駒鳥は何処へ行く?

湯月@重陽

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駒鳥は何処へ行く?

出立

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祖母が連れて来たのは、とても珍しい外の人だった。
此の村は、ほとんど外の人が訪れる事が無い。
行商人も来る人は決まっていて、私たちが外の人を見る機会と云うのは、隣街によっぽど大きな市が立つ時くらい。

祖父が生前、何度も何度も聞かせて呉れた。祖父の上官だったと云う人のお話。
_剣の稽古の時は厳しかったけれど、リゼにとって祖父はとても優しい人だった。


夕餉の後、炉端で温かいお茶を手に話し込む祖母と客人。
暖炉で踊る炎の柔らかな光は、2人の顔をチラチラと照らす。
まるで年の違う(様に見える)2人が、時折とてもよく似た動きや表情を作る。
リゼの眼にはとても不思議に映り、漏れ聴く話の中で2人が同世代と知って、リゼは納得した。
客人の若すぎる外見に恐れを感じることは無かった。
_恐らくリゼは、普通の人よりもほんの少しだけ不思議と近い。
祖母と入る森の中は不思議な処。見た事もないような不思議なものを、時に見る。
此の人もきっと、そんな不思議の一部なんだろうと思った。


夕餉を供された後、香りのよいお茶を振舞われた。
花の香りと共にスッと抜けるような爽やかさ。
大きく張り出した天井の梁。煤に焼かれた暖炉の石組み。干された薬草の匂いが何処か漂う。
整えられた生活の営まれる、家の気配。

マチルダと語り合うのは昔話。小さな娘が聴き入る夜語り。
ゼオが眠った後の話。あの街での話。その前の、ゼオの話。マチルダの話。


祖母はリゼが強請れば外の世界を語った。
若い時分、祖母が各地を巡り渡り歩いたと云うのは皆が知っていた。
祖母の語る外の話はリゼの胸を高鳴らせた。
見渡す限りの砂と、強すぎる日の光の大地。


故郷の話は初めて聴いた。懐かし気な其の声に、いつかは故郷に帰るのか?と。思った其れは顔に出て、マチルダは笑って否と云った。

彼処も此処も、巡り歩いたどの土地も、私の帰る場処じゃない。

「私が帰るのは彼処」
己の巣を見失わぬ渡り鳥のように、マチルダは痩せた手である方角を迷いもせずに指し示した。
「世界の真ん中。_あの地に、私は帰る」

女が帰るのだと笑った地は遠く、噂話ばかりを近くに聞いた。
人の造る域を超えた大穴のある土地。大地の臍。
聞こえる話は、大概は怖気の立つような怪異譚。其処は数多の霊がさ迷う土地だと云う。

だが、一つの伝説がある。
昔、其処には森が在ったと。
森は即ち山で、山は即ち森で在ったと。

一等の神の、聖域が在ったと。





翌朝。
ゼオはマチルダの家を出て、村の道を歩いていた。

マチルダは幾らかの昔話を知っていた。ゼオが贄とし奉げられた後、彼の団員たちは如何にかこうにか国を逃れ、其々(それぞれ)方々へ散っていったと云う。

道を教えられ、辿り着いた村の外れ。墓地。
明るく、丁寧に管理されている其処は平和。永の平和。
直ぐ傍の森から、鳥の声が聞こえてくる。

墓石の数を数え、墓と墓の隙間を擦り抜け、一つ、目的の墓の前に立つ。
刻まれた名は、いつかの頃に飽きる程に見たもの。

マーシィ・ナゼル、此処に眠る。

しかし。
墓の前に立てども、此の下に己の副官が眠っていると云われても、如何にも実感が湧かず。
そこそこに苔むした石墓。
何やら墓に立てられている、花輪の掛けられた貧相な十字架。墓標かと思って、何やら錆びついた形、

「――!」
気付く。

剣。あの男の愛用の。
錆た意匠。持ち手と鞘の隙間、噴き出した赤茶けた錆。最早抜く事も叶わぬ、死んだ剣。
死んだ男。

「マーシィ、お前、死んだのか」

此の石の下。確かに己の副官が、横たわり、気まずげに顔を逸らす。_そんな様を幻視した。
いつかの日の当たる部屋で、見慣れた仕草。

重く、伸し掛かる。唐突に、世界が相を変える。強い悲しみ。儘ならない怒りに似た感情が身を駆け巡る。

ああ、と漏れた声は、誰にも聞かれないまま、風に消えた。





出立の準備は滞りなく進んでいた。
見送りに顔を出したマチルダが、ゼオの横に立つ。
たった一夜の昔語り。もっと語り合いたい事があり、しかし其れは恐らくキリがない。

見下ろす。_嘗て掻き抱き縋った、昔の女。

唇を寄せたのは、誓って下心在っての事ではなかった。
祈り。祝福。君の幸いを願う。
弾かれて、目を見張る。目を見張り、はた、蘇る脳裏に陣取った男の姿。

『触れて良いのは、お互いだけだ』

あれか、と思って、気まずく顔を逸らした。
同じく眼を丸くしていたマチルダが、急にクスクスと笑い出す。
全く持って決まりが悪い。まるで浮気現場を咎められた心地。
「思ったより、元気そうで安心したわ」
時を増やした手が頬に添えられる。
ゼオは小さくなってしまった女を見た。
まるで、全部知っているみたいに云うなと、云おうとして、そう云えば、そう云う処のある女だったと思い出す。
「……最悪ではないな」
「そう」
ゼオを見るマチルダの瞳には暖かなぬくもりが在った。
きっと其のせい、誰にも云うつもりのなかった弱音がポロリ零れ落ちたのは。
「悪いって訳じゃあないが、少しばかり浮つくもんだ」

マチルダの指が、ゼオの頬を宥める。
「私は貴方の先の御仁については、余り明るくないのだけれど_、」
薄く目を伏せた、迷うような表情は珍しい。
「気紛れが余りに辛いなら、貴方の団の黒髪の方へお云いなさいな。気難しい方だけど、興が乗ったなら手を貸して下さるはず」

思いがけぬ助言。_黒髪に、心当たりは在った。

「知り合いかい?」
「…古い古い話だわ。でも、」
此れは、変わる様な話でもないの。

さよならの代わり「幸いを」と云い置いて、マチルダはゼオに背を向けた。
ゆっくりと歩くマチルダに孫娘が添う。

見送るゼオの背後で、出発の声が響いた。


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