂糖菓子。見当たらぬ魚の形の型に、同輩が「此の国では魚は守り神だから縁起物以外で食べるのはご法度だ」と小突いて寄越す。
 手際よく用意すれば、後は特にやることもない。
 上司の側に控えつつも、暇なアシェンは外を見た。

 空は重たい雲に支配されて、底にあった。
 小波さざなみが一定方向へと寄せるので、確かに其れが流れのある河なのだと知った。
 霧の向こうに影が見えた気がした。
 よくよく目を凝らして、其れが河上の小舟と気づいて驚いた。
 淀んだ水の臭いもなく、むしろ縁に育つ植物の香りがした。舟の行き来が少ないのか、浮き草の類で水表一面が緑に染まり、一気に緑のが強まった。
 処処に咲く花が白色に浮き上がって見えた。

 船は波を立てて湖を進んだ。市場と称された大河の区画を過ぎ徐々に姿を現す街並みは、キウが初めて見る様子だった。
 何せ総てが船なのだ。
 場所によって船の大きさもマチマチで、小舟から其れなりの大きさの船まで。
 防水を施され、大柄な男が仁王立つ高さに屋根を持つ。舟々の連なりは云うなれば家々の連なりのようなもの。其々に個性もあるようで、特に屋根は大変凝った鱗のような装飾をした舟から、素っ気なく平板を組み合わせただけの舟も見える。 
 互いに鎖を出し合って繋がる舟々は区画毎に定められて、喩えるなら丁度此処は大通り。大きく幅を取った船と船の間にできた道を多くの舟が行き交っている。
 殆どは小回りの良い小舟だが、一部に他の舟が路を譲る規模の船も見えた(ぶつかれば大破するような船相手には、小舟の船頭も慎重に対応していた)。
 真っ直ぐに進んでいた船は、緩やかに右へと舵をきった。船の並びに沿うように中心に見える城へと向かっていった。

 城は大きく、見上げるようで、湖の霧の中から現れる。太い柱が何本も立って支え、上に城が乗る。屋根は湖に向かって枝垂れ、端で跳ね上がる。城は内に、水を引き込んで憩う。

※※

 年経る城。木で出来た此の城の床は柔らかい木肌が削れて節が目立ち、痛いと云うよりも氷のように冷たく進む少女の足を噛んだ。
 悴む_痛む足。
 外回廊から見える天の雲は厚く、風が暴れては城の彼方此方に垂らされた領巾ひれが踊る。急流を行く紫の背びれ持つ魚のような其の形は、大魚、此の国の守り神を模していると云う。
 魚の形の神を奉ずる故か、此の国の人々は人の形の神よりも獣の神を尊んだ。城の其処此処の内装にも、装飾として彫られた幻の獣達が今にも動き出しそうな形で少女の前にあった。
 地を駆ける四ツの足。天を飛ぶ翼。そして勿論、水を泳ぐ鱗とヒレのある神が。
 木目も見えぬ程に色濃く、香油で磨き抜かれて艶めく幾つもの像は、天地を睥睨し、少女は今日も其の視線に晒されつつ歩いた。
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